第十九話 ドラゴンは俺の獲物だ
メガネ達は走った。
ミケ宅を目指していた時よりもさらに速く。
山本は途中で力尽き、田中に背負われている。
その状態で遅れずに付いてくる田中の体力は驚嘆に値したが、それにはメガネの速度が途中で落ちた事も関係していた。
必死に走ったメガネだが、悲しいかな、体力の無さが足を引っ張る。
始めは短距離走の金メダリストもかくやと言う俊足を見せていたが、今や御老人のジョギング並だ。
それでもどうにか走り切り、ほうほうの体でドラゴンの居る場所に辿り着いた。
メガネはゼェハァと荒い呼吸を繰り返しながら、地面に両手をつく。
後ろでは、山本を背から降ろした田中が額の汗をぬぐう。
そして隣に立つミケは、ぽかんと口を開けて前方に広がる光景を見ていた。
そこは、元は草木の生い茂る平原だったのだろう。
だが、今や土の色しか見えない。
地面には大小様々なクレーターが刻まれ、大路達であろう、制服姿の男女が倒れ伏している。
そして、中央に一際大きな穴が開いていた。
落とし穴にも見えるそれの直上に、その怪物は居た。
翼を広げた全長は、ゆうに五十メートルを超える。
その巨体が上空に浮かんでいた。
全身を覆う深紅の鱗が、陽光を反射しぬらりと妖しく輝いている。
そして、天を突く二本の角を備えた頭部をもたげ、金色の瞳で地を這う人間達を睥睨していた。
状況を見るに、落とし穴で捕えようとしたが逃げられ、反撃で壊滅したと言った所か。
地面にはもう、立っている人間は一人も―――
いや、一人だけいた。
身の丈を超える、鉈をそのまま大きくしたような無骨な大剣。
それを正眼に構えてドラゴンと対峙する女性。
彼女はごく普通のエプロンに身を包み、栗色の髪から生えた猫耳をぴょこぴょこ動かしていた。
「おかあさんっ!!」
ミケが思わず叫んだ。
振り向いたミケ母は、家で見たのと変わらない、優しい笑顔で言った。
「あら~、ミケちゃんどうしたの? こんなところまで来て」
あまりに普段通りな母の様子に、一瞬言葉に詰まるミケ。
だが目的を思い出したようで、うろたえながらも口を開く。
「た、助けにきたのっ!」
「あらまぁ、心配してくれたのね。でも大丈夫よ。おかあさん強いんだからっ」
「え、あの………って、あぶにゃい!」
ふいに、のんきに会話するミケ母を目がけ、ドラゴンの口から火球が放たれた。
高速で飛来する隕石の如き巨大なそれを―――ミケ母は振り向きもせず、大剣で打ち返す。
ガキィーンと快音を響かせ、火球は空の彼方へと消えていった。
正面に構えていたはずの大剣が、気付けば真横に振り抜かれていた。
いかなる妙技をもってすれば、そのような躁剣が可能なのか。
いや、それ以前にあの鉄塊を振りまわす事自体、物理法則を超越している。
ましてや直径が彼女の身長ほどもあった火球を場外ホームランにするなど、ふざけているとしか思えなかった。
彼女は上空のドラゴンと同等、いや、ともすれば、それすら上回る圧倒的強者の風格を漂わせていた。
唖然とするミケの視線の先で、ミケ母が残念そうに呟く。
「あらあら、よそ見していたから外してしまったわ。待っていてね、すぐに終わるから」
そして上空の敵に視線を戻した。
良く見れば、ドラゴンの体のあちこちに黒ずんだ焼跡のようなものが見える。
先程のように打ち返した火球を、既に何度か直撃させていたのだろう。
だが。
(まだ、倒されてはいなかった。何とか間に合ったか)
ミケの横で膝をついていたメガネが、ふらりと立ち上がる。
「化け物め、させるか」
それははたして、どちらに向けられた言葉か。
ふらつく足取りでメガネは歩き出す。
「ちょ、にゃんか、助けとかいらない気も………」
そんなミケの言葉を無視して先へ進む。
助けに来たのではない。戦いに来たのだから。
敵としてドラゴンと。
先を争う相手として、あの主婦と。
進みながら女神に呼び掛ける。
(女神、剣を使わせろ)
≪あ、どうも。お久しぶりですね。忘れられているかと思いました≫
女神に話しかけたのは三日ぶりだった。
何やら拗ねているが、構わず聖剣を要求する。
(いいから剣だ。時間が無い)
≪はいはい、分かりました。どうせ私の力だけが目的なのですね≫
文句を言いながらも、力は貸してくれるようだ。
ペンダントが光の粒子となり、メガネの右手に流れ込む。
そして純白の刀身を持つ剣となった。
≪相手は………あぁ、あの破廉恥なドラゴンですか≫
(知っているのか)
≪はい。昔私に言い寄ってきて………しつこいので呪いをかけました≫
(ふむ?)
≪可愛らしい小鳥にしてあげたのですが、剣を作り私の力が弱まったせいで元に戻ったのですね≫
メガネの持つ剣は、女神の力を分け与えられたものだ。
その分、女神自身の力が弱まったのだろう。
しかしホイホイ呪いをかける女神である。
メガネの耳も、いまだ熊さんのままだ。
じつは邪神なのではなかろうか。
(そうか。ところで、今までにも聖剣を作っていたのだな。恐らく数十年に一度のペースで)
≪え? そうですね。その通りです≫
(なるほど。納得した)
以前、ドラゴンは数十年周期で村を襲うと聞いた。
つまり、そう言う事だったのだろう。
≪何に納得したのです?≫
(お前が災いを呼ぶ邪神だと言う事にだ)
≪!?≫
などと会話していた所で、ドラゴンが動いた。
ミケ母目がけて急降下する。
火球では殺せないと判断し、大きく開いたその口で食い殺そうというのだろう。
「まずい!」
叫ぶメガネ。
もちろんミケ母を心配しての物ではない。
その逆だ。
「うふふ、待っていたわ」
相変わらず優しげな声でそう言ったミケ母は、徐に大剣を頭上に掲げ、大上段の構えをとる。
ドラゴンを待ち受ける彼女の顔は、後ろに居るメガネからは確認できない。
だが、嬉しそうに笑っているだろう事は想像に難くなかった。
火球では殺せない。
そう考えていたのはどちらも同じだったのだ。
しびれを切らし、直接攻撃を選んだドラゴン。
それは同時に、ミケ母の大剣の間合いに入ることを意味していた。
その結果、倒されるのは―――ドラゴンだ。
メガネはそう、確信にも近い予感を抱いていた。
激突はすぐに起こるだろう。
もはや猶予は無かった。
「間に………あえッ………!!」
メガネは残された体力を振り絞り、思い切り剣を振るった。
ドラゴンは遥か間合いの外。
当然剣は届かない。
が、剣の描いた輝く軌跡、そこから閃光がほとばしる。
それは光の斬撃となってドラゴンに向かった。
ミケ母は、ドラゴンが間合いに入るのを今か今かと待ち構えていた。
細められた瞼の奥から、狩人の如き冷たい瞳が敵を射抜く。
殺気、と言う物だろうか。
得体の知れない何かが、ミケ母から噴き出す。
もし近くに誰かが居たなら、その者はあまりの恐怖に昏倒していただろう。
相対するドラゴンは、それを最も強く感じているはずだ。
だが、速度を緩める事は無い。
それは絶対者としての矜持か、はたまた驕りであろうか。
そして、ドラゴンが顎を開き、ミケ母の大剣が振り下ろされようとしたその時。
白い閃光がドラゴンに直撃した。
メガネの放った斬撃が間に合ったのだ。
ドラゴンは巨体で地面を削り取りながら吹き飛ばされていく。
全身を純白の光に包まれながら。
更地を越え、その奥の木々をなぎ倒し、そして三百メートルほど転がった所でついに止まる。
その場で横たわり、ぴくりとも動かなくなった。
白く光る体からは、小さな粒子が立ち昇っていくのが見える。
メガネはそれを見届け地面に倒れ込んだ。
「くっ………は、やった、ぞ」
主にここまでの全力疾走で、メガネの体力は限界だった。
そして目的を達した事で気力も尽きた。
もう立ち上がる事すらできない。
それでも満足気にニヤリと笑っていた。
もし体力があれば思わず叫んでしまっていただろう。
彼は、勝利したのだ。
ドラゴンにも、ミケ母にも。
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地面に転がったまま、一人達成感を噛みしめるメガネ。
その頭上に影が差した。
誰かが近寄って来たのだ。
目だけを動かし、相手の顔を見る。
その瞬間、メガネは氷のように固まった。
居たのはミケ母だった。
朗らかな笑みでメガネを見下ろしている。
そう、笑顔だ。笑顔のはずなのだ。
だがメガネは底知れない恐怖を感じていた。
「………何のつもりかしら」
発せられたのは、芯まで凍るような低温の声。
ワタシノ エモノニ テヲダシテ。
そう言葉が続くのだと理解出来た。
獲物を横取りされ、ミケ母は怒っている。
いや、今メガネが感じているのは怒気などと言う生易しいものではない。
これはもはや殺気だ。
いつものメガネなら、主人公のつもりだ、俺が倒して当然だ、そう答えただろう。
ついでに、負け猫め、と煽ったかもしれない。
しかし言えない。
喉が引きつり、言葉が出無い。
黙ったままのメガネに、ミケ母は屈んで顔を寄せてくる。
「………ねぇ、メガネ君。答えなさい」
その顔はやはり笑顔のままだった。
だが、近付いた事でメガネは見てしまった。
彼女の目を。
細い目蓋の隙間から覗く、殺意に満ちた眼光を。
見誤った―――
そんな想いが胸中を駆け巡る。
てっきりいつものように「あらあら」言いながら受け流すのだろうと考えていた。
しかし、怒っている。殺意すら滲ませて。
彼女はメガネ以上の、本物の戦闘狂だったのだろう。
怒れる狂人の手が彼の頬をなでる。
そしてゆっくりと、顎を伝い、首元へと下りてゆく。
メガネには、その指先がまるで鋭利なナイフのように感じられた。
何とかしなければ。
そうは思うものの、体は氷漬けにでもされたかのように動かせない。声も出無い。
そして目は、ミケ母の瞳から離せない。
殺される。
そう覚悟した時、救世主が現れた。
「おかあさーん!」
ミケの声だ。
彼女はミケ母に走り寄ると、勢い良く抱き付いた。
おかげで指も視線も、メガネから離れた。
「あらあらミケちゃん、甘えちゃってどうしたの」
「だって、おかあさんが心配だったから……」
胸に顔を埋め幼子のように甘えるミケを、ミケ母はよしよしと撫でる。
娘を見る母の眼には、もう殺気は微塵も残っていなかった。
死の重圧から開放され、メガネの体から一気に力が抜ける。
そんな彼の側にも、田中と山本が近付いてきた。
「おつかれ! またぶっ倒れたのかよ」
「何か顔色悪いけど大丈夫?」
話す気力も無いメガネは、右手を軽く上げて応えた。
起き上がる気配が無いのを見て、田中達は仕方ないと言う表情で彼を抱き起こす。
そこへミケが話しかけた。
「お母さんを助けてくれてありがとう!」
ミケは、メガネがミケ母を助けようとしたと勘違いしていた。
確かに、外から見えた言動だけなら、そう思えるようなものだったかもしれない。
ミケ母がメガネを見た。
「あら、そうだったの?」
尋ねる声にも表情にも、もう殺意は込められていない。
だが、メガネはびくりと震える。
恐ろしくて仕方なかった。
彼は目を合わせないようにしながら、小声で答える。
「………そう、です」
嘘である。
だが本当の事を口にする勇気は無かった。
ついでに敬語になっていた。
「まぁ~そうだったの。なら怒るのは可哀想ね」
「あ、ありがとう、ございます」
「あらあら、お礼を言うのはわたしの方よ~」
許された。
助かった。
メガネは安堵の笑みを浮かべようとするが、頬が引きつりうまく笑えなかった。
そんな様子に、他の三人が目を丸くする。
「にゃにその話し方!?」
「大丈夫かよ、頭でも打ったのか」
「なんか気持ち悪いね」
散々な言われようであった。
しかし、今は何とも言えない脱力感に満たされており、文句を言う気にもなれない。
早く帰って休みたい、そればかりを考えていた。
そうなると、右手の剣も重く感じる。
(女神、もういいぞ。剣を戻してくれ)
≪あの、私にも敬語を使ってくれても良いのですよ?≫
(早くしてくれ。また杖代わりにしてもいいなら別だが)
≪もぅ、分かりました………………っ!? いえ、まだです!≫
焦ったような女神の声と同時。
後方から大地を震わす咆哮が響き渡った。




