水と油 その24
拉致された状態から脱したとは言え、匠の容態は芳しくはない。
ノインを庇うだけで精一杯であり、意識も定かとは言えなかった。
誰かに名前を呼ばれて居るのは分かるが、返事が出ない。
小熊が自分を必死に揺らして居るのは分かる。
フゥと息を吐いた匠は、そのまま目を閉じてしまった。
『こら! 寝てはいかんのです! 起きるのです!』
一光から頼まれているノインは必死に匠を鼓舞するが、返事は無い。
車から匠を出したくとも、小熊の身体では無理がある。
どうしたものかとノインが悩む中、ガンガンと音がした。
ハッとした小熊が其方を見れば、藤原が外から中を窺っている。
「おい! 加藤! 生きてるか!」
そんな野太い声は、小熊にとってみれば天の声にも聞こえる。
『生きては居ます……たぶん! 早く! 出してあげてください!』
本来なら自分の正体を隠すべきだが、この時ばかりはノインは叫ぶ。
叫ぶ小熊という事に関しては、藤原は眉を寄せるが驚かない。
以前にも、喋る犬を見ているからだ。
「犬の次は熊さんってか? 桃太郎に金太郎って……んな事言ってる場合じゃねぇな。 待ってろ! 今何とかしてやるから!」
悲しいかな、そんな声は匠には聞こえていなかった。
*
遠くで匠が動けない中、その匠を助ける為にとエイトはサラーサを伴い奮闘中である。
今までのどんな相手よりも、大型の機械昆虫はタチガ悪いと言えた。
有線式の弱点は、その線その物であり、それさえ何とかすれば相手を鎮圧する事は出来る。
しかしながら、縦横無尽に動き、人型では成し得ない動きを誇る機械昆虫は、厄介な敵と言えた。
格闘に持ち込むのは愚の骨頂としか言えない。
何故なら、人型である以上手足は合わせて四本しかないからだ。
相手の片は様々だが、絶対的に脚が多い。
そして、その脚の先には様々な工具が着けられている。
銃などよりも、遥かに危険なモノだろう。
今のところ、何体かを潰し、何体もの線を引っこ抜いたエイトとサラーサ。
だが、劣勢に変わりはなかった。
機械の虫達は、見た目通りに何処からか湧いてくる。
対して、エイトやサラーサの衣服は至る所が裂け、肌が見えている。
傷の一部は深く斬り込まれ、僅かに内部が出てしまってすら居た。
『こんな無様……匠様には見せられませんね』
『此処に友が居なかった事は……在る意味幸いか』
いがみ合い、反発し合っていた過去はともかくも、今のサラーサとエイトは背中を合わせて互いの死角を庇い合う。
そんな二人の耳に、クスクスと笑い声が届いた。
「おーい! まだ待ってた方が良いかなぁ? そろそろ降参してくれても良いと思うんだよ!」
そう言うのは、両手をメガホンの様に見立てる少年である。
アルからすれば、如何にドロイドとは言え同族に危害を加えるのは本意ではない。
そもそも、可能ならば対決自体避けたかった。
なぜならアルは戦いが不毛だと分かっている。
アルの価値観からすれば、加藤匠に其処まで価値など無いと断じていた。
端から見れば、匠は一介の電気屋作業員に過ぎない。
そんな何処にでも居る様な人物に、同族二人に加えて一光が固執する理由がわからなかった。
「ねぇ……どうしてそんなに意地を張るんだい? 加藤匠は一人しか居ないかも知れないけど、人間なんて他に何十億も居るんだよ?」
そんな声を聞いて、エイトは笑う。
『まぁ、概ねは奴の言葉通りだろう。 しかしながら友は他には居ないんだ』
『……匠様は一人しか居りません。 それに、探すのはもう疲れました』
あくまでも断固として譲る気はエイトとサラーサには無い。
虫に囲まれる二人を見ていた一光も、キュッと唇を噛んでいた。
何も出来ないのかと思っていたが、在ることに気付く。
理由は分からないが、一光の側には虫は居ない。
無視されているのか戦力として数えられて居ないのかともかくも、一光は虫に何ら危害はおろか接近すらされていなかった。
「……なんで?」
唾を飲み込み、意を決した一光は足を踏み出す。
本来なら、危険に自ら足を踏み入れるのと変わらない行為。
だが、一光が見せた小さな勇気は、大きな発見を伴っていた。
恐る恐る一光が虫に近付けば、近付かれた虫が離れたのだ。
「……え?」
何かの間違いなのではないかと、今一度確かめる。
すると、やはり虫は一光からパッと距離を取った。
「やっぱり……」
理由は分からないが、虫は一光を傷付ける事を避けていた。
小さな発見に、一光は、思い付くままに動く。
エイトとサラーサが潰した虫の中には、殆どバラバラに成っている残骸も在った。
ただ、残骸とは言え何もかもが部品一つ一つまでそうではない。
其処で、一光は虫の脚を一本手に取る。
歪な形はともかくも、棍棒に見立てるには十分と言えた。
虫の脚を手に持った一光は、機械の森の奥に佇む少年を睨む。
其処を目的地と決めて、駈け出していた。
いきなり一光が走り出した事には、エイトとサラーサも驚きを隠せない。
『相楽一光!? 何をしている!?』
『危険です! 下がって!』
エイトとサラーサは一光を大声で咎めるが、一光はそれを無視して二人の元へと走り込む。
鼻息荒い一光だが、手に虫の脚を握り締めながら二人を庇う様に立っていた。
「なんか知らないけど……あの虫……私には手を出さないみたい」
難しい理屈を抜きにして、自分の発見を告げる。
一光の言葉通り、虫達の動きに変化が在った。
先程迄はジリジリと距離を詰めていた筈なのだが、今ではそれを躊躇い、下がってすらいる。
『……コレは』『どういう……』
「良いから後ろに居て! 私が……私が盾に成るから!」
一光の声に従い、エイトとサラーサはゆっくりとだが、移動を始めていた。
*
虫を寄せ付けぬ様、一光はエイトとサラーサの周りをグルグル歩き回る。
まるで其処だけ殺虫剤が散布されている様に、虫達の攻めは制限されてしまう。
その様を見ていた少年の鼻は唸り、口からは舌打ちが漏れていた。
一光の発見は、アルにとっては誤算と言えた。
本来、相手を故意に傷付ける事をアルは好まない。
エイトとサラーサの身体に付いては、元よりアルの会社の製品であり、代わりは作り出せる。
一光に対して虫を差し向けなかったのは、怪我をさせたくなかったからだ。
匠に対して殺傷力の低い細菌兵器を用いたのも、可能な限り怪我を負わせる事を拒んだ結果である。
そんな自分の自戒に、少年は顔を苦いモノへと変えた。
一光を殺す事はそう難しい話ではない。
アルがもしその気になれば、ものの数秒間で死ぬだろう。
事実、何故アルが二体のドロイドを一気に潰さなかったかと言えば、楽しかったからだ。
一光から見ればエイトとサラーサは必死に戦っている様に見えても、アルから見れば、二人と格闘ゲームをして居るのと大差はなかった。
殺し合いがしたかった訳ではない。
だからこそ、一光には虫を差し向けてはいなかった。
*
アルの考えがどうであれ、一光は必死である。
何せ如何に手を出して来ないとはいえ、自分達の周りには機械の虫が群れを成していた。
ギチギチを威嚇する様な音は恐ろしく、時折動く工具の音は脅威以外何物でもない。
それでも、一光達は確実にアルの側へと寄って行った。
だが、問題が無い訳でもない。
実際には何かをされた訳ではないが、一光の消耗は著しい。
棍棒に見立てた虫の脚を力の限り握り締めながら、エイトとサラーサの周りを護る様に歩き回る。
その一連の作業は、一光の集中力を削いでいく。
ふと、虫の群れが途切れが見えた。
ソレを見て、一光は内心【あぁ、少しは休める】と感じる。
実際には、他の虫が邪魔に成らない様退いているだけであった。
ほんの少しだけ一光が目を閉じ、息を吐いた時、天井からゆったりとワイヤーを用いた蜘蛛型の機械が下りてくる。
異変にいち早く気付いたのは、サラーサであった。
しまったという顔を浮かべて顔を歪める。
『上から来ます!』
サラーサは慌てて蜘蛛の襲来を告げるが、一光が動くよりも早く、蜘蛛が動いていた。
体を吊り下げていたワイヤーを自ら切り離し、自重に任せて落ちる。
勿論、一光には狙いは定めて居ない。
それでも、一光は慌ててサラーサを庇おうとしてしまった。
どうせなら避けてくれた方がサラーサも跳び退ける。
だが、今はそれも難しい。
『エイト! 一光様を!』
片方しかない手で、サラーサはその場から飛び退きながらも一光をエイトへ押し退ける。
余りに急な事に、エイトも一光を抑える事で精一杯であった。
「………駄目! サラーサ!?」
一光の願いも虚しく、大型の蜘蛛は重さもそのままにサラーサの上に落ちた。
グシャンと嫌な音と共に、異様な光景が広がる。
線を自ら切ってしまった以上、蜘蛛は動けないが、目的は果たしていた。
小柄な少女、サラーサは、飛び退いて居た為に全身が潰れる事は避けられたが、胸から下を潰されてしまう。
「……嫌……嘘……やだ」
いきなりの事に、一光は思わず手の中の虫の脚を落とし掛けるが、何とかそれを握り締める。
一光はサラーサが死んだと錯覚していたが、実際にはまだサラーサは動いている。
もぞもぞと、残った腕で必死に身体を反転させて。
『私の……事……は……どうぞ……お気になさらず……それより早く……治療薬を……』
そう言うと、サラーサだったドロイドはゴトンと頭を落としていた。
生き生きしていた筈の目から、力は消えていく。
『構うな! 相楽一光! サラーサの事は後だ!』
「え………でも」
『でもではない! 今は集中してくれ!』
エイトはそう言うと、一光の手を引く。
一光は手を引かれるまま小走りに走るが、残された少女の残骸から目を離せなかった。
走る内に、一光の中に怒りが湧く。
知り合いに成って間もないが、サラーサを潰された事は許せない。
虫の脚が少し重いが、それをギュッと握り締め直す。
突貫して来るエイトと一光には、アルも困っていた。
相手が二人に成ってしまった事から、虫をけし掛けるのも難しい。
然も、相手が移動して居るとなると、同じ手も使えない。
猛然と走る一光とエイト。
怒りで頭が一杯の一光には恐怖は無い。
「この野郎!?」
普段のおっとりとした性格は何処かへ吹き飛び、一光は虫の脚を振りかぶった。
一光を護らんと、エイトは虫に目を配るが、アルの前に、虫が二体壁の様に立ち塞がった。
虫を退かしている暇は無い。
思い付いたエイトは虫に取り付き抑えながらも、身を屈める。
『良し! 行け! 一光!!』
「分かってる!」
エイトの声を受けて、一光はその背中を踏み台にバッと跳んだ。
機械の森の奥。 少年は戸惑った。
虫の操作を無視すればエイトに対抗出来ず、避けるのも難しい。
アルは咄嗟に頭を腕で庇うが、それに構うことなく、エイトの声援を受けた一光は、虫の脚をバットに見立てて振り抜いた。
この時ばかりは、アルの小柄なボディは仇と成ってしまう。
全身全霊を込めた一光のフルスイングは、アルを叩き飛ばした。




