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9 会敵

★逢沢斎


 野崎莉夜子が手をかざすだけで、太い樹が次々と倒れていく。倒れた樹は根が折れているので、彼女の超能力は土だけに及ぶものではないことが分かる。発動条件は何だろう。土に埋まっていること? 地面より下にあること? だとすれば、半地下の迎賓館ならば好きに壊せるのか? いや、石畳は無理だとも言っていたか。

 倒れた樹は、周りの人たちに手伝ってもらって積み上げる。いや、こっちが手伝っている、というよりむしろ邪魔していると言うべきか。こういった作業には慣れているのか、兵士たちの手際はいい。「ふむん」と気合を入れた男性が、大木をひとりで担ぎ上げる。幾田が聞いてきたところによれば、筋力を増強するような魔術を使っているそうだ、とのこと。

 俺はといえば、そんな作業の手伝いすらせず、バスの屋根から状況を眺めている。隣にはクウェル・サリジャと名乗った長髪の男と、警護のための男性兵士がひとり。むさ苦しい。下でマキナ嬢とルッツァ女史に付き添われて土木作業をしている野崎が羨ましい。なにせサリジャ氏は、俺たちに対する敵対的な視線を隠そうともしない。俺だって好きでこんなところにいるわけではないのだから、そんな目で見られても困る。

「なあに、下手に味方面をされるよりずっといい。心置きなく疑って利用して陥れてやれるってものだ。優しい顔をした味方への対応は一歩間違えれば大問題になるが、敵対的な個人への対応は多少間違えても問題ない。感情的になっている相手ならなおさらだ」

 そんな針島さんの言葉を思い出して、ぐっとこらえる。大丈夫。むしろ、余裕ができたと喜ぶ場面だ。俺がどんな対応をしても、きっとこの男は気にしない。

 どうぞ、とサリジャ氏が渡してきたのは一枚の金属板。スマホを一回り小さく・薄くしたような大きさで、角には穴が開き、そこに首から提げるためのストラップが取り付けられている。

「高いところから確認したいのでしょう? さあ、これを」

「どうすれば……」

 鼻で笑われてイラッとする。銃と同じで、魔力をこめれば発動するんだろうが、それで何が起きるのか。

「首にかけて魔力をこめるのです。そうすれば浮きます」

 それで説明は終わりか。男性兵士も何も言わない。

 落ち着け、俺。高坂の口ぶりでは、無謀なことをしなければ死ぬことも、大怪我をすることもないということだったじゃないか。

 言われた通り、ストラップを首にかけて、金属板に血流を流すように気合いを入れる。故郷では経験のないはずのその手順は、呼吸をするような自然さで俺の身についている。気持ち悪い。

「うおっ!?」

 次の瞬間、まるで空中に放り投げられたように、身体が地面を離れた。バスがはるか眼下に見える。金属板を両手で握り締める。手汗が滲んでいる。助けて何だこれ死ぬ!

「う、あ……」

 一番高い樹よりもなお高い場所から、目の前に広がる雄大な景色を眺める。視界の彼方まで広がる深い森。高いところから見れば、思っていたよりも起伏の激しい土地であることが分かる。どちらを向いても行く手に山が見えた。確か日本でもそうだ。このあたりには、二千メートル前後の山々がいくつも存在しているはず。その手前に広がっている平野を、切れ目の見えない緑が覆い尽くしていた。

 ――そして、その森の緑の合間に、奇妙なものが見えた。

 身体の上昇は止まり、高度はひとまず安定している。地上からは四、五十メートルというところだろうか、あまり深く考えたくない。自宅のマンションの最上階よりは高いところにいるだろうから、見通せる範囲は少なくとも、半径にして二十キロ以上はあるのではないかと思う。土地の傾斜によって多少の誤差はあるだろうが。

 その広い視界の中に、幾筋ものラインが見える。この世界にやって来たときから自然に見えている、「壊れた」ものの存在。基準は俺自身にもよく分からないが、とにかく「そういうもの」だと理解できてしまっている。冷静に考えると吐き気がしそうなので、深くは考えないことにしているが。

 英谷やルッツァ女史の話では、レッサードラゴンとやらはそれなりの巨体を持つはずで、そんなものが森の中を通れば森のほうもただではすむまい。枝が折れるなり、幹が傷つくなり、多少の痕跡は残ってしかるべきだ。そして眼下の景色は、おそらくその仮説を証明している。すなわちあのラインは、モンスターたちの進路だ。

 地平線の彼方からやってきた何かが、まっすぐにこちらへやって来る。途中で枝分かれしながらも、最終的にはこちらへ。

 ……俺たちの存在に、引き寄せられている?

 そう思わずにはいられない動きだった。もしそうだとすれば、森の中へ連れて来られるのも当然だ。俺たちが町の中にいればそちらに被害が及んでしまう。高坂の言うとおり、こうなるしかなかったのだ。たとえ俺たちが戦いを望まなかったとしても。

 ラインの数は十を超える。移動スピードは分からないが、接触までまだ少し余裕はありそうだ。

 これを下の連中に伝えなければ。そのためにはこの魔術を止めて――

「あ」

 がくっと身体が沈む。腹の底に嫌な感覚。え、ちょっと待って落ちる死ぬうわぁぁ!

「シャレィス!」

「落ち着け、眼鏡!」

 カツタバ氏ともう一人、日本語の声がする。自由落下していた身体がふわりと巻き上げられ、速度を殺しながら俺はバスの屋根に突っ込み、大きく跳ねたところを空中で誰かに抱きとめられ……た? うん。そうだな。

「怪我はないか」

 尋ねてきたのはまさかの金髪不良、櫟原翔真。何このイケメン。俺が女だったら惚れている。キャッチされたときの衝撃で、腹にパンチを食らったような激痛が走っていなければ、だが。急ブレーキでシートベルトが腹に食い込んだらこんな痛みになるだろうか。いや、そんなものよりもっと強烈だ。吐く余裕もない。

「ぐっ……」

 腹には「壊れた」痕跡が……と思ったが、それは見る間に消えていく。痛みも引いてきた。あれ? 俺、落ちたときにバスの屋根もぶっ壊してなかったか? さっきは背中も痛かったような……。

「何やってるんですか! 危ないでしょう!」

「天人は死なんのだろう?」

「死ななくても痛いでしょうよ!」

 カツタバ氏がサリジャ氏に怒鳴っている。……どういうことだ? 死なない?

「そのまま死ねば良かったのに」

 榊が舌打ちと共に冷たい視線を向けてくる。不意のことで少し驚いた。榊が俺を嫌っているのは知っている。しかし、いつもなら無視するだけで済ます彼女が、わざわざ声をかけてくるとは。

「逢沢くん?」

 戸惑った顔の俺に、駆け寄ってきた幾田が報告をうながすように声をかける。そうだ、落ち着け。針島さんなら、ただ黙って他人の発言を待ったりはしない。

「怪我は、ない。軽く済んだ、というより、初めから何もなかったんじゃないかと思うくらいに。でも、さっきは確かに痛かったし、傷も『見えて』いた……そもそも、俺はどうなったんだ?」

「バスの屋根に落ちたの。バスのほうはどうですか?」

「屋根はへこんでいたので直しました。何があったんですか?」

 運転手が扉から顔を出し、逆に訊いてきた。彼は運転席に座っていたから、そもそも俺が浮いていたことを知らないのか。バスの屋根に視線を向けてみたが、確かにこちらにも壊れている気配は感じられなかった。

 外から見ていたのだろう幾田が事情を説明する。そばで聞いていた先生の顔が青ざめた。先生も代々木や運転手と一緒にバスの中にいて、状況を把握していなかったようだ。

「そんな危ないことを……」

「危ないものですか。天人の身体は頑丈で、傷は見る間に癒え、撃とうが刺そうが死んだりしない。そういうものだと記録に残っています。嘘だと思うのなら、確認してみてください」

 サリジャ氏が肩をすくめる。どれ、と無造作に櫟原が長刃のナイフを握り、ためらいなく左手親指に刃を滑らせた。じわりと血が滲み出すが、別の指で拭ったあとには傷跡がない。「壊れた」気配も一瞬にして消失していた。

「……なるほど。確かに治るな」

 馬鹿な。気持ち悪い。納得がいかない。いったい俺たちの身体はどうなっているんだ。胃が痛い。……胃炎は治らないのか。

「ヨワ、あなた、逢沢くんを助けてくれたのよね?」

 幾田が話を振ると、カツタバ氏は「ええ」と頷く。

「ですが気休め程度です。魔術で風を吹かせただけですから。多少の減速はしたでしょうが……あの動きは、何か見えないボールに衝突でもしたようでした」

「見えないボール? あ……ねえ、もしかして、玲のバリアじゃない? きっとそれにぶつかってスピードが落ちたのよ」

 仲山がポンと手を叩く。なるほど、脅威と見なされて排除されたのか。ありそうだ。落ちた場所もバスの前方で、代々木のいた場所に近い。

「お、おう? つまりあたしが逢沢を助けたのか? そうか! 良かった!」

 代々木のほうは無自覚だったようだが、何にせよ、バスに叩きつけられることにならなくて助かった。しかし、あれがバリアの効果だとすれば、間に障害物があってもバリアは発動するのか。

「それと櫟原くん、さっきのは何? 間に合う距離でもなかったし、簡単に跳べる高さでもなかったはずだけど」

「普通に動いたら、動けた。この世界に来てから、身体が軽い」

 そう答えた櫟原の姿が消える。そう思ってしまうほどの勢いで、そばの樹を蹴りつけて飛び上がり、何回転かの宙返りを決めて着地した。速い。高い。体操選手かと言いたくなる動きだ。いくらなんでもこれは、以前からの櫟原翔真の動きじゃない。今なら彼が慕うあの怪力女、間宮ルキにだって勝てるだろう。……あ、いや、それはちょっと無理かな……あれは同じ人間なのかよく分からないからな……むしろゴリラに近い何かだよな……。

「まあ、それはいい。上から見たら、こっちに何かが向かっているのがよく見えた。おそらく、ここを目指して集まっている」

 爪先で土の上に図を描く。

「探す手間が省けるみたいで何よりね」

「よーし! がんばろう!」

 皮肉っぽく言った幾田とは対照的に、能天気な調子で三橋が言う。

 そうだな。俺は俺にできることを、精一杯やるだけだ。



★マキナ・ヴォートグォーラン


 ちょんちょん、と肩をつつかれて、振り返るとシシドがいた。申し訳なさそうな顔で「あの、なにか俺にも武器を……」と言ってきた彼に、持っていた銃を渡す。ヨワ先輩が使っている天人式のものではなく、ごく普通のタイプだ。天人の魔力を持ってすれば、リザードマンには傷を負わせられるだろう。レッサードラゴンとなると、素人には難しいかもしれない。

「どこかで試し撃ちしてくるといいわ。狙うならリザードマンを。レッサードラゴンには近づかないほうがいい」

「そうする。じゃあ、後で」

 肩から手が離れた瞬間、シシドの気配が消える。瞬間移動ができるわけではないはずだから、おそらく私の視界には入っているのだろうけど、どんなに目をこらしても存在が認識できない。天人の持つ能力スェタークというのはそういうものだ。理屈じゃない。並の魔術では成し遂げられない手品じみた魔法を、いとも簡単に使ってみせるのが天人という存在だ。

 考えてみれば、私はずいぶん恐ろしいことをしている。シシドがその気になれば、あの銃を使って、この場の誰だって気付かれることなく殺せてしまうだろう。私自身が平静でいられるのは、私を殺しても彼にメリットはない、と思っているからだ。でも、私はシシドの行動をずっと監視しているわけではない。どこかで私の知らない情報を掴んで、想定外の動きをしないとも限らない。

 ――まあいい。そうなったら、そのときはそのときだ。

 改めて目の前の状況を整理しよう、と息を整える。

 丸太を積んで作った簡易バリケードは、魔術でいくらか強化しても、レッサードラゴンの襲撃を防げるほどのものではない。そもそもあれは、近づかれる前に倒し切るのが鉄則だ。

 とはいえ、コーサカが言うように百体ほどの眷属がやって来るのだとしたら、果たしてどうなるのか。一体ずつなら倒せるだろうが、まとめて来られたら倒せる気がしない。見逃せば眷属たちはどうするのだろう。天人たちを襲いにかかるのか、背後にあるアーレセンの街へ向かうのか。どちらにしろロクな状況ではない。


「来るぞ! 右手側!」

 魔術師のひとりに抱えられたアイザワが、空中から指示を出す。魔力消費の問題があるから、ずっと浮いているわけにはいかないけれど、見通しの悪い森の中でレッサードラゴンの動きを把握できるのは大きい。能力の特性上、人間なみの大きさであるリザードマンのほうは動きが読めないようだけれど、リザードマンはたいていレッサードラゴンに追随して動くものだ。

 私も腰のホルダーから攻撃用のカードを取り出す。ずっしりとした金属板は積層になっていて、効率化された魔術紋が描かれている。私はヨワ先輩のように、自分の腕に魔術紋を描いておいて必要に応じて発動する、なんて器用なことはできない。いや、普通の人間には無理だろう。先輩はただの天才だ。

「眷属の来襲を確認。人型が四体、小型が一体」

 斥候からの連絡。

 今回私たちに与えられている任務は、天人たちの邪魔をせず、かつ彼らを守ること。眷属からも、それに乗じる可能性がある誰かからも。私はヨワ先輩と共に、天人の車の右翼に控えている。歩兵と魔術師、各一隊はバリケードの外。歩兵は盾を持ち長柄武器で戦うのが基本、その隙に魔術師が高火力の魔術で撃ち殺す。

 そして今回はそこに、天人が加わる。

 金髪の男・イチハラが地面を蹴った。木立が揺れる。姿を目で追えない。勘弁してほしい。守るこちらのことも考えてから消えてほしいものだ。さすがにあれは、護衛を諦めるしかない。

 視線を移せば、クウェル・サリジャがヨワ先輩だけでなく、他の魔術師たちにも叱られている。まあ、あれだけ堂々と守るべき人間をないがしろにすればこうなるだろう。アイザワは災難だった。とはいえ、クウェルに対してどこか同情的な空気を漂わせている人間も少なくはない。誰もが天人を尊重しているわけではない。素人の子供が不思議な力を持つなんて、受け入れがたいと思う人間も多いだろう。


 そのイチハラが、ひょいと森の中から戻ってきて、どさっ、と引きずってきた一体のリザードマンを投げ捨てた。喉を裂かれて死んでいる。イチハラ自身の服が汚れているのは、返り血によるものだろう。

「そういえば、これ、勝手に殺しても問題なかったか?」

「あ……ああ」

「そうか。ならいい」

 おそらく魔法も使わず、一撃、か。

 眷属を剣で倒すなんて、相当な凄腕でなければ難しいだろうに。いったい、どんな魔法を使っているのだか。



★櫟原翔真


 ナイフの刃がイカれている。もっと頑丈なものが必要だ。手首も攻撃のときに痛めたが、すでに治っている。便利だ。

 誰かが攻撃したのか、肩から血を流した、手負いのトカゲ人間を見つけた。いや、トカゲっぽい印象だが、背中が硬そうで腹側が柔らかそうなのはワニっぽくもある。やはり喉が一番やりやすそうに見えた。ウロコが硬そうなところは、ナイフが一発でダメになりそうだ。

 相手の、怪我をしているほうの側から距離を詰め、がっちり構えたナイフを体当たりするように突き込む。喉は攻撃しやすい位置にある。考えてみれば、二足歩行のトカゲって、弱そうなところを相手に向けて立つのは生き物としておかしくないか。人間が言えたことじゃないかもしれないが。

 反撃しようとする動きがスローに見える。軽く身体をひねり、余裕でかわして離脱。ついでに勢いに任せ、喉を力いっぱい切り裂いておく。


 この世界に来てから、やたらと身体が軽い。気分の問題ではなく、実際に速く動けている。速いのは強い。強い攻撃には、速いか、重いか、そのどちらかが必要だ。銃弾が軽いのに強いのは速いからだ。小さいせいでもあるが。トラックは重いから、その百分の一の速度だろうが、轢かれたらヤバい。俺の体重はトラックよりは軽いが銃弾よりは重い。つまり銃弾くらい速く動けば銃弾より強い。ナイフで接点を小さく、硬くすればもっと強い。それと、ナイフを使う意味はもうひとつある。さすがにこのスピードを乗せて素手で殴ったら、手がめちゃくちゃ痛い。姐御なら涼しい顔でやれるかもしれないが、オレには無理だ。拳が砕ける。たとえ治るとしても、意味のない苦痛を喜ぶような変態趣味はない。

 でもまだ加減が分からない。さっきあの眼鏡を空中で受け止めたとき、思った以上にすごい衝撃が腕に来た。アバラは折っていないだろうが、腹をぶん殴った格好になったので、日本だったらあいつは病院送りだったかもしれない。どうせあのまま地面に落ちたら怪我しただろうから、眼鏡に逃げ場はなかったが。まあ、治ったようだからどうでもいいか。

 倒れたトカゲ人間は動かない。トドメを刺せたか心配なので、とりあえず引きずって戻る。残念ながら筋力は上がっていないので普通に重いが、人間ひとり分くらいならどうにかなる。

 しかし、筋力が変わらないというなら、このスピードはどこから出るのだろう。自分の中では、どちらかといえば周りがスローになっている感覚だ。下手に動くと、自分の身体がいつもと違う動きをする。慣れるまでには時間がかかるだろう。


 二匹目をバリケードの前の地面に転がす。

「櫟原。ちょっとあっちに行ってみてくれ。デカブツがいるはずだ」

「敵はぜんぶ倒しちゃっていいよ。回収はあとでやるから、そのままほったらかしで大丈夫!」

 バスの上に立った眼鏡が指示してくる。バスの中から、占いのできるほうの眼鏡が手を振っている。名前はなんだったか、とりあえず眼鏡二号と呼ぼう。そいつに声をかける。

「倒すには武器が足りない」

「え? えーと……運転手さん、なにか武器になりそうなもの積んでません?」

 占いのカードをめくってから眼鏡二号が聞くと、「これなんかどうでしょう」と運転手が小さいハンマーらしきものを持ってきた。緊急時にガラスを割って脱出するためのものだそうで、打面には太く短いトゲが生えている。

「これ、壊れても直せますか?」

「ええ。何でしたら、新しく作りますが。バスの備品は、欠けても復元できるようなので」

「作れるのか!? すごいな! あたしにもひとつくれ!」

 ショートカットの女子が楽しそうだ。窓から投げてよこされたハンマーは悪くない握り心地だったので、ひとまずこれ一本で行くことにする。ナイフほど強くはなさそうだし間合いも小さいが、頑丈でそこそこ重くて、先が尖ってるのはいい。運転手はどこからともなくハンマーをもう一本出して、ショートカットに渡していた。

 これで殴るなら喉じゃなくて硬いところがいい。頭かな。あれの中身が人間と同じ構造かどうかは知らないが。

 正直ナイフは使い慣れない。日本で人を刺したら捕まるから、思いっ切り刺したことなんてない。あれはただの威嚇用アイテムだ。そもそも普通の喧嘩に武器なんか使うのは男らしくない。男なら姐御のように、素手喧嘩ステゴロで勝負してこそだ。……あ、姐御は女か。まあいい。

 そういう意味じゃ、ハンマーだって別に使い慣れちゃいないが、まあ使ったことがないわけではないし、どうにかなるだろう。


 森の中に戻り、眼鏡一号に言われたほうへ向かうと、確かに騒がしい気配がする。何かいる。

 こっち目がけて突っ込んでくるトカゲ人間がいたので、いなしてすれ違いざまに振り返り、後ろ頭をハンマーでぶん殴る。やっぱり走る勢いをつけないと弱いか。フラつきながら振るわれる拳をよけて軸足を払う。蹴りの鋭さは増しているはずだが、乗せる重量が軽くていまひとつ。一旦距離をとり、パルクールよろしく木の幹を蹴って上方へ。着地に失敗しようが構わない、すぐに治る。落下の勢いを乗せて背中にドロップキック。さっきも思ったが、落下は大して加速しない。余裕を持って空中で体勢を整えられる。手足を伸ばしたり縮めたりするだけで身体の動きが変わる。今まで意識したことはなかったが、やってみたらどうにかなった。

 着地した勢いでマウントをとって、頭をハンマーで数発殴ると、トカゲ人間は動かなくなった。やっぱナイフのほうが手っ取り早いか? いや、今のはオレの超能力を全然活かしてなかった。むしろ、それでも敵を殺せたという事実が重要だ。

 しかしこいつら、けっこう的確にオレを襲いに来てないか。さっき浴びた返り血がよくないのかもしれない。サメなんかは血の匂いを好むと言うし。

 そんなことを考えていると大きな足音が近づいて来る。恐竜、と関西弁が呼んでいたやつか。音のするほうで、めりめりと木が倒れていくのが見える。この森の中じゃ自由に動けないのか、もしかして。図体がでかいのも気の毒だ。

 いや、それより、これはチャンスじゃないのか。バスの近くは木が切り倒されていて、むしろデカブツが暴れるには良さそうだ。いったい何がそのデカブツを駆り立てているのか知らないが、木が邪魔をしているうちに倒しておいたほうがいいんじゃないのか。

 地面を蹴る。あり得ないほどの加速。一歩のストライドも、跳んだときの高さも増している気がする。まるでオレの身体のあちこちにブースターでも取り付けられているような、不自然な動き。まあいい。そのうち慣れるだろう。

 木立をかわしながら走れば、あっという間にデカブツの姿が見えてくる。三メートルはありそうな体躯。二足歩行で、前肢はぶらんと垂れ下がったままだが、太い後肢ががっちりと地面を踏みしめ、尻尾が無造作にそばの木々をなぎ倒している。行く手に立ちふさがる木には頭突き。

 頭を狙いたいが位置が高い。仕方ないので太い足を狙う。走りながらハンマーをナイフに持ち替え、体当たりの要領で後肢に突き刺す。気持ちいいほどによく刺さった。

 即座にナイフを引き抜いて飛び退く。肉食獣らしい牙のある口がこちらを向く。知ったことか。

 さっきから頭突きをしている額のあたりは硬そうだ。斬りつけるのは現実的じゃない。ハンマーで殴ったところで、ダメージが軽減されてしまいそうな気がする。いくらハンマーの先が尖っているといっても長さはない。あの額のところが厚い皮膚なり脂肪なりでできているなら、ダメージがそこで止まって、致命傷は与えられない可能性がある。

 脚の傷からは血が噴き出している。放っておいても倒せるか? 恐竜の身体の仕組みなんて知らない。急所が分からない。困った。眼鏡なり眼鏡二号なりがいれば良かったのに。

 急いで木々の中に飛び込んで距離を取る。障害物が邪魔で簡単には追って来られないはずだ。あの口で噛みつかれるのはまずい。眼鏡二号の占いによれば、オレたちは無茶をすれば死ぬ。

 目を狙いたくても、顔には近づきたくない。あの牙の射程圏内に入るのは危険だ。修学旅行の最中に行った動物園でも、動物というのは予想外に素早く、思わぬ方向への動きをするものだと学んだ。見たことのない生き物からは距離を取るに限る。とはいえあの鋭そうな牙以外は、腕は短いし脅威には感じない。足も、タイミング悪く蹴飛ばされたりしなければ問題ないだろう。それより問題はむしろ尻尾だ。あれをブン回されると後ろからは近寄れない。

 長い棒でもあれば良かったか。あの兵士集団が持ってた槍ならリーチが長い。後ろから襲って、ケツにでも突き刺せばどうにかならないか。いや、あの尻尾をかいくぐるのは難しそうだ。くそっ、トカゲ人間と違って、恐竜のほうは構造にスキがない。

 大きく後ろに回り込むと、恐竜が通ってきた道が森の中に残っている。尻尾か頭突きで木をなぎ倒しているんだろうか。体格以上のパワーがあるようにも見えるのは、あれが野生の生き物ではなくモンスターと言われる存在だからかもしれない。オレに不思議な力があるように、あいつにも不思議な力があったっておかしくはない。ただ、動きが鈍っているところから見て、与えた傷が治ったりはしないようだ。

 道の様子を確かめていると、恐竜がこちらを振り返った。オレのことを狙っている目だ。

「やんのか、畜生!」

 生物としての本能が足をすくませそうになるが、必死に膝の震えを止めて叫ぶ。犬に背を見せて逃げれば追われる。自信を持って睨み付けるのだ。

 向こうが動く前に地面を蹴る。相手がビビったら、そのスキにやれ。そんな身体に染みついた本能がオレを突き動かす。あの足にもう一発食らわせてやるんだ。右手にナイフ、左手にハンマーを握って、前傾姿勢で突っ込む。

 ――と、その直前に、横合いから何かが飛び出してきた。

「邪魔だ!」

 トカゲ人間。まだいたのか。だがここで突進を止めればやられる。左右は木で塞がっている。とっさに上へ跳んだ。予想外に高く跳べてしまったので、トカゲ人間の頭を蹴りつけて飛び越える。あ、やばい、恐竜が首を伸ばしてくる。口を開ける。食われてたまるか。とっさに身体をひねり、左手に握っていたハンマーを、口の中めがけて投げつける。

 ぐおおおっ、と恐竜が唸って首を振る。その鼻先に引っかけられるようにしてオレはそばの木に叩きつけられる。くっそ痛い。背骨が折れたんじゃないかと一瞬思うが、それもすぐに治って痛みが消えていく。確認したが、手も足も問題なく動く。暴れ回る尻尾が木をなぎ倒す。やっぱりあの尻尾、体格以上のおかしいパワーがある。倒れてくる木を避けて離脱。

 しばらく奥へと走ったが、トカゲ人間も恐竜も追ってくる気配がない。それどころか、やけに静かだ。あまり離れると帰り道が分からなくなりそうなので、そこそこの距離で踏み止まっていたオレは、来た道をゆっくりと戻っていく。

「……あれ」

 さっき頭を踏んだトカゲ人間が倒れていた。気絶しているだけかもしれない。

 ついでに、口の中にハンマーをぶち込んだ恐竜も倒れていた。気絶、しているのか?



★猪戸伊織


 ――正直わりとドン引きなんですけど。

 ひとりでレッサードラゴン一体を倒したらしい櫟原翔真が、不思議そうにその死体をつついている。それからふと思い出したように振り返り、倒れていたリザードマンの喉にざくりとナイフを突き立てた。容赦ない。いやそんなことより、なんでそんなに手慣れた仕草なんだ。怖えよ。

 死んでいるレッサードラゴンはどうやら数匹のリザードマンを連れていたらしい。ここまで来る間に、俺がそのうちの二体を倒している。最初にいた場所でも一体を倒しかけたが、トドメは櫟原に持って行かれた。もちろん、俺は櫟原みたいに正面から戦うことなんてできるはずもない。認識されないのをいいことに、間違っても触れられないだけの距離を取って、ちまちまとレーザービームを撃って倒したのだ。正面から狙っても相手にバレないわけで、普通の人が戦うよりはずっと楽だったとは思うけど、それでも目を狙ったり心臓を狙ったり喉を狙ったりして、何発も撃ってやっと倒せてるんだ。動いてる相手にはなかなか当たらないから、外したのを含めれば、いったい何発撃ったことだろう。そういう意味じゃ、銃弾がいらない魔力銃ディッチというのは本当に便利だ。こんなものがあったら、火薬による銃なんて発展しないだろうな。戦闘中の弾切れなんて死活問題だ。

 今さらになって気がついたけど、この世界の人間にとって銃ってのはリアルな武器なんだ。俺にとっては映像や記録、あるいはニュースの中の存在でしかないけど、彼らにとっては自分の手の中に存在する現実。むしろ、こんな世界で地球の銃を再現しようとするあのヨワ・カツタバという男は、よほど酔狂な性格をしているのだろう。

 櫟原がレッサードラゴンの口を開け、その中に手を突っ込み、中から血まみれの道具を取り出した。あれは、さっき運転手にもらっていたハンマーか。返り血だの何だのを浴びているせいで、相当な迫力だ。ガラの悪さと相まって、「殺したのは本当にモンスターだけだよな?」と確認したくなるようなオーラを放っている。

 眺めていて、櫟原の超能力についてはだいたい理解した。超人的なスピードが彼の能力だ。平地なら百メートル十一秒台の俺を、あんなに軽々と抜き去るスピードは尋常じゃない。人間としてあり得ないスピードで動き回るもんだから、たびたび姿を見失ってしまう。

 全力を出せばどれくらいの速度が出るのか分からないが、百メートルを……二、三秒くらいか? それくらいで駆け抜けるとするなら時速にして百キロくらい。あの勢いで突っ込めば、バイクで勢いよく跳ね飛ばしたくらいの力は出るんだろうか。むしろ走ってる途中で転んだら大変なことになりそうだ。

 まったくの余談だが、銃の弾丸の初速は、ものによるが拳銃だと時速千キロ前後、ライフルだと速いもので時速三千キロくらいにもなる。つまり、拳銃の弾だって瞬間的には音速くらいのスピードが出ているのだ。このスピードで人間が動いたりしたら、たぶん大変なことになるだろう。その衝撃波だけで攻撃ができそうだ。その前に櫟原の身体がどうにかなってしまうだろうが。

 それを言うならレーザービームってのは光の速さで相手に到達するんだと思うが、この魔法の銃もそうなんだろうか。感覚的には、発射から着弾までタイムラグはほとんどない印象ではあるが、俺は相手にそこそこ近づいてからしか銃を撃たないのでよく分からない。

 櫟原を追ってきた理由はただの興味と、少しは加勢ができればという気持ちだったが、リザードマンを一撃で倒す櫟原にどんな加勢ができるというのか。

 周囲が静かになったことを確認して、櫟原がバスのほうへと戻っていく。当然のように置いて行かれた俺も、音を頼りに同じ方向へと走り出した。

 ――と。

 ずしん、と足下が揺れる。

 あ、なんかこれ、まだ他にも敵が来ちゃってる感じですかね?

櫟原翔真→一匹狼タイプの不良。派手な金髪。ケンカは強いらしい。間宮ルキを「姐御」と慕っている。

間宮ルキ→総合格闘技のジムに通う女子。つよい。夢はお嫁さんになることと、クマと戦って倒すこと。名前以外に出番はない模様。

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