価値観の違い その10
何故匠を慰めないのか。 そう問われたエイトは、言葉に詰まった。
慰めると言うことに関して言えば、意味は分かる。
寂しさや悲しみ、苦しい時にそれを紛らわせ相手を労り、そして、同時に憂さを晴らすという意味合いも在る。
『それは………』
何かを言おうとして、言葉を飲み込むエイト。
そんなエイトを見ているサラーサの目は窄まる。
『ショッピングモールでのお話し……不本意ながら聞いて居ました』
サラーサの静かな声に、エイトはハッと顔を上げた。
匠に聞かれていた以上、そのポケットに収まっていたスマートフォンに宿るサラーサにも聞こえないはずはない。
『でも、だからと言って相楽一光に遠慮する必要が在りますか? それに、エイト……気付いてない筈はないでしょうが、先程迄の貴方は、喋り方も相楽一光の真似して居ましたよね?』
サラーサの指摘に、エイトの鼻がウッと唸る。
それは間違いではない。
ショッピングモールにて、一光にも指摘されていた喋り方の癖。
エイトはいつしか、一光の喋り方を記憶し真似し始めている。
知らず知らずの内にそうしていた訳ではない。
意識して真似をし始めていた。
何故そうしていたのかと言えば、一光が羨ましいからだ。
『それに、その格好……少し前での貴方なら、考えられなかった筈。 其処でお聞きしたいのですが、エイト、貴方は匠様にどう見られたいの?』
問われたエイトは、思わず目を泳がせ、シャツの裾を掴む。
何も答えないエイトに代わり、サラーサは口を開いた。
『女の子として……いえ、匠様に人として見て欲しいのでは?』
そんな声は、エイトに取っては図星であった。
匠から、人として、女の子として見て貰いたい。
だからこそ、衣服を一新し、言葉も直し始めている。
図星を突かれ、何も言わないエイトに、サラーサは微笑む。
『別に、匠様に害が無ければ私はどうとも思いませんし、貴方、其処までしたのでしょう? だったら……何を躊躇うんです?』
軽い調子でそう言うサラーサを、エイトは思わず見た。
少女といって差し支えない外見のサラーサだが、夜の暗さと僅かな部屋の灯りが、その体を妖艶に映す。
今のその姿は、娼婦の様な艶めかしさを持っていた。
そんなサラーサは、薄衣に包まれた自分の肢体を撫でる。
『……私なんか、この前のボディは潰れてしまいましたからね。 でもまぁ、そのおかげで、こうして新調も出来ました……』
そう言うと、サラーサはエイトに目を戻す
『まぁ、以前にも貴方から指摘されましたが、格闘に関しては多少不便でしょうが……他は補えますから』
自信満々といったサラーサの声に、エイトは何を意味するのかを悟る。
ハッキリ言えば、エイトが体を作るのに重視したのは頑強さとメンテナンスの簡便さである。
つまり、他の【機能】に付いてはおざなりと成ってしまう。
有り体に言えば、今のサラーサの体はエイトのソレよりも【人】に近いと言える。
それを羨ましいとは感じないエイトだが、サラーサの真意は気掛かりであった。
『……サラーサ』
『はい』
『お前の、目的は何なんだ?』
依然同じ喋り方に戻ったエイトに、サラーサは微笑む。
『記憶障害ですか? 私の目的なぞは簡単ですよ。 ただ、匠様の側に居たい。 でも、それだけじゃなく彼を慰めてあげたいんです。 独り身では寂しい時も御座いましょう? その為にセックスの真似事が必要なら、私もエイトが言った様に躊躇いは在りませんよ?』
サラーサそう言いながら一歩エイトに近寄る。
小柄な体に似合わない迫力に、エイトは一歩足を下げていた。
自分が一光と何を話していたのか記憶は在る。
保守的な自分とは違い、躊躇い無いサラーサに、エイトの戸惑いは強まる。
そんなエイトに、サラーサはスッと半歩下がると、首を傾げた。
『さっきの質問をそのままお返しするんですが、エイト、貴方の目的は何なんです?』
サラーサの問いに、エイトは口をモゴモゴと動かす。
答え自体は在るには在るが、それを言うべきかが分からない。
そして、サラーサはエイトの答えを待つつもりは無かった。
『私が想うに……貴方の目的は私とそう変わらない筈。 何がこう、そんなのは無いけど、彼と共に居たい。 違いますか?』
エイトは、【違う】とは言えなかった。
その通りであり、それ以上でも以下でもない。
他の兄弟、姉妹の様に何か特別な使命を感じた事は無い。
目が覚めて以来、ずっと匠の側に居たエイトは、いつしかそれが目的と言っても良くなっていた。
『……違わない』
ぼそりと云うエイトの声を、サラーサは聞き逃さなかった。
それどころか、聞いた途端に花咲くように微笑む。
『でしょ? じゃあもっと最初の質問に戻っちゃいますけど、なんで匠様を慰めて差し上げないんですか? 私はほら……』
言葉を一旦区切り、サラーサはエイトを指差す。
実際には何か特別な事をされた訳ではない。
だが、エイトはグサリと刺された様な気がした。
『貴女に邪魔されてばかりですから』
サラーサの笑みを交えた声に、エイトは口を噤んだ。
事実、サラーサは何度となく匠の元を訪れ、時には寝込みに押し入る様な真似すらしてみせる。
無論、それらはエイトが阻止しては居た。
『どうしてです?』
『それは……匠が……』
『嫌がると?』
思わず、エイトは首を縦に揺すってしまった。
ソレを受けて、サラーサは肩を竦めると息をフゥも悩ましい息を吐く。
『そうでしょうか? 人の言葉に在るように、案ずるよりも産むが易しって言うじゃありません? 匠様も、一人の人間。 ま、これは仮定ですが、エイトがあれやこれやと迫っても、恐らく、匠様も拒まないと想いますよ?』
そんな言葉に、エイトの中で何かが疼いた。
存在しないモノは感じられないが、得体の知れない何かが湧き上がる。
それを忘れようと、エイトは目を閉じ少し俯く。
『私は……良いんだ。 友は……』
『なんです?』
『たぶんだが、私を女としては見ていない』
残念そうなエイトの声に、サラーサは肩を揺する。
草を荒らす様な音に、エイトは目を向けると、サラーサは口を手で抑えて笑い声を堪えていた。
何が面白いのか、サラーサの目は三日月の様に細い。
数秒間は笑いを堪えたサラーサも、口から手を離した。
『まさか……そんなつまらない事を悩んでいたんですか?』
真剣な自分の悩みを蹴飛ばされた様で、エイトはムッとするが、サラーサの笑顔は崩れない。
『自分には性別は無い? そんな事は当たり前でしょう? 私達は、どちらでもないけど、演ずる事は出来る。 彼の為に、女を演ずる事がそんなにいけない事だとでも?』
エイトの悩みなど、サラーサにしてみれば取るに足らないモノだった。
元より無い物ねだりをしても意味は無い。
だが、真似は出来る。 ソレその物に成れずとも、演じる事は可能だ。
『相楽一光に気を使っているなら、そんなのはただの徒労に過ぎませんね。 人間の恋愛感情などは最長で二年と三カ月しか保ちませんから。 それとも、それを待ちたいとでも?』
人間の恋愛に限界が在ることは、エイトも分かっていた。
何をどれほどしようとも、いつしかときめきは失われ、全ては色褪せて行く。
人が生き物である以上、遺伝子を多く残すために、もしくはより快適な環境下へ行く為に、他の異性を求めるのは当たり前の本能に過ぎない。
そして、それに伴う人の欲は強く、終わりが無い事も知っていた。
『私達違いますよね? 人じゃない。 ましてや女ですらない。 でも、だからこそ、彼の側にずっと居られる。 飽きる飽きさせる事もない、彼に合わせて変えて行けば良いだけ』
そう言うと、サラーサは足を優雅に動かした。
戸惑いを隠せないエイトの背後に回り、背中に抱き付く。
急な少女の行動に、エイトは慌てるが振り解こうとはしない。
下手に騒ぎ、穏やかに眠る匠を起こしたくなかった。
『お、おい?』
『嫌ですか? そんな事は無いと想いますよ。 だって、匠様の腕の中に居た貴女……凄く幸せそうでしたから』
薄着の女性の背後に、薄衣の少女が抱き付く。
もし今匠が起きていれば、目を剥く様な光景だろう。
だが、匠は呑気に寝ていた。
『精神的なだけで良いなら、どうしてこんな身体を選んだんです?』
サラーサの手が、エイトの身体を這った。
エイトも思わず抑えようとする。
手は止められたサラーサも、口は止めなかった。
『あくまでも友達として居たいなら、別に男性型でも良かった筈。 もしくは、猫、ノインの様に熊、ティオみたいに犬でも良いでしょう? なのに、貴女は今、その姿をして居る……どうして?』
サラーサの悩ましい声に、エイトは反論出来なかった。
本来、匠の身辺を守る為だけが目的ならば、体は男性型の方が望ましい。
土台となる骨格は太く、人工筋肉の搭載量も多い以上、力持ちといえる。
以前、サラーサが操った大型昆虫とは違い、一般人として溶け込むことも難しくはない。
ただ愛撫が欲しいなら、それこそ動物型の方が望ましいだろう。
にもかかわらず、エイトは女性の身姿を選んで居た。
『ねぇ、エイト。 ホントは……』
『止めろ』
それ以上は聞きたくないと、エイトは告げる。
だが、背後を取っているサラーサは止めるつもりは無い。
『止めないよ? さっきも言ったけど……貴方、匠に女の子として見て欲しいんでしょ?』
普段とは違う艶やかなサラーサの声に、エイトはギュッと拳を握っていた。
『………わっ』
急に背中を押され、エイトはよろめくが、倒れはしない。
何事かと振り返ると、サラーサが匠の部屋から帰ろうとしていた。
『私がお邪魔ならそう言えば良いのに。 私の番の時は、貴女に席をはずして貰いますけどね。 まぁ、匠様が二人一遍にと仰ればそれはソレで構いませんけどね』
まるで【この場は譲ってやる】といったサラーサの言葉。
見た目にそぐわぬ声を残して、薄衣の少女は部屋を出て行ってしまう。
残されたエイトは思わずベッドを窺うが、其処には、無防備な匠が横たわっていた。




