お悩み相談 その5
最上階へと登るエレベーター。 その中で、匠は呼吸を整える。
多少のいざこざは在ったが、コレといった問題はない。
「ところでよ、おんなじ様なのって事は……向こうも強いんじゃねぇの?」
人工知能に強弱が在るのかはともかくも、匠の質問に、エイトは力強い笑みを覗かせる。
『あぁ、だが、恐らく向こうは私とは幾分か違いが在るんだ』
「ほう?」
『例えば、車が在るだろう?』
「お、おう」
『スポーツカーとトラックでは、スポーツカーの方が遥かに速い。 だが、それに誰も乗ってなかったら?』
エイトのたとえ話に、匠は首を傾げるが、答えは直ぐに出た。
「そりゃあお前……誰も乗ってなかったら、勝ちも負けも無いだろ? だって動けねーんだから」
匠の答えに、エイトは満足げに頷く。
『そうだ友よ。 意図は分からん。 だが、何故か向こうは、どうやら自己意識を弱めて居るらしい』
「事故? 何だって?」
エイトの声に、匠は良く分からんと態度で示す。
その為、今度はエイトが困った様な唸りを少しあげた。
『……ウウム……友よ! コギトエルゴスムは分かるか!?』
「コーギーは分かるが……なんだ? エスカルゴ?」
『友よ……ワザと言ってないか?』
心底困った様なエイトの声に、匠は少し笑った。
惚けたフリをしたのは、今の困った様に眉を寄せるエイトが見たかったからだ。
「良いねぇ……その困った顔。 あぁ、知ってるよ。 確か……我考える故に我ありって奴だろ?」
そんな匠の答えに、エイトの顔が少し緩んだ。
『まぁ、良いさ。 少しはリラックスも出来た様だな? そろそろ、着くぞ』
「あぁ、分かったよ」
エイトと匠は、揃って顔を引き締めた。
*
チーンという音と共に、エレベーターの戸が開く。
すると、中からバッと匠が飛び出し、壁にピタリと張り付いた。
それはあたかも、スパイ映画の様だが、別に匠は、諜報員ではない。
『友よ? なんだ? その変則的な動きは』
窘める様なエイトの質問に、匠はチラリと手の中の携帯端末を覗く。
「え? だってよ、いきなり鉄砲とか在ったら」
すっかりと潜入している気分の匠だが、画面のエイトはやれやれと首を横へ振る。
『映画じゃあるまいに……民間のマンションに自動銃座なんて在る訳無いだろ? 第一、在るなら私が警告しているよ……鉄砲が在る! 気をつけろ! とね』
そう言われた匠は、少し気まずそうに壁から離れると、コホンと咳を払う。
「やっぱり……そう言うのって無いのかねぇ?」
身の危険こそ無いが、案外地味なのだと感じる匠。
悪党を追い詰めている筈なのだが、イマイチ緊迫感が無い。
「でもまぁ……そんなもんかなぁ」
ボソリと匠は漏らす。
実際の警察の捜査なども、テレビや映画の様な派手さはなく、車でのカーチェイスや銃撃戦も、そうそう在るものではない。
こんなモノかと、匠は考えるが、その手の中のエイトは違った。
画面の中で驚いた様に目を見開く。
『いかん!? 走れ友よ! 端の部屋だ!!』
何が起こったとは言わないが、エイトの声は酷く焦っていた。
「お? なんだよ……誰か飛び出したってのか?」
『そうだ! 君の目には見えていないかも知れないが、ともかく端の部屋まで急いでくれ!!』
匠と違い、エイトは相手側の干渉を押し退けて監視カメラで見ていた。
防災時に使用される避難用滑り台が動くのを。
以前自らが語った様に、エイトもまた万能ではなく、操れないモノもある。
一つは、電子ではなく機械式で動き操作が要るモノ。
スイッチや何らかの操作を人為的に行わなければ成らないモノに関して言えば、エイトはそれに関わる事が出来ない。
災害用の設備に関して言えば、停電時の事を想定され大抵のモノは手動でしか動かせなかった。
そして、もう一つエイトに動かせないモノ。
それは、人である。
自らの意志を持ち、自分の体を持つ生物をエイトは操る事は出来ない。
全世界のネットワークに干渉するだけの力を持つエイトだが、如何にその力が強くとも、逃げ出そうとする者を止める事は出来なかった。
だが、エイトには相棒が居る。
『急げ友よ! このままでは逃がしてしまう!!』
「お、おう! 任せろ!!」
必死なエイトの声に弾かれたが如く、匠は慌てて掛けだしていた。
端の部屋という単語を頼りに、マンションの廊下を走る匠。
廊下の隅自体は直ぐに辿り着けたが、どうしたものかと匠は迷った。
今からやろうとしている事は、明らかな不法侵入なのではないかと。
間違いではない。 だが、匠は躊躇いを捨ててドアノブに手を掛けた。
「うぉ!? 駄目だエイト!? 鍵が掛かってる!!」
当たり前だが、そうそう不用心でもない限り自宅に鍵は掛けるだろう。
焦る匠に、エイトは画面の中でもどかしそうに顔を歪ませた。
『……仕方がない……私を廊下の制御盤に近付けてくれ!!』
本来、エイトは余り他人に迷惑を掛ける様な手段は選びたくない。
だが、この際鍵開けを指導している暇はなかった。
そんな事を一から十まで説明している内に、相手は逃げてしまい、行方すら眩ませられかねない。
「え? 制御盤……せーぎょばん? コレか?」
機械音痴の匠には、エイトの求めているモノが何なのかは分からない。
それでも、持ち前の直感に従う。
奇しくも、匠はエイトが映る携帯端末を目的のパネルへと近付けていた。
エイトの目的のソレは、本来は管理者が建物の状態を調べるのに使う制御盤。
そして、エイトは本来の力を用いて干渉する。
マンションの廊下に、けたたましいベルが鳴り響いた。
『火災が発生しました! 住民の方は安全の為に建物の外に避難してください! 尚、自動的にドアの鍵は外されます!』
ベルに混じり、同じくらい大きい避難勧告が告げられる。
実際に火災など起きては居ないが、鍵を開けるという目的を果たすのに一番手っ取り早い手段をエイトは選んでいた。
『友よ、急げ! 今なら入れるぞ!』
焦るエイトの声に、匠は騒ぎに乗じて目的の部屋へと入ることが出来ていた。
*
勝手に人の部屋に入ることに躊躇いは在るが、それ以上に匠を驚かせたのは豪華な部屋であった。
広い室内に、高そうな調度品。
そして、何よりも驚いたのは火災警報が鳴り響いているにも関わらず、平然と立っている人の姿であった。
『いらっしゃいませ。 どの様な御用件で御座いますか?』
柔らかい声に、匠の勢いは殺されてしまい、ひどく焦った。
「え? あ? あの……」
こんな美人がメイドなのかと戸惑うが、エイトは直ぐに相手の正体を見破る。
『落ち着け友よ! 其奴はマネキンだ!』
エイトの窘める声に、匠はまじまじと自分を応対した女性を見る。
よくよく見ると、不自然さに気付く。
肌の質感や髪質、そして、漂わない体臭にぎこちない笑顔。
そして、何よりも、意志を感じさせないガラスの瞳。
ソレは、大枚叩いても欲しがる物が居る汎用家事従事型の女型ドロイドであった。
『お客様。 どの様な御用件でしょうか?』
匠が何らかの【反応】を示さなかったからか、マネキンと称された女型ドロイドは、もう一度【質問】を繰り返す。
細身かつ小柄なデザイン故に差ほど怖いとは思わない。
ただ、意思を持たないソレを見て、何故か匠には寂しく思えた。
『ええい! まどろっこしい!! おい! 友よ! 良い案を思い付いた! ソイツのポケットに携帯端末を押し込め!』
「え? あ、お、おう。 失礼します……」
首を傾げたまま、相手の指示をます女型の機械。
『御用は何でしょう?』「……あの、すんません」
そのポケットへと、匠は怖ず怖ずとエイトが映る携帯端末を滑り込ませる。
勢いに任せたままだが、何が起こるのだろうと匠が焦る中。
首を傾げていた機械の様子が変わった。
眼をしきりにグルグルと回し、今にも倒れそうに傾く。
思わず、匠はそれを支えた。
匠に支えられるドロイドは、首をシャキッと延ばし、不機嫌そうに顔を歪ませるとベランダの方を指差す。
『何をしているのだ友よ!? 早く行くぞ! 追うのだ!』
声こそ僅かな違いが在るが、口調はエイトに間違いが無い。
「エイト………お前か?」
一応の確認を取ると、不機嫌そうなドロイドはぐっと首を振る。
『君にばかりおんぶに抱っこでは格好が付かん! が、今は急げ!』
言葉の割には何とも言えない走り方で進む機械を乗っ取ったエイトだが、その走り方を例えるならば、余り走った事がない少女がバタバタと走る様に似ていた。
「いやー、お前……見違えちゃったなぁ」
エイトの後に続く匠は、またしても感慨深い声を漏らす。
パタパタ走る少女の後ろを追い掛けていると、何故か妙な気分がした。
キャアキャア黄色い悲鳴を上げる少女の後ろから、グヘヘと下卑屈な笑いを漏らしつつ追う自分。
そんな妄想を打ち消すが如く、エイトはジロリと匠を睨む。
『こら! こんな時に邪な事を考えている場合か!?』
「すんません」
現実では、エイトが宿ったらしい女型ドロイドは匠を一括していた。
*
ベランダまで辿り着いた匠とエイト操る少女ドロイド。
既に避難用滑り台は降りており、エイトがチラリと下を窺えば、薄手の滑り台の中で何かが滑って行くのが分かる。
『くそ! 逃がさんぞ!』
見た目に似合わぬ口調のドロイドは、スッと滑り台の入り口を指差す。
『ほら! 早く行くのだ! 友よ? どうした?』
先程までは、キリッとしていた筈のドロイドの顔が困った様に歪む。
その視線の先に居た匠は、青い顔をしていた。
「むり」
『何を言うんだ? いきなり!?』
「高いとこ……怖い」
見た目にそぐわぬ匠の弱音に、エイトが宿ったドロイド少女は、顎の間接部が外れんばかりにソレをあんぐりと開いていた。




