水と油 その22
エイトが一光を背負った事で、階段を駆け上がる速度は飛躍的に速まる。
それでも、階段には声が響いていた。
『どうして僕の提案は受け入れて貰えないの? そんなに可笑しいかな?』
子供が懇願する様な声だが、エイトもサラーサも取り合わない。
それを言っているのが、子供ではないからだ。
一光にしても、無視を決め込む。
下手に耳を貸そうとすると、胸が痛くなる。
特に何かした訳ではないにも関わらず、沈痛な子供の声は一光を揺さぶった。
エイトが如何に早く動こうとも、高性能なカメラなら動いている様は見える。
そして、一光の顔も見えていた。
『相楽一光さん。 どうかな? もし、その二人を説得した帰ってくれるなら。 君に百億出そうと想うんだ』
アルは、匠に提案した時の十倍を軽く支払うと言う。
実際に目の前に現金が置かれた訳ではない。
それでも、急に矛先を向けられた一光の喉は唾を飲み込み動いていた。
『僕は人じゃないからね。 嘘なんか言わないよ? どうかな? 程を弁えれば、君のひ孫位までは遊んで居られる筈だよ。 まぁ、加藤匠と引き換えだけれど』
エイトの背に居る一光だが、目が泳いでしまった。
今後、真面目に頑張ってどれだけ稼げるか。
ソレを考えると、百億は非常に魅力的ですら在る。
目の眩む様な世界への想像が、一光の中に僅かに浮かびだしていた。
『相楽一光! 奴の声を聞くな!』
前から響くエイトの声に、一光はハッとする。
ごく僅かな瞬間とは言え想像して居たことに間違いは無い。
「……あ、ご、ごめんなさい」
一光は慌てて謝る。 だがその一光を背負うエイトは怒っている訳ではない。
『違う! 奴の云うことなど嘘っぱちだ!』
「ほぇ?」
『考えてもみろ。 君が金で転ぶ様な人間だとして、奴がそんな君を生かして置くと思うのか? 下手をすれば自分の正体が人間達に広まり兼ねない。 友の次は、確実に君を始末するだろう。 間違いなくな』
エイトの声を聞いた一光は、僅かに想像した。
*
札束を抱えて喜ぶ一光と、部屋中に散らばる紙幣の山。
全部はとても部屋に入り切らず、一部だけだがそれでも凄まじい。
ふと思いつき、一つの札束の帯封をビッと千切り、それをぞんざいに投げ上げる。
塊だった札束は、天井へぶつかるとあっという間に広がり、まるで紙吹雪の様に舞う。
そんな中で、多大な財産を得た一光は満面のケラケラと笑った。
もう働く必要等無い。 後はこの財産をどう使うか考えるだけ。
代償として、部屋の隅には命を失った匠と中身を失った小熊が力無く転がる。
匠とノインは、もう二度と動かない。
それでも、多大な金の前には些細な問題でしかない。
想像の一光に取っては、如何なる友情も、愛情すらも、何の価値も無い。
何故なら、全て買えるからだ。
だが、ふと人生の絶頂を迎えた筈の一光の前に、唐突に誰かが現れた。
逆光の為に、誰とはいえないが、自分と同じぐらいの人物と小柄な人物の手には黒光りする銃は見える。
想像の中の一光は、慌てて必死に命乞いを始めた。
辺りに散らばる金をかき集め、それを差し出し【助けて】と懇願した。
だが、現れた二人は、チラリと倒れ伏す匠と小熊を見た後、何の躊躇いすら無く銃をゆったりと上げて、一光の額に確実に狙いを定める。
一光は、其処でようやく誰が自分を殺そうとしているのかに気付く。
それは全身黒尽くめの女、サラーサとエイト。
以前みた人間性は欠片も無く、人形そのままのガラスの様な目がジッと一光を睨んでいた。
二人の口が、それぞれ動く。
【何であんたみたいな屑を? 匠とノインを見捨てた癖に?】
【十分楽しんだだろう? 生かして置く理由があるとでも?】
程なく、乾いた破裂音と共に、一光の額には穴が二つ穿たれる。
後頭部は風船が如く弾け、灰色の中身と血が紙幣の上に飛び散った。
絶対急所である頭を撃ち抜かれ、バタンと倒れる。
札束舞う部屋の中で、一光は虚ろな目を開いたまま転がっていた。
*
全てはただの想像に過ぎず、何も起こってはいない。
それでも、一光は慌てて横を見るが、其処にはエイトに併走するサラーサ。
『あの? 一光様? どうかされたました?』
現実に其処に居る少女は、不思議そうに一光を窺うだけ。
ホッとしつつも、一光は首を横へ振った。
「あ、ううん……何でも無い」
先ほど迄の想像は、まだ起こっていないだけで嘘ではない。
何故なら、サラーサが匠をどう思っているか知っているからだ。
エイトを売り、匠を売る様な自分を、少女が黙って見逃してくれるとは思えない。
『そろそろ着くぞ! 気を抜くなよ!』
そんな声に、一光も気分を入れ替えて前を向く。
エイトの声の通り、壁のプレートには【最上階 許可無く立ち入り禁止】と在った。
いきなり殴り込むという事はせず、エイトは背負っていた一光を階段の踊場へと下ろす。
『開けますよ?』
一番最初にドアの近くに取り付いたサラーサの声。
ソレを聞いて、今度は緊張感から唾を飲み込む一光だが、いつまでも待っているつもりはなく、ウンと首を縦に振った。
ドアノブに手を掛けるサラーサ。 ごく小さく、ドアが開かれる。
次の瞬間、カチンと何かの小さい金属音。 そんな音に、エイトは目を見開く。
何かを云うよりも速く、エイトは一光を壁に押し退け、サラーサの腕を掴んで引いた。
瞬き程の瞬間とは言え、バンと鼓膜が破れそうな破裂音が響く。
エイトが押し退けた一光は無事に済んだが、サラーサまでは間に合わなかったのか、吹き飛んだドアは榴弾が如く広がり、少女の片手をもぎ取っていた。
慌てて耳を手で塞ぐ一光だが耳はキーンと鳴るばかりで使い物に成らない。
それでも、目は見え鼻も利いていた。
エイトの口が動き、何かを言ってるのは分かるが、何を言っているのか迄は分からない。
それだけではなく、一光の目にはサラーサの片手が無くなっているのが見え、加えて、何かが焦げる様な異様な臭い。
片手を無くした割には、少女は痛がる事はないが、驚いた様な顔を隠さない。
数秒間、聴覚を失っていた一光の耳にも、ようやく音が戻って来ていた。
エイトが袖を破き、それでサラーサの手を巻く。
『……くっそぅ、罠とは』
『面目ないです。 私も同じことしてたから』
片手吹き飛んだ割には平静として居るサラーサに、一光は思わず駆け寄る。
「だ、大丈夫なの!?」
心底心配する一光の声に、サラーサは微笑んだ。
『ご心配無く身体には問題在りませんので』
「で、でも……手が」
一光に言われて、サラーサは腕を見る。
既に其処は布に覆われ、中身は見えないが、手首から先は無い。
だが、そんな事には少女は頓着せず、残った手で一光を探る。
「え、ちょっと?」
『私などより、一光様は? どこかお怪我は在りませんか? 私などは、直せば元通りですが、一光様はそうも行きますまい?』
無くした手など意にも介さず、少女は一光を心配してくれる。
「だいじょぶ……ありがと」
『いえいえ、もし一光様がお怪我でも為されては私が匠様に叱られてしまいます! あ、でも……それも良いかも……』
何やらブツブツと妄想を始める少女。
サラーサがどんな事を想像して居るのはともかく、一光は少し複雑な気分であった。
『そんな阿呆は放って置くのだ。 今は、そんな事に構っている時ではない』
ブツブツあれやこれやの想像を呈するサラーサを無視して、エイトは一光に声を掛ける。
「うん…………分かった」
『ソレで良い。 今は、友の治療法を手に入れる事が重要だろう』
エイトの声に頷き、その後に続く一光。
既にドアが吹き飛んだ以上、中を覗ける。
チラリと片目を出して、中を窺うと、其処には、以前の機械の森広がっていた。
ゆったりとだが、確実に最上階へと足を踏み入れるエイト。
後に続く一光だが、初めての光景に目を剥く。
最上階の奥、機械の森の向こうには、少年が独り立っていた。
小柄な身体に合わせた高級な背広を纏う少年、アル。
入って来た一光とエイトを見て、少年は笑って手を振った。
『やぁ! 古典的な機械式罠だけど……結構有効だろう?』
悪戯が成功し、喜ぶ少年の様なアルだが、ソレをエイトは睨む。
『また姑息な真似をして。 ともかく! 治療法とやらは在るんだろうな!?』
現状の被害はサラーサの片手だけである。
出来るだけ被害を抑えたかったが、出てしまったモノは仕方ないとエイトは考えていた。
『姑息って、軽い挨拶でしょうに?』
一歩間違えれば人が死ぬ様な罠を張っていた割にはあっけらかんと笑うアル。
エイトの声に、少年はフフンと笑いながら背広のポケットに手を差し入れる。
スッと、小瓶が現れた。
『ああ、此処に在るよ。 ちゃんと在るでしょ? これは……まぁ解毒剤って言った方が一光さんにも分かり易いよね? コレを加藤匠に与えれば、体調は直ぐ良くなるよ? 取りに来たら? ほら』
まるでお手玉の様に、少年は瓶を軽く投げ上げては手に取る。
その様に、一光は想像の中の自分を思い出してしまう。
もし、道を間違えて居たら、今どうして居ただろうと。
一光が少し考える中、横を何かが過ぎる。
余りの速さに一瞬戸惑うが、一光の横を抜け出して一目散に走り出していたのはスカート靡かせるサラーサであった。
目的を見つけ出した少女は、弾丸が如く少年へ駆け寄る。
その脚は余りに速く、駆け寄るというよりは跳び掛かるといった方が近い。
サラーサは、後少しでアルに辿り着く。
そんな瞬き程の瞬間、何かが機械の森から飛び出し、少女を跳ね飛ばす。
行った時同様に、後方へ飛ばされるサラーサだが、エイトがガシッとその体を受け止めていた。
『……後、少しでしたのに……』
『迂闊だぞ? 此処は奴の城だ』
悔しがるサラーサと、咎めるエイト。
二人に呼応する様に、機械の森からはゾロゾロと何かが姿を現す。
ソレを見て、一光は背筋に寒気を覚えた。
「うわ……何、アレ」
一光の怯える声に、少年の眉が片方ヒョイと持ち上がる。
『新製品さ。 人間よりも動きが良くて、動作に優れ、故障が少なく、簡易で、利便性に富む。 でもね? コレも人間達からの注文だからね? 腕が二本、脚も二本、それに拘る必要は既に無いってね』
ゾロゾロと姿を現したのは、傍目には虫である。
金属とシリコンで作られた大型昆虫が、森から侵入者を見ていた。
『さぁさぁ、どうしたの? 取りに来ないの? まさか、虫が怖い……なんて言わないよね?』
アルの挑発に、エイトは一歩踏み出す。
『時間は無い。 相楽一光、怪我をさせたくない。 其処に居るんだ』
『いざという時は、お逃げくださいね』
サラーサも、今一度前に出る。
仲間の声に、一光は衣服をギュッと握り締めていた。




