第三話 あざとい猫耳だ
森の奥から現れたのは、猫耳を生やした若い娘だった。
メガネは顔を上げそちらに視線を向ける。
娘は猫科を思わせる金の瞳でメガネを見ていた。
西洋風の堀の深い顔立ちに白い肌。
なかなかの美少女だ。
そして瞳と同じ金色の髪の間から伸びた猫耳が、ぴこぴこと動いている。
少し警戒しているのかもしれない。
(ケモミミ美少女か)
そして次に全身を見る。
身長は低い。
メガネの胸くらいだろうか。
浅葱色の、古代ローマ人が着ていたような貫頭衣の上に、片掛けの胸当てを着けている。
皮のベルトを絞めた腰から下は、長い裾が広がりスカートのように見えた。
そのベルトには、横に道具袋らしきものを吊り下げ、後ろに短めの剣。
手足はそれぞれ、皮のロングブーツと手袋が覆っていた。
(ふむ、戦闘もこなせそうだな)
じっと観察していると、猫耳少女から声がかかった。
「おーい! 私の言葉わかるー?」
「あぁ、理解している」
と返しながら立ち上がり、服に付いた土を手で払う。
言葉の通じる相手と分かった少女は、少し表情を緩ませて近寄ってきた。
「よかったっ! かわった服を着てたから、言葉が違う国の人かと思ったよ」
(……明らかに日本人ではないが言葉は通じる。謎の力でどうにかなっているのだろうな)
何も知らない人であれば不思議に思ったであろうその事実も、異世界転移ものだと予測を付けていたメガネは無感動にさらりと流す。
(そして、この女は恐らく……)
「あれ、にゃんだか元気がにゃい? どこか怪我でもした?」
返事の無いメガネを見て、心配そうな顔をする少女。
だが、メガネはそんなのお構いなしに全く別の事を気にかけていた。
「………にゃ?」
と片眉を上げて聞き返すメガネ。
「にゃ?」
と首をかしげる猫耳美少女。
「『な』と言ってみろ」
「?………『にゃ』?」
「『な』」
「『にゃ』」
「『な』」
「『にゃ』」
「ふむ………」
あごに手を添えて呟く。
「あざとい」
「あざ……っ!?」
予想外の言われように目を丸くしている。
メガネは気にせず言葉を続ける。
「安直なキャラ付けだ。だが分かり易くはある。認めよう」
「あ、ハイ」
「顔は中々可愛らしいな。合格だ」
「え? そ、そう?」
「それに声も綺麗だ」
「えへへ、てれるにゃ……」
少し褒められただけで顔を赤らめ、何やらもじもじしている。
ちょろい。
「だが頭はあまり……」
「おい」
「しかも口が悪いのか」
「喧嘩売ってんのかにゃ?」
しばらくメガネを睨みつけると、ため息を吐く少女。
「はぁ……さっきから何にゃの?」
「ん? あぁ」
メガネはメガネ(装備品)を中指で持ち上げると、少女をビシッと指差す。
そしてニヤリとしながら答えを口にする。
「お前は『ヒロイン』なのだろう?」
意味不明な言葉に少女の口が半開きになった。
「…んぅ? どゆこと?」
「俺はこの物語の『主人公』だ」
「頭打ったの?」
「その俺がこの世界に来て初めて出会った異性であり、俺の危機を救った現地人。これはもう間違いない。つまり、お前はこれから俺と共に冒険し、病める時も、健やかなる時も、末長く支え合うパートナー。そういうことだ」
「何このひと怖い」
ドヤ顔のメガネ。
どん引きする猫耳娘。
危にゃいヤツに関わってしまった。
そんな思いが表情からありありと読み取れた。
「………じゃ、私もう行くね」
これ以上関わるべき相手ではないと判断したのだろう。
踵を返すと、少女は振り返りもせず森の奥へと去っていってしまった。
その背を見送りながら、メガネは首をひねる。
「おかしいな。読み違えたか?」
いきなりあんな事を言われれば誰だって逃げる。
おかしいのはメガネの頭なのであった。
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一人残されたメガネは、当ても無く森を歩く。
普通に考えるならば自殺行為だが、そうはならないと言う確信が彼にはあった。
(適当に歩いていれば、また何か起こるだろう)
そう、『主人公』であるが故に。
それを裏付けるように、ある物が彼の目に止まる。
樹木に付けられた傷だ。
胸の高さほどの位置にあるそれは、二本の直線が交差した形、つまりバツ印だった。
明らかに人為的なものだ。
そして同じ印が少し奥の樹木にも刻まれている。
そのさらに奥にも。
「ふむ」
メガネは一瞬だけ考え込む素振りを見せたが、すぐにニヤリと笑い、印を辿って歩き出した。
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しばらく進むと開けた場所に出た。
そこには透き通るような水を湛えた小さな池があった。
底の小石まで見えそうなほど透明な水面が、木漏れ日を反射してきらきらと輝いている。
暗い森の中にあって、ここだけがまるで演劇の舞台であるかのように光で満ちていた。
その水辺に全裸の少女が居た。
こちらに背を向け、濡れた布で身体を拭いている。
全体的に線の細い、幼さを感じさせる身体。
だが腰から太股へと続くなだらかな曲線は、しっかりと女性特有の柔らかな丸みを描いている。
一粒の水滴が、その曲線に沿うように白い肌の上を滑り、池へと還った。
水滴は背中を半分ほど覆う金色の髪から流れてきたようだ。
しっとり濡れた髪は肌に張り付き、その丸みを浮かび上がらせている。
そして髪の流れを追って上に視線を移すと、頭頂に猫のような耳が生えていた。
ふと、その猫耳がぴくりと動く。
振り返る少女。
それは先ほど会ったばかりの猫耳少女であった。
メガネと目が合ったとたん、その目と口が大きく広がる。
「きゃああああああああ!」
叫ぶと同時に座り込み、水面に身を沈めた。
しかし水が綺麗過ぎるために、可愛いお尻は相変わらず丸見えだ。
それに気付いているかは分からないが、少女は顔だけをメガネに向けてキッと睨む。
少し涙目だ。
対するメガネは仁王立ちで堂々と少女を見つめている。
そして非難の視線など気にも留めずに言い放った。
「確信したぞ。やはりお前がヒロインだ!」
「いいから後ろ向いてよ! 変態!!」
「おっと失礼した」
そう怒鳴られてようやく顔をそらすメガネであった。
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背後から聞こえていた衣擦れの音が止むと、「もういいよ」と声がかかった。
振り向くと、少女が腰に手をあててこちらを睨んでいる。
「色々言いたいけど………とりあえず殴っていいかにゃ」
いいかにゃ、などと言っているが、その据わった目が、拒否させるつもりなどさらさら無いと暗に告げていた。
乙女の柔肌を覗き見た罪は重い。
メガネも自らの非を認め、素直に殴られ………る訳がなかった。
「何故だ。今のはお前の落ち度だろう」
「はぁ!?」
少女は一瞬激昂しかけた。
だが、思い当たる部分もあったのか、少し声のトーンを落して言葉を続ける。
「………確かに、私もちょっと無防備すぎたかもしれにゃいけど、でも」
「そうではない」
「え?」
どこか呆れたような声のメガネに、少女は首をかしげた。
そして続く言葉でさらに混乱する事になる。
「ワンシーンで出会いを終わらせないからだ」
「………んん?」
「あそこで逃げたりするから、こんなベタなシーンを追加される羽目になる」
「ど、どゆこと?」
「分からんか? ヒロインらしく魅力的な自己紹介をしろと言う事だ」
「分かるかっ!」
そう叫んで、少女は思いだしたのだろう。
目の前の男が頭のおかしなヤバイ人間だったのだと。
盛大にため息を吐いて肩を落とした。
「ハァ~……もういいよ。にゃんか疲れちゃった。じゃあね」
そう言って立ち去ろうとする。
出会ったときと同じように。
だが、今度はメガネがそれを止めた。
「待て。また繰り返すのか。次は胸でも揉ませるつもりか?」
「揉ませねーよ!?」
あんまりな引き留め方に、つい振り返ってしまう少女。
メガネはその目を見つめながら、姿勢を正して真面目な顔になる。
「それに、言い忘れていた事もある」
そして腰を深く折り頭を下げた。
「先程は助けてくれて感謝している。ありがとう。伝えるのが遅れてすまない」
ビシッと決まった見事なお辞儀であった。
それを呆気にとられた様な表情で見る少女。
少女はお辞儀の意味を知らないが、それは今までの偉そうな態度が嘘のように、誠意を感じる姿だった。
そして、その表情が不意にほころぶ。
「………ぷっ。あはははは!」
すっかり毒気の抜けた顔で笑う少女。
人はあまりにも理解を超えた存在を前にした時、笑う事しかできないと言う。
今の彼女はまさにそんな状態なのだった。
少女はひとしきり笑った後、目じりに溜まった涙を拭いながら言った。
「……もぅ、何にゃのアンタ。訳分かんにゃい事ばっかり言う変人で、覗き魔の変態で。にゃのに真面目にお礼言ったり………ほんと、意味分かんにゃい」
笑われた事に憮然とするメガネがまた面白いのか、笑顔のまま言葉を続ける。
「にゃんだっけ。自己紹介すればいいんだよね?」
そして花が咲いたような可憐な頬笑み浮かべて自身の名を口にした。
「私は『ミケ』だよ。よろしくね。メガネの変人さん」