空っぽの島へ その2
いきなりの事に、対処出来る人間は多くない。
人間の反応は凡そ二秒を要するが、匠は、その十倍は固まっていた。
一光の誘いが嬉しかったのも在る。
同時に、行きたかった場所へも行けるという期待に、匠は脳裏には色鮮やかな妄想が浮かんだ。
*
カラッと晴れた空の下、水着のみでサマーベッドに寝転ぶ匠。
組んだ手を枕に、熱い日差しをたっぷりと浴びる。
そんな中、自分を呼ぶ声。
サングラスを傾けながら、声の方を向けば、三人の姿。
右から、エイト、一光、サラーサと、三人とも水着である。
理由は不明だが、三人共に両手にグラスを持っていた。
色から察するに、全てはカクテルなのだろう。
ビキニを纏うエイトが持つのは、空を想わせる透き通る様な淡い青のヴァンベール。
グラスの縁には控え目ながらも主張するミントとグリーンチェリー。
ゆったりとしながらも胸元眩しいパレオを纏う一光が持つのは、慎ましい桜色を感じさせるトワイライトゾーン。
上は淡いが、下に行くほどにピンクは強くなる。
どん尻に控えたのは軽快なタンクトップビキニを纏うサラーサ。
南国らしくココナツ香る真白いピニャカラーダに、やたらと果物が装飾されていた。
どれも見た目に美味そうで、匠は目移りをしてしまう。
『『「どれにする?」』』
三人の声は重なり聞こえた。
匠は内心、【どうせなら全部】と答える。
そんな返事に、三人は顔を見合わせるが、フゥと息を吐くと、足を進めた。
*
『おーい、匠くん?』
一光の呼び声に、匠はハッと意識を取り戻す。
「……あぁ、はいはい?」
『いやいや、はいはいじゃなくてね』
其処で、ようやく自分が何を尋ねられていたのかを匠は思い出す。
「あーもぅ、ぜんぜんオッケーっすよ! なんてーか、嬉しさの余りに固まっていたというか……」
『そっかぁ、良かった。 じゃあ、用意しといてね?』
軽いチュッと音がしたかと思ったら、通話は途絶えた。
数秒、匠は固まるが、スマートフォンの画面にはエイトが現れる。
『おーい、匠くん?』
エイトの呼び声に、またもや匠はハッとしていた。
一光からの誘いに匠は飛び上がって喜ぶという反応はしない。
ただ、悩むような顔である。
『どうかしたのか? 余り嬉しそうな顔じゃないが?』
そんな心配そうな声に、匠はウーンと鼻を鳴らすのだが、何かを思案していた。
余りに都合が良すぎた。
行きたいとは言ったが、まるでそれが【はいどうぞ】と言わんばかりに降ってくる。
普通の人間ならば、自分の運の良さに感謝でもするところだろうが、匠は妙な感覚を感じていた。
「おかしかねぇか? おら確かに行きてーとは言ったがよ、それがいざポーンと渡される。 まぁた誰かがなんかしてんじゃねぇかなってさ」
運がどうこうはともかくも、匠は訝しんでいた。
最近とみに評判のリゾートは期待出来なくもないが、本来で在ればおいそれと行ける場所でもない。
『じゃあ、行くのは止めるかい?』
訝しむ匠に、エイトはそう尋ねる。
「止めるって……」
『そうだろう? 君の身に危険が及ぶなら、無理に行く事は無い。 相楽一光には悪いが、事情を説明して、行くのをとり止めて貰えば良いだけだ』
エイトの言葉最もだが、一番困る事でも在った。
ましてや、旅行を楽しみにしている一光に、【行かない方が良い】とも言い辛い。
どうしたものかと匠が悩む中、勝手に部屋のドアが開かれてしまう。
『話は聞かせて貰いました! 問題など御座いません!』
現れたのは顔に自信を漲らせるサラーサ。
その勢いに匠はビクッと震え、流石のエイトも戸惑う。
履いていたサンダルを乱雑に脱ぎながら、遠慮の無い足取りで匠に近づく少女は、ビシッとスマートフォンを指差す。
『匠様の旅行に何の問題も在りません! というか……起こさせません! そうでしょ? エイト!』
普段の仲などどこ吹く風で、サラーサはそう言う。
エイトの様に一光を意識して居ないサラーサからすると、他の事はあまり勘定には入って居なかった。
そして、そんな勢いにはエイトですら抗いきれない。
『あー、まぁ』
『なんですか? 呆けた返事ではいけません! さ、匠様、御用意を!』
いざ行かんという勢いのサラーサだが、匠は片手を上げて鼻息荒い少女を諫める。
「お、落ち着いて、一応さ……来週の予定だし」
予定は未定とも言える。
何らかの事情で旅行自体が取り止めに成ることもそう珍しい事ではない。
だが、そんな匠とは違い、サラーサの顔は驚きへ変わった。
『何を眠たい事を仰ってるんですか! 用意なんてのはとっととやっとくべきなんですよ! いざ当日になってから、あれ? アレが無い。 お? これが無い、そんなのは最低です!』
サラーサの言葉は、匠にグサッと突き刺さる。
身に覚えが在り過ぎて、呻きすら漏れない。
小学生、中学生、高校生と、そんな頃の嫌な記憶が匠を悩ませる。
「……ぅぐぅ」
匠のぐうの音が漏れた所で、サラーサは微笑んだ。
『じゃあ、始めましょ?』
「え? 何を?」
『だから、御用意ですってば』
実に気の早い話に、スマートフォンに映るエイトはやれやれと肩を竦めていた。
*
いざ用意を始めて見ると、サラーサの言葉に間違いは無い。
慌ててパスポートを修得したり、バッグを買いに走り、勤務している店の主である田上に旅行のお伺いを立てたりと時間が足りない。
とはいえ、一週間という期間が在ったからか、前日迄にはどうにか匠は旅行の準備を終える事が出来た。
「ずあぁぁ………この一週間………しんどいかったわぁ」
まだ旅に出た訳でもないが、疲れを訴える匠。
対して、その日はスマートフォンではなくドロイドに宿るエイトは苦く笑っていた。
『友よ。 まだ始まってもいないだろうに? そんなんでどうする?』
茶化すエイトに、床に転がる匠は、天井を見ていた。
慣れ親しんだ此処から離れて、見知らぬ土地へ行く。
その事自体に不安は無い。
仮想とはいえ、全く別の世界へ行った経験も匠には在った。
それを思い出した匠は、スッとエイトの方へ顔を向ける。
旅行前日だからか、体調を壊さぬよう柔らかいリゾットを作るエイト。
端から見ていると実に良い奥さんにも見えてくる。
「なぁエイト」
『うん? どうした? 忘れ物でも在ったかな?』
鍋を見つめながら、ゆったりと中身を掻き回すエイトに、匠は口を開く。
「お前も……来るよな?」
そんな質問に、エイトの手は一瞬止まった。
だが、直ぐにまた動きは戻る。
『勿論。 まぁ、この体では行かないけどね』
少し寂しげに笑うエイトに、匠はガバッと身を起こす。
「へ? なんで?」
厳密には行かない訳ではないにせよ、エイトの声には疑問が残る。
そんな匠に、エイトは笑った。
『仕方ないだろう? このまま行けば、色々と面倒も在る。 別に貨物として運ばれる事に問題は無いが、他にも在るだろう?』
「どんな?」
エイトは目を閉じ、息を吸い込むと吐く仕草を見せた。
『どんな? まがりなりとはいえ、私は人に数えられるだろう。 となると、向こうで別に用意しなければならないかも知れない。 いや、そもそも飛行機に乗せて貰えるかどうか……』
そう言うと、エイトは身に纏う衣服を少し摘まんだ。
『人もそう変わらないだろう? 大荷物を持てば、移動も大変に成る。 私からすれば、この体がそうだと言える』
寂しげに答えるエイトに、匠はなる程と感じた。
細い身軽なドロイドではあるが、基本的に人間に近い。
数十キロ単位ともなれば、なかなかに運ぶのも楽ではなかった。
無論、予算を多めに見積もり、出せば済む話ではある。
【お前の分は俺が持つ】
それを言わんと、匠は口を開いたのだが、「おれ」と言った時点で、またしてもノック無用にドアが開かれた。
語るべくも無く、それをしたのはサラーサ。
但し、いつもの軽装ではなかった。
小柄な割には合っていないトランクケースを持ち、何故か麦わら帽子にサングラスを掛けている。
『グッドイーブニングで御座います!』
妙に発音の良いこんばんはを言いながら、どうにも場違いなサラーサに、エイトも匠も何事かと目を向けた。
『サラーサ……なんだ? その格好は?』
今から旅行へ行きますといった風情の少女に、エイトは頭の先から爪先までを見渡すが、見られた方も若干ポーズを決めていた。
『何って……私も行きますけど?』
そんな声には、匠ですらウンと鼻を鳴らすのだが、納得も出来る。
別に抽選に当たらずとも、実は旅行自体は行く事は可能だろう。
料金を払い、旅行へ行くだけの話である。
そして、如何に安アパートに住んでいるとは言え、サラーサ自身は結構な額をため込んでいた。
金の力は恐ろしいと感じる反面、匠は首を傾げる。
何故なら、サラーサは二つトランクケースを用意していたのだ。
「サラーサ、それ」
思わず匠が指差すと、少女は二つの内一つをエイトに差し出す。
『何も一人だけ良い思いしようなんて野暮では御座いませんよ?』
意外な心遣いを見せるサラーサに、エイトですら感慨深い想いが走る。
『存外、良いところも在るんだな?』
訝しむ事はせず、素直にエイトはサラーサを褒めた。
『勿論、お姉さんですからね? 一応は……』
言葉の内容はともかくも、これで憂いは晴れた匠。
だが、少し問題も在る。
一光という女性から誘われたのに、別の女性を二人を伴って旅行するとは如何なモノかと、鼻がウーンと唸っていた。




