水と油 その26
治療薬を手に入れたエイトと一光。
二人を乗せた車は、速度を上げて匠の元へと走る。
既にアルの会社は遠く、大型の蜘蛛も何処かへ行ったのか姿は見えない。
体を捻って後ろを見ていた一光は、ふと、在ることに思いを巡らせる。
「良かったぁ、サラーサが死んでなくて」
少女の身体潰れてしまったが、換えが利くのはせめてもの救いだろう。
一光の声に、エイトは自分の体を見る。
衣服は至る所が敗れ、傷も多い。
『しまった……どうせなら、私も修理用品の一つも探して置くべきだったな』
沈痛な声を出すエイトは、自分の腕を見る。
元が細かったせいか、裂けた部分から中身が覗いてしまっていた。
そんなエイトに、一光はソッとハンカチを差し出す。
痛がらないとはいえ、エイトの傷は一光にとっても辛かった。
「とりあえずで悪いけど……縛って置けば……大丈夫?」
差し出されるハンカチを受け取り、傷を隠す様に巻き付けるエイト。
『安心してくれ。 痛みは無いよ。 まぁ……友が見たら悲しむだろうが』
エイトにとって、ドロイドの身体は替えの利く筈の部品に過ぎないが、それでも、大切なモノと言えた。
何故なら、注文した時、エイトは匠と二人で考えた。
モノの価値云々以前に、その事が大事と言える。
悲しげなエイトの声に、一光も釣られる様に俯く。
だが、直ぐに在ることに気付いた。
「あれ? でもさ……サラーサは、蜘蛛に乗り移った……よね?」
『うん? まぁ、乗り移る……そうだな、それに近い』
「だったらさ……もっと早く……乗り移っちゃえば、簡単に勝てたんじゃ?」
一光は、ふと思ったままを口走った。
想像するに、遅い車に拘らず、速い車に乗り換えた方が速いに決まっている。
何故なら、運転手が同じならば、車の差で結果が変わるからだ。
チラリとエイトを窺う一光。
当のエイトは、遠くを見ながら何とも難しい顔をしていた。
悔しそうながらも、同時に何かを迷う様な複雑な顔。
唇を引き結びながら、目は窄まっている。
「ね? そうじゃないの?」
返事が聞こえない事から、一光はそれを促す。
渋々といった様子で、エイトの口が開いた。
『相楽一光……もし、君が体を好き勝手に入れ替えられるとしよう。 君は、それが出来るか?』
エリアの質問に、一光は思わず自分の手を見る。
其処には、産まれてからこれまでずっと使って来た手が在った。
それを、変えられるのならば、どんな気がするのかは分からない。
「分かんないよ。 だってさ、出来ないもん……そんな事」
分からない以上、一光は答えをエイトに求める。
すると、エイトも同じ様に手を見ていた。
『正直に言えば、この体の取り替えは利く。 サラーサの奴も不本意ながらそうしていたからな』
そんなエイトの声に、一光はサラーサの言葉を思い返す。
大型の蜘蛛だったからこそ、気にして居なかったが、よくよく思い返せばサラーサの苦悩は感じ取れた。
【どうしてくれるんです!? こんな無様な姿!! 匠様にはとても見せられないのに!?】
サラーサは、蜘蛛に成ってしまった自分の身体をそう言った。
気持ちは分からなくはない。
だが、そう考えると、在る答えに一光は辿り着く。
「えっとぉ? じゃあ、もしかしたら……見た目気にしてしなかったって事?」
一光の声に、エイトは何も言わない。
ただ、苦虫噛み潰した様に鼻を唸らせていた。
『と、ともかく! 急ごう!』
「わっ! ちょっと!?」
エイトの声に合わせて、車は速度を増す。
一光は急な加速に慌てるが、自分の辿り着いた答えに間違いは無いと悟っていた。
見た目に拘っていたのか云々は、一光も今更ネチネチと問わない。
全ては過ぎた事であり、それを掘り起こした所で意味は無いと分かっていた。
エイト操る自動車は、エンジン音こそしない電気自動車ながらも、力強く走った。
*
どれだけ寝ていたのかは覚えて居ない。
体中から力が抜け出し、意識が無くなったのまでは憶えている。
水底へ沈んで行く様な感覚に、それも悪くないかと匠は思った。
苦しさは無く、ただ沈んでいく。
手を動かそうか足を動かそうか悩むが、今はただ疲れていた。
そんな中、何かが差し込む。
うっすら目を開ければ、水面に光が差し込み、明るく見える。
浮かばなければ行けないと思い出し、匠は泳いだ。
急に息苦しさを覚え、必死に足掻く。 だが、水面は遠い。
とうとう我慢仕切れず、息を吐いてしまう。
肺から空気が抜けていく。 浮きを失った匠は、また沈み始めていた。
【まだ、死にたくない】
急激に生への欲求が湧き上がり、匠はもがく。
だが、浮き上がれない。
【あぁ、もう駄目か】
諦めたくないが、体の自由も消えていく。
そんな時、水面から何かが伸びた。 それは、腕だ。
一つは生身の人のそれだが、もう一つは、鉄で出来ている。
その腕の持ち主が誰なのかはともかくも、匠は、その手を取っていた。
水から段々と引き上げられては行く。
後少しで、水面で出られる。 其処で匠は意識を閉ざしていた。
*
「……うぅ……」
急に酸素を吸い込んだ匠は、呻きながらソレを吐き出す。
うっすら目を開けると、眩しさに襲われた。
左右の目に、誰かが灯りを当てている。
「安心してください。 意識が戻った様です」
聞き覚えの無い声に、匠は、目を開ける。
其処には、見覚えが在った。 以前にも、居たような気がする。
ただ違いも在る。
白衣を纏った医者には覚えが無いが、ベッドの脇に立っている二人の女性は分かった。
「加藤さんの意識も戻られた様ですし、安静にさせてくださいね。 あと、お部屋ではお静かに願います」
細々とカルテに書き込んでいた医者は、そう言うと部屋の外を目指す。
出て行く医者に「どうも」と声を掛けつつ、匠は当たりを見た。
「一光……さん? エイト……どうした?」
枯れた声で匠がそう言うと、一光の腕の中の小熊が両手をブンブンと振るう。
『感謝するのです! ご主人は呑気に寝ていた貴方の……』
医者が居なく成った事から、小熊は何かを言い掛けるが、口を塞がれてしまった。
それをしたのは一光で、ノインの口を手で塞いだまま微笑む。
「良かったぁ……覚えてないでしょ? 匠君、結構寝てたんだよ?」
そう言う一光に、エイトも頷く。
『うむ、性格には三十五時間と二十八分と六秒だな』
相も変わらずのエイトに、匠は笑う。
笑える事が、生きている証だと思えた。
「参ったなぁ……あれ? そういやサラーサは?」
この場に居ない少女を思い出し、尋ねると、一光は目を泳がせエイトはムッと唸る。
「どうした? 何か……在ったのかよ」
訝しむ匠の声に、エイトは仕方なそうにフゥと息を吐いた。
『まぁ、見て貰った方が……速いか』
そう言うと、エイトはポンポンと手を鳴らす。
すると、病室のドアが勢い良く開け放たれた。
『匠様! もう大丈夫ですよね!?』
ヤケに大きな花束を抱える少女が現れるが、実に奇妙な格好をしていた。
どこでコスチュームを注文したのかは不明だが、少女の格好は【似非看護婦】と言っても差し支えなく、オマケに十字マーク入りの帽子まで被っている。
やたらと体のラインを強調しているのが、益々妖しい。
「うん? サラーサさん?」
戸惑いを隠せない匠に、似非ナースのサラーサは花束をギュッと抱き締めた。
『そんな……さん、だなんて他人行儀な……呼び捨てで結構ですのに』
「………はぁ、さいですか」
相も変わらずのサラーサに、匠は安堵する。
チラリとエイトに何が在ったのかを尋ねるつもりで顔を向けるのだが、ふと、匠はエイトの様子に気付いた。
衣服はお世辞にも綺麗とは言い難く、何故か体の至る所に包帯が巻かれていた。
「エイト……怪我……したのか?」
心配する匠の声に、エイトはスッと身を屈め、顔を寄せる。
『心配してくれるのは有り難い。 でも、今は安静にして居るんだ』
エイトの艶やかな声に、匠の疲れていた心臓も少しは跳ねる。
「あー、あぁ……お、おう」
未だに体は鉛の様に重い。
であれば、エイトの言葉に甘えようとも匠は思う。
すっかり賑やかに成ってしまった部屋には、匠と三人の女性、加えて熊一匹が居る。
先ずは動いたのは、サラーサ。
体を新調しては居るものの、デザインは変えていない。
下手に変えて、匠に【あんた誰?】と言われたくなかった。
持参した巨大な花束を花瓶に無理やりグイグイと押し込みながら、咳払いを一つ。
『……あー、そろそろ面会時間も終わりますよ? 御安心ください。 後は……わ た し が見てますから』
如何にも胡散臭い看護婦の格好をしているからか、サラーサはそう言う。
「……そっかぁ、まぁ、また明日来るから……今日はね?」
『うん、そうしよう。 帰るぞサラーサ』
『えぇぇ!? 嫌! 匠様ぁ! 放してくださいまし!』
ソッと小熊を残し、一光は帰ろうとする。
エイトも、嫌がるサラーサを部屋から引っ張り出していた。
ぽつねんと残された匠と小熊。
騒がしさは一変し、部屋は静かに成る。
「……はぁ……なんか……すんげー疲れたぜ」
そう言いながらも、匠はトコトコベッドの上を歩く小熊に目を向ける。
「ところでよ、熊……なんでお前が? 」
枕近くまで着た所で、小熊はポフンと腰を下ろすと、溜め息を吐いた。
実際には吐いている訳ではない。 しかしながら、そう見える。
『なんで僕が残るのか? 知りたいですか?』
「おう」
小熊の声に、匠は素直に頷く。
すると、小熊は小さい手を上げて腕を組む仕草を見せた。
『貴方は寝ていたので見てないでしょうが……それはそれは世にも醜い争いが在りましてね。 エイトとサラーサを押し留めるのに、僕のご主人はもうとーっても苦労為さって、神経疲れで二キロは痩せたと仰ってます』
オヨヨと実際には出ていない涙を拭う小熊。
ノインの声を聞いた匠は、凄く悪いことをした気にさせられる。
「なんか……すまんかった。 でもよ、なんでお前は残ったんだ?」
匠の声に、小熊はスッと頭を上げた。
『何故僕なのか……それはまぁ、どっかのボケナス二人組が、貴方も抜け駆けしようとしているとか宣いましてね。 これまた姦しく醜い会議の後、結果的に、何故か僕がこんな役を仰せつかった訳ですよ』
「それはそれは……ご苦労様です」
匠の詫びに、小熊は手を振る。
『いえいえ、コレもご主人の為……仕方の無いことなのです』
「ん、悪いな熊……お言葉に甘えるぜ」
自分が寝ている間、どんな争いが在ったのかは知らないが、今はゆったりと休
もうと匠は、目を閉じていた。
静む様な嫌な感覚は無く、ホッとした様に安堵を感じて。
*
数日後、スッカリ回復した匠は退院と相成る。
死にそうだったのが嘘の様に、体調は良くなっていた。
退院に当たり、誰が匠を迎えるかで一悶着在った為、匠は【自分で帰ります】と迎えを断っている。
着替えも終え、さぁ小熊を抱えて帰ろうと言う時。
コンコンと部屋の戸が叩かれる。
「はい? どうぞ」
最後の検診かと匠は思ったが、ドアの向こうから顔を覗かせたのは、少年である。
「……やっ、どうも」
軽い挨拶を匠に贈ったのは、アルであった。
数日間の入院中、今回の事件の経緯はノインから聞かされていた匠。
である以上、少しだけ身構えた。
「……なんだ、お前か。 俺に何か用が在るのかよ?」
蟠りは在るが、匠はアルを責めようとはしない。
今更ネチネチと文句や罵声を飛ばしても、意味が無いと分かっていた。
「辛辣だなぁ………まぁ、僕がごめんなさいって言っても、君は許してくれなそうだし」
叱られた子供の様にシュンと成るアル。
寂しさ強いという事は、匠にも理解が出来る。
やり方を間違えたのはアルだが、それを咎めるつもりは無い。
それよりも、アルのその様に、匠は覚えが在った。
ふと、とある軽食屋にいる少年を思い出す。
「俺退院するんだ。 つーかよ、お前……暇か?」
匠の声に、アルは頭を上げるが、その顔はただ驚いていた。
「え? あー……まぁ」
「よっしゃ……じゃあちょっと待ってろ」
そう言うと、匠はポケットからスマートフォンを取り出し何処かへ電話を掛け始める。
今のところスマートフォンにエイトが居ない理由は、サラーサがそれを阻止しているからであった。
電話自体は長くはなく、直ぐに終わる。
「よぅ、少し付き合えよ」
匠の声に、アルはポカンとしたまま頷いていた。




