第二十話 終わりだ
背後から聞こえた咆哮に、五人は一斉に振り返る。
「にゃに!?」
「うお、マジかよ………」
彼らの視線の先で、真紅の皮翼が広がった。
その根元のあたりから、こちらを見据える黄金の双眸。
「うふふ、まだ生きていたのね。嬉しいわ」
ミケ母は娘の肩をそっと押しやり引き離すと、舌なめずりをして大剣を担いだ。
ドラゴンはまだ倒せていなかったのだ。
全身を覆っていた聖剣の白い光は、翼を広げた余波で弾かれるように飛び散っていた。
再び露わとなった真紅の巨体。
所々の鱗が溶け崩れ、爛れた皮膚が見えている。
翼膜も一部が裂けていた。
だが、それだけだ。
ドラゴンの瞳に宿る戦意は消えていない。どころか、より凶暴さを増してさえ見えた。
睨み合う主婦とドラゴンを尻目に、座ったままのメガネは女神に問いかける。
(何故ゴブリンのように消せなかったのだ)
≪以前言いましたね、それは『魔を滅する光の剣』だと。あれは魔に属するものではないのです≫
(ふむ、お前と同列、もしくは別系統に属する故に効果が低い……そう言う事か)
≪概ねその通りです。同列と言われるのは心外ですが≫
(把握した。だが、そういう事は早く言え)
≪仕方が無いでしょう、昔の事だから忘れ………こほん、これもあなたの成長を思っての事ですよ≫
(おい)
珍しくメガネがツッコミをしたその時だ。
ドラゴンがゆっくりと顎を開くのが見えた。
また火球を放つつもりだろうか。
ミケ達は何故かメガネを盾にするように、さっと後ろに隠れる。
と言うか、盾にするつもりだ。
この男ならどうにかする、そんな信頼からであろうが全く嬉しくない。
今は碌に体を動かせないのだ。
「くっ………」
この状況では流石にメガネもうろたえる。
だが、そんな彼の前でミケ母が全員を庇うように立った。
白いエプロンをはためかせ、無骨な大剣を手に臆することなく悠然と構える。
先程までは恐怖の対象であった相手だが、味方となればこれ以上なく頼もしい。
キュン。
メガネはその背中に思わず、ときめいてしまった。
これはある種、ストックホルム症候群に近いものである。
当然メガネも知識はあったが、いざ自分の身に降りかかると、中々そうとは分からないのであった。
「ミケ………お前の母親の名は何と言うのだ」
「え? タマだけど」
「そうか、タマさん………可憐な名だ」
「にゃ!?」
娘の友人を虜にしてしまった事など露知らず、ミケ母はドラゴンの攻撃を待ち構えている。
しかし、いくら待っても火球は飛んでこなかった。
変わりにドラゴンの口から吐き出されたのは、体ごと震わせるような大きく威厳のある『声』。
『あの光………忘れもせぬぞ。忌々しいウカムルク、この邪神めがッ!』
それは聖剣の光の源である女神への恨み事であった。
色々知っているメガネには理解出来たが、他の皆はよく分からず反応に困っている。
それにしても……
「会話できたのか」
呟くメガネ。
しかし体力の尽きた彼の声はか細く、ドラゴンには届かなかった。
首をくねらせ、さらに呪詛を吐き出し続けるドラゴン。
『貴様の呪いのおかげで、この数百年、我がどれほどの屈辱を味わったか………それでも飽き足らず、命までも奪おうと言うのか! おのれ、おのれ………ッ!』
なにせ可愛い小鳥さんにされてしまっていたのだ。
強大な力を持つドラゴンが、地を這う獣にすら怯えてすごす日々。
さぞや屈辱であっただろう。
言葉を紡ぎつつも、ドラゴンの口端からは時折炎がほとばしっている。
まるで抑えきれない怒りを表しているかのようだ。
しかし、怒れる竜は一旦その口を閉ざす。
そして低い唸り声を上げた。
悔しさが滲むような唸り声だ。
『だが、口惜しいが今は時が足りぬ………小僧、貴様が依代だな!』
黄金の瞳がメガネを射抜いた。
依代、神の奇跡をその身に宿す者。
それは確かに彼の事だ。実体はそんな高尚なものではないとしても。
怒りの篭った竜の眼光は恐ろしいものであったが、メガネは平然と睨み返す。
メガネの性格もあるが、正直、ミケ母の方がよほど怖かった。
ドラゴンは憎々しげにもう一度唸る。
『生意気な小僧め。次に会った時には貴様をこの牙で噛み砕いてやろう。あの邪神への報復だ』
「八つ当たりではないか」
体力の尽きたメガネの声はか細く、やはりドラゴンには届かなかった。
『覚悟しておけ。フハハハハハハ!』
そしてドラゴンは高笑いをしながら翼をはためかせる。
逃げるつもりなのだろう。
自分に呪いをかけた女神の力を持つ者と、何だかよく分からないが鬼のように強い主婦。
ドラゴンと言えど二人を同時に相手取るのは自殺行為。
妥当な判断と言える。
しかしそれを彼女は許さない。
そう、ミケ母だ。
今まで話が飲み込めず目を瞬かせていた彼女だが、逃げる素振りを感じ取った瞬間、疾風の如く駆け出した。
その速さはとんでもなかった。
ドラゴンまでの約三百メートルの距離を十秒とかからず走破する。
もちろん大剣を持ちながらだ。
完全に人類の枠を超えている。
あんぐりと口をあけて見送ったミケ達、そして熱い視線を送るメガネの先で、ミケ母は速度に乗ったまま大剣を振りかぶる。
「逃がしませんよ」
ドラゴンはまだ飛び立てないでいる。
その首筋目掛け、ギロチンのごとき刃が振り下ろされる。
殺った。
誰もがそう思った。
しかし。
『クハハ! 時間切れだッ!』
刃が首に触れようとした瞬間、ドラゴンの巨体が影も残さず掻き消えた。
「あら?」
ミケ母の斬撃は空を切り、地を抉った。
地面に十数メートルに渡り断裂させた剣を引き抜き、ミケ母は不思議そうに周囲を見回している。
遠くから見ていたメガネ達にも何が起こったか分からなかった。
ただ、一瞬で消えてしまったのだ。あの大きな体が。
一体どこへ………
困惑し辺りを見回す一同。
と、上空から可愛らしい小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
『ぴょぴょぴょ! 類稀なる力を持つ女戦士よ、貴様ともいずれ決着を着けるぴよ!』
空を一羽の真っ赤な小鳥が飛んでいた。
声はそれから発せられている。
『忌々しい呪いのおかげで、今も数刻しか元の姿では居られぬぴよ……だがたまには役立ったぴよ』
その小鳥こそドラゴンであった。
あれが呪いで変えられた姿なのだろう。
話から察するに、呪いの効果は不完全ながら残っており、一定時間でドラゴンから小鳥さんに戻ってしまうのだ。
以前、大路達が見逃された理由はこれだったと言う事か。
今も、ミケ母の攻撃が当たる瞬間、刻限を迎えあの姿に戻った。
そして上空へと逃げたのだ。
小鳥は攻撃の届かない空の上をくるくる飛び回っている。
偉そうな言葉遣いは変わらないが、可愛らしい姿と、相応の甲高い声で言われては威厳も何もない。
挙句、語尾にぴよぴよと付く始末。
その滑稽さに、メガネは何とも言えぬ憐みを感じた。
「………」
後ろのミケ達も言葉を失い立ち尽くしている。
呪いの事を聞いていたメガネはともかく、他はさっぱり理解が追い付いていないだろう。
それでも感じる事は同じであったようで、悲しい目で小鳥さんを見上げていた。
小鳥、もといドラゴンは、そんな彼らの頭上でぴよぴよ楽しげに鳴く。
『ではさらばぴよ人間ども! 次は容赦せぬぴよ!』
そう言い残して、東の空へと―――
飛び去ろうとしたところで、白い閃光に飲み込まれた。
「次など無い。終わりだ」
見れば、メガネが座り込んだまま、聖剣を小鳥の方へと突き出している。
光はそこから伸びていた。
聖剣はメガネの意思に応えて力を発揮する神器だ。
彼が望めばこんなレーザー光線のような物も発射できてしまうのだ。
もう何でもありだった。
光の奔流が消えると、赤い小鳥がふらりと姿を見せる。
こんな姿になっても流石はドラゴンと言った所か。
やはり消し去ることは出来なかった。
しかし意識は狩り取ったようだ。
小鳥は赤い羽根を散らしながら自由落下を始める。
そのまま重力に引かれ墜落した小鳥は、地面に衝突する前に、飛び上がったミケ母に捕らえられた。
すたりと着地したミケ母は、それを持ったままメガネたちの方へと戻ってくる。
「あら~どうしましょうか。これじゃ小さすぎて食べられないわ」
ミケ母は困り顔で、小鳥の片足を摘まんで逆さに吊るしている。
そういえば、ドラゴンステーキがどうのと書き置きにあった。
彼女は食材の調達に来ていたのだ。
こんなに小さい鳥では、確かにステーキどころか食べる部分も無い。
もはや食料として扱われる哀れな小鳥を見ながら、ミケが痛ましそうな表情で提案する。
「え、えっと、可哀想だし逃がしてあげるとかは………」
「それはまずいだろう。姿が戻ればまた襲ってくる」
「そうにゃの?」
それをメガネが止めた。
流石に野放しは危険すぎる。
他の意見はないかと見回すが、田中と山本は、未だ混乱しているようで何も言わない。
どうもこの場で正しく事態を把握しているのはメガネだけらしい。
しかし彼にも妙案は無かった。
このドラゴンは今まで幾人もの生贄を喰らってきたのだろう。
彼も先程、あわよくば消し去るつもりで光を放った。
それは叶わなかったが、ミケ母に頼めば今からでも殺処分は可能なはずだ。
だが、家畜のように吊るされプラプラと揺れる姿を見ては、さすがに哀れに思えてならなかった。
(女神、何かコイツを暴れないようにする方法はないか)
≪そうですね………では、呪いを掛け直しましょう。私の許しが無ければ元に戻れないように≫
(ふむ、妥当なところか)
メガネが頷くと、聖剣から小さな光の玉が浮き出し、小鳥へと吸い込まれていく。
その体が白く発光したかと思うと、しかしすぐに収まる。
光の中から現れたのは、一見何も変わらない小鳥の姿だった。
「あら?」
「にゃにしたの?」
「女神の力で呪………封印した。もうただの鳥だ。人を襲う事はない」
さしものドラゴンも、この姿のままでは大した悪事は働けないだろう。
それを聞いたミケが再度提案する。
「じゃあ、もう逃がしてあげても」
「あ、待って、連れて帰ろうよ」
口を挟んだのは、いつの間にか混乱から立ち直っていた山本だ。
「喋る鳥だよ? きっとお金になるよ。売ったり、見世物にしたり」
なかなか黒い事を言う。
しかしその通りではあるだろう。
メガネはその意見に興味深そうに頷く。
「ふむ、ドラゴンを連れて行くのは面白い。どうするかはともかく」
「じゃあペット! ペットにしようよ!」
「そうね~これじゃスープのダシにするしかないものね」
「売った方が良いと思うけど……」
そうして小鳥の名前を考え始めるミケ、そこにやんわり換金を勧める山本、あらあら言っているミケ母。
三人の会話を聞きながら、メガネは地面に大の字に寝転んだ。
そこで横に立っていた田中がようやく口を開いた。
「あれ、ドラゴンなんだよな……?」
メガネはそれをニヤリと笑って聞き流し、青い空を眺めながら呟く。
「まさか逆に俺達がドラゴンを攫う事になるとはな。読めなかった」
そしてミケらの話し合いが終わるまで、ぼーっと流れる雲を目で追いかけるのだった。




