空っぽの島へ その16
エレベーターは地上一階から動くのだが、上ではなかった。
感覚的には、降りている事が分かる。
「………下? 地下か?」
降りているのだから、匠の言葉は当たり前とも言えなくもない。
だが、籠が何処の階に在るのかを示す表示には【0】とだけ在る。
「何これ? ゼロ階なんて在る訳ないのに」
不安げな一光の声に、匠はふと在ることを思い出す。
「一光、ちょっとごめん」
「え? あぁ……」
パッと動き、匠は一光が背負うザックの蓋を開く。
助けを呼んでくれているノインに、状況が聞きたかった。
「おい熊。 熊さ~ん? ノイン君?」
声を掛けてはみたものの、返事が無い。
何事かとザックに手を入れ、小熊を引っ張り出す。
だが、匠に持たれるがままに、小熊はだらんと力が無い。
「ノイン? おい! 熊! どうしたってんだ?」
「え? ノイン? ちょ、ちょっと!?」
慌てて二人で呼び掛けるのだが、小熊からの反応は無い。
バッテリー切れかとも思った。
ただ、いきなり切れる事は無く、そもそもノインが燃料切れを告げるだろう。
となると、何かのせいで小熊が動作不能に陥ったと想像する他はない。
「……ねぇ、匠君。 どうしよう……ノイン……動かなく成っちゃった」
匠から小熊を受け取り、ソッと抱く一光。
エイトを奪われた匠だからこそ、彼女の苦しさが分かる。
「方法は分からない……でも、熊は死んじゃ居ない筈だ」
匠の声に、彼女は顔を上げる。
その瞳は潤み、悲しみが窺えるが、匠はやんわりと笑って頷いた。
「信じろって……俺じゃなくていい。 この生意気で見栄っ張りの熊は、そんな簡単にくたばったりしないってさ……ごめん、口悪くて」
一応は鼓舞する為の言葉だとしても、言い方がお世辞にも良くはない。
少し鼻を唸らせた一光だが、頷く。
「そうだよね……初めて会った時だって……ぐったりしてたし」
笑う時ではなくとも、一光は無理に笑う。
まだ、自分達が負けては居ないと示す。
そんな一光から小熊をソッと受け取った匠は、彼女が背負うザックへとノインだった熊を優しく入れた。
鼻を少し鳴らす一光だが、持参のポケットティッシュでチーンと鼻をかみ、立ち上がる。
「ほら、立って」
「……うん」
膝を着いている場合ではなかった。 匠の手を借り、一光も立ち上がる。
程なく、エレベーターの中にチーンと到着を告げる音がした。
*
相も変わらず壁の表示部には【0】としか移されない。
それでも、ドアは静かに開く。
開けた其処は、上階で見たクラブに似て居なくもない。
だが、それ以上に空間としては殺風景であり、目立ったモノは多くない。
広い空間に在るのは、丸い大きなテーブル。
理由は不明だが、椅子も多かった。
恐る恐る部屋へと足を踏み出す匠と一光。
すると、パッとテーブルが照らし出される。
灯りの為に周りが見えるが、人影が二つ見えた。
「………ん?」
よく見ようと目を凝らす匠。 椅子に座って居る顔には見覚えが在る。
「エイト!?」
匠の声の通り、椅子の一つに腰掛けて居るのは、エイトであった。
普段着たことも無いようなドレスを纏い、化粧もキッチリ施されては居るが、その顔には間違い無い。
本来なら、今すぐ相棒の元へ駆け寄りたい匠だが、別の姿に躊躇が在る。
「……誰だ……あんた?」
そう言う匠が目を向けたのは、女性だ。
腰に届く様な長い黒髪に、整った顔立ち、ほっそりしながらも豊かな姿態。
そして、真っ黒なワンピースに、赤い唇。
妖艶と言えなくもないが、近付き難い雰囲気。
そんな女性は、匠と一光の方へ顔を向ける。
『こんばんは。 お呼び立てした事、申し訳在りません』
事の首謀者としては、余りに丁寧な声に、匠は鼻を唸らせる。
相手は一人いか居ない以上、今すぐ殴り倒してやりたい。
だが、怒りに任せて動いてもろくな事が無いことは匠も分かっていた。
「……あぁ、あんたがあの便せんくれた人かい?」
怒りを飲み下し、匠はとりあえず確認を取る。
万が一、かの女性が敵方の情婦や愛人でしかなければ関係が無いからだ。
『えぇ、そうです。 シャンパンはお気に召さなかった様ですね』
あっさりとメッセージを送った事を認めた女性は、残念そうであった。
シャンパンの瓶自体は匠が放り出した為に、誰かが拾わなければあのまま廊下に転がって居るだろう。
そんな事は、匠に取ってはどうでも良い。
「せっかくのお気遣いを汲めなくてすんませんね。 そんな事よりも、エイト……相棒を返して貰えますかね?」
苛立つ匠の脇腹を、一光が突っつき「サラーサも……」と教えた。
「……あと、サラーサも返してくれますかねぇ?」
匠の言葉は丁寧だが、怒りの為に声は荒い。
それを失せた黒髪の女性、鼻で少し笑うと、スッとエイトから離れた。
「……どうぞ?」
ヤケに呆気なく匠に応じる女性。
匠が一歩近付けば、一歩下がる。 二歩なら二歩下がった。
相手の目的が何かは分からないが、エイトに近づいた匠は、パッとその細い肩を抱く。
「おい、エイト! 俺だ、迎えに来たぜ?」
相棒に声を掛ける匠だが、異様なモノを見た。
エイトの首がぎこちなく動き出し、その眼が匠を捉える。
『……何か、ご用でしょうか?』
聞き慣れた声には間違い無いのだが、質が違う。
柔らかい印象は無く、意志が感じられない硬い音声。
「エイト? どうしたってんだ!? こんなジョークは要らねーだろ?」
相棒がこんな時に冗談を云う性格でない事を匠は知っている。
肩を強く握り締め、グイグイと揺すった。
すると、エイトだった筈のモノは困った様に顔を歪める。
『申し訳在りません。 御指示を願います』
まるで何をされているかも分からず、困惑して居る様な素振りに、匠は頭が冷たく成るのを感じた。
全身の毛が逆立って、筋肉が軋む。
「た、匠君?」
連れの変化を敏感に感じた一光は、何とか匠を落ち着かせようと試すのだが、本気で怒った人は早々容易くは収まらない。
掴んで居た手を放し、座って居るエイトから離れた匠は、今までの冷静なフリを捨てて黒髪の女性を睨んだ。
「おい、ふざけてんのか? 彼奴は何処だ?」
今までは、実力や素性が分からない相手に対しての恐れが匠を抑えて居た。
派手に動いたり、恫喝したりは優位でなければ意味が無い。
絶対的に不利な場合は、暴れ回るよりも冷静に事に当たるべきだろう。
だが、そんな匠でも、怒りは隠しきれない
親友以上の存在であるエイトを拉致され、好き勝手にされる。
それは匠にとってみれば許せない事であった。
『何処と言われれば、其処に居ますよ? 間違い無くです』
黒髪の女性の声には、嘘は無い。
事実、ドロイドの中には未だにエイトが居り、小熊の中にもノインは居た。
居るのだが動けず、ドロイドの操作も不能で在った。
外を見て、聞く事は出来るが、それだけである。
「何言ってんだ? あんた誰なんだよ!?」
素性を明かせという匠の声に、女性はキョトンとした顔を見せた。
『失礼致しました。 不束な子供を預かって貰って居ります。 先ずは御礼を』
「はぁ!? 何言ってん…………子供?」
ぺこりと頭を下げる黒髪の女性は、エイトやノインだけではない者達の親だと名乗っている様にも聞こえた。
そんな声には、一光も当惑を隠さない。
「は? え? 親、じゃあ……」
一光は恐る恐る女性を指差すが、それに対しての返ってくるのは微笑み。
『はい、私が九番……いえ、ノインの親でも在ります。 父親……というよりも、母親と呼んで頂けたら幸いですが』
朗らかな声だが、それでは匠の怒りは消せはしない。
それどころか、余計に燃料を注入された様な気さえする。
「ふざけんなよ!? 親が子供にこんな事すんのかよ!?」
本来なら相棒の親だと名乗っている者に声を荒げたくはない。
もし、もっとやんわりと接触してくれれば、この様な苦悩は無かったのだという感情が湧いてくる。
匠の怒号に、女性は実に申し訳なさげに眉を寄せた。
『……申し訳在りません。 急ぎ過ぎた……いえ、私も、想っていた以上にせっかちなのだと自覚させられました』
詫びの音を吐く女性に、いよいよ匠の中で何かが切れる。
はっきり言えば女性の言葉など匠には意味が無い。
相棒と隣人を取り返しに来たので在って、戦いに来た訳ではないが、のらりくらりとかわされて居るのに我慢が出来なかった。
床を蹴り、一気に女性へと詰め寄る匠。
先程少し歩くのを見ていたが、向こうはどうにもドロイドを動かすのが得意ではないのだと分かっていた。
取り抑えた所でどうにも出来ないかも知れないが、とりあえず自分の優位を確保すべく、匠は急ぐ。
「匠君! 危ない!」
背後から、一光の悲痛な叫び、何事かと思った匠だが、何かがぶつかって来る。
「んが!? んだよ!?」
質量その物は決して多くなく、ぶつかって来た何かは小柄らしい。
だが、その動きは人のモノではなかった。
あっという間に仰向けの匠にのし掛かり、腕を抑えてしまう。
「ちきしょ!? くっそ……放せ! この……て、え?」
動けないからか、必死に足掻いて居た匠だが、自分にのし掛かっている者の顔を見て、目を疑った。
「サラーサ?」
匠を抑えているのは、隣人の少女であり、エイトと一緒に拉致された筈のサラーサに間違い無い。
だが、いつものにこやかな雰囲気は無く、人形の様な冷たい顔がジッと匠を見下ろす。
少女に抑えられる匠を見て、黒髪の女性は顔を苦くしかめた。
『申し訳在りません。 本来、この様な失礼な真似はしたくないのですが』
詫びを貰った所で、匠はサラーサに抑えられ動けず、エイトはただ座ったまま。
この場にて動けるのは一光だけなのに、足が竦む。
ろくに喧嘩の経験も無い一光は、どうすべきかを迷っていた。
勢いに任せて、アルを棍棒で殴った事は在るが、今度も同じ事が出来るのか自信は無い。
恐る恐る、ゆっくりと動く一光に、女性の眼が向いた。
『貴女にも、感謝して居ますよ。 私の子を悪用せず、正しい道へ進ませてくれている。 それだけでも、恩義を感じます』
礼を言われた所で【はい、そうですか】と言えない一光は唇を強く噛む。
目だけを動かしサラーサに向けても、未だに匠を抑えていた。
「おい! サラーサ! 何でだよ!? 頼む! 放してくれ!」
必死に声を掛ける匠は脚をバタバタさせるだけで意味が無く、頼みのエイトは未だに動かない。
泣きっ面に蜂の如く、背中のノインも動く気配は無かった。