第二話 これがスライムか
森の中で目覚めたメガネ。
上体を起こし地面に胡坐をかくと、まず自分の身体を確認した。
「……ふむ」
特に変わったところはない。
学生服に少し土が付き汚れていたがそれだけだ。
ブレザーの内ポケットを確認する。
スマートフォンが入っている。
腰に手をやると、尻ポケットに入った財布のふくらみも確認できた。
(持ち物はそのままだ。身体の自由も奪われずに放置されている。やはり、どこかに「転移」させられたと見て間違いない)
次に、顔を上げ正面を見た。
一メートルほど離れた場所に、プルプル震える謎の物体がある。
いや、居る、と言うべきか。
(スライム……想像通りの見た目だな)
腕を組み、じっくりと観察する。
一言で言えば、青いゼリーだった。
ただし大きい。
底の丸いバケツで作ったゼリーを地面に落としたような姿。
その中央に紫の球体が浮かんでいるのが見える。
それは波打つように脈動し、その度にゼリー部分がプルプルと震えている。
(スライムが居るならば、ここはファンタジーな世界だろう。よくある「異世界転移」と見て良さそうだが………さて、次は何が起こるか)
そんなことを考えているとスライムに動きがあった。
のそのそと地面を這い、ゆっくりこちらに近づいてくる。
その緩慢さにさほど危険を感じなかったメガネは、腕を組んだまま様子を見る。
そして、スライムはメガネのすぐ傍まで移動すると動きを止めた。
じっとそれを見下ろすメガネ。
しばし見つめ合う一人と一匹。メガネとゼリー。
―――と、スライムがぶるりと体を震わせた。
かと思うと、そのゼリー状の体を伸ばし、一瞬でメガネの顔に取り付く。
今までは何だったのかと言うほど素早い動きに、反応も出来ないメガネ。
そのまま頭部がスライムに包み込まれる。
口も鼻も塞がれ呼吸が出来ない。
このまま窒息させるつもりなのだ。
完全に殺しに来ていた。
(攻撃してきたか。魔物は敵。変り映えのしない設定だな)
だが特に焦った様子のないメガネ。
命の危機にも関わらず、腕を組んだまま動かない。
(しかし、転移直後に魔物に襲われる展開か)
スライムに覆われたその顔が、ニヤリと笑みを作る。
(もうこの先は―――「読める」な)
彼はこの状況を命の危機とは考えていない。
何故なら、今まで見てきた幾多の物語が、この先に起こる出来事を教えてくれるのだ。
物語には決まりがある。
連綿と続く文学の歴史の中で磨き上げられ、一般化されたそれを『お約束』と言う。
今、この状況に当てはまるお約束。
そして、そこから導き出される次の展開。
それは―――
(どうせ誰かが助けに来るだろう)
他人任せだった。
そうして、腕を組んだまま何者かの助けを待つメガネ。
十秒が経つ。
何も起こらない。
二十秒が経過。
誰も来ない。
メガネの口がきつく結ばれる。
三十秒。
やはり助けは来ない。
眉間にしわが寄る。苦しくなってきたようだ。
(……大丈夫、大丈夫だ。こんな序盤で主人公が死ぬはずがない。必ず助けが来る)
四十秒。
顔全体に赤みがさし、額に血管が浮き出る。
(ぐ……もうあまりもたんぞ。早く……早く来い……なにをやっている)
五十秒。
もはやメガネに先程までの余裕は微塵も残っていない。
顔は茹蛸のように真赤になり、肩もぶるぶると震える。
(お…い……この、ままでは…死ぬ………! 早く……! 早くしろッ!!)
そして六十秒。
(く…そ……! もう、限界だッ!!)
ついに耐え切れなくなったメガネ。
頭を覆うスライムに手をかけ、力任せに引っ張る。
だが掴んだ部分が伸びるばかり。
無駄と悟り、次は自分の頭ごと地面に叩き付け、擦り付ける。
しかしスライムは離れない。
どうにもならず地面を転がるメガネ。
しかも、暴れたことで残った僅かな酸素が消費されていく。
(ま…まずい……もう意識が……)
余裕ぶった挙句、ご覧の有様である。
そしてメガネが意識を手放そうとしたその時だった。
「―――フレイム!」
声と共に、森の奥から拳大の火球が飛来した。
それはメガネの顔面……いや、スライムに命中し、表面を熱で焼き溶かす。
スライムは体表を激しく波立たせると、メガネの頭から離れ、体を伸ばし頭上の木の枝に巻き付いた。
そして枝から枝へと移り、やがて木々の奥へと消えていった。
ようやく開放されたメガネは、地面に手をつき荒い呼吸を繰り返す。
(……くそ、読みが甘かった。助けが来るのは『危機的状況になってから』だったか)
どうにか息を整えていると、前方の草をかき分け、待ちに待った「誰か」が姿を見せた。
「……あの、大丈夫?」
そう声をかけてきたのは一人の少女。
頭には猫のような耳が生えている。
猫耳少女だった。




