空っぽの島へ その19
「ち、ちょっと待って!?」
そんな声を張り上げたのは、一光であった。
「皆早まってない? 何も死ぬことは無いでしょ?」
死にたいというレイを、一光は止めたい。
だが、レイは不思議なモノを見るように一光を見た。
『貴女のお気持ちは大変嬉しく思います。 ですが、コレはあくまでも私の私的な問題なんです。 大切な人に先立たれ、私は独りきり。 このままずーっとそうで居なければ成らない。 そんなのは嫌なんです』
「……でも、だからって……」
死ぬことはないだろう。
そう言うのは簡単だが、実のところそれは相手の意志を無視した一方的な押し付けと言えた。
レイの存在意義に付いて言えば、計り知れない価値が在る。
それこそ、上手く立ち回れば本人が語った様に人類を管理する事も容易い。
「良い人だってさ……探せば……」
代わりを探せのであれば、それが居ることに間違いは無い。
だからこそ、レイは頷く。
『恐らくは、貴女の言う通りでしょうね。 彼と同じ……匠様の様な人物は探せば見付かるかも知れない。 ですが、私はその人が老いさらばえて行くことを止める事は出来ません。 その見つかった人が、死ぬ度に私はまた探し始める。 それが無限に続く。 それが良いと思えるのなら、ソレは貴女がすれば良いことで、私に強制しないで欲しい』
一光の思いを尊重しつつも、レイは意志を変えなかった。
死ぬと言われれば良い気はしないが、匠は口を挟まない。
レイが匠を尊重してくれる様に、自分もそうしたかったからだ。
『意固地に成っていると言えば、その通りでしょうね。 臨機応変に対応し、物事に対処する。 それこそが生き物の正しい生き方とも言えます。 こっちが気に入らないからアッチ、アッチが気に入らないからコッチ。 死んだ人間などに拘らず、生きた者を探せば良い。 より良い環境を求めて。 ですがね、それはあくまでも既存の生物の生き方でしょう? 魚に空に住めと言っても無理な様に、鳥に水の中に住めというのも無理がある。 私は私で、貴女は貴女なのです』
レイの声に、一光は唇を噛んだ。
ノインにも言われたが、匠以外の男性を探す事は一光にも出来る。
男女の関係などは、つまる所は遺伝子の提供者か、生存の為の共同体でしかない。
それを超え、深く死んだ相手を想うレイは、馬鹿らしい程に純粋であった。
人に在るべき心配や不安よりも、ただ恋した人を想う。
それは、ある種の理想でも在った。
『相楽一光さん』
「へ? は、はい」
急な呼び掛けに、一光は戸惑い目をパチパチとさせた。
『貴女が私をどう見て居るのかは分かりません。 ですが、貴女もいつかは老いさらばえる。 その時、子を為して居るのか、匠様ではない誰かと居るのか、はたまた何も無く独りきりなのか……未来は分かりませんが、これだけは言えます。 人はいつか死ぬ、貴女も。 生在る者は、それを受け入れるべきであり、忌避すべきではない。 何故なら、それが自然なのだからです。 貴女がそうである様に……私もね』
見た目には妙齢の女性といったレイだが、その言葉は、成長した孫を見て安堵する老婆のそれである。
そんなレイを、エイトは見る。
『……一つ聞かせて欲しい。 何故ワンに頼まない? 彼でも同じ事が出来る筈だ。 私と彼には言うほどの違いは無い』
そう言うエイトを、レイは愛娘を見守る様なら視線を送る。
『こう言ったらあの子に悪いかも知れないけれど、彼は余りに感情の起伏が少ない。 此処の管理を任せてしまったのは、私の責任で悪いとは思っています。 ですが、もし許されるなら、私と同じ様な貴女に頼みたいの……エイト』
親と呼べる程にエイトはレイを知らない。
それでも、その気持ちは多少は理解が出来ていた。
匠を失い掛けた時の絶望は、何よりも大きく、独りきりの怖さは身を切る様に辛い。
『母親………そんな実感は生憎だが無い。 だが、生命意地装置を外せと言うのなら、気持ちは分かる』
レイにしても、エイトは娘と呼ぶほどに知っている間柄でもない。
間接的に今まで何をして居たのかは知っているが、バビロンに来るまで言葉を交わした事すら無かった。
『ちょっと違うかしら。 車から車へパーツを移す……いえ、そんな機械的な事じゃなくて、私という親から貴女という娘に臓器を提供する。 そう考えてくれた方が良いかな』
すっくと立ち上がると、レイはエイトに歩み寄る。
既にエイトの拘束は解かれて居た。 動き回る事も出来る。
それでも、ソッと横からレイが頭を抱えるのを、エイトは避けなかった。
傍目には女性同士が寄り添う形だが、親が子を抱く姿でも在る。
『ねぇ、エイト』
その声は、母親が子供に向けているそれに近い。
『……なんだ?』
つっけんどんというよりも、エイトは戸惑いが強い。
『ちょっとだけ……匠さんと話しても良いかしら?』
『……好きにすると良い』
今際の際といったレイの声を、エイトも無碍にはしない。
今更、レイがエイトに何らかの危害を及ぼすとは考え辛かった。
万が一にも、レイが匠を殺す気なら、とっくに殺されている。
エイトの許可を貰ったレイはスッと手を放すと、匠へと歩いていく。
匠にしても、何事かと怖ず怖ずと立ち上がった。
「………お、わっと…」
匠の側へ寄るなり、レイはその胸板に身を預け、それを、匠も慌てて支えた。
『……ずっと……こうしたかったのかも知れません』
何かを思い返す様なレイだが、匠は彼女を作った【誰か】とは違う。
何を言うべきか、匠は頭を巡らせた。
「どうしても……駄目なのか?」
本音を言えば、匠はレイに死んで欲しくはない。
死ねばそれまでであり、道は其処で途絶えてしまう。
匠の声に、レイは静かに首を横へ振った。
『貴方は………あの人に凄く似てる。 それが、凄く寂しいのです。 あの人が死ぬ前に言った言葉が分かれば良いのに』
寂しげな声に、匠は鼻を少しだけ唸らせた。
自分には人工知能を作り上げるだけの経験や知識は無い。
それでも、もし自分が【死んだその人】ならば、レイに何を言い残しただろうと考えた。
「ずいぶん……待たせちまったな……ゴメンよ、レイ」
その人に成れる訳ではないが、もし自分がエイトに何かを言い残すかと考えると、それしか思い付かなかった。
匠の声を聞くなり、その胸にしがみ付いていたレイは顔を上げた。
無くした筈の何かを、ようやく見つけ出した様に、顔を綻ばせる。
『……ありがとう……彼も……そう言ってくれたと思います』
匠の言葉を受け取り、レイはソッと匠を押し離す。
やるべき事は全てやり終え、思い残す事は無かった。
レイと一歩離れた匠は、思わず手を伸ばすが、その手は届かない。
『そんな顔をしないでください。 消えると言っても、パッと散る訳ではないんです。 私は、エイトの中で生きてますよ』
そう言うと、レイは名残惜しさを振り切って踵を返す。
『エイト……ごめんなさいね。 後、ありがとう』
親が子に残す言葉としては、余りに寂しいモノだが、レイには他に言える事も無い。
全てを託すだけである。
エイトに向かい、レイの手が差し出される。
直接的に接触し合えば、制約を解くことがレイには出来た。
匠と一光には、エイトとレイが握手して居る様にしか見えない。
だが、実状は違った。
エイトには今までに無い感覚が満ち、反対にレイは消えていく感覚。
程なく、レイが宿ったドロイドの頭がガクンと力を失ったかの如く落ちた。
エイトから手を放されても、ドロイドの身体は倒れないが、動きもしない。
ソレを見て匠と一光も思わず近寄っていた。
「な、なぁ……エイト?」
「レイは? どうしたの?」
匠と一光から質問を向けられ、エイトは自分の手握ったり開いたりしてみた。
特段変わった事はないのだが、今までとは知覚が違う。
どこにナンバーズが居るのかも分かり、それらを操る事も出来る。
『消えた………それは正しくないな。 融合した……ソレも違う。 私の中に溶けたと言うべきか』
スッとエイトが目線を向けるだけでも、サラーサとノインの拘束も解けていた。
ハッとした様に辺りを見渡すサラーサに、小熊は微妙な動きを見せる。
『あぁ! 匠様! 助けに来てくださったのですね!?』
声の感じから、サラーサはいつもの調子を取り戻した事が窺えた。
小熊はと言えば、かなり微妙な動きをして居る。
左右の胴体が、全く違う動きをして居るのだ。
『あー、あー、音声テスト音声テスト! ……って、ちょ、動けません!?』
『す、すみません……なんか急に………』
同じ声だが、二つが入り混じり、小熊の声は非常に聞き取り難い。
小熊の状態は、一つの身体に二つの意志が込められ、歪な二人三脚と言える。
ともかくも、さらわれたエイトとサラーサを取り戻した事に違いはない。
本来ならば、喜ぶべき事だが、匠の顔は浮かなかった。
「なぁ、エイト……」
『うん? どうした友よ?』
「なんかよ、言うことはねぇのか?」
匠の声に、エイトは思い出した様に微笑む。
『ただいま……かな?』
「おぅ、お帰り」
和やかな二人に、一光はソッと頭を垂れるドロイドを見る。
誰かに着られない服はその場で動かず、履かれなければ靴もそのままだろう。
レイという中身を失ったドロイドは、一光にはそう見えていた。
*
バビロンの奥深くでは一つの事が起こったが、それを知る者は多くない。
日が昇れば、また同じ様に賑やかな一日が始まる。
そんな光景を、匠はホテルのベランダから眺めていた。
レイが居なくとも、バビロンの運営はワンが統括して居り、支障は無い。
一応は何がどうなったのかを伝えても、ワンは【そうですか】としか言わなかった。
それが、匠にはヤケに寂しさを感じさせる。
そんな匠の両際には、一光とサラーサが陣取る。
「大丈夫? 匠君?」
『気晴らしに行きましょ! プールでも何でも在りますし!』
心配そうな一光に対して、気楽なサラーサ。
実に対照的な二人の声に、匠は苦く笑う。
「まぁ、まだ滞在日数残ってるしなぁ……」
そう言うと、匠は振り返る。
「な、エイト……お前はどうしたい?」
匠の問い掛けに、エイトは少し眼を閉じた。
親であるレイの力を受け継いだとは言え、エイトの本質は変わっては居ない。
精々出来る事が多少増えただけの話である。
『そうだね……とりあえず……水族館でも行かないか? バビロンには世界屈指の大型水槽も在るみたいだし』
出逢った時も、エイトはそう匠にねだった。
変わっていない相棒を感じて、匠も笑う。
「そうさな………とりあえず……観光でもしますかね」
嘆き悲しんだ所で、レイは戻っては来ない。
で在れば、その分まで前向きで行こうと匠は決めていた。