第七話 これぞまさに主人公
任せろ、そう言ってミケの前に立ったメガネ。
腕を組み、ガラスの奥の目を鋭く細めて睨み付ける。
獰猛な笑みを浮かべたハイゴブリンを。
その一切の脅えが感じられない姿に警戒したのか、ハイゴブリンは一瞬足を止める。
だがすぐに有利なのは自分たちだと思い直し、再び動き出した。
それでもメガネはハイゴブリンを睨み続ける。
ハイゴブリンもメガネを睨み返しながら進む。
一人と一匹の距離が徐々に縮まっていく。
黙って睨み続けるメガネ。
負けじと睨み返すハイゴブリン。
その様は「んだコラァ!」「やんのかコラァ!」と無駄に繰り返すヤンキーのようであった。
そんな事をしている間に、包囲の輪がどんどん狭くなる。
だがそれでも尚、ただ睨み付けるだけのメガネ。
ミケがその背に不安そうな顔で問いかける。
「……ちょ、ちょっと、何もしにゃいの? 助けてくれるんじゃ」
振り返らずにメガネは答える。
それは予想外の言葉だった。
「助けるとは言った。言ったが………今はまだその時ではない」
「にゃん……だと………」
驚愕に見開かれるミケの目。
指一つ動かさずぼっ立ちを続けるメガネ。
意味が分からない。
あれだけ堂々と「任せろ」と言っておきながらガンを飛ばすだけ。
挙句の果てに「その時ではない」などとのたまう。
さっぱり理解できない。
今ここで助けずどこで助けると言うのか。
馬鹿なの?死ぬの?あ、死んじゃうか。
混乱するミケ。
だが一つだけはっきり分かった。
「ちくしょう! ちくしょう! やっぱりただの頭おかしい人だった! こんにゃクレイジーメガネを少しでも信じた私がバカだったよー!!」
この狂人に一瞬でも心奪われそうになった自分が恥ずかしい。
割と本気で悔しそうに、涙目で地面を叩く。
そうしている間に、ついにゴブリンたちが二人の目前に到達してしまった。
「ヒィ……」と、頭はおかしいが唯一の味方にすがりつき震えるミケ。
そのクレイジーメガネの目前には、自分よりも頭一つ大きな緑の巨体。
相変わらず睨みつけているが、もはや意に介されていない。
「グルゥ……」
と唸り声を上げ、大ナタを頭上高く掲げる。
そのままメガネを叩き潰すつもりだろう。
周囲でも通常種たちが、各々の得物を構えて襲いかからんとしている。
まさに絶体絶命だ。
ミケは目を瞑りブツブツと何かを言っていた。
この世界の念仏だろうか。
そしてメガネはこの期に及んでさえ、視線をそらさず、じっと敵の目を見つめていた。
その眼を覆うガラスには、愉悦に歪む醜い鬼の貌が映し出されていた。
そして、ついに大ナタが振り下ろされ―――
その瞬間、メガネの目の前に突如大きな光がが生まれた。
一瞬で白く塗りつぶされる視界。
そして、その光の中へとメガネの意識は吸い込まれた。
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見渡す限り白一色の空間。
メガネはその中をふわふわと漂っている。
無重力とはこのような感覚なのか、とそんな事を思った。
そうしていると、頭の中に直接響くような声が聞こえてくる。
≪―――その命を賭して仲間を救わんとする気高き者よ。しかして力無きゆえに倒れゆく儚き命よ。私はあなたを見ていました≫
聞いているだけでふと涙が出そうな、慈愛と神聖さに満ちた声だった。
だがそれを聞きいたメガネは、涙するのではなく、口元をニヤリと歪める。
まるで「ようやく来たか」とでも言うように。
そんなメガネの前で、光が寄り集まり人の形を作る。
それは小柄な少女の姿をしていた。
幼さの中にも妖艶さを兼ね備えた絶世の美貌。
肌は新雪よりもなお白く、それを薄衣が覆っている。
背には、身の丈より遥かに長い白銀の髪が、ふわりと天使の翼のように広がっていた。
その少女は目を閉じたままメガネに微笑みを向ける。
≪私はウカムルク。古よりこの森の聖樹に宿り、世界を見守る女神の一柱≫
そう名乗ると両手をメガネに向けて広げる。
≪勇気ある異界よりの来訪者よ。あなたが望むならば力を与えましょう≫
その言葉と共に、両手の間に一振りの直剣が現れた。
刀身は光そのものが固まって出来たのではないかと思える純白。
鍔元には一対の銀の翼が広がる。
≪これこそは『聖剣マハムエナス』。魔を滅する光の剣。あなたの望みを叶える力≫
聖剣がするりとメガネの前に移動する。
手を伸ばせば掴める距離だ。
しかしそこで女神の美貌が悲しみに歪む。
≪ですが、手にした者には『魔王』を討つ使命が課せられます。それは逃れられぬ運命。あなたが望まずとも過酷な戦い中に―――≫
だが深刻そうな女神の話を聞きもせず、メガネはあっさりと剣の柄に手をかけた。
何の気負いもなく、本当にあっさりと。
柄を握り、適当にびゅんと一振りする。
「ふむ。軽いな」
女神の口がぽかんと開いた。
綺麗な顔立ちと間抜けな表情の組み合わせがとてもシュールだ。
≪か、軽いのはあなたでは……え、いいのですか? そんな簡単に。魔王ですよ、魔王≫
戸惑う女神を見て、メガネ(物の方)をクイッと指で押し上げニヤリと笑う。
「茶番はよせ」
≪な、なにを……≫
突然の言葉に動揺する女神。
その反応を見て、メガネはさらに笑みを深める。
「お前は『見ていた』と言ったな。どこからだ」
≪………何の事でしょう≫
女神から表情が消えた。
整いすぎているが故に、それは無機物であるかのような不気味さを漂わせる。
不敬な言葉に怒りを覚えたのか?
いや、違う。
これは隠しているのだ。
表情と共に、その心の揺れを。
メガネはそう確信する。
「見ていたのは『教室から』だ。そうだろう?」
女神は何も言わない。
メガネにとって、それはもはや肯定と同義だった。
「つまり………」
堂々と女神を指差し言い放つ。
「俺達をこの世界に転移させたのは、お前だ」
表情から溢れんばかりのドヤァ……感。
メガネ史上最高のドヤ顔である。
そのまま、とても気分が良さそうに女神を責め立てるメガネ。
「この状況を作ったのはお前だ。それを、さも俺の意思で選ぶかのように仕向けるとは。これが茶番でなくて何だと言うのだ」
≪………≫
メガネはこの読みに絶対の自信を持っている。
その根拠はもちろん女神の「見ていた」発言だけでは無い。
それを上回る根拠がちゃんとあるのだ。
それは―――
≪……なぜ分かったのです。あんな一言で気付けるとは思えません≫
「くく、簡単な事だ」
無表情の女神にも負けない不気味な笑顔で答えを口にする。
「異世界転移の主犯は、『神』か『王族』と相場が決まっているからな」
≪………くっ、理解できない≫
つまりは、お約束だからだ。
メガネが今まで読んだ転移ものは大抵そうだったのだ。
もちろん変わった理由もあったりするが、本当にごく一部。
そして、これまで王族など影も形も無かった。
故に、この女神を名乗る者こそが犯人。
そう考えていたのだ。
うん、知ってた。
≪ふ、ふふふ………≫
目論見を見破られ、しかし笑い出す女神。
≪確かに私があなたたちを呼びました。魔王を倒す旅に出るよう仕向けもしました。よく分かりましたね………………ですが、それが何だと言うのです≫
その顔には、また初めと同じ柔らかな微笑を浮かべている。
余裕を取り戻したのだ。
≪私の力無くして元の世界に帰る事は叶いません。そして魔王を倒すまで帰すつもりもありません。あなたがいくらそれを望まなくとも必ず魔王を―――≫
「待て」
それをメガネが遮る。
≪何ですか。なにを言われようと帰しませんよ≫
「勘違いをするんじゃない」
≪………勘違い?≫
メガネは不満そうに眉根を寄せていた。
それに訝しげな視線を向ける女神。
「誰がすぐ帰りたいと言った」
≪………えっ≫
「魔王?言われずとも倒すに決まっているだろう」
またもぽかんとする女神。
そう、メガネは主人公を楽しみたいのだ。
こんなところで終わる事を望む訳が無かった。
≪では、なぜ茶番だ何だのと≫
「分かりきった伏線を先に回収しただけだ」
≪あぁ、だめ、この人理解できません………≫
涙目で祈るようなポーズをとる。
神が誰に祈るのか分からないが、ちょっと可愛い。
「ともかく、魔王は倒す。その後なら帰してくれるのだろう?」
≪………えぇ、もとよりそのつもりでしたし≫
「なら問題ない。それまで力を貸せ」
≪はい……≫
すっかり気勢を削がれた女神は、メガネの言葉に唯々諾々と従う。
メガネは言いたい事を言い終えたのだろう。
ふぅ、と疲れたようにため息を吐くと無表情に戻る。
「もう用は終わりだ。さっさと戻せ」
そして本当に微塵の心残りも無さそうにそう言った。
女神は涙目のまま、それでも最後に一応の格好をつけようとする。
≪うぅ、分かりました………で、では、行きなさい選ばれし者よ! この世界を救うのです!≫
少しでも威厳を保とうとする涙ぐましい努力であった。
そして、メガネの意識は再び光の中に消える―――
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突如発生した強烈な光に、ミケは目を閉じ手で顔を覆っていた。
そして光は発生と同じように唐突に消える。
目を開けると、そこには純白の剣で大ナタを受け止めるメガネが居た。
「……えっ、にゃにその剣!? てゆーかさっきの光は!?」
驚くミケ。
同じく視界が戻ったらしいハイゴブリンも、自身の攻撃を平然と止めたメガネに驚愕の表情を向けている。
そして涼しい顔でメガネが一言。
「時は来た。と言う事だ」
言うなり大ナタをはじき返すと、そのまま背中まで剣を引き戻す。
柄を握り締めると不思議な光が立ち昇り、それは腕を伝ってメガネの全身を覆った。
その姿に怯え後退るゴブリンたち。
メガネは怯えた顔のハイゴブリンに勝ち誇った顔を向けると、聖剣を横薙ぎに振るう。
純白の刀身がなお白く光り輝く。
剣閃に触れたゴブリン達をするりと斬り裂き、残光が円を描いた。
その軌跡は周囲に広がり、間合いの外にいたものまで残らず両断する。
そして不思議な事に、斬られたゴブリン達は光の粒子となって消え去った。
粗末な武器と腰布だけを残して。
剣を振りぬいた姿勢のまま佇むメガネの周囲には、ミケと田中以外、もう動くものは無くなっていた。
たったの一振りでゴブリンたちは全滅したのだ。
「ふむ。絶体絶命の危機に覚醒する主人公。読み通りだったな」
剣を肩に乗せ、ニヤニヤと己が作りだした光景を見渡すメガネ。
その後ろではミケと田中が大口を開けて呆けていた。