表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/17

1 残された者

後半に人名がたくさん出てきますが、現時点で未登場のキャラは読み飛ばして問題ありません。


★草凪みちる


 二年一組の教室は、今日も空っぽだ。


 私が修学旅行を欠席すると決めたとき、父親はそれは申し訳なさそうに、「ごめんな」と言ってきた。バリバリ働いていた父親は半年前に職場で倒れ、今も半身に麻痺が残っている。これでもずいぶん回復したのだ。倒れた当初はもっと荒れていた。私たち家族もずいぶん荒れた。父の失業と入院、それに起因する祖母の体調不良で我が家は経済面でも労働力の面でもピンチに陥り、私は介護のために部活を辞めた。そうじゃなくても、呑気にバスケなんてしてられる雰囲気じゃなかった。修学旅行だってそうだ。行こうと思えば行けなかったわけじゃない。でも、家族にどう思われるのか、私がいない間どうやって父の面倒をみるのか、そんなことを気にしながら旅行に行くくらいなら休んだほうがずっとマシだと思ったんだ。これが海外だとかならともかく、北海道なんて家族旅行でも行った場所で、めぼしい観光地はもう知っているのだから。

 半年前に「災難ね」「大変でしょう」と言ってきた周りの人たちは、私の身に起きたことを知ると、「お父さんがあなたを助けてくれたのね」なんて言ってくる。半年前と同じ憐憫と、これは半年前にはなかった、隠しきれない好奇心を含んだ表情で。


 おかしな美談にしないでほしい。


 私を修学旅行に行かせないために父が倒れたのだとしたら、それはあまりに大きすぎる代償だ。私を守りたいなら、もっとお手軽な方法があっただろう。たとえば修学旅行の前日に私がタチの悪い風邪にかかるとか、そのくらいで充分だったはずだ。仕事が大好きだったお父さんを、もう現場には戻れないような身体にしてしまった病気なんかに、私は自分が守られたと思いたくはない。お母さんだっておばあちゃんだってイライラして、会社の人たちだって困ってた。分かってる。あの人たちだって、父の病気に何か理由を見つけたいんだろう。だからって、それをぜんぶ私に被せられたって困る。ただでさえ、私はいっぱいいっぱいなんだ。


 修学旅行の最終日、二年一組のうち私を除いた三十三人は、担任の先生と運転手と一緒に、バスごとどこかへ失踪した。

 その行方は、いまだに全く分かっていない。


 一人だけ難を逃れてしまった私は、呆然とそのニュースを聞くしかなかった。

 誰ひとり携帯電話は通じない。無線だって通じない。二号車の運転手も何も見ていない。その前を走っていたはずの一号車は、どこの監視カメラにも現れず、山の中で忽然と姿を消したとしか考えられなかった。でも現場には事故の痕跡もない。現場付近には、大型バスが入れるほどの脇道も存在しない。

「あいつが自分から消えたということはあり得ません。もし何かするとしても、ぜったいに、乗客を連れては行きません。あれはそういう男です」

 そう言ったのは、観光バスを出したバス会社の専務だった。勤続二十年近くになるという運転手は、勤務態度も真面目で、無愛想ながら車と乗客への愛情は本物だったと専務は断言した。消えた生徒たちの家族を前に、何度も何度も謝ってはいたけど、それでも、運転手が故意に失踪したという線は、専務が頑なに否定していた。

「あいつは、嫁さんのところに連れて行かれたんじゃないかと思うんです」

 何か心当たりはないのかと聞いた私に、専務はそんなことを、口ごもりながらつぶやいた。

「轟良悟の嫁さんは、もう十何年も前のある日、いきなり消えてしまったんです。買い物に行く姿は目撃されているのに、そのまま店にも、あるいは近くの駅にも、彼女は現れなかった。お腹に子供もいたはずなのに、彼女はとうとう、どこを探しても見つからなかったんです。そのときの様子と、よく似ている」

 普通に考えれば、DVから逃げたとか、浮気相手と駆け落ちしたとか、そんな事情が思い浮かぶ。

 でも、あのバスの消え方は普通じゃない。となれば、もしかすると、彼女もまた、何らかの事件に巻き込まれたのかもしれなくて。

「それじゃ……みんなはもう、帰ってこないんでしょうか」

「分かりません」

 専務はそっとため息をついた。

「せめて乗客の皆さまだけでも、無事だと良いのですが」

 本当は私たちなんかより運転手のことが心配だろうに、そつなくそう言ってみせる。専務は冷静だ。無理にこの場を取り繕おうとはしていない。運転手の奥さんの話だって、おそらく、専務が把握している限りでは事実なのだろうと思った。そうでなければ、こんな訳の分からないウソをつく理由がない。

「本当に、そう思います」

 家族への説明会は嫌な雰囲気だった。学校や旅行会社を責めたって何にもならないのに、そうしなくてはいられない人たちがいて、そんな風に感情を露わにする人たちを冷ややかに見る人たちがいて。父が倒れたときの様子に少し似ていた。きっと父を責めたい人はたくさんいた。でも人としてそんなことしちゃいけないとも思っていた。本音を口に出した弟は、母にも祖母にもきつく叱られていた。私も弟を諫める側だった。でも、私だって、いきなり自分の家族が路頭に迷うかもしれないって言われたら、それはやっぱり不安だったし、どうしてこんなことになるのって思ったし、自分の将来設計が揺らぐのが怖かったし、その気持ちをどこかにぶつけたかった。弟にとってその相手は父で、私たちはそんな弟を、みんなでよってたかってサンドバッグにしたんだ。だから今回、私は押し黙って、余計なことを言わないようにじっとしていた。そうやって、誰かにババが回るのを待っていた。

 あのときはみんな余裕がなかった。今だってそうだろう。修学旅行から十日ほど経ったけれど、まだ空気は張り詰めている。

 榊アリスの彼氏はマジギレしている。大黒柱の針島柊哉を失った男子バスケ部は見るからにみんな暗い。藍染先生の代打をしている英語の藤崎先生も、頑張って空元気を出しているように見える。藤崎先生はもう定年も近いおじいちゃん先生で、その授業を聞いていると、藍染先生の授業のやり方が藤崎先生の影響を強く受けていることがよく分かった。きっとよく面倒をみていたんだろう。

 私は暫定的に二年二組に籍を移した。私ひとりのために授業を開くわけにもいかないので、仕方のないことだと思う。

 それでも私は、放課後に毎日こうやって、二年一組の教室にやって来てしまう。


 壁には修学旅行に向けた調べ物。修学旅行委員長の幸村大河はこういう作業が嫌いじゃないようで、率先して壁新聞を作っていた。そこへマニアックな北海道開拓時代のエピソードを書き込んでいるのは神宮寺鈴蘭。歴女である彼女は幕末が好きらしく、今回の旅程に函館が含まれないことにずいぶん憤慨していた。

 きびすを返して、机と机の間を歩く。机から漫画雑誌がはみ出ている櫟原翔真、机の横にかけたサブバッグからスナック菓子の袋がのぞいている仰木悠晴、机のそばの壁に使い込んだテニスラケットバッグを立てかけている代々木玲、机の中に教科書がぎっしり詰め込まれている幾田四方季や伊勢浜心愛。逆に逢沢斎の席は、机の横のフックに引っかけたティッシュボックス以外、なにひとつ物が置かれておらずずいぶんと綺麗だ。仙道奏の机もすっきりしたものだが、机の横にかけたビニールバッグには教科書とは違う、ハードカバーの小難しい本が放り込まれている。ロッカーの扉に野球選手のカードを何枚も貼り付けている砺波海翔。ロッカーの中が漫画でいっぱいで、ちょっとした図書館みたいになっている、明川皆穂と三橋唯の吹奏楽部コンビ。知念友美のロッカーは、百均らしきマグネットやかわいいテープで、海外ドラマに出てくる高校のロッカーみたいにデコってある。彼女と仲がいい峰岸鞠子や英谷愛梨のロッカーにも、同じテープが使われていた。マグネットを切って「AIRI」と文字を描いている英谷愛梨、ピンクのテープを貼った上から書道部らしい達筆で「峰岸」と書いてある峰岸鞠子。掃除用具ロッカーの横に置いてあるバケツとスコップは、園芸部の荏田えだ菜々果の私物だ。

 黒板横の時間割表の下には、文化祭のときの写真が貼ってある。テニス部の矢野賢児が書き上げた劇の脚本は、シンデレラと白雪姫が仁義なき推理バトルを繰り広げるメルヘンサスペンス。王子様役のイケメン・加西裕樹は無難によく似合っている。シンデレラをつとめた砺波海翔は無駄に筋肉をアピール。その姉役の高坂太一は、榊アリスが全力で化粧を施したおかげで妙にかわいい。下手な女子よりよほど美人だ。白雪姫には間宮ルキが推薦されたが、あまりにも演技が大根すぎるため二ノ瀬亨に交代。シンデレラの意地悪な継母役は演劇部の野崎莉夜子で、普段とはあまりにキャラの違うその熱演に、思わず場が騒然となったのを覚えている。かわいそうだったのはもう一人の悪役、白雪姫の継母をやったサッカー部の杉岡隼佑だ。容疑者の一人として重要な役どころになるはずが、野崎さんに存在を完全に食われていた。

 そういえばあの劇、たしか最後にはひそかに黒幕が……あ、そうそう、赤ずきん役の猪戸伊織だ。あの赤が返り血だったとかいうベタなオチ。けっこう派手な衣装だったのに、彼が着ると不思議と目立たなくて、観客もその最後のオチをうっかりスルーしてたみたいだけど。

 それもほんの一ヶ月ほど前の話だ。一生懸命にサテンの生地を縫ってドレスを作ったのが懐かしい。すごく縫い目が綺麗な菰方こもかた結花梨。口では面倒がっているようなのに、率先して買い出しやデザイン決めをしてくれた高城真由華。彼女がキツいことを言っても、すかさずフォローを入れてくれる仲山咲良。バスケ部で仲良しだった辻みやびも衣装班だったけど……針で指を刺して絆創膏だらけになる人って実在するんだ、とあのとき初めて知った。その点、同じバスケ部の瓦塚未来、元バスケ部の穂積浩一郎など男子陣には器用なメンバーが多くて、シンデレラが振るうガラスの剣――という名の、段ボールで作った水色の剣――だの、赤ずきんが使う猟銃――猪戸がうるさく文句をつけるので面倒くさそうだった――だの、白雪姫が装備する鎧――発泡スチロールを切り出して作った、リンゴがモチーフの凝った一品――だのを作り上げていた。漫研の湧井澄佳が描いたポスターも、やたらと筋肉が躍動するいい出来で、クラス対抗の人気投票では惜しいところまで行っていた。


 あの時周りにいたクラスメイトは、今はもう、誰もいないんだ。

 私だけが、この教室に、取り残されてしまった。


 ねえ、みんな。

 あなたたちはいったい、どこに行っちゃったの?

草凪みちる→家庭の事情で部活を辞めた、元バスケ部の帰宅部女子。ひとり日本に取り残されて途方に暮れている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ