2 タロットの導き
★高坂太一
「ひとまず……状況を整理しましょう」
こめかみを押さえながら、先生が口を開く。
僕たちはいま、畳敷きの大広間の中にいる。人をダメにしそうな、紫色でふかふかの座布団。その座布団が取り囲む、足に彫刻の入った大きな座卓。これは天板が外れるようになっていて、いかにもコタツ布団を挟んでくれと言わんばかり。一見すると和風なのに、柱や欄間の装飾には妙な異国テイストを感じる。日本びいきの外国人が集めたコレクションに、ひょっこり中国やタイの置物が紛れているかのような、微妙な違和感。
「なあ……外で聞いてる連中のことはいいのか」
「やましいことがないなら、気にしなくていいと思うよ」
胃のあたりを押さえながら吐かれた逢沢斎の言葉に、仲山咲良がおっとりと応える。僕たちだけにしてくれないか、と頼んではみたのだけれど、たぶん今も、廊下なり隣室なりから、たくさんの人間が聞き耳を立てていることだろう。逆の立場なら、僕だってそうすると思う。
「わたしたちは、元いた世界とは違う場所――異世界に来てしまった、ってことでいいのよね」
幾田さんが淡々とした調子で口火を切る。
誰も笑いはしなかった。ほかにこの状況を説明できる理屈なんてなかった。僕たちは何手かに分かれてここまで移動してきたけど、町並みどころか部屋のひとつ、いや、出迎えてくれる人間たちの服装ひとつ取ったって、いままでまったく見たことのないものだった。言葉もまるで聞き覚えのない、フランス語を思わせるドボドボっとした音。二十一世紀の地球上のどこにも、こんな場所は存在するはずがないのだと、僕たちは思い知らされてしまった。
むしろこの部屋がおかしい。なんであんな異国風の建物の中で、ここだけが日本めいた内装になっているのか。
「それも、ゲームみたいな世界だ。魔法があって、人間に似てるけど人間じゃない種族の人がいて、悪いドラゴンがもうすぐ攻めてくる」
さっき見かけた、猫っぽい耳と尻尾を持つ女性の姿を思い出す。さすがにコスプレじゃないだろう。
ドラゴンうんぬんの話は、不思議な指輪――つけると相手の言葉が分かる、ドラえもんの某コンニャクみたいなアイテム――をつけた先生を通訳にして、さっき語られたものだ。定期的に目覚めては人里を襲い、その代わりに土地を肥やす、洪水みたいな存在。《竜の季節》と呼ばれていたけど、毎年来るわけではなく、何十年に一度、というレベルのものらしい。
でも、いくら土地が肥えたって、人間がみんな死んでしまったら普通に困る。
「だから、勇者が呼ばれた。異世界の人間は、みんな不思議な力を持つ。たった一人いれば、それだけで歴史が変わるほどに」
それもまた、先生が通訳した話。先生がデタラメを言っているとは思わない。先生はそんなキャラじゃないし、ここまで移動してくる途中、ヨワ・カツタバという赤い髪の人が日本語で一生懸命に訴えてきたのも、そんな内容だった。マキナさんという女性にしろ彼にしろ、僕たちに意図が伝わる程度には日本語を話している。それはおそらく、僕たちより先に異世界からやって来た人間が、日本人であるという証拠だろう。この和室も、そう。
「マジで? あたしらが歴史変えんのか? 世界征服したり?」
「玲。バカな男子じゃないんだから、冗談でもそんなこと言わないの」
仲山さんが代々木さんの肩を軽く叩いてなだめる。
「いや、でも、すごい力があるんだろ? どんなのか知らねーけど、どうせだから使ってみたいだろ?」
「普通に考えたら、その力は悪いドラゴンを倒すためのものでしょ」
噛んで含めるように諭す仲山さん。代々木さんが「ちぇー」と口をとがらせている。
「なあ、歴史って変わるのか? 変わるのは未来だろ? あれ? でも未来はまだ来てないんだから変わんなくね? 来たやつだけが本物の未来じゃね?」
マジメな顔で発言する砺波。なんだか哲学的なことを言ってる気がするけど、どうせこいつの発言に深い意味はない。
「そんなことは、どうでもいいわ」
思い詰めたような表情で、野崎さんが割って入る。いつも大人しい野崎さんが、こんなふうに会話をさえぎるのは珍しい。
「そのドラゴンを倒せば……私たち、帰れるの?」
しん、と沈黙が落ちる。
少なくともこれまで、誰も僕たちに帰りかたの話をしていない。
いたたまれない空気の中で、僕はシャツの胸ポケットに手をやる。中に入っているのはスマホと、それより何センチかタテに長い、薄い紙箱。
吸い寄せられるように、僕はその紙箱を取り出した。なにかに操られるように封を破く。入っているのは、アイヌの意匠を混ぜ込んだ、土産物の――タロットカード。大アルカナ二十二枚だけの構成だ。裏柄は上下どちらからも同じに見える、占いに使えるデザイン。
――困ったことは、タロットに聞け。
目が覚めたときに見たあの言葉は、ぜったい見間違いなんかじゃなかった。
切り混ぜて座卓の上に広げる。みんなの妙な視線が突き刺さるけど、手が止まらない。ひとまずワンオラクルだ。シャッフルしてまとめたカードを、上から一枚めくる。カード番号七番、ということは「戦車」。アイヌと西洋の意匠を混ぜ合わせて淡い水彩画で描いたような、不思議な画風のタロット。正位置だから、ふつうに読み取るなら、「積極的に戦ってみるべし」というところ、だろうか。
だけど僕には、もうひとつ、何か違うものが見えている。カードの表面に手を触れる。
「!?」
その瞬間、カードに指が吸い込まれるような感覚があった。実際にそうなっているわけじゃないのは見れば分かるけど、指が身体から抜けだして、タロットの中に沈み込んでいるかのようだ。底の浅い水槽の中に手を突っ込んで、魚の姿を探っているような、おかしな気分。
「おい、太一? こんな時に何やってんだ?」
砺波の声。僕はそちらに目もくれずに答える。
「――ドラゴンの撃破と、帰路の確保は別。だけど、ドラゴンを何とかしないと、帰るどころじゃなくなる。どのみち戦わなきゃダメだ。僕たちが」
きらきらした何かが細い糸で繋がっているような、奇妙な幻覚がときおり視界を侵蝕する。きらきらとした何かは、その中にたくさんの情報を秘めている。障子の白い明かりの前に、ビー玉を透かしてその模様を見ているようだ。それほど鮮明に感じ取れるわけじゃないけど、なんとなく分かる。それぞれのビー玉がどんな意味を持つのか。どんな線を辿れば、別のビー玉にたどり着けるのか。
読み取りづらいな、と思った瞬間、タロットカードに文字が浮かび上がる。目が覚めたときに見た文字と同じ。僕はそれを読み上げる。
「帰りたくば、竜と戦って吉。さすればいずれ道が開く」
異世界人が持つ、不思議な力。
その実在を、僕はいま、心の底から確信していた。
★幾田四方季
「占いか?」
「うん。でもただの占いじゃない。僕にはちゃんと運命が見えてる。これが、僕の持つスキルなんだと思う」
タロットカード――だよね?――を見つめたまま、高坂くんは確信を持った口調で答える。
スキル。異世界人が必ず持っているという、不思議な力。
「じゃあ、ここにいないみんなが、どこにいるかも分かるの!?」
身を乗り出す藍染先生に、高坂くんは「たぶん」とうなずいてみせた。
カードを混ぜて、新たに開ける。少し考えたあとで、高坂くんはカードを三日月型に数枚並べ、一枚ずつめくっていった。すべて開けてから、一枚ずつ指先で触れて、なにか考え込んでいる。
――あれ?
ざわり、と何かが肌を撫でた気配。風、ではない。何だろう、これ。
席を立って、高坂くんの横からタロットカードをのぞき込む。さっきよりもざわざわとした気配が強くなった。
不意に、高坂くんが片手で頭を掴むような仕草をする。はぁっ、と苦しそうな息が漏れた。三枚目のカードを指で引っかけるように弾き飛ばし、ぐらっ、と後ろ向きに倒れる。畳の上に倒れ込んだ高坂くんは、そのまま大の字になってぜいぜいと息をしていた。
「だ、だいじょうぶ!? あたし、誰か呼んでくるよ!」
唯が身を翻して部屋を出て行く。止める必要は感じないけど、わざわざ行かなくても、たぶん近くに誰か控えているだろう。状況は筒抜けのはずだ。
高坂くんはつらそうに顔をしかめながら、掠れた声で結果を告げる。
「英谷さんが、近くまで来てる。すぐ会えると思う。物理的な距離は分からないけど、運命的には、榊さんも近い場所にいる。遅くとも二、三日のうちには、僕たちのところに来てるはず。ほかは……ちょっと、よく分からない。ごちゃごちゃして……でも、そんなに近くにはいない、と思う」
先生をこよなく愛する英谷愛梨と、茶髪ギャルの榊アリス。愛梨ちゃんも榊さんも、バスの中にはいなかった。
「近くにいない、っていうのは、物理的に? 運命的に?」
彼が発した妙な言葉を拾って尋ねると、ためらいなく答えが返る。
「運命的に、だね。たとえすぐ近くにいても、運命が繋がらなきゃ会えない」
高坂くんといえば、もともと占いは得意なはずだ。文化祭の出し物の候補に「占い喫茶」が出たとき、もしそれに決まったらレクチャーは任せて、と言っていた覚えがある。結局、クラスの出し物はふつうの演劇になってしまったわけだけど。
その特技があるから、占いのスキルが身についたのだろうか。だったら、わたしは?
「ごめん、遠い未来のことは、上手く占えなかった。気分悪くなったのは、占いのしすぎ、だと思う。MP、使い果たした感じ」
「MP? それは寝れば治るのか?」
「カード、山の上から一枚取って」
早口で尋ねた逢沢くんに、高坂くんは寝転んだまま指示を出す。これか、と差し出されたカードを、高坂くんは指先で撫でる。自分でめくる必要はないみたいだ。
「そうだね。しばらく休めば、勝手にチャージされるってさ」
つまり、時間をかければ占い放題ということだ。遠い未来のことはわからないとしても、もしこの占いが当たるなら、すごいことだ。
わたしは思わず廊下のほうへと目をやる。この国の人たちも、思わぬ拾い物に興奮しているだろうか。それともこんなもの、異世界人としては普通?
「わー!」
その廊下はやけに静かだ、と思ったら、急に唯の叫び声が聞こえてくる。人を呼んできた、という声ではない。
「わあー! 唯ちゃん! 元気しとった!?」
続いて聞こえた声。短い会話のあと、ドタドタとこちらへ走ってくる足音。勢いよく引き戸が開いて、ひとつの人影が飛び込んできた。
「せんせー! めっちゃ会いたかったです! よかったー!」
どーん、と勢いよく先生に抱きつく、シュシュで括った短いポニーテールの女の子。
英谷愛梨、だ。
わたしたちは、座布団を枕に横になった高坂くんを見る。
「占い、当たったってこと?」
「い、いや、分かんないぞ。じつは声が聞こえてたとかかも」
「仮に当てずっぽうだとすれば、当たる確率は……三十五人ひく、ここにいた十二人だから、二十三ぶんの一。四パーセントくらいね」
計算してみると、意外に低い。そもそも、この場にいるのはクラスのうち、たったの三分の一なんだ。
「馬単か。ふたり当たれば、さすがに偶然とは言えんな」
黙って隅にいた櫟原くんが、金髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら口を開く。
「うまたん?」
「なんや、知らんの? 一着と二着を、順番に当てる馬券やで。競輪やったら二車単、競艇やったら二連単やね!」
愛梨ちゃんがあっさりと説明してくれた。
「あなたたちがなんでそんなこと知ってるのか、先生ちょっと気になります……」
「大丈夫だ。補導されるようなヘマはしない」
そういえば馬券って、未成年は買っちゃいけないんだっけ。櫟原くん、それ、買ってるって自白してるようなものだから。
「うちは、知り合いのおっちゃんによう連れてってもらっただけですわ。そんなことより、占いって? 高坂、なんや占ってくれてたん?」
「そういうことだ。英谷が来ることも、高坂に予知されていたぞ」
逢沢くんがうなずいて答える。「えええ!」と目を丸くする愛梨ちゃん。
「めっちゃすごいやんか! 万馬券当て放題や!」
「競馬場があればな」
あるのかな、競馬場。ファンタジーみたいな世界だし、ペガサスやユニコーンが走ってたりして。あ、想像するとちょっとステキかも。
「あったとしても、未成年が賭け事はいけませんよ!」
「はーい。そんじゃ高坂、どこで宝くじ買うたらええか教えてや」
「宝くじ売り場があればな!」
★ヨワ・カツタバ
「……何を、しているんだ?」
「神に感謝を捧げています」
両の手のひらを顔の前で合わせ、すり合わせる。天人が神に祈りを捧げるときの仕草なのだと、ものの本で見た。
「どうして……」
「同じ屋根の下に、天人がいらっしゃるんです! 喋っているんです! 奇跡が起こっているんです!」
「そうか。とりあえず隅っこで、控えめに、目立たないように、やってくれ」
「はい!」
やめろとは言われなかったので、ぼくは大人しく隅っこに引っ込んで、ふたたび感謝の祈りを捧げる。本当なら天人のそばに貼りついていたいところだけれど、いま彼らがいる部屋を覗ける場所は限られているので、監視は交代制だ。もちろん、そばで直接見ているのが一番なのだが、天人たちに人払いをしたいと言われれば、さすがに表立って反対することはできない。なにしろまだ、天人の力は未知数なのだ。こんなところで、些細な怒りを買って死ぬわけにはいかない。
「あのお嬢さまは一緒じゃないのか」
「マキナなら探索班です。ぼくはこちらで天人についているようにと言われました」
そもそも、ぼくがマキナの指示を仰いで動くっていうのは、指揮系統がおかしいんだけど……貴族位が絡むと、そこら辺は色々とややこしくなる。魔術師団はいちおう軍隊ではあるけど、魔術に関することなら何でも担当する雑用係でもあるので、貴族位を重視する官僚と本人の階級を重視する軍隊、その中間的な――というか、どっちつかずな――性質を持っている。幼い頃から身を置いていた商家との性質の違いにはいまだに慣れないけど、うまく空気を読むしかない。
「そうか」
そんな話を先輩魔術師としていたそのとき、外がにわかに騒がしくなる。
「まさか、また見つかったのか!?」
廊下に飛び出したぼくの腕を、「あ!」と走ってきた少女が掴む。小柄な天人の少女だ。たしか名前は、ミツハシ・ユイ、だったか。
「あの! あれ! もしかして!」
「え? ああ、あなたたちの、仲間、来た?」
天人の言葉で問いかけると、ユイは大きく頷いた。
「そうみたいです。見つけてくれたんですね、ありがとう! 行ってきます!」
視線の先で再会を喜ぶふたり――カバンを持ったもう一人の少女は、ヒデタニ・アイリと言うそうだ――を眺めながら、ぼくは腕に残ったユイの手の感触を撫でる。
夢じゃない。
やっぱりこれは、夢じゃないんだ。
英谷愛梨→関西出身の女子。家庭の事情で中学校から埼玉へ。藍染先生が大好き。
藍染沙羅→二年一組の担任。アラサーの女性英語教師。想定外の事態に頭を抱えている。