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第六話 あぁ、任せろ

 ゴブリンの叫びは、仲間に救援を求める合図であった。

 洞窟の黒い闇の中から、雪崩のように緑の小鬼達が飛び出してくる。



 それを見届ける間も惜しみ、ミケが呼びかける。


「逃げよう! 急いでっ……!」


 言うが早いか、隠れていた岩の方へと駆け出そうとする。


 この時ミケの注意は、後方で増え続けるゴブリンたちと、ついでに隣のメガネにしか向いていなかった。

 焦っていたのだ。

 無理もない事だが、それが最悪の結果につながる。


 足元には倒れたゴブリンの体があった。

 気付かず踏み出したミケは、足を取られ「ひゃぁっ!?」と悲鳴を上げ転倒する。


「もうっ! 急いでるのに!」


 悪態を吐きつつ立ち上がろうとする。

 しかし不運は続く。


「………痛っ!」


 左足を踏みしめた瞬間、鈍い痛みが走った。

 そのままバランスを崩し地面にペタリと座り込む。

 足を痛めたのだ。


「こんにゃ時に………っ!」


 痛みと焦りに顔をしかめる。


 洞窟の方を見やれば、そこには口々に奇声を上げて迫るゴブリンの群れ。

 その先頭に、大ナタを振りかざして走る一際大きな体躯の一匹を見たミケは、目を見開きうろたえる。


 そこにメガネから声がかかった。


「立てるか?」

「た、助けて! そうだ、肩! 肩貸してっ! あの大っきにゃやつ、ハイゴブリンまで来てる! 捕まったら終わりだよぉー!」



 ハイゴブリン。

 名前の通りゴブリンの上位種であり、通常種の2倍はあろうかという巨体を持つ。

 全身は筋肉の鎧で覆われ、額から角と呼ぶに相応しい乳白色の骨が突き出ている。

 その身体能力は通常種と体格以上に差があり、例えるならば猿とゴリラ。

 並の樹木ならば根こそぎなぎ倒せる程の力を誇る。

 そこから繰り出される攻撃を受けては、生身の人間では肉塊となる他ない。

 それがハイゴブリン、力で群れに君臨する統率個体である。



「……ふむ」


 迫る危機を前に、だがメガネは一歩も動かず、顎に手を添えて何やら考えを巡らせている。


「ちょっと!? 考え事してる場合じゃにゃいのっ! 早く逃げないとっ……!」

「いや、もう遅い」


 その言葉通り、先頭を走っていたハイゴブリンが既に十メートルほどの所まで来ていた。


 だがおかしい。

 何故かそこで立ち止まり、近寄ってくる気配を見せない。


「………?」


 訝しむミケを前に、それは右手の大ナタを肩に担ぐと咆哮を上げる。


「ギャルルゥァァアアアアア!」


 すると、後方から追いついたゴブリン達が、横へ横へと次々飛び出していく。

 いや、正確には横ではない。

 メガネたちを中心に、同じ間合いを保ち、ぐるりと並んだ。


「か、囲まれたっ!?」


 その数、ざっと三十以上。

 メガネ達の周囲は緑の肉壁で覆い尽くされていた。


 見張りの二匹を倒され、ゴブリン達は警戒しているのだろう。

 全方位から襲いかかり、確実に仕留めるつもりのようだ。


 正面のハイゴブリンの口が三日月のように開き、鋭利な牙を覗かせている。

 ニタニタと、それは獲物を甚振る際の嗜虐の笑みだった。


「………っ! フレイム! フレイム! ……フレイム!!」


 ミケの手から三つの火球が続けざまに飛ぶ。


 苦し紛れのそれは、二発が小鬼に命中し、緑の皮膚を焼く。

 しかし一時的に怯ませる事はできても倒すには至らない。

 一瞬だけ包囲に隙が出来るが、すぐ別のゴブリンに塞がれてしまう。


 そしてハイゴブリンへと飛んだ残りの一発は、大ナタに振り払われ掻き消えていた。


「フレイム! フレイム!! フレイムッ!!!」


 必死に攻撃を繰り返すミケ。

 だが結果は変わらない。

 その間にも、じりじりと包囲は狭まる。


 足はまともに動かせない。

 フレイムにも大した効果を望めない。

 しかも連発したことで魔力は底を尽きかけている。

 隣のメガネも、流石に徒手空拳でこの数をどうにかできるとは思えなかった。


 事ここに至り、ミケは間近に迫る死を強く実感していた。


(私、ここで終わりにゃのかにゃ……)




-----------------------




 ミケはこの森の近傍にある小さな農村で生まれ育った。

 家族は三人。

 両親と父方の祖母だ。


 貧しいながらも皆から愛され、すくすくと成長したミケは、物心がつく頃から父と共に森に入るようになる。

 父は狩人だった。

 その仕事を手伝う中で、森の歩き方や食用になる植物、獲物の捕え方など、様々な事を学んだ。

 スライムへの対処法もこの内の一つである。


 空が茜に染まる頃には父と共に家へ帰り、それからは母の家事を手伝った。

 薪割りと水汲みの後、共に台所に並び夕食を作る。

 おかげで簡単な料理なら一人でも作れるようになった。


 遊ぶ暇も無く、子供には酷だと思うかもしれないが、この世界の貧しい家庭ではよくある事だ。

 それにミケは森が好きだったし、母と料理するのも好きだった。


 そして何より好きだったのは、時たま祖母が語り聞かせてくれる古い英雄譚。

 光の剣を携え邪竜を退治するため旅に出た英雄は、その道程で幾人もの人々を救う。

 ときに戦いに傷つき、ときに救えなかった命に涙し、またあるときは助けた相手に裏切られ、身も心もぼろぼろになりながら、それでもなお人々を救い続ける英雄。

 そんな英雄の姿にミケは涙し、そして揺るがぬ心に憧れた。


 一度、話を聞きながら祖母に尋ねた事がある。

 どうしてこんなに痛くて悲しい思いをしてまで、誰かを助けようとする事ができるのか?

 祖母はこう言った。


「この人はねぇ、きっと大馬鹿者だったのさ。自分が痛いとか悲しいとか、ちぃとも考えない。誰かが笑顔になったら、それだけで自分も幸せになれちまう。まったくお目出度いおつむだよ。……でもねぇ、ミケ。あたしゃそんな大馬鹿が大好きさ。お前も賢い悪人になるくらいなら、優しい馬鹿におなりよ」


 ミケはその言葉に大きく頷き、しかし「でも私は痛いのも悲しいのもいやだにゃ」と不満を言う。

 祖母は笑って答える。


「大丈夫さ。お前がいい子にしていれば、本当に困った時にはきっと英雄さんが助けてくれるよ」


 そうして優しく頭を撫でてくれたのだった。


 ミケは大きくなった今でもこの時のことをよく覚えている。

 忘れられない大切な思い出だ。




-----------------------




 迫る緑の怪物たちを見ながら、ミケはふとそんな昔のことを思い出していた。


(お婆ちゃん、英雄さん、来てくれそうに無いよ。これでもいい子にしてきたつもりにゃんだけどにゃぁ)


 祖母の言葉は子供を諭すための方便だったと理解している。

 だが心のどこかでほんの少しだけ、もしかしたらと期待していた。

 いや、夢見ていた。

 つい先ほどまでは。


 こんな森の中に都合よく誰かが助けに来てくれるはずがない。

 現実を前にして、それが嫌でも分かってしまう。


(この足じゃ、私はもう逃げられにゃい。ここでおしまい。………だったら、せめて最期までいい子でいよう。誰かを救おう。あの英雄さんみたいに)


 そう決意し、隣に佇むメガネに呼びかける。


「ねぇ聞いて。これから残りの魔力全部使って、にゃんとか隠れてた岩までの道を作ってみる。私が攻撃するのに合わせて走って」


 メガネはただ無言でそれを聞く。


「囲いを抜けたら、あの人がまだ岩に隠れてるはずだから、一緒に―――」


 とその時、件の岩から飛び出す人影があった。

 田中だ。

 雄叫びを上げながらこちらに向かってくる。


「ぅ、うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!」


 二人の窮地を見かね、無謀と知りつつ助けに入ったのだった。

 ゴブリンは恐ろしかった。超怖かった。だが勇気を振り絞った。

 短い間だが、ここまで共に行動した二人を見捨てられなかった。


 それでも田中一人で救い出せるような甘い状況ではない。

 しかし、一瞬の隙を作る事には成功した。

 いきなり現れた増援にゴブリンたちが気をとられたのだ。


 ミケはそれを見逃さない。


「いまならッ! フレイム・リコール・ファイブ!」


 手のひらから火の玉が五つ同時に飛び出す。

 併せて使用した魔法を、同時に指定数発動する補助魔法「リコール」を使用して、ミケは全力で攻撃を放った。

 これでもう魔力は尽きた。魔法は使えない。


 五つの火線が田中の方を振り向いていたゴブリンたちに向けて走る。

 一発は外れた。

 だが残りは四匹の後頭部に直撃し意識を刈り取る。

 倒れるゴブリンたち。

 包囲に僅かな穴が開き、その間から駆けて来る田中の姿が見えた。


「行って! 今のうちに!!」


 そうメガネに呼びかけるミケ。




 ―――だが、メガネは動かなかった。

 腕を組んで立ったままだった。


「にゃ……は、はやく! もう今しか逃げられにゃいんだよっ!」


 ミケの焦燥を他所に微動だにしない。


 そうしている間に、近くまで来てしまった田中が数匹のゴブリンに捕らえられ、地面に押さえ付けられる。


「く、そっ! 離せ! 離せよッ!」


 振り払おうともがいているが、相手がいかに小柄なゴブリンと言えど数が多い。

 自力で抜け出すのは不可能だろう。


 そして、ミケが開けた穴も他のゴブリンにたちよって塞がれてしまう。

 ミケが作った最後のチャンスが消える。

 もう逃げる手段は無くなった。



 ミケはその様子を呆然と見て、それから怒りも露に叫ぶ。


「……にゃんで、にゃんで逃げてくれにゃいのッ!」


 言いながら、目には涙が溜まる。


「私はもうだめだよッ! こんな足じゃ逃げられにゃい! だからせめて、アンタたちだけでもって………にゃのに、どうして!!!」


 助けたかった。自分の命を諦めても。だが相手は動かなかった。

 死の恐怖と、上手く行かない苛立ちと、逃げ場のない絶望感が合わさり、瞳から零れ落ちる。




 ―――と、頭に手が乗せられた。

 メガネの手だ。


「馬鹿を言うな」


 言葉とは裏腹に、その声は優しかった。

 メガネの手もまた優しく頭を撫でている。


「お前は『ヒロイン』だと言っただろう。置いて逃げる『主人公』がどこにいる」


 それを聞き、馬鹿を言っているのはお前だと思いつつも、ミケは胸が熱くなるのを感じた。

 この人は私のために残ってくれたのだ。死も厭わずに。そう気付いた。


 しかしすぐに現状を思い出し頭を振る。


「……ほ、ほんとに頭おかしいんじゃにゃいのっ。こんな時まで変にゃこと言って。馬鹿だよ」


 メガネが残ったところで何も変わらない。

 死体が一つ増えるだけ。

 そのはずだ。


 なのに……少しだけ期待してしまった。

 この変人なら、もしかしたらどうにかしてくれるのではないかと。


「……『主人公』だって言うにゃら、ちゃんと私を助けてみせてよ」


 メガネの答えは簡潔だった。



「あぁ、任せろ」



 そう一言口にして、ミケに背を向け庇うように立つ。


 その背中に重なるものがあった。

 あのお話の中の英雄の姿だ。


 ミケは不覚にも胸が高鳴るのを抑えられなかった。






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