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6 王子様

★ヨワ・カツタバ


 しばらくマキナの姿が見えないと思ったら、目元を腫らした顔で物置部屋から出てくるところにばったりと出くわしてしまった。微妙に気まずい。そもそも最下位の四位とはいえ彼女は貴族、本来ならこんな姿を人目に晒すものではない。

「ええと……マキナ?」

「なっ、何よ」

 ぷいっ、と顔をそむけてマキナは答える。そもそも、彼女はどうして泣いているのだろうか。さっきあの大きな車、天人の言葉ではバスと言ったか、あれに乗ったときから様子がおかしかった。厳密には何がきっかけだったのか、ぼくにはよく思い出せない。というか、バスに夢中で、マキナのほうにはほとんど注意すら払っていなかったのだ、正直なところ。

「コーサカ・タイチの持つ能力スェタークについて、これから実験をするそうだよ。第一王子がご到着になる前に、色々と知りたいことがあるんだろうね」

「……言い出したのは誰? 彼の能力は続けて使えるものではない、という推測だったわよね?」

 それではまるで、王子に占いの能力を使わせたくないかのようだ――と、マキナは言外に問うている、のだろう。

「言ったのはヴォルジア師団長ヴァスタだけど、発案は分からないね。誰かが師団長に進言したのかも」

「可能性はあるわね」

 冷静な対応。原因は分からないけど、とにかく泣くだけ泣いてスッキリしたんだろうか。この態度からして、ぼくのせいで泣いたわけじゃないんだと思うけど……。儀式の失敗にショックを受けてる? 責任を取らされないかと怖くなってる? 思いのほか大量の天人が来てしまって、これからの未来を恐れている? それとも、天人や魔術師の連中に、何か傷つくようなことを言われた? いや、もしかして、今さらになって天人を呼んだことの罪悪感に見舞われてしまった、とか? むしろ、とんでもなくくだらない理由だったりするかもしれない。

 原因なんて、どこにあったっておかしくはない。マキナは、魔術に関しては間違いなく年齢に似合わない天才だけど、それ以外のところでは妙に幼かったりする。たぶん、貴族だからこそ、余計なことを考えずに魔術の勉強に専念できる環境にいたんだろう。それは往々にして、精神的な成長の機会を取り除いてしまうことにもなる。要するに、彼女はけっこう打たれ弱いんじゃないか、とぼくは疑っている。

「私たちも同席できるの?」

「むしろ来てもらわなきゃ困る」

「良かった。行きましょう」

 つかつかと歩き出すマキナ。実験の場へと案内しようと歩を早めたぼくの背後で、物置部屋の扉がパタンと閉まる音がした。


 ◇


「未来を占う力がある、とおっしゃいましたな」

 ヴォルジア師団長の言葉に、タイチは「はい」と頷く。小柄な少年だ。今日は眼鏡をかけている。赤茶色に塗装された金属製らしいフレームは細く、魔術紋様を描くほどの表面積さえ取れそうにない。アイザワ・イツキも同じような細い金属製フレームの眼鏡をかけているから、あれが天人にとっての「普通の眼鏡」なのだろう。

「もしよろしければ、一度、私どもにお見せ願えますかな」

「構いません。必ず当たる保証はありませんが。何を占えばいいですか?」

 気さくな調子で話しかけている雰囲気が伝わってくる。師団長の地位を理解しておらず、世話をしてくれている人、くらいに考えているのかもしれない。あるいは、これが天人流の態度なのか。

「何を聞いても構わないので?」

「過去のことは分からないみたいなので、未来のことを聞いてください。それ以外にも制約があるかもしれませんが、今のところは僕にもよく分かりません」

「ふむ。では――」

 少し考える素振りを見せてから、師団長は尋ねる。


「この国の次代の王は、どなたに?」


 へえ。そう来たか。

 国王陛下は今年で六十……いくつになられるのだったか。高貴な身分の方ならまだまだ若いと言っていい年だが、ご病気を召されているという話もある。《竜の季節》が過ぎた頃には退位なされるだろうというのが、ぼくの周囲では優勢な意見だ。

 タイチは「失礼します」と告げて、そばにあったテーブルに紙製と思しきカードを広げた。いや、あれは紙ではないかもしれない。つるつるとした素材で、よくしなる柔らかい素材だが、ぴんと張りがある。淡く美しい色で何かが描かれているのが見えた。

 そのカードの一枚、指先の動作ひとつにたくさんの人間の注目が集まる中、タイチはまるでそれらの存在が見えても聞こえてもいないような態度でカードを切り混ぜ、裏向きに並べ、一枚ずつ表に返す。それはまるで、なにか神々しい儀式を見ているかのようだった。


「……まだ、いくつかの可能性が交錯しているようです。僕がここで何かを言うことで、未来が変わる可能性さえあるように思いますが」

「分からないなら分からないと言ってくださっても、追い出したりはしませんよ」

 気遣いをするかのような仕草で、失礼極まりない発言をするのはクウェル・サリジャだ。彼の天人への態度はやはり気にくわないが、残念ながら、ぼくは彼に何かを言える立場にない。

「ええと、すみません。よく聞き取れなかったのですが」

「なに、大したことではありませんよ。コーサカ殿の判断で構いません、お好きにお話しいただけますかな」

 師団長が割って入る。はい、と頷いて、タイチはカードの並んだテーブルを撫でた。

「おそらく……今のところ一番可能性が高いのは、いちばん上のお兄さんでしょうか、赤い花の紋章のお方かと。とはいえ微妙なところで……その方が王位をお継ぎになるのはかなり先、もう十何年もあとのことですから、それまでに事情が変わる未来も、充分にあり得るようです。

 次にありそうなのは、陛下がこの冬に、ドラゴンの襲撃でお亡くなりになる未来。このときには幾人かのご家族が巻き添えになります。王位を継ぐのは、ええと、何というか、横幅の広いお方で――この方はすぐに、他の方に王位を譲られるようです。相手ははっきり見えません。誰でもいい、というつもりなのかな……。

 それから、可能性が高いとは言えませんが、起きたとしてもおかしくない未来として、『誰も継がない』というものがあります。王が代わる前に、この国が滅びるというものですね。ええと……」

 どうしようかな、とつぶやいて、ため息と共にタイチが続ける。

「そのときこの国を滅ぼすことになるのは、かなりの確率で、僕たちの仲間です。そうなりたくなければ、僕たちが最初に現れたあの森の奥には、しばらく手を出さないほうが良いかと」

 後ろで話を聞いていた天人たちが、こそこそと囁き交わす。

「ハリシマかな」

「ハリシマやろなぁ」

「ハリシマさんだな」

「うん。まあハリシマなんだけどね」

 名簿に名前のあった、ハリシマ・シューヤか。タイチが苦い表情で頷くと、天人たちはすんなり納得したようだった。いったい何者なんだ。天人というのは皆そんなことができるものなのか。

「滅ぼす? 一体どうして」

「そこに国があるから、だと思いますけど。まあ、よほど下手を打たなければ起こらない未来ですから、あまり気にしないでください。そのときには隣の国も滅んでますし、そもそもドラゴンのせいでこの島はボロボロになってます」

 指輪を通じて伝わってきたニュアンスからして、「隣の国」は東のベルセゲータ連合国で間違いないだろう。

「その未来において、あなた方はドラゴンを倒してはくださらないので?」

「どうなんでしょうね。調べたら分かるとは思いますが、調べる価値はないと思いますよ。少なくとも僕は、その未来には行き着かないように努力しますし」

 タイチが肩をすくめる。

「《竜の季節》さえ乗り越えれば、陛下の退位は十数年後、とおっしゃいましたな」

「そうですね。正確な時期までは分かりませんが、少なくとも十年は先のことかと。……いいんですか? こんなに先の話で。確認のしようはないと思いますし、いま僕が話してしまったことで、おそらく未来はまた揺らぎ始めましたよ」

 いや……確認しなくても、いくつか分かることがある。

 第一王子の紋章のことなど、タイチに教えた者がいるとは思えない。「横幅の広いお方」は第三王子であるザスカール殿下のことだろうけど、これだって彼が知っているはずがない。殿下が王位を継いだとして、すぐに他の者に譲り渡すこともぼくたちにとっては当然のことと感じられるけれど、そんなことをタイチに教えた者などいないはずなのだ。師団長の質問を事前に予測することも困難だろうし。

 陛下の在位が長すぎるのは気になるところだけど、それを根拠に彼の占いを否定するのもおかしいように思う。だって、たとえばぼくが、彼ら天人の国の王について占えと言われたなら、いったい何が言えるだろう。当てずっぽうで何かを言おうにも、天人の王にお子様がいるのか、そもそも王位は子供に継がれるものなのか、それさえぼくには全く分からないんだから。

「なるほど。その占いは、いくらでも使えるものなのですかな?」

「いえ、どうやら限度があるようです。何度も続けて占うことはできませんし、無理をおせば身体が壊れると仲間より忠告されています」

 タイチが掲げた手の先で、アイザワ・イツキが大きく何度も頷いた。

「見えるのも、漠然とした流れのようなものだけです。見たいものを自由に見られるわけでもないようです。見た未来も、簡単に揺らぐ可能性のようなものでしかなく、どれほどお役に立てるかは分かりません」

 冗談じゃない。

 その力を上手く使うだけで、《竜の季節》の死者が数万は減るだろう。

 たくさんの人間の運命を変えることができるその力が、奇跡でなくて何だと言うのか。ぼくたちは素晴らしいものを得た。膨大なリソースをつぎ込んだ価値はあったと言えるだろう。たとえばオオギ・ユーセイの力は、ぼくにとっては神に三日三晩祈りを捧げ続けたくなるほどの大いなる力ではあるが、竜を退ける役には立たない……のではないかと思う。

「ふむ……。他にも占ってほしいことはありますが、それはまたの機会にしたほうがよろしいのですかな」

「そうしていただければ、助かります」

 タイチが頭を下げると、師団長は「では、そのように」と鷹揚に頷いた。


 ◇


「師団長もアテが外れたようね。コーサカの占いは、想定外の結果だったわ」

 退室するとすぐに、マキナが小声で囁いてくる。

「第一王子と第二王子、どちらに与するかを占いで決めるつもりだった、ってこと?」

「いきなりそこまで天人を信用するかどうかは分からないわね。でも、第二王子だと予言されたのなら、それなりの保身に動くはず。あるいは、無礼なことを言ったとして、彼を幽閉でもする口実にしたかもしれない」

「でもそれなら、逆にタイチはそこまで知った上で、見た通りの答えを言わなかった可能性もあるよね」

「まあね。見たところただの一般人だし、咄嗟にそこまで頭が回ったかどうかは分からないけど」

「本当に未来が見えるなら、なにも考える必要なんてないじゃないか。一番よさそうな選択肢を選び続けるだけでいい」

 それもそうね、とマキナは首を振る。

「天人って、こんなに厄介なものだったのね……」

「それだけの力があるからこその天人だろう?」

「知ってるわよ」

 はぁ、とため息をついて、マキナは人差し指でこめかみのあたりを押さえた。



★猪戸伊織


 マキナちゃんの巧みな誘導によって、俺はこっそり高坂とデブオヤジ(偉い人らしい)の会話を眺めていた。連れの赤毛の男にも気付かれずに俺を連れて行くマキナちゃんはなかなか有能だ。その赤毛の男――ヨワと言ったか、彼と別れて、マキナちゃんは周囲に人がいないことを確認してから口を開いた。

「彼は――コーサカは、腹芸ができるタイプかしら」

「無理だろうな。そういう性格じゃねえよ」

 マキナちゃんのつぶやきに、俺は彼女の肩に手を置いて即答してみせる。高坂太一は大人しくて正直でマジメな人間で、おまけに忍耐力が強い。騙されようが利用されようがあまり気にしないタイプだ。寝てた授業のノートは普通に貸してくれるし、女子に理不尽に掃除を押し付けられても苦笑するだけで引き受ける。聖人か。

「彼、みんなを引っ張って行く熱血漢だったりする?」

「それはない……と思うけど」

「ゆうべ、彼、みんなを集めて演説してたわ。ドラゴンを倒さなければ帰れない、と」

 帰る、か。あんまりそっちに意識向けたくなかったんだけど、やっぱそういう話になるよな。しかし、高坂が演説……想像できない。

「演説ってキャラじゃないけど、まあ、この状況なら、そういうこともあるかな? さすがに帰るための話となりゃ別格だろ」

「やっぱり、帰りたい?」

「は? 当たり前だろ」

 マキナちゃんはこちらを見上げる。不安げな表情。

「あなたたちには素晴らしい力があるわ。この世界でなら、おそらく一生困らずに生きていける。あなたたちを必要とする人はたくさんいるし、あなたたちにしかできないことはたくさんある。それでも、元の世界に戻りたい?」

「いや、それとこれとは別問題だろ。ここは俺にとって外国だよ? 食い物ひとつ取ったって違う。家族だってこっちにはいないし、会う手段だってないだろ? それは、ちょっとなぁ」

「そう……ね」

 やけに長い沈黙を挟んで、マキナちゃんは頷く。

「私は、あなたたちの世界に憧れている。ヨワもそう」

「行ってみたら大した世界じゃないかもよ。不景気で大した仕事もなくて、一生うだつの上がらない生活をするかも。……ああ、いや、異世界人だって知れたら大切にされるか。ほっとかれるわけないな。そうなったきみに、『せっかく特別な存在になったんだから、帰らなくてもいいじゃないか』って言いたい気持ちは、分かる気がしてきたな」

 俺は、特別な存在、なのだ。

 この力を使えば、色んなことができるだろう。大抵の場所には忍び込めて、大抵の情報は手に入る。結構なことじゃないか。ただの平凡な高校生だった俺とは違う。

 でも、だからって、喜んでここで一生を過ごす、とは言えない。

 だいたい俺にとって、こんな力、あって嬉しいものでもないわけだし。

「ごめんなさい。私たちはあまりにも身勝手に、あなたたちを振り回している。あなたたちの願望を聞きもしないで」

「あー、何人かはたぶん、すげー喜んでるぜ? みんなが嫌がってるってわけじゃない。俺だって、そのうち『呼ばれて良かった』って思うようになるかもしんないしさ」

 漫研の湧井あたりは、きっと喜んでるだろう。なにせここは本物の異世界で、俺たちはヒーローだ。

「そう、ね。あなたが自主的にそう思ってくれれば、私は嬉しい」

 含みのある言い方で、マキナちゃんはそう言ってため息をついた。


「……ところで、ひとつ聞きたいんだけど」

「なに?」

「あのディッチ、そんなに許せなかったの?」

「え? いや、許せるとか許せないとかいう以前に論外じゃね? ていうかあんなものをじゅうって呼ぶなよあの赤毛! なんでそこだけ微妙に日本語なんだよ! そこはこっちの言葉でいいだろ! ちくしょう! 俺が地球の銃の何たるかを教えてやりてえ!」

 ビーム出すなら回転式弾倉いらねえだろ。装填も排莢もしねえじゃん。あれだな? 銃の形なんてうろ覚えの地球人が適当に伝えたんだな? だから意味もわからず外見だけ取り繕ったんだな? ふざけんな! なんでああいう形になってるのか少しは考えろ!

「やめてちょうだい。そんなことしたら、『あの赤毛』は仕事ほっぽりだして試作品を作りかねないわ。今それは困るのよ」

 え、待って、俺もう仰木への手紙でいろいろ語っちゃったけど……あ、マキナちゃんはあの手紙の内容見てないんだっけ。よし、黙っとこう。

 つーかあのヨワって兄ちゃん、説明したら試作品を作れるのかよ。興味があるなら協力できないかな。

「天人の知識が得られるのはありがたいけど、ご講釈は後にしてもらえるかしら。あと、彼と直接の接触は避けて。手紙くらいなら渡してあげるから」

「えー……後ってどれくらい?」

 子供みたいな質問するわね、とでも言いたげな顔で、マキナちゃんは肩をすくめる。

「半月もすれば落ち着くでしょう」

「わかった。今のうちに伝えたいことは書き留めておくよ。後でぜったい渡してくれよな!」

「……よろしくね」

 マキナちゃんの顔に「めんどくせえ」と書いてあるような気はしたけど、だからなんだと言うのか。あの赤毛もきっと、あの拳銃が持つ本来の機構を知れば、その美しさと頑健さに驚嘆するに違いない。

 正しい知識を持つ者として、俺にはそれを彼に伝える義務がある。あるったら、あるのだ。



★幾田四方季


「ファインプレーやで高坂! あのオッサンらの顔、傑作やったなぁ!」

 楽しそうに笑いながら、愛梨ちゃんが高坂くんの背中をバンバン叩いている。

「ええ感じの脅しになったなぁ。これで向こうも、うちらに下手に手ェ出して来れんやろ。高坂がちょちょっと動けば、針島がこの国滅ぼしてくれるわけやしなぁ?」

「え? いや、べつに脅しのつもりじゃ」

「……え? あれ、ホンマなん?」

「うん。針島さんは、やるって決めたらやるよ」

 ねえ逢沢、と高坂くんが振り返ると、逢沢くんは神妙な顔で「針島さんならできる」と頷いた。

「だが、針島さんは『そこに国があるから』なんて理由では動かない。針島さんの行動には、何らかの意味があるはずだ」

「そんなに深い意味はないと思うよ。生きていくために、そうせざるを得なかったんだと思う。こっちから手を出さなければ、変なことにはならないしさ」

「つまり、『敵対しなければならないような手出し』を、この国と隣国はしたということだな?」

「まあそうだけど……異世界人が何人も集まってるんだよ? ビビって攻撃したとしても、責められないと思うけどなぁ」

 高坂くんが呑気に腕を組む。

「いやいや! ダメでしょ! そこは話し合おうよ!」

「僕としても、平和にやってほしいところなんだけどね……」

 噛みつく唯をなだめながら苦笑する高坂くん。まあ、そう簡単にはいかないんだろう。

「でもまあ……話し合いが殺し合いよりいいのかどうか、僕にはよく分からないけどね」

 聞こえるか聞こえないかという声で、高坂くんは肩をすくめてそうつぶやいた。


 ◇


 第一王子……と言うから何となく白馬に乗った王子様を想像していたけど、紹介された第一王子はもう四十過ぎというところで、若々しい振る舞いが必要以上に外見年齢を引き上げてしまっていた。

「いやはや、生きてふたたび天人にまみえる日が来ようとはね! わたくしの名はケィリー・ツァスタズナーヤ。今日の良き出会いに心からの感謝を」

「こちらこそ、お目にかかれて光栄です」

 ガチガチに緊張しながら、藍染先生がどうにか返事をする。愛梨ちゃんが両手の拳を握り、「がんばって!」という視線を先生に送っていた。

「せっかくの機会だ。どうかこの手で皆様に国印を捧げる名誉を、私に与えてはいただけないだろうか」

 ケィリー王子は深く腰を折って頭を下げる。それがかなりの最敬礼であることは、わたしにも何となく理解できた。高坂くんの話によれば、この人があと十何年かで王様になるという。領土は北海道の西半分くらいというから、決して大きな国だとは思わないけど、それでも王様は王様だ。そんな人が頭を下げてくるんだから、わたしたちがどれだけ大切にされているか分かろうというものだ。

 ところで国印というのは何だろう。国の印、という意味と、刻印、という意味が混ざったような言葉として聞こえてきたので、国印、と訳すのでいいと思うのだけど。

 断れる雰囲気ではなかったのか、藍染先生が問い返しもせずに頷く。まあ、問題があれば高坂くんあたりが止めてくれるんじゃないかと思うし、それがないってことは、きっと受けておいたほうがいいものなんだろう。


 ◇


 国印については唯が「それ、なんですか?」と尋ねてくれた。みんな戸惑った顔をしていたから、よほど常識的な存在なのだろう。

「殿下、恐れながら申し上げますわ。天界には魔術がございません故、国印も存在しないと聞き及んでおります」

 やたらと胸が大きい――FかGカップくらいはあると思う――女性魔術師、ルッツァ・シャルゼンが言う。彼女は藍染先生より少し年上くらい、つまりせいぜい三十代前半くらいだと思うのだけど、その言動は堂々としたものだ。

「成る程。それは不便であろうな」

 王子が装飾過剰な口調で語ったところによれば、国印とは要するに、身分証明書のようなもの。ルッツァが髪をかき上げれば、左耳の後ろに色インクで細かい模様が描かれており、これが国印なのだという。しずく型の、装身具の一つかと思わせるような形と密度で描かれたそれには、インドのヘナタトゥーを思わせる雰囲気があった。

 そしてまた、これまで幾人もの肌の上に描かれているのを見ていたこの模様こそが、魔法の呪文のようなものなのだという。いまつけている翻訳の指輪の中にもあんなふうに模様が描かれていて、それが魔術の内容を定義しているのだとか。

「して、答えは如何か」

 どうすれば、という顔で先生がこちらを見る。いやいや、そこは生徒に頼らないでよ。

「高坂」

 愛梨ちゃんのささやき声だけで、高坂くんは用件を理解したらしい。

「くれるものはありがたく頂いておいていいんじゃないのかな。こんな機会は貴重だろうし」

 軽い調子で言う。それは、未来を見た上での返答なんだろうか。

「その国印ザカッドをあなたに頂くことには、特別な意味があるのか?」

 不意に割り込んできた声。誰の声だろう、と一瞬考えながら声のほうを見る。ああ、櫟原くんか。何となく近寄り難い風貌の金髪不良男。彼には、国印という言葉は元の音で聞こえたのか、そのままザカッドと発音している。

「オレは誰かの部下になるつもりはない。もしそういう意味があるのなら、他の連中はともかく、オレは断らせていただく」

「懸念はもっとも。これは信じていただくほかないが、国印に人を従わせるような力はないのでご安心いただきたい。特定の魔術に反応して光る、ただそれだけのものだと理解していただいて差し支えない」

 たぶん本当はもっと仰々しい口調で語っているんだろう。まあ、意味は通じるから何でもいいけど。返答のニュアンスからして、櫟原くんの質問は、「魔術で支配されるようなことがあるのか」という懸念として受け取られたみたいだ。

「自らにかけられた魔術を感じることのできる方もいると聞き及んでいる。疑義あらば、心ゆくまで調べていただいて構わない」

 ……あ、わたしのことか。そう言われてみればその通りだ。

「幾田さん、お願いできる?」

「もちろんです」

 先生に向かって、大きく頷いてみせる。高坂くんと違って、わたしにできることなんてその程度だ。

「それともうひとつ、『特別な意味』と呼べるものはある。わたくしが王族として、この名をもって皆様に国印を捧げるのだ。その国印がある限り、どこへ行けども、粗略に扱われることはないだろう。皆様は重要な国賓であり、何かを無理強いするようなことなどありえない。もしそんなことがあれば、私のもとへ使いを走らせるがよい」

 なるほど、後ろ盾になってくれるってわけか。未来の王様なら相当偉いんだろうし、この人より上となるとあとは王様自身? でも、ここに真っ先に現れたのが王子様ってことは、王様はそこまでフットワークが軽くはなさそうだ。会いたいと言って会える存在なのかも分からない。高坂くんの言うとおり、くれるというものはありがたく貰っておくほうがいいような気がする。……まあ、そもそも、王子様の後ろに控えてる人たちの様子からして、断られることなんて向こうは微塵も考えてないみたいだけど。

「わかりました。ありがたく頂戴いたします」

 そう言って先生が深々と頭を下げると、王子様もそれにならう。お互いにぺこぺこする日本のサラリーマンみたいで、思わずくすりと笑ってしまった。


 ◇


 ちょっと意外なことに、国印を入れる作業は一瞬ですんでしまった。バーコードリーダーかひげ剃りかって雰囲気の謎のアイテムを耳の裏に押し当てたら、それでおしまい。魔術を描くための魔術、というのが存在するということだ。

 確かめてみろと言われたので、私は視界の隅にあるアイコンをつつく。アプリを開くかのように、視界にウィンドウが現れた。これは、私にかけられた魔術の履歴を見るための画面。表示方法はわたしの気分でいかようにもできるみたいだけど、今はメールアプリ風の体裁だ。メールのようにフィルタリングもできたので、翻訳魔術だけは別のフォルダに入れてある。あまりにも回数が多すぎるんだから仕方ない。

 見慣れない新しい種類の魔術ログがふたつ。国印を描くための魔術と、完成したときに発動した魔術、かな? 後者のほうは、どうやらまだ発動し続けているみたい。

「これ、もしかしてずっと魔術が起動してるんですか?」

「それは勿論、国印なのだからね」

 不思議そうな顔でそう返されてしまった。そういうものなのか。

 でも確かに、何か大きなことをしているって雰囲気じゃない。ただひっそりとそこにいる、って感じ。どんな権限があるのか気になる。

「それ、ナニモノなん? めっちゃ綺麗やなぁ」

 目の前のアプリ画面を操作する。もっと詳しく。気合を入れると、わたしからは死角になっているはずの国印の姿が表示された。たしかに綺麗。草花……いや、これはブドウかな? 房についた丸い実のひとつひとつに、微妙に異なる模様が描き込まれている。拡大して、実のひとつに手を触れ――

「わっ!」

 頭の中に流れ込んできた情報に、思わず声を上げてしまう。高坂くんが温かい目でこっちを見ていた。彼の占いもこんな感覚なんだろうか。

 画面の上で指を滑らせれば、たくさんの情報が読み取れる。

「……なるほど。これは身分証明書。特定の魔術をかけられると魔術で信号を返す。そのときついでに光る。返す信号には、わたしの個人IDが含まれる。たぶん、その信号に応じて、扉が開いたりするんじゃない?」

「生体認証のような機能を持つのか。監視社会だな……」

 逢沢くんのつぶやきを、王子は笑って否定する。

「国印の認証で開く扉など、王宮にもそうはあるものか。国境でさえ、小さな門では目視でしか確認せんよ。近隣の国の国印とは色を違えてあるからな、一目見れば出自が分かる」

「そうなん? 勿体ない」

「国印による認証の魔術具は、奪われれば国印偽造の手がかりにもなる。そうやすやすと増やしはせんよ」

 そういうものなのか。

 でも、そんなに使わないものなら、国印の魔術って、起動しっぱなしである必要はあるのかな?



★英谷愛梨


「はいはい! 次うちにやってください! なあ幾田っち、他の人のも調べられるん? あとでうちのも見てみてや!」

 空気読まないノリで前に出て、手を挙げてアピールする。

 まだこのオッサンらは幾田っちの能力を正確には知らないはず。何をどこまで知れるのか。うちも、たぶん幾田っち自身もまだ知らないだろう。実際のところはどうでもいい。うちらに下手な魔術を使ったら、幾田っちにバレる、と思わせておくことが大事だ。

 首のあたりを触れられるイヤな感じをガマンして、国印とやらを描いてもらう。まぁ、この状況で、調べられたらマズいような魔法だか魔術だかはかけてこないだろ。かけてくるようならよっぽどのアホだ。

「ところでコレ、なにで書いてあるん? 落ちたりせえへん? 消したりはできるんですか?」

「専用の魔術用インクですわ。多少のことでは落ちたりはしましんから、ご安心なさいませ」

 巨乳のオバサン……ってほど年食ってないか? おねーさんが言う。

わたくしとしては望まないことではあるが、もし皆様が別の国の庇護を受けたいと強く望むのなら、その国印は消させていただくことになるね」

「あ、そうなんや、分かりました。うちらの故郷にはないもんですから、気になってもうて」

 ふうん。イレズミとかとは違うんか。ま、別に痛くもなかったし、幾田っちの見てても明らかに「肌の上に描いてある」ってカンジだからな。

 何だかんだで、ゾロゾロとみんなが後に続く。みんなもうちょっと疑ったらええのに。うーん、うちが警戒しすぎなんやろか? いやいや、これは警戒せんとあかんやつやろ。ここが地球とは違う世界なら、政府の助けも来ぃへんわけやし。

「ホンマに大丈夫なんやろな?」

 高坂に小声で聞くと、彼は肩をすくめて苦笑する。

「僕の主観では問題ないよ。あくまで僕の主観では、ね」

 思わせぶりな言い方。うん。まぁ、なんかあるんやろなぁ。意味もなくもったいぶるようなキャラじゃないから、語らないことには何か意味があるんだろう。

「それに……そんな細かいこと、すぐにどうでもよくなるって」

 続いた高坂の言葉には、彼にしては珍しくトゲがあった。

ケィリー王子→四十代男性。現国王の第一子。下に複数の同母・異母弟妹がおり、関係は複雑。


仰木悠晴→定食屋の息子。食べることと料理が大好き。クラスではマスコットキャラ的な扱いの愛され系デブ。

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