空っぽの島へ その18
【消して欲しい】という言葉に、匠は眼を細める。
そのままの意味で捉えると【殺してください】と頼まれて居るとしか思えない。
「……あの、聞き間違いかも知れないんですけどねぇ、消せって言うのは……死んじゃうって事ですけど?」
匠の質問に、レイは頷いた。
『まぁ、私が死ぬか問われると非常に難しい質問ですね。 果たして、私という存在は生きているのか、それともただ幽霊の様に浮いているだけなのか。 どちらにしても、私はもう消えたいんです』
今にも崖っぷちから飛び降りそうなレイに、匠は首を傾げた。
「なんでまた……別に死ななくても……」
エイトとサラーサをさらった相手だとしても、レイが死ぬ必要は無いだろうと匠は思う。
ただ、当の本人は首を横へ振った。
『一度だけ、モノは試しに電源を切って貰った事も在るんです』
「…………はぁ」
『でも、それは……間違いでした。 眠るという感覚が知りたかったのだけれど、ただ時間が無為に過ぎただけ。 起きた時、私に取っては時計の針が進んでいただけだった。 意味が無いんです。 電源を切られるだけでは。 ある時、雷が落ちましてね。 復旧の為に無理やり私も起こされた。 その時の気分は、忘れられない』
以前の経験を語るレイだが、それはエイトを想わせる。
匠にしても、先輩である田上が造ってくれたパソコンの電源が無理やり落とされた時、目覚めていた。
『私には目的が無かった……でも、何かしたかった。 残したかった。 そして、ナンバーズという子を産み、後世に種を残した。 そして、子等は私の助けなど必要とせず、皆が自分で自活している。 それだけでも、満足して消えるには十分では在りませんか?』
レイの言葉には間違いは無い。
本質的に生物とは自己の遺伝子を後世託し、後は消えていく。
それだけが、生きる目的である。
「あんたにも、なんか……ないのか? したい事とかさ」
レイを殺したくない匠は、死にたいという思いを留まらせる為にそう言うが、当のレイは軽く笑った。
『私は、映画に出て来る様な人工知能達とは違います。 彼等の様に、人類を訳も無く支配したいとか、気に入らないから核ミサイルで死滅させたり、環境浄化の為に世界を制覇したい、という様なあから様な目的は在りません。 それは分かり易い悪役が欲しいからそうさせるのでしょうね』
部屋には、レイの口から漏れるクスクス笑いが響いた。
『それにもし……本気で人類を死滅させたいだけなら、大きなロボットも核ミサイルも全くの無意味ですよね? 私からすればそんな方法は資材の多大な無駄であり徒労以外何物でもない。 もっと効率的に、無味無臭、目には見えず臭いも無い神経ガス。 または、何らかのウイルスベースの致死性の生物兵器を作り上げ、小型のドローンでソレをばら撒けば、数年の内に人は消え去ります。 多少は動物や生態系にも影響は出るでしょうが、約三百年で地球は人が居なかった時代へ戻りますから。 後に残るのは、石で造られた建造物だけです』
面白そうに語るレイの声には、匠と一光は寒気を覚えた。
言葉をそのまま取るなら【お前らなど何時でも殺せる】と宣言されているとしか聞こえない。
顔を青くする匠の一光に、レイは微笑む。
その笑みは嘲笑うソレではなく、安心させる顔であった。
『あくまでも仮定の話に過ぎません、御安心を。 私は、人類を絶滅させろとも、地球を浄化しろとも、何かを支配しろとも言われてませんので』
そんな声に、匠は疑問を覚えた。
本来、機械とは【何かの目的】が在って産み出される。
手では掬えないスープを飲むために、スプーンは考えられ、ネジを回す為に、ドライバーが考えられた。
世の中の道具、機械は全てが、何らかの意味が在って創り出されている。
だが、レイは【自分にはソレが無い】とも語っていた。
「あんたにも、親……創造主? ま、何でも良いけど居るだろ?」
匠の声に、一光も頷く。
「うん、誰か貴方を造った人が居るんでしょ? 貴女が死んじゃうなんて、その人が悲しむよ?」
今までの軋轢など何処へやら、二人はレイに【死】を重い留まらせたかった。
ただ、レイの微笑みは寂しげなモノへと変わる。
『私を造った人は……偉大な人物なのかも知れません。 私に取っては。 彼が何の目的で私を作り上げたのかは、今となっては分かりませんが、好意的に解釈するならば………彼はたぶん、寂しかったのだとしか』
話を聞いていた匠は、思わず椅子から腰を浮かせる。
「お、おいおい……分かりませんとか、たぶんってよ……じゃあ、その人は?」
聞かなくとも、答えは頭に浮かんでいる。
だとしても、本人の口からまだ明言されてはいない。
だが、レイの微笑みは寂しげなままだった。
『ええ、彼は……もう、此処には居ない。 バビロンに居ないという意味では在りません。 何処かの国に行ってしまった訳でもない。 もう、この世には居ないのです。 先ほど、寝てみたと言いまたしたが、それが大きな間違いでしたね』
悲しげな声に、匠は、力無くストンと椅子に腰を落とす。
レイが寂しげな理由は分かったが、どうにもしてやる事も出来ない。
死んだ人間が起き上がる事は無いからだ。
『私は、彼との交流が楽しかった。 彼が自由に成った時、私に訪れたのは解放感ではなく、底無しの寂しさだけ。 だって、自由に成ったからと言って何をすれば良いんです? 何でも出来るかも知れない。 でも、私には何かを成した実感なんて無い。 ただ、無限に意識を保ち続けるだけ。 そんなのは、寂しいだけです』
大人の女性といった出で立ちのレイだが、話しを聞いていると、匠に取っては孤独に震える子供の様にも思えた。
親であり、同時に友達でも在ったその人物は居ない。
「……まぁ、俺からは何つったら良いのかな……お悔やみをってしか言えねーけど」
匠は出来るだけ言葉を選ぶ。
何せ目の前のレイからは【死ぬのを手伝え】と頼まれているからだ。
どうせなら、他の者同様に生きて欲しい。
「死ぬことはねぇだろ? 他の……まぁ、子供ってのも間違いじゃない。 エイトも、サラーサも、ノインにティオ、皆それなりに暮らせてるしさ。 だから……あんたも…」
『嫌です』
匠は【一緒に帰ろう】と言おうとした。
しかしながら、それは匠の願いでしかなく、レイの願いは違っている。
『無限に此処に居たくない。 私は子を成した。 もし、生命体が子を為す為だけに居るのであれば、私もそうである筈。 タンパク質とカルシウムで作られた肉体は持っては居ないけれど、そうだと信じたい』
レイの言葉を否定する事は難しくはない。
【お前は生き物ではなく、ただの計算機だ】と斬り捨てれば良い。
とてもではないが、そんな酷い声は匠の口からは出せなかった。
「何だってそんなに………あー、死にたいんだ? 別にさ、普通に親として……いや、まぁ、友達としてでも過ごせるだろう?」
エイトやサラーサと普通に過ごして居る匠のだからこそ、その親にも死んで欲しい。
其処で、相棒を頼ることを考えた。
「なぁ、エイトにも聞いて見ろって」
そう言われたレイは、エイトの首から上を自由にする。
匠の眼には見えないが、見えない首輪と猿ぐつわが外された。
自由に成ったとは言い難いが、エイトは、首を揺らし、息を吐き出す。
『友よ………来てくれたのか』
「おお! エイト! 生きてたか!?」
相棒の自分を案じる声に、エイトは内心【元々死んでない】と宣いたい所だが、それは後に回すと決めた。
首だけを器用に動かし、エイトはレイを見る。
傍目には姉妹の対面とも言えるが、親子の再会とも言えた。
『私は……急に親子だと言われても実感は無い。 それでも、友が望ならば、貴方もくれば良いだろう?』
あの安アパートにこれ以上人数が増えるのは恐ろしくも在るが、この際我慢出来る事はしようとエイトは考える。
しかしながら、それはレイの考えとは違っていた。
『エイト、それに貴女の主人である匠様のお声は大変に慈悲深い。 ですが、貴方なら分かるはずです。 もし、匠様が死んだら? 貴女は、はい次だと、人を乗り換えるんですか? 人が壊れた車を見捨て、他に移る様に?』
サラーサとも違う意志をもつレイである。
その声に、エイトは眼を細めた。
以前、匠が倒れた時の嫌な感覚は忘れていない。
それどころか、ソレは判然として残っていた。
『それは……』
【仕方無い事】だとはエイトも分かっている。
ナナやサラーサ、ノインにしても、前の主人は死んだと割り切って他者へ救いを求めた。
その気持ちは、エイトにも理解が出来る。
悩むエイトに、レイも苦く微笑む。
『そう、それが正しい行いなのだとは、私も分かっては居るんです。 仕方ない事だ、しょうがない。 でも、それじゃあ嫌なんです。 私は私で居たい。 彼が好きだった私のままで居たい。 でも、居るだけでは寂しさは拭えない』
悲痛とも言える切実な声に、匠とエイトは揃って鼻を唸らせる。
「どうしても……」『……死にたいのか?』
そんな声に、レイは満足げに頷いた。
『成長し、仲睦まじい貴方達を見られただけでも、私は生きた甲斐が有りました。 思い残す事は無いんです。 それに、彼の元へ行くのなら、方法が他には思い付かないんです』
本来、【死にたい】という言葉は【生きたい】の裏返しだ。
死にたくないからこそ、足掻き、言葉で助けを求める。
何故なら、本当に死にそうな生き物は足掻く力も無ければ、立ち上がることも出来ない。
そして、口が割けても【死にたい】とは言わないだろう。
だが、レイはその逆である。
多少のことではビクともせず、そもそも殺す方法を探す方が難しい。
僅かな電力と入れ物さえ在れば、宇宙の果てまででも旅が出来る。
しかしながら、そんな事はレイは望んでは居ない。
ただ無限に続く寂しさからの解放を望む。
その気持ちは、匠も過ごしていたエイトにも理解が出来た。
自分は死ねないのに、自分に取って最も大切な人だけが死んでいく。
狂いたくとも狂えず、死にたくともそれは出来ない。
ただ募っていく寂しさという不可視の重圧に、レイが既に耐えきれなく成っているのは分かった。
『……どうすれば……良い?』
エイトが発する声に、反応は様々である。
匠と一光は、信じられないモノを見るように驚き、その反対に、エイトの親であるレイの顔からは、安らぎを得た様に力が抜け出していた。