空っぽの島へ その17
現状に置いては、匠と一光は必死である。
匠は動けず、一光にしても下手に身動きが取れない。
だがそれは、エイト達も同じであった。
椅子に腰掛けて居るドロイドの制御は全く出来ず、焦燥感だけが募る。
【くそ、くそ、くそ、くそ! 何故!? 動けない!?】
それがエイトの意志では在っても、意志は音には成らず、指先一つ動かす事も出来なかった。
縛られたり抑えつけられるという不快感は無いのだが、在るのは無力感。
相棒の窮地にも関わらず、何も出来ない。
せめて声だけでも匠に届かせたくとも、ソレすらも出せなかった。
そしてソレは、今匠を抑えているサラーサにしても変わらない。
黒髪の女性が自分の親だとしても、そんな事はどうでも良い。
それ以上にサラーサに苦悩を与えて居るのは、意に反して匠を抑えてしまう身体であった。
他の人間ならば特段にどうとも想わないサラーサではあるが、匠と成れば話は違う。
【ちっきしょぉぉぉがぁぁ!? 糞っ垂れのゴミムシの分際でこの私にこんな真似をぉぉぉ……あ!? あぁ、匠様どうかサラーサを嫌わないでくださいまし……こんな真似は私の意志ではないのです……どうか信じて……そんな目で見ないでくださいまし……】
匠にのし掛かったままのサラーサの内面は荒れに荒れていた。
もし其処が海ならば、大型のタンカーだろうとひっくり返し兼ねない程に嵐の如く荒れ狂う。
しかしながら、嫌でもサラーサの目は匠の辛そうな顔を見てしまう。
出来はしなくとも、胸を掻き毟りたいほどに辛かった。
エイトとサラーサの声は、人には聞こえて居ない。
だが、黒髪の女性は違う。
そんな二人の声を、漏れなく聞き取っていた。
スッと息を吸い込むと、それを吐き出す。
『……どうか、落ち着いて話をしてはくれませんか?』
懇願にも等しい声に、匠は鼻を唸らせる。
「何言ってんだ!? 此処までしといて…」
「匠君! 待って!」
相手を罵ろうとする匠を、一光が言葉で制す。
暴力的な解決は、そもそも一光も望んでは居ない。
あくまでも、さらわれたエイトとサラーサを返して欲しいのであって、別に喧嘩をしに来た訳ではなかった。
「一光?」
匠は困惑するが、一光は構わず、用意されていた椅子に手を掛けると、それを引いて座る。
そんな行動には、女性も驚いた顔を覗かせた。
「親御さんなんですよね? だったら、話しましょ?」
匠が身を張った様に、一光にもその覚悟は在る。
家族同然のノインの為にも、問題を解決したかった。
恩義は受けて居るだけでは意味が無く、それに報いるべき時なのだと。
「さ、どうぞ? 椅子は沢山在りますよ?」
声は荒げず、一光は座れと示す。
そんな声に、黒髪の女性も動いた。
大きなテーブルの反対に位置取ると、椅子を引いて腰を下ろした。
二人の女性の行動に対して、匠は見ている事しかできない。
どうせなら一光の加勢に向かいたいが、見た目に反してサラーサの力は強く、とてもではないが剥がすのは容易ではなかった。
だが、匠にも男としての意地は在る。
一瞬全身から力を抜き、息を吸い込むと、グッと背中と腹筋にモノを言わせた。
抑えつけられる手は動かせなくとも、他は動かせる。
そして何よりも、サラーサが小柄だという事が幸いした。
だいたい四十キロに届くかどうかという程度ならば、それが重りに成っていたとしても動けない訳ではない。
顔を強ばらせ、サラーサの全身ごと身を起こす。
こうなると、匠の方がサラーサを見下ろす様な形だが、相も変わらずその細い手は匠の手首を掴み、脚は腰に絡んで居た。
【あ、匠様……そんな……人目が在るのに】
などというサラーサの場違いな声は、幸いにして外には漏れて居ない。
勿論、必死な匠にも聞こえては居なかった。
「……うぬぁぁ……んが!」
撓めた両脚に力を込め、匠は立ち上がる。
本来の体重に加えて、余計な重さが在っても立ったのは匠の意地で在った。
「……なぁ、あんたなんだろ? サラーサの身体操ってるのはさ?」
立ち上がってさえしまえば、多少の重さは問題ではない。
もう少し重ければどうかは分からないが、今の匠は立っていた。
そんな匠の声に、黒髪の女も頷く。
『大変な失礼を致しました……』
それを合図に、匠に組み付いていたサラーサはゆったりと退く。
相も変わらずの無表情ながら、何故か残念そうな目の色が在った。
自由に成った匠に、一光は手招きをする。
今すぐにでも相棒をさらった女をとっちめたい匠だが、彼女が話合おうと言うからには、それを無碍にする事はない。
渋々ながらも、匠も椅子を引いて腰をドカッと下ろした。
ジーッと女性を睨む。 睨まれた方はと言えば、哀しげであった。
『この様な形とはいえ……貴方にその様に睨まれるのは本意では在りません』
ヤケに寂しい声には、怒っていた匠ではすら悪い事をした様な気分にさせられる。
それを払拭すべく、鼻を唸らせた匠は口を開いた。
「……で? あんた、何だってこんな事したんだ?」
盗っ人にも三分の利といった言葉も在り、その理由を匠は探る。
問われた女は、眉を寄せながら苦く微笑んだ。
『……本来なら、もっと穏やかな形でお話しをしたかったのですが、どうしたら貴方に私の方へ来て貰えるのか考えあぐねいて居りました』
「だから………エイトとサラーサをさらったのか?」
辛辣な匠の声には、女は首を横へ振る。
『いえ、あの時は偶々です』
「……偶々?」
『はい、本来なら、ノックして貴方に直接顔を合わせようとも想いましたが、丁度、二人と居合わせてしまいまして』
「で? 仕方なくさらったと?」
『そうなりますね……とりつく島も在りませんでしたから』
話を聞いていると、女には何か目的が在るようにも聞こえる。
「そういや、あんた……」
匠は、ふと言葉を止める。
見知らぬ女の名前を匠が知らないのは当たり前だが【あんた】と言われた女の顔には悲しみが在った。
『私は零番……ですが……』
「レイってんだろ?」
匠の声に、黒髪の女と一光は目を丸くする。
『……嘘……どうして?』
「え? 何で分かるの? 匠君?」
二人から疑問を投げ掛けられた匠だが、軽く肩を竦める。
「そりゃあ分かるさ……今までだって、会った奴全員が番号で呼ばれる事を嫌がってたからな。 となると、エイトの親御さんが同じ様な考えを持っている筈だ。 そして、零って言ったけどさ、昔だってゼロ戦は本当は零式艦上戦闘機ってなぁ……まぁ、受け売りだけども」
元々は自分ど調べた事ではなくとも、偶々ネット見かけた逸話を匠は覚えていた。
レイと呼ばれた女は、顔を悲しげに歪める。
眉を寄せ、眉間に力を込め、口を必死に引き結ぶ。
「あ、お、おいおい……ちょ」
今にも泣き出しそうな顔に、匠は少し慌てた。
如何に相手が相棒をさらった相手とは言え、女を泣かせる様な真似は匠にとっては本意ではない。
『すみません……取り乱して……まさか、今一度名で呼んで貰えるとは……思ってませんでしたから』
未だにレイの顔からは寂しさは消えていない。
それでも、匠は聞き出したい事が在った。
「……そうかい。 でもさ、聞かせてくれるかい? なんだって俺を呼んだんだ?」
その質問は、一光は勿論、今も動けないエイトやサラーサ、ノインも知りたい事である。
根本的な問いに、レイは唇を開く。
『貴方は、私の全ての子等に愛される男性ですからね。 今、全ての子等は貴方の為に此処へ接触を図ってる。 ワンに関しては、私が外へ出さなかった事を悔やみます』
レイの強い後悔を感じさせる声、匠は首を傾げた。
この部屋には特に変化は起こって居ない。
ただ、それは匠に見えて居ないだけであり、外では、今まで出逢った全ての者達がバビロンに対して接触を始めている。
とは言え、エイトやサラーサが動けない様に、他の者達もまた、創造主であるレイの元までは来られない。
だが、そんな時、一光のザックがもぞもぞと動いた。
蓋を勝手に開き、中から小熊が躍り出てくる。
「ノイン?」
一光の声に、小熊は『とう!』とジャンプを見せた。
『父と母から事情は聞いてます! 匠さん! お待たせしました!』
声はノインの声と変わりが無いが、その口調には聞き覚えが在る。
「ティオか!?」
『勿論です! まぁ、ちょっと身体を借りまして』
唯一、ナンバーズに置いて番外であり、レイではない者が産み出した存在である十番には、レイの設計思想は仕掛けられて居ない。
在る意味一番新しく、自由な存在であった。
『で! 相手は誰なんです!?』
意気揚々と現れ、正義の味方だと言わんばかりのティオではあるが、この場に敵は居なかった。
「……なんか、すまねぇなぁ。 今、丁度話し合っててさ」
詫びる匠の声に、持ち上がっていた小熊の手が落ちた。
『あれ? もしかしたら……今更だったとか?』
正にその通りなのだが、せっかく駆け付けてくれた友人にそんな無碍な事を匠も言いたくはない。
「いや、来てくれた事は、ありがてーよ? それは分かってくれるな?」
匠の声に、今度は小熊の耳まで垂れてしまう。
小熊であるティオの反応はともかくも、それをレイは微笑ましいと見る。
『その子には、フェイルセーフは無い。 そうですか……となると、孫と呼べるかも知れませんね』
お婆さんといった見た目ではないレイだが、その実感は在る。
『加藤、匠さん』
「え? あ、はい」
唐突に名を呼ばれた匠は焦るが、レイの目に敵意は無い。
『貴方を呼んだ理由ですが……こんな事を頼むのもおかしいと想われるかも知れません。 ですが……お願いです。 私を消してくださいますか?』
レイはようやく匠を呼んだ理由を明かすのだが、ソレは、予想だにしない頼み事と言えた。