空っぽの島へ その4
海外旅行は初めての匠だが、問題が無い訳ではない。
飛行機自体なら乗った事もある。
記憶の中にある飛行機は狭苦しいという印象しかなかった。
だが、乗った瞬間からその印象はガラリと変わったと言える。
旅券を全く確認して居なかった匠だが、なんと一光が貰った旅券はビジネスクラスである。
以前匠が乗ったエコノミークラスに比べると、遥かに広い。
「なんかさ、広いよね?」
自分が行る場所が信じられないからか、一光は隣である匠にそう言う。
「うん、広いねぇ」
一般的な席では、多くの客を乗せる為に些か狭い設計に成っているのだが、今匠と一光が居る席は、ちょっとしたネットカフェと表現しても差し支えがない。
椅子にシートベルトが無ければ、コレが飛行機の中なのを忘れそうになる。
自分達以外の客は、皆旅慣れて居るらしく、ジャケットを預ける者や、ゆったりと佇むなど様々であった。
「……なんかさ、悪い事したなぁ」
「何が?」
すまなそうな声の一光に、匠は理由を問う。
「だってさぁ、エイトとサラーサ………今どうしてるかなぁって」
「あぁ……」
一光の声に、匠は想像しか出来ない。
まさか飛行機の何処かに張り付いて居るというのは無理が在る。
人間なら死にかねず、二人なら大丈夫だとしても其処までのムチャはしないと考えていた。
無論、客席の匠には、貨物として乗せられている相棒と隣人の苦悩は知り得ない。
エイトとサラーサの苦悩はともかくも、匠は、一光に笑って見せた。
「大丈夫だろ? 彼奴等なら大抵の事は出来る。 下手すりゃさ、ファーストクラスとかに潜り込んでるかもな」
実に気楽な匠の声に、一光も「そうだね」と言うが、一光のバッグから頭を半分出して居るノインからすれば複雑な気持ちである。
少し探れば、同族を探す事も出来なくはない。
ただ、そんな気配が貨物の中からするとなると、それは言えなかった。
『アテンションプリーズ! 皆様こんにちは。 今日は当社の航空便をご利用下さいましてありがとうございます。 お手荷物は棚などしっかりと固定される場所にお入れ下さい……』
機内放送に、匠と一光は慌ててシートベルトを締める。
いざ出発となると、なかなかに緊張感が在った。
「結構掛かるみたいだね?」
そんな匠に、一光は手近なパンフレットに目を通す。
「大丈夫っしょ? なんかね、サービスは凄いみたいだよ。 ほら」
一光の見せてくるパンフレットは匠の分も用意してあるのだが、見せてくれてるのにソレを無碍にする様な真似はしない。
日本語は勿論、他の国の言葉にも対応しており、それだけでもサービスの質が窺える。
「ははぁ………こりゃあスゲェ」
月並みだが、匠の感想は一光にしても同じであった。
サッと腕を戻し、パンフレットを見直す。
「ね、これなら退屈とかしなそうだよ」
一光は嬉しそうな横顔を見せるが、匠は少し悩んだ。
至れり尽くせりのサービス自体に問題は感じられない。
重要なのは、誰が何の為にこんな事をして居るのかである。
無論、ただ単純に一光の運が良かったと好意的に見ることも出来る。
何も考えず、ただ、旅行に目を向けて楽しめば良い。
だが、今までが今までだけに、おいそれとそれを受け入れるには抵抗が在った。
何事にも因るが、上手い話には裏があるのが常である。
旨そうな餌が在るからと、パクリと食い付けば酷い目にも遭う時もあった。
そんな匠の悩み事など、飛行機は考慮してはくれない。
段々とエンジンの音は大きくなり出していた。
「あ、そろそろかな」
エンジン音に遮られながらも、何とかそんな声を聞き取った匠は、前を向いて背をシートへ預ける。
ジェット機の機体によって空気の冷たさや流れは伝わらないが、加速による過重は匠の体に伝わっていた。
ふと、匠の手に触れられる感覚。
急な事にギョッとしてしまうが、自分の手に一光のそれが重ねられているのは分かる。
「ごめん」
慣れない飛行機が不安だからか、ふと一光の弱い面が見えてくる。
匠にしても、チラリと周りを窺い、やんわりと手を握り返した。
*
航空機での長旅に成ると、辛いのは閉鎖的な事だろう。
機体の大きさにもよるが基本的には狭い。
とは言え、匠と一光が座る席は一般的なランクよりも広く、寧ろ安心とリラックスを感じさせてくれた。
シートに至っては、少し操作するだけでフルフラットに成り、寝転ぶ事も出来る。
暇つぶしの為にか、映画やニュースは勿論、音楽、ゲーム、電子書籍を用いた漫画等も完備され、事欠かない。
食事や飲み物、何もかもに驚かされる。
出発してからの数時間、ただ飛行機に乗っているだけでも驚きの連続と言えた。
最初こそはしゃいだ一光だが、はしゃぎ過ぎで疲れたのか、今は横に成り眠る。
映画や漫画を見ていた匠は、そんな一光をソッと見守った。
浮かれる彼女を見るのは楽しく、水を差そうとは思わない。
匠が気にしているのは、これから行く先と、何処かに居るであろうエイトとサラーサであった。
一光が寝ていても、その相棒はそうでもない。
「よぅ、熊」
コソッと顔を近付け、声を掛ける。
匠の声に応じて、一光のバッグからノソッと小熊が顔を覗かせた。
『なんです?』
主が寝ている事に考慮し、ノインの声は小さい。
そんな小熊に、匠は手招きをする。
「まぁまぁ、ちょっとさ、話せないか?」
応じてくれたのか、小熊はいそいそとバッグから出て来る。
それだけを見ていると実に微笑ましいとも見えた。
一光を起こさない様、慎重に移動するノイン。
手が届く所まで来たところで、匠はソッと小熊を拾い上げる。
モフモフとした感触はともかくも、小熊はムスッとしていた。
『なんです?』
「なんですってよ、なんでそんなおっかねぇ顔してんだよ」
小熊の顔には表情の表現には限度が在る。
それでも、ノインは毛に包まれた手で顔をさすってみせた。
若干ではあるが、苦笑いをして居る様に見えなくもない。
『これでご満足ですか?』
「悪かったって……なぁ、なにむくれてんだよ?」
『前に言いましたよね?』
「うん?」
『もっと雄の方が積極的に成らんといかんとだと』
小熊の腕が持ち上がり、匠を向く。
指が無い為に、指さされると言うことはないのだが、なんとなく匠は少し仰け反った。
「なんだ、まぁたその話か?」
嫌そうに顔をしかめる匠だが、その手に居る小熊は神妙な面持ちと言えた。
『おかしいですねぇ……』
小さな腕を組み、ウンウンと鼻を唸らせるノイン。
「何が?」
『貴方位の年齢の男性ならば、女性には目が無い筈……ましてや、ご主人はそれなりに貴方を気に入って居るんですよ? 何が不満です?』
不満など、匠には無い。
寧ろ、今の状況で不満を言えばただの我が儘以下だろう。
文句の言うのは筋が違う。
「いやさ、何つーのかな……良い難いって……お前分かる?」
匠の声を聞いた小熊の耳は、力無く垂れた。
それだけでなく、全身から脱力した様にだらんとしてしまう。
『……つまり、言うのが怖くては言えてない。 それだけですか?』
それだけかと問われた匠だが、それだけである。
他にも理由は無くもないが、エイトやサラーサは匠が一光と付き合おうとも反対はしないと分かっていた。
要は、匠に怯えが在るという事だけだ。
しかしながら、ノインからすれば甚だしい疑問でしかない。
そもそも親しくもない男性をわざわざ誘うほど、一光も惚けた性格をしておらず、誘った事自体が一光からの言葉としても相違ないだろう。
『ご主人の手前、余り悪口は言いたくないのですけどね。 貴方、そんなんじゃ駄目駄目駄目男ですよ?』
念の入った小熊の声に、匠の鼻がグムムと唸る。
間違いではない。 今のままでは腰抜けと言われても無理はなかった。
『ともかく! 今回は絶好の機会なのです! ちゃんと決めてくださいね!』
声の大きさこそ小さい。 だが、小熊の意志は大きかった。
そう言うと、ノインは匠の手からスルリと抜け出す。
『じゃ、僕はこれで』
「お、おい」
『貴方も寝ておいて方が良い。 向こうに着いて、グダグダではご主人が困ります』
ノインの声援に、匠は、グッと拳を握っていた。
*
匠と一光が快適な時間を過ごす中、同じ飛行機でも、別の場所に居る者は違う感覚を味わう。
客席すら無く、そもそもが貨物室という場所は、快適性は確保されていない。
然も、匠の懸念材料であるエイトとサラーサは箱に収まっていた。
『おい……まだ十何時間掛かりそうだな』
箱の中でも会話は可能為にエイトの専らの暇つぶしは隣に居るサラーサとの雑談であった。
と言うよりも、それしか出来る事が無い。
『ええ、そうですよ? フライト時間に遅延が無ければ、当分はこのままで~す』
既に諦めて居るからか、サラーサの声は投げやりであった。
『こんな事なら、何かしら考えて置けば良かったぁ』
『そーですねぇ』
既にエイトの愚痴を聞き飽きたのか、サラーサの声は冷たい。
事実、箱の中の温度も寒かった。
『少し……涼しいかな?』
『そーですねぇ、外気温マイナスですからぁ』
快適とは言い難い空間に、溜め息が二つ流れる。
悲しいかな、途方もない力を持つエイトとサラーサでも、貨物室内の気温をどうにも出来なかった。




