7 出撃
★猪戸伊織
王子様とやらが帰り、クラスメイトたちが各自の部屋に戻ったあたりで、マキナちゃんにも休憩時間ができた。手近な部屋に入り、「シシド、いる?」と不安げに聞いてくる姿はけっこう可愛い。でもそれを無言で眺めて意地悪するほど心に余裕はない――調子に乗って、万が一この子に見捨てられでもしたら相当ヤバい――ので、即座にトンと肩を叩いて応じる。
部屋に内側から鍵をかけ、マキナちゃんはその会議室らしい部屋の、頑丈だけが取り柄に見える椅子のひとつに腰かけた。俺もその隣に腰を下ろす。
「なあ、あの魔術っぽいの何? 俺にもあったほうがいいの?」
マキナちゃんに触れてないほうの手で、耳の後ろを指差しながら聞いてみる。あれがありゃ、たぶん前に言ってた、「奴隷にされない権利」とやらも手に入るんだろ? たぶん。
「ザカッド……国の印、国印。あなたには当面いらないわ。身分証明なんてする機会ないでしょう?」
日本語を交えて説明してくれる。難しい漢字は分からないと言っていたけど、国の印と書いてコクインと読めるってことは理解してるみたいだ。しかし、まあ、確かにいらないな。透明人間みたいなもんだしなあ。
「私の親戚が、国印の授与権限を持っているわ。貰うならそっちからね。必要なら母が指示するでしょう」
手助けしてほしいと言われたマキナちゃんの母親は、この町にはいないそうだ。というか、そもそも今いるこの町だって、普段マキナちゃんが住んでいる場所ではないのだとか。
「あなたの力を抑える道具も、できるだけ急いで用意するつもりではいるんだけど、王都に比べるとこの街はね……。使える設備も不十分だし、道具屋の品揃えも今ひとつ。早く大学に戻りたい」
「きみ、学生なの?」
「そうよ。天界……異世界の研究が専門のね。そして、学生である以前に貴族でもあるわ。国の一大事には手を貸すのが、税金で生きている者のつとめよ」
……って感じのニュアンスで合ってるのかな? この翻訳の指輪、どの程度の精度が出るんだ? ていうか貴族なんだ。ああ、だから親戚が国印の授与権限なんてものを持ってるのか。
「もしかしてお嬢様? 家に帰ったら、ドレスで舞踏会とかするの?」
「私は貴族と言ってもいちばん下のランクだから、社交の場に出るほどの価値はないわよ。ドレスなんか買う金があったら研究費にするわ。色々とお金がかかるのよ」
世知辛そうな話をされた。そ、そういうものか。
「大学は出してくれないの?」
「天人に関する最新の資料は、南の列島か西の大陸か、とにかく外国にあるわ。そういうところは、基本的に外国人に資料を見せてはくれないから、こう、ね?」
裏ルートでデータを引っ張ってくる、と。やっぱり世知辛いな……。
「でもあなたたちが来たおかげで、それもしばらくは必要ない。むしろこちらが、今までの分、高く資料を売りつけてやることができるのよ。最高だわ」
彼女の腕に触れる俺の手の甲を、マキナちゃんの手がそっと押さえた。やわらかい体温が伝わってくる。俺たちを召喚したことには、そんなメリットもあるのか。
「最新の資料、って……何か俺たちで実験でもするの?」
「知りたいのはあなたたちの世界の、最新の情勢、あるいは文化。異世界との行き来や、身体の特徴については、過去にたくさんの人が調べているし……まあ、こんな言い方もおかしいかもしれないけど、私はもう充分に専門家だと思ってる。あなたたちが持つ超能力については、みんな全く違うものだから、それについてはもちろん調べさせてもらいたいと思ってるわ」
「ん? この世界じゃ、異世界と行き来する方法が確立されてる、のか?」
マキナちゃんが楽しそうな顔をした。あ、これ、変なスイッチ入れちゃったやつじゃないだろうな。
「行き来できるのは異世界人だけよ。この世界の人間が、そちらへ行くことは不可能に近い。あなた故郷で、異世界出身の人間に会ったことあった?」
「ないな」
「この世界の存在を聞いたことは?」
「ない。……それって、俺たちはもう帰れないってことか?」
「帰れるわよ。だいたいの人は、こちらでの記憶をごっそり失うらしいけど」
サラッと大事なこと言われた気がする。え、普通に帰れんの? けっこう気軽にできちゃう感じ? 百年に一度の特別な日を待ったり、魔王とか倒してドロップアイテム手に入れたり、レベル上げまくって神様とか殴りに行ったりしなくてもいいの? 高坂だって、ドラゴン倒さなきゃ、とか言ってたんだよな?
「帰ったあとのことが、どうして分かるんだ?」
「同じ場所で召喚の儀式を行い続ければ、いずれは過去に召喚した異世界人の知り合いを引き当てることがある。たとえば、アーレセンの町で行う儀式は必ず、あなたたちの世界で言う、フラノという町の郊外から人を引き込んでくるはずよ」
この町は、地球で言えば富良野の近くに繋がっている……のか。この世界でやった儀式のタイミングで、ちょうど俺たちのバスが通りかかった、ってことか? 運が悪いにもほどがあるな。
「有名なのは、一千年ほど前、とある国の魔術師が行った実験ね。彼は、一度もとの世界に帰した異世界人を、もう一度こちらへ呼び込むことに成功した。そして、前回の召喚の記憶がまったくないことを確かめたそうなの。ちなみに、その超能力は、完全に前回と同じものだったそうよ」
つまり、俺は何度召喚されてもずっと透明人間なのか……。
いやいや待て、日本に帰ったら俺は、たぶんもう北海道には来ないぞ。もう一度呼ばれることなんて、まずあり得ないだろう。
「行き来には、記憶以外にリスクもあるわ。その魔術師は何度も召喚の儀式をしたけど、異世界人がもといた場所も、帰って行った先も、まったく同じ場所ではなかった。いくらかズレがあるの。だから、もしこちらで送り出した場所が、あなたたちの世界では湖の上だったりしたら……」
せっかく帰ったのに溺れて死ぬとか、それは嫌すぎる。つーかここ北海道だし、冬場に雪山の中に放り出されたりしたら、普通に死ねるんじゃないか?
「記憶ねえ……マキナちゃんのことも、忘れちゃうわけか」
「あ、別に忘れないまま帰る方法もあるわよ?」
あるの!?
「私は天才だから、それくらいの魔術式、余裕で組めるわよ。実験したことはないけど」
ないの!?
「でも今は無理ね。燃料がないわ。計算上、かなり莫大なエネルギーが必要だし、あなたたちを呼ぶために土地の魔力を大量に使ってしまった。ああ、一千年前の実験は、大国の魔術師がお金をたっぷり使って準備したからできたことで、私たちには何度も続けて人を召喚することはできないわよ」
この世界の記憶なんて、なくしても構わないといえば構わないんだが、持って帰れるのならそのほうがいいに決まってる。とはいえそれは、理論上は可能だけど実現できるかは分からない、のか。いや、まあ、どんな実験だって、最初は理論から始まるんだろうけど。しかし魔力か。異世界っぽい話だ。
「エネルギーって、時間が経つと土地に溜まっていったりするのか? 復活にどれくらいかかる?」
「ドラゴンを倒せばすぐよ。あれは存在するだけで周囲の魔力を豊かにする。倒せばなおのこと」
出た! ドラゴン! ……って、ああ、高坂の占いはちゃんと当たってんのか。ドラゴン倒さないと帰れない、ってのは本当なんだな。
「ドラゴンを倒さないなら、場所を移すか、十年くらい待つか。このあたりは魔力の回復が早いけど、それでも時間はかかるの。場所を変えようにも、豊富に魔力が残っている土地は険しいところが多いから、そんなところにあなたたちを帰しても、近くに町がないんじゃないかしら……?」
う、うーん。十年もこの世界にいたら、帰る気がなくなりそうで怖いな……つーか、十年も経ったら俺は二十七歳か……最終学歴も中卒で……なんか考えたくねえぞ。やっぱりこの話はやめよう。うん。
「……まあ、その話はいいや。帰るかどうかの相談はここにいる連中とやってくれ。それで、俺はきみの母親のところに行けばいいんだよな?」
「……あなた、面倒なことは自分で考えないタイプの人?」
マキナちゃんの呆れたような表情に、俺は曖昧な笑みで応えた。
「悪いけど、彼らと相談はしないわよ。今はまだ、私はそんな提案ができる立場にないから」
「今はまだ、か」
俺がつぶやくと、マキナちゃんは唇の端を上げ、意味深な笑みを浮かべた。
★仲山咲良
この世界の生活にも、不本意だけどだんだん慣れてきた気がする。朝ごはんを食べに食堂へ行くと、アリーはもらった服を上手に可愛く着こなしていて、さすがだなあと思う。動きやすさしか考えてない玲は、もうちょっとアリーを見習ってほしい。
「そういや、ドラゴンってどんなやつなんだ? その辺にいないのか? 戦いてえ!」
パンっぽいものを食べ散らかしながら、砺波くんが能天気にアピールする。何も考えてなさそうで微笑ましい。
「その辺には、まだいないですね。本物のドラゴンは、城よりも大きく、地上を焼き払う炎を吐き、翼が起こす風はそれだけで町を薙ぎ払うといいます。ぼくも実物を見たことはありませんが」
控えていた赤い髪のお兄さん、ヨワさんが答える。この人たちも大変だなあ。特にヨワさんはいつも近くにいる気がするけど、ごはんはいつ食べてるんだろう。
お城っていうのは、私たちがいる建物の隣にある、大きくて黒いドーム状の怪しい建物のことだよね。
「マジか! 剣とかあっても全然ダメだな! おい太一、どーすんだよ!」
話を振られた高坂くんは、黙々と食事を口に運びながら、
「気合で」
と即答した。
「そうか! 気合か!」
「いや信じるなよ。もうちょっと自分で頭使え」
私が知る限り、高坂くんが冗談やキツい言い方をするのは、ここにいる中では砺波くんに対してだけだ。仲がいいのがよく分かる。たしか、家が同じマンションなんだとか言ってたっけ。
「なら銃か! ビームだな!」
「……それで、普通はどうやって倒すんだ?」
砺波くんのせりふを完全に無視して、逢沢くんがヨワさんに尋ねる。
「天人のみなさまであれば、前にも申し上げたとおり、その能力を駆使して。ぼくたちが戦うのであれば、まあ……罠を仕掛けて待ち受けるなり、人海戦術を使うなりして、地道に戦うことしかできませんね。それでも退けるのが精一杯でしょうし、多数の犠牲者が出ることは避けられません」
目を細め、どこか達観したような笑みを浮かべて彼は答えた。
「なるほど! 超能力か! よし代々木! お前バリア張れたな!」
「おうよ! あたしに任せといて!」
「そしたら……えーと……あれ? 攻撃できそうなヤツ、いなくね?」
バリアが張れる玲が防御担当。
占いができる高坂くん、相手の不調を見抜く逢沢くん、周囲の魔術を感じ取る幾田さんが索敵担当。
私は……「鏡の中にものを出し入れする」能力でできることなんて、何か荷物を運び込むくらいかな。
食べ物を作れる仰木くん、ものを瞬間移動させられる英谷さんは、戦いだと何の役に立つんだろ?
「あ! そうだ仰木、お前の力でドラゴンを食べ物に変えるというのは」
「生きてるのを? それはさすがに、どうだろう……」
頭の中で、ドラゴンが大量のハンバーガーに変わる様子を思い浮かべる。えげつない。
「……ドラゴン、かわいそうだね」
「せやな……仰木を使うんは、最後の手段にしとこ」
英谷さんが腕組みしてうなずく。あ、でも、やめようとは言わないんだね……。
「なら英谷。能力で、ドラゴンの心臓を引っぱり出したりできないか」
「えぐっ! ちょっと引くわ! さすがに、生き物の心臓はあかんやろ……いや、いけるんか……? 心臓やなくても、目ん玉とか……」
真面目な顔で、逢沢くんよりもさらにえげつないことを言う英谷さん。ドラゴン、かわいそう……。
「そういう特殊な使い方については、おそらく実験が必要ね。代々木さんのバリアだってまだ検証が必要だし」
「せやな……ドラゴンやなくても、同じような感じでもっと小さいヤツ……あ!」
英谷さんが、笑顔でパンと手を叩く。
「おったやん! 森の中で襲ってきた変なの! あのちっこい怪獣とか、トカゲ人間みたいなの何ですか? まだいっぱいいますか?」
「ええと、レッサードラゴンとリザードマンのことですかね?」
首を傾げたヨワさんに、藍色の服を着た別の人が「そうです」と口を挟む。どうやら最初の日、森の中に放り出された愛梨ちゃんは、この人たちに保護される途中でモンスターに襲われたらしい。モンスターかあ……。
ちなみに、レッサードラゴンやリザードマンという、人気RPGに出てくるモンスターそのままの名前は、翻訳の指輪が私のために言い換えてくれたものだ。こっちでの本当の呼び名は、何やら一発では覚えられない外国語。まあ、すぐに覚える必要もないだろう。
「あれやったら、遠慮なくめっちゃ力とか使えますやん?」
「おう! なんかよく分かんねえけど、戦えんのか! すげえな!」
「アリスもやりたい。あのビーム出すやつも練習したいし。モンスターとか倒したら、このへんに住んでる人のためにもなりそうじゃん?」
「そっか! それ、いいね!」
そんな話の末、「ちょっと上に相談してみますね!」と言って、ヨワさんは部屋を出て行った。
◇
食事が終わったあと、私たちは別の部屋に通された。最初に案内された、畳敷きの大広間だ。
「高坂くん、さっきの要求は」
「通るよ。むしろ、言っても言わなくてもどうせそうなる流れだから。英谷さんが言ってたモンスター、森の中に、いつもよりいっぱいいるみたいなんだ。異世界人の力が通用するのかどうか、確かめるいいチャンスだって、たくさんの人が思ってる」
幾田さんの質問に、高坂くんはあっさり答える。
「そこで僕たちが戦ったときに、何が起きるかまでは知らないけど。気になるなら占うよ」
「誰かが死んだり大怪我したりするかどうかだけ、教えてもらえる?」
藍染先生が頼むと、高坂くんは上着のポケットからタロットを取り出し、軽く切り混ぜて畳の上に並べる。順番にめくりながら、高坂くんの目はじっとカードを見つめている。ときおり指先をじっとカードの上に据え、しばらく無言で考え込む。
「……僕たち自身は、まあ、よほど下手を打たなければ死にはしない。痛い思いはするかもしれないけど、それはもうしょうがないと思って。ちょっとよく分からなかったんだけど、たぶん、回復魔法かなにかがあるのかな? ケガをしても、傷は残らないみたいだ」
「へえ、いーじゃん。アリス、顔にケガとかするの心配だったんだよねー」
アリーが身を乗り出す。顔じゃなくても、ケガするのは嫌だな。
「下手をしたら?」
「そりゃ死ぬけど。でもみんな、ライオンと素手で戦おうとは思わないでしょ? ……思わないよね?」
高坂くんに聞かれて、ガラの悪い問題児の櫟原くんが目を逸らす。
「……姐御は、クマを素手で倒すのが夢だと言っていた」
「間宮さんを人間だと思わないで」
すごいこと言われてる……ま、まあ、間宮さんはしょうがない。たぶんうちの学校、いや地域の若者をぜんぶ集めたって、素手で戦わせれば一番強いだろうし。旅行中はお風呂も一緒に入ったけど、すごい筋肉だったなあ……。
「オレも……今なら、クマくらいは殺れる気がする」
しゅっ、とシャドーボクシングのような動きをする櫟原くん。
「もしかして、やっと攻撃できる超能力が?」
「マジか! やったな!」
「あ……あの」
おずおずと手を挙げたのは野崎さんだ。この世界に来てしまってから、ほとんど口を開いていない。もともと繊細そうな子だし、色々といっぱいいっぱいになってしまっているんだと思う。
「わ、私も……もしかしたら、攻撃のお役に立てる、かも、です」
◇
私たちがいるのは迎賓館と呼ばれている建物だ。ロの字型をした建物で、地上よりも地下に深く伸びている。隣の黒いドームがお城だと言うなら、それよりも高い建物を隣に建てたくなかったとか、そんなところだろうか。とはいえ、中央に広い中庭があり、そこに向かって大きな採光窓をつけているので、半地下であることを意識したのは最初だけだ。
その中庭には、見る人の目を楽しませてくれる庭園が作られている。和風もどきの雰囲気で、石灯篭めいた物体や松の木が植えられた中に、白砂の道が作られていた。
野崎さんは庭園のはずれ、人目につかない場所に立ち、両手を下に向ける。
「お願い」
声と共に、ぼすっ! とくぐもった爆発音がして、野崎さんの目の前に落とし穴が生まれる。人ひとりがはまりこむくらいの大きさだ。深さはよく分からないけど、たぶん落ちても腰まで埋まることはないだろう。
さっきの私たちのお願いは認められたので、これからリザードマンとレッサードラゴンを相手にした実戦訓練に行くことになる。でもその前に、ここで確認できることはしていきたい、と向こうから申し出があったし、もとより私たちもそのつもりだった。
「……あ、あの、たぶん、もう少しくらいなら大きくできます。続けて使うのも、その……」
ぼすぼすっ、と音がする。中で爆発があったのだろう、落とし穴がぼぼっと土を吐き出した。
「ただ、あの、レンガとか石畳とか、固いものは掘れないと思います。普通の土の地面なら、こんな風に穴を開けられます。……あの、お役に立たなくて、申し訳ないです」
「ええやんええやん! ドラゴンの足下に穴でも掘ったら、ハマって動けんようになるかもしれんし!」
「戦いというより、土木工事に向きそうな能力だが」
「充分やん! 人の役に立つやん! うちもそういうの欲しかった! 何やねんこのビミョーな超能力!」
英谷さんがポケットから取り出したのは、高坂くんのタロットカードの一枚だ。はい、と高坂くんに返すと、彼は狐につままれたような顔でケースにそれをしまう。
「つーか、なんぼ何でも格差ありすぎちゃう?」
「もしかすると、まだ能力を活用しきれていないのでは?」
藍色の服のお兄さんが言う。たしかクウェルと呼ばれていた。長い髪を後ろで括った、三十代前半くらいの人。おじさんと言うにはまだ若い。
そして、珍しく、こちらを見る目に悪意を感じる。侮り、苛立ち、対抗心……そんな感じ。不快ではないけど面倒くさい。あまり仲良くない親戚の子供に、「構ってくれ」とまとわりつかれているような感覚だ。
そんな目を向けて来るのは彼くらいのものだ。ヨワさんは崇拝するような目――と言っても、「近所のお地蔵さんを毎日磨いていたら喋り始めたので崇めている」くらいの、親しみが大いにこもった雰囲気――をしているし、私たちとあまり年の変わらなそうなマキナさんは、こちらに近づきたいけど近づいていいのか分からない、という感じの遠慮がちな視線をたまに向けてくる。用事があれば話しかけてくるけど、そうじゃないときには私たちの発言を待っている感じ。こういう態度はマキナさんだけではなくて、周りの人間にも多い。用事がなくてもぐいぐい距離を詰めてくるのはヨワさんと、あとせいぜい何人か。ヨワさん以外は、私たちを異世界人ではなく、ただの年相応の子供として心配してくれているように見える。
ヴォルジアさんという偉い人は、明らかにこっちを利用しようと値踏みしてるんだけど、慎重になっているのかなかなか踏み込んでは来ない。王子様だって抜け目なくこちらを観察していた。そういう人は多いけど、こちらも向こうを観察しているからお互い様だ。なにより私にとって、そういう人のほうが優しいだけの人よりずっと共感できる。
「力の真髄は、別のところにあるのかもしれない。たとえばそちらのノザキ嬢も、地面のみならず、柔らかいものなら何でも爆破できるのやも」
クウェルさんに意味ありげな視線を向けられ、野崎さんがおどおどとうつむく。
「ありそうやな! そしたらドラゴンなんか楽勝やん。脳みそパーンってしたら終いや」
「いや、だがドラゴンと言うくらいだし、表皮は硬いと思うが」
「そんなら目ん玉やな!」
やっぱり目つぶしを狙いに行くんだ……。
「で、できないよ、そんな……」
「! あぁ、ごめん、泣かんといて!」
涙ぐむ野崎さんを、幾田さんと英谷さんが二人がかりでなぐさめる。野崎さん、こういう感じの子だよね……普段は。
「……野崎さん」
三橋さんが、近くにいたヨワさんから巻き上げた上着を手にしている。色褪せたジーンズみたいな色と材質だけど、あちこちに刺繍や金属の飾りがついていて格好いい。
「あなたは魔法使い。強くて格好いい魔法使い。アクション、スタート!」
ばさっ、と上着を野崎さんの肩にかける。あぁ、やっちゃった……。
「――ドラゴン? 大いに結構。この力を試す好機だわ」
ぱちりと目を開き、朗々と告げる野崎さん。《七つの顔を持つ女》野崎莉夜子は演劇部のエース。文化祭でこのクラスがやった劇では、シンデレラの意地悪な継母役を担当。その怪演っぷりは、シンデレラ役の砺波くんがすっかりかすんでしまうほどだった。だいたい、この手の劇は男子が全役を引き受けてウケを取りにいくものだけど、それを曲げてでも出す価値があったと思う。
野崎さんが堂々と片手を挙げる。さっき声をかけてきた藍色の服のお兄さんの目の前で、地面が爆ぜて深い穴があいた。
「あなたの言うとおり、私の力の真髄はまだ私も知らないところにあるのかもしれない。何にせよ心配はいらないわ。たとえどれだけ強大な相手であろうと、私が後れを取ることはない」
傲然と言ってのける野崎さんは、どう見たってさっきベソをかいていた彼女とは別人だ。表情だって強気で、唇の端を釣り上げた姿からは自信がにじみ出ている。
「それに、ものは考えようだわ。屍はやがて土に還る。ならば命あるものもまた土と言えましょう。土ならば私の力が及ぶ。興味があるなら、今ここで――」
「はいストップ!」
幾田さんが野崎さんの上着を取り上げる。はっ、と我に返った様子で、野崎さんは再びおどおどと視線を落とした。
「唯。莉夜子に変なことさせちゃ駄目。あとこれはちゃんと返してきなさい」
「はぁーい……ごめんなさい」
ヨワさんがキラッキラした目で野崎さんを見ている。三橋さんに謝罪と共に返してもらった上着を抱きしめて、「もう洗濯しない……」と、アイドルと握手したあとのファンみたいなことを言い出している。
「いや洗えよ。女の子の着た服大事にするとか変態じゃん。キモっ」
アリーがあきれた顔でツッコミを入れた。
「つかそれ制服じゃね? 洗わなきゃ困るんじゃね? ノートでも持ってきてくれたら、アリスたち、サインくらいならするよ?」
くわっ、と目を見開いて、「お願いします!」と訴えるヨワさん。どうしよう……ちょっとキモい……。
★逢沢斎
今日も朝から目まぐるしい展開が続いている。あんなに簡単に英谷の要求が通って良かったのだろうか。集団での戦いというのはもっと、丹念な準備をした上で行われるものではないのか。それほどまでに、俺たちを戦わせるという行為の優先順位は高いのだろうか。それともあるいは、俺たちの要望を先送りにすることに不安があったのか。それはあるかもしれない。俺たちの機嫌を損ねないよう、精一杯の努力をした結果がこのスピード感であるのだとしたら、そこに文句をつけても向こうが困ってしまうだろう。
バスに揺られながら、俺は出立前に受けた、ルッツァ女史からのレクチャーを思い出す。
この世界には野生生物に混じって、強い魔力を持つ、モンスターと呼ばれるものが存在する。
ここアーレセンの町に隣接し、隣国との国境を形成する大森林は、そのモンスターなるものが多く現れる土地でもある。その理由は、大森林の中央部にあるという巨大な亀裂、《竜の巣》にあった。文字通りそこには竜が眠ると言われている。そういう場所は世界中に沢山あるそうで、数十年に一度おとずれる《竜の季節》になると、竜は世界のあちこちで一斉に目覚めて暴れ回るのだそうだ。
その《竜の季節》は、観測によってあと数ヶ月以内には起きることが分かっている。その予兆として、《竜の巣》の周囲にドラゴン系のモンスターが増えるという現象が観察されているそうだ。英谷が遭遇したというリザードマンとレッサードラゴンも、その一部である。
なお、たとえ《竜の季節》のない時期でも、内訳が多少変わるだけでモンスターそのものは発生する。そのため大森林は切り開かれることもなく持て余されている。しかし、《竜の巣》の近くの土地には豊富な魔力が含まれているそうで、大規模魔術を使えば期待以上の効果を発揮するらしい。俺たちの召喚はその効果を期待してこの地で行われ――そして若干の暴発をきたし、予想外の人数を引きずり込んだ上、その半数以上を森の中にバラ撒かれてしまったのだ。
「わからん」
「だいじょうぶだって! 何とかなるなる!」
聞こえてくる声は、振り返るまでもなく砺波海翔と代々木玲のものだ。
「まあ、分からなくてもいいんじゃない? 僕たちには関係ないと言えばないわけだし」
そりゃあ、高坂はいいだろう。おそらくこの場でいちばん状況を把握している人間だ。だが俺は彼のように平静ではいられない。針島さんがおらず、合流もできないと言われた以上、俺は自分でこの状況に立ち向かって行かなければならない。「針島さんがいればな」と何度目か分からない願望を口にする。
「おらんもんはしゃあないで。男ならグチグチ言わんと、自分で一国一城の主を目指さんかい」
後ろの席から身を乗り出し、英谷がそんなことを言ってくる。聞こえていたのか。
「馬鹿な。俺はそんな器じゃない」
「それもそうやな」
あっさり肯定されたが、それを特に悔しいとも思わなかった。これは謙遜ではなく事実だ。針島さんの横にいれば、嫌でも自分の無能さを実感させられることになる。もちろん彼は、そんな俺にも価値を認めてくれる優しさの持ち主なのだが。
「ここにおるんは、みんなそういう連中やろ、正直。加西も幸村も針島も、仙道も矢野も、真由華ちゃんもココちゃんも、見事にだーれもおらん。リーダーになれそうなんは、唯ちゃんとアリスちゃんくらいやな。先生はそっとしといたろ、あれはだいぶ参っとるわ」
クラスの中でも活発な人間の名前を並べ上げ、最後に担任の藍染先生のほうを見て、英谷は首を振りながらため息をつく。とはいえ、三橋唯はいまひとつ頼りなく、榊アリスは……あいつのことは、よく分からない。今も、あまり興味のなさそうな顔で、折鶴のモチーフがついた派手なピアスをもてあそんでいる。小学生の頃のあいつのことはよく知っていたつもりだが、当時は顔も性格も地味で、いまの榊とは結びつかない。
「でもな、人生なんてそんなもんやで。誰だって、手持ちのカードで戦うしかないんや」
妙に真剣な、そしてどこか達観したような声音で、英谷はそう続けた。
◇
「いい? これから、最初にバスがいた森の、ちょっと奥に行きます。モンスターが出ます。倒します。倒せなかったらバスの中に逃げます。以上!」
仲山が代々木と、ついでに砺波に、サルでも分かりそうな勢いで状況を説明している。さすがは仲山咲良、よく「おかん」と呼ばれているだけのことはある。面倒見がよくて、近くにいると癒される、「友達のお母さん」という雰囲気だ。遊んでいると部屋におやつを持ってきてくれたり、悪いことをすると優しく叱ってくれたりしそうな風情がある。
「バスの中に入ったら、バリア張ればいいんだな」
「ええ」
張らなくてもいいが状況に応じて判断、などという難しい指示は出さない。さすがだ。
余談だが、動くにあたってガソリンの問題はない。運転手が「移動してもガソリンが減らなかった、どころか増えているようだ」と言い出したのだ。要するにそれが彼の超能力であるらしい。おそらくバッテリーも同様だ。車載の充電器で携帯も充電できる。電波網がない現状では、せいぜい単なるデジカメにしかならないが。
「バス壊れたらどーすんだ? 代々木のバリア、バスの後ろまで守れるのか?」
「んー……どうだろ。バスけっこうデカいし、全部は無理かも」
「大丈夫だと思いますよ。おそらくですが、壊れても直せる気がします」
運転手が口を挟む。口数の少ない中年男性だが、その態度が素のものなのかどうかはわからない。彼はあくまで、俺たち日本人集団の一員というよりは、運転手として俺たち乗客との間に一線を引いている感覚がある。
「私がここに座っている限り、窓ガラスを壊して侵入されるようなことは防げるでしょう」
「え、じゃあバリアいらなくね?」
「いいの。バリアはいっぱいあったほうが強いでしょ?」
「なるほど!」
すごい。あの雑な対応は俺には無理だ。見習いたい、とは思わないが。
そのモンスターとやらがどんなものにせよ、まずは一度見てみないことにはどうしようもない。
どうなることやら、と思いながら、俺は大きめのレーザーポインターのような銃をてのひらの中で転がした。
ゆっくりと、バスは森の中へ進んでいく。
仲山咲良→おっとり、ふんわりした雰囲気の合唱部女子。一部では腹黒疑惑もささやかれている。
榊アリス→明るい茶髪と派手なピアスがトレードマークのギャル系女子。異世界で染髪とカラコンの手入れに頭を悩ませている。