空っぽの島へ その8
自分が誰かに見られて居るなど露知らず、匠は宿泊する部屋に感心する。
それだけではない。
部屋には備え付けのタブレットが在り、各国の言語でバビロンの観光案内が載せられていた。
簡単に案内を見るだけでも、思い付く限り全ての娯楽、飲食店までもが在る。
其処で、匠は無い物を探して見ようとタブレットに指を走らせていた。
「………ははぁ、こりゃあ凄いや、寿司に鰻や天ぷら、お好み焼きにもんじゃ焼きまで在んのかよ?」
外国の食べ物に疎い匠からすると、馴染み深いモノを探したくも成る。
そんな匠とは違い、早速部屋を散策して居る一光は、色々な事に新鮮味を感じ、尚且つ驚いて居た。
「ね、匠君! 凄いよ! ジャグジーも付いてる!」
素直に部屋に感動する一光に、匠は手元のタブレットを見せた。
「コッチも凄いよ。 何でも在るよ」
「ホントにぃ?」
パタパタとスリッパの音を立てながら、一光は匠の隣は座った。
飛行機で慣れたせいか、一光が直ぐ近くに座っても匠も動じない。
一光にしても、匠の持つタブレットに指を走らせていた。
「へぇ……食べ物も一杯在るみたいだけどさ……あ!」
パッと何かを思い付いたらしい一光は、思い付いた事を探す。
すると、タブレットの画面には世界中のブランドショップの紹介が現れた。
「音声解説も在るんだぁ……へぇ……」
関心した様な声の一光は、ポンと画面を触る。
すると、柔らかいクラシックの曲に合わせて、ブランドショップ街の紹介が始まる。
『バビロンへようこそ。 此処、ブランドショップ街【キング&クイーン】では世界中から選りすぐりのブランドが集められています。 何処かの国に限定されず、世界中の煌びやかな品の数々。 【キング&クイーン】では、他では満たされない貴方に最高級の御満足を御約束致します』
柔らかい声に合わせて、ブランドショップの一部が紹介された。
それに対して、一光は目を輝かせていた。
「はぁぁ…………ね、匠くぅん」
妙に甘える様な猫撫で声の一光に、匠はウンと鼻を唸らせた。
「ちょっとで良いからさ、行ってみない? ちょっとだけで良いから」
一光の誘い方は、ハッキリ言って微妙ではある。
とは言え、せっかくの旅行ともなれば楽しみたい。
「そうっすねぇ……適当にぶらつくのも有りですなぁ」
匠からすれば、他の娯楽施設も気になる。
バビロンには射撃場等も在り、男心に其方に行きたくも成るが、一光が鉄砲好きとも想えない。
加えて、旅行に誘ってくれたのは一光である。
成ればこそ、その立役者を立てるのが筋だと匠は思った。
「やた! じゃ、行こう!」
「ほ?」
匠からすれば、未だに部屋にエイトとサラーサが来ない事も心配している。
そもそも、二人がどうやって飛行機に乗ったのかすら匠は知らない。
疑る訳ではないが、なかなか現れない二人を案じていた。
「どうかした?」
既に旅行気分に成っている一光からすれば、一分一秒が惜しい。
せっかくの休暇を楽しみたかった。
選択を迫られる匠は、どうすべきかを悩む。
それでも、腰を預けていたベッドから立ち上がる。
「……いや、じゃあ……行きますか?」
エイトとサラーサの安否も気になるが、未だにバビロンに大騒ぎが起こっていない事から、どうやら無事に入れたのだろうと判断した匠である。
二人を待たない事には悪いと想いつつも、内心詫びながらも一光に合わせる事を選んでいた。
*
ホテルを抜け、早速とばかりに一光と匠はブランドショップが並ぶ区画へ向かう。
幸い、バビロンには無料の電気自動車がタクシーとして提供されており、移動の手段には事欠かない。
程なく、二人はショップ街の前へと辿り着く。
「……わぁぁ……」
タクシーから降り立つなり、一光は思わず感嘆の声を漏らしていた。
本来の住処である街にも、それなりにはブランドショップは在る。
だが、此処まで全てが揃っていると言うことはない。
ネットワークを利用した買い物で在れば、或いは全てのブランドが網羅されては居るのだが、一つだけ違いもある。
通販と違い、実際の店には手に取って触れる実物が在るのだ。
「さ、行こ行こ! 見るだけならタダだから!」
まるで花畑にでも来たように、一光は匠の手を引いていた。
大凡、十五分後。
最初こそ愉しげに幾つか店を回った一光と匠なのだが、スゴスゴと適当な店から出て来たその顔は浮かない。
「なんて言うかさ……私、場違いなのかな?」
「いやぁ……有り得ねーだろ、なんだ? あの値段? 此処はどうなってんだよ?」
二人が見て来た店の一つは腕時計などを扱っている店であった。
とりあえず気に入ったモノを見てみようとしたのは良い。
問題なのは値段であった。
海を想わせる深いブルーの文字盤に、細工も素晴らしい外枠。
見た目が気に入ったと一光が値段を見ると、目を剥いていた。
当たり前だが、当然の様に値段も表示されている。
其処には小さな数字で【¥150.000.000】とだけ在った。
初めは目の霞か冗談だと思ったが、試しに他の種類を見ると【¥11.145.000】と言うのも在った。
他の国際通貨の値段も表示されては居るが、見る気も起きない。
流石に腕時計に億だの千万単位は無理であると、他を探す。
簡素なデザインならば、もしかしたら手が届くのではないかと思い付いた匠が見つけた腕時計にしても、匠は目を疑った。
先程のモノよりもお手頃だという店員の勧めも在ったのだが、実際に表示されている値段は【¥4.300.000】であった。
モノは試しにと展示品を見て回り、一番安いのを見つけ出した一光と匠だが、それでも、最低が百万からであった。
最後に出て来た店にしても、傍目には洋服屋に過ぎない。
此処なら大丈夫だろうと、匠が適当な品の良いシャツを手に取り見た。
最初は値札の端が見えており【¥1980】と読めなくもない。
これならば平気だろうと、値札を引っ張り出した所で、匠は固まってしまう。
値札は端が見えていなかっただけであり、実際の値段は【¥19.800】とある。
危うくレジに持って行きそうになり、慌てて棚に戻す始末であった。
ブランドショップ街【キング&クイーン】を抜け出した一光と匠は、二人揃って息を吐いていた。
だが、意気消沈の具合は匠よりも一光の方が強かった。
せっかくの旅行なのに、いきなり出鼻を挫かれたからか、一光の顔色は余り明るいモノではない。
対して、元々ブランド等には興味が無い匠は受けたダメージも少なく、回復もその分早かった。
どうにかこうにか、連れの機嫌を治したい匠は、辺りを窺う。
何でも良く、とにかく一光を元気付けたい。
渡りに船という言葉通り、匠は在るモノを見つけ出し目を輝かせる。
「あ、一光さん! ほら!」
匠の声に、一光も頭を上げる。
正に場違いかも知れないが、視線の先には、【氷】と旗を掲げるかき氷の屋台が在った。
*
暗い顔の一光だったが、かき氷屋ともなると目の色を変えている。
何故なら、身近な食べ物を見つけ出したからだろう。
俺が奢るという匠に、一光は続いて居た。
「あー、すんません……かき氷二つで!」
当然ながら、かき氷屋にも値段は記されていたが、【一杯 ¥300】と、比較的良心的ですら在る。
匠の声に、屋台の主人は顔を上げていた。
『おや、珍しい……この前の姉さんか』
牛乳瓶の底の様な眼鏡に、サンタクロースの様な豊かな髭。
そんな店主に、匠はウンと鼻を鳴らしていた。
何処かで見覚えが在る。
そして、それはゼクスであった。
「………え? 何で?」
『何でって……かき氷屋してちゃいかんのか? おっと失礼した。 お嬢さん、注文は在るかね?』
ゼクスに付いては、匠も余り面識は無い。
記憶にはただ一度しか合った事はなかった。
「え? 匠君の……お知り合いですか?」
少し訝しむ一光の声に、ゼクスである老人は軽く笑う。
『そうだ。 だが、不思議な事かね? 君の知人にも、軽食屋を営む者もいる。 それに、君の背中にも、居る筈だろう?』
見ても居ないが、ゼクスは一光が背負うザックの中身を言い当てた。
ノインを知っている人間は、そう多くない。
それを知ったからか、一光は深く考えるのを止め、店の品書きに目を通す。
【イチゴ】【レモン】【メロン】【ソーダ】【コーラ】【抹茶小豆】
色とりどり、種類も豊富なのだが、一光の目を引いたのは抹茶である。
「えぇと……じゃあ……抹茶小豆で」
恐る恐る一光がそう言うと、ゼクスは『あいよ』と声を返しながら氷を削り始める。
器の氷にシロップを掛け、小豆を乗せた所で、ゼクスは一光を見た。
『……ミルクは、どうするね?』
何かを試す様なゼクスだが、一光は一瞬キョトンとしながらも、屋台の隅に在る【トッピングは申告してください】という文言から、答えを導き出していた。
「あ、マシマシで」
『あいよ』
一光とゼクスの間に何が在ったのかはともかくも、そんな合図と共に、緑色の氷と小豆の上に白い練乳がたっぷりと元がなんだか分からない程に掛けられる。
そんなかき氷を一光に渡しながらも、ゼクスは匠にも目を向ける。
『さてと……姉さん……いや、お兄さん、どうするね?』
「えーと、あー……コーラで」
『あいよ』
余談ではあるが、匠の分にはミルク云々は問われなかった。
ゼクス曰わく、コーラに練乳掛ける奴は余り居ないらしい。
ともかくも、代金を払おうとする匠だが、ゼクスは手でソレを制する。
「えっと?」
『なに、知り合いのよしみって奴さ。 ほら、精算機に腕の奴をかざすフリをしてくれれば良い』
「……どうも」
匠もまた、深い茶色のシロップが掛けられたかき氷を受け取っていた。
屋台の横にはベンチが在り、其処で早速かき氷に手を付ける一光と匠。
炭酸こそ無いが、風味を味わいながらも、匠はゼクスへと目を向ける。
「つーか……此処で何してんです?」
『うん? あぁ、偶には生の人間を見ないとな。 作る上でもって、想像だけでは上手く行かないんだよ』
「そんなもんすかねぇ?」
匠とゼクスの話を聞いていた一光は、少し首を傾げる。
「え、てか………お知り合い?」
「あぁ、うーんと……この人さ、なんつーかな……ゲームクリエイター? だからさ」
匠の返事に、ヘェと応えながらも甘いかき氷をパクつく一光だが、何かを思い付いたらしく、自分のスプーンでかき氷を一口掬う。
「はい」
「う?」
「味見だよ、結構美味しいから」
戸惑いながらも、怖ず怖ずと一光の差し出す抹茶小豆練乳のかき氷を頂く匠。
元々の甘さに加えて、小豆と練乳に抹茶の風味が交わりなかなかのモノである。
ただ、味云々よりも、匠は他の事に気が向いていた。
「美味しいっしょ?」
「……あぁ、うん」
「じゃあさ、こっち頂戴」
軽い声と共に、匠のかき氷にスプーンを突っ込み、一光は一口頬張った。
初々しさ溢れる匠と一光に、ゼクスは興味深げに鼻を唸らせる。
『ところで……どうだったね? 彼処は』
そう言うゼクスが示すのは、先程二人が出て来たブランドショップ街。
何一つ買わなかった二人からすると、余り感慨深くはない。
「まぁ、見てる分には……良かったのかなぁ?」
正直微妙だという一光の感想に、匠は頷く。
「そうだなぁ……ホントなら、一光さんにポンと買ってやれれば良いんだけどさ」
苦笑いを浮かべる匠を、一光は咎めたりはしない。
微笑ましい二人に、ゼクスは低く笑う。
『……何も無理して見栄を張って買う必要など無いさ。 直ぐ近くにもっとお手頃な品の在る区画も在る。 其方へ行くと良い』
意外な親切心を見せるゼクスに、一光の背中のザックからも小熊がニョキッと顔を覗かせる。
背中から伝わる感覚はともかくも、一光は老人然としたゼクスに目を向ける。
「結構詳しいんですね?」
『そりゃあそうよ。 此処は儂が設計したんだからな』
特に隠す事でもないからか、ゼクスは飄々と答える。
それに対して、匠と一光はスプーン咥えたまま固まっていた。
「へぇ……凄い、ですね?」
一光の素直な声に、ゼクスは軽く鼻で笑う。
『凄くはないさ。 設計自体は単純化してある。 簡素な島の上に、そこら辺りからかき集めたモノを乗せているだけ。 此処には実質的には何も無い。 上っ面こそ綺麗かも知れないが、中身は空っぽなのさ』
ゼクスのつまらなそうな声に、匠は首を傾げていた。




