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銀文字の書

願いの果てにあるものは

作者: 杜野 玖真

昔 栄えた都に愚かな女がいた

場末の酒場において知らぬものない莫連ばくれん

金と宝石で誰にでも春をひさぎ

気が向けば 生娘きむすめにも手をつける

臥所ふしどをともにしていても

心は常に他の者の上にあるという

不道徳で 不義理な女


なれどもとをたどれば

外つとつくににおいて高貴な女

贅沢に育った手に負えぬ女

身持ちの悪さに勘当されたがその身の上

流れ流れて タルス・イス・シラの都に落ち着いた

それがこの都の不幸の始まり


女は王の書記の息子に恋をした

見かけたは通りがかりの馬車の中

雲母硝子うんもがらすを透かしてのこと


なめされた真白な鹿革のごとき肌と聡明なる黒のまなこ

つむりには 採りたての艶やかな栗の実色した髪を持つ 

書記自慢のたくましき息子

聖殿において 婚約の儀からの帰り道

なにげなく見ていた都の通りで

莫連女と目があった ただそれだけのこと

女は馬車の紋章から若者の素性を知る

そして酒場の噂聞く

あるいは おしのびの貴人のねやの睦言の間に


かのきみは許嫁いいなずけのいる身

春には愛らしい黄玉(トパアズ色の髪もつ良家の娘が嫁いでくる

なにひとつとしてうれいなき縁組み

とにもかくにも慶ばしい事よ と


愛人の灰髪を弄びながら 莫連女はひそやかに嫉妬する


たちまちその饐えた香りを暗がりに住まう者が嗅ぎつけた

都のはずれ 石橋の下に潜む妖女であった

そのよわい 百年とも千年とも

太古の王によりて駆逐された腹黒き者

かつて都にあまたの悪なした女

それゆえ王に捕らえられ

都の堀を渡る石橋のいしずえとして埋められたが

ときと水はその封印を崩し 今やその身は自由であった


以来 幾度となく侵入をこころみるも

都に蜘蛛の巣のごとく 強靭かつしなやかに

隅々まで張り巡らされた聖なる結界により

辛酸をなめることしばしば


ゆえにかの国への復讐の機会をはかって

封印の礎に何年も潜んでいた次第

此度こたびは機なりといえども 

己の力だけでは どうにもならぬことを知る妖女は

ひそやかにはかりごとをめぐらせる


都の外に市が立つ日

辻占いの女が現れた

水晶の賽子さいを振り 二十二枚の占い札で

運命失せ物 なんでもござれ

また 恋においてはめざましく効果ありとの

妖しき品々を敷物の上に並べた


かの妖女がやつした姿であった


人々はたわむれに小銭で運命を買い取った

ところが 失せ物は占い女のいうところに現れ

恋をかなえる呪物を身につければ

見目みめ悪き娘の元に男は通う その逆もまた

耳ざとい莫連女にこの話が伝わらぬわけがない


次の市の日 占い女の前に愚かな女がいた

望みを聞いて 占い女はうなづいた

貴女の願いは叶うでしょう と


―でも 聖殿で婚約の誓いを上げた相手となると

 ここにあるお守りではもう効きませぬ

 願いの泉の力を借りてはいかが

 都の真中まなか 精霊の泉

 あれに精霊が望むものを与えれば

 いかなることも曲げてかなえることでしょう


タルス・イス・シラの者ならば

一度は銅貨を投げ込んで 願いをささやく泉のことであった

だが精霊が願いをかなえたとは 誰も聞いたことがない


からかうなと怒り詰め寄る莫連女に 

占い女は続けて語った


―よくお聞きくださいませ

 私は精霊の望むものを与えれば そう言いました

 人ですら望まぬものばかりもらっていては

 つまらなく思うでしょう

 精霊とて同じことでございますよ


――では 望む物を教えて


占い女は仰々ぎょうぎょう)しく天を仰ぎ

一点の曇りなき水晶の玉を覗き込む


―輪が見えまする

 日の光には血色 燈火では青緑

 この世にまれなる宝玉をめた腕輪

 そのようなものをおもちでございますか


莫連女はじきに思い当たった

国を追放されるとき 母が持たせた唯一のもの

その伝来は知らされず 代々一族に伝わる

まことの銀より打ち出された魔法の呪具

その用途は多くの時を経たため誰も知らぬ

ゆえに女に手渡された

日々の糧に困ることあれば 金に換えられるようにと

そのようなことは一度とてありはしない

常に様々な男が 女を養っていたのだから


その母の心も知らず 女は答える


――あるは きずだらけの腕輪

  あたしには地味すぎて 身につける気にならないの

  そんなものでいいのね お安い御用よ


―ならば今宵こよいにでも泉に投げ込めばよい

 願いはく叶えられる

 あとはごゆるりと おたのしみを


占い女は鮮やかな色の襤褸布ぼろぬのを編みこんだ

鴉羽色の頭をのけぞらせて笑った

そして忙しいといわんばかりに

莫連女を立ち去らせた


そのときを境に占い女は辻から消え

魔法で結われた男と女の間では

ささやかならぬ騒動が起きた

大いなる厄災前の小さな喜悲劇

あとにはがらくたのお守りが残るのみ


さて その夜も半ばふけた頃

誰の目にも留まらぬよう

莫連女は街の泉に独り行く

水底には白砂広がり水が踊る

白きライニの輝きを受けて

星のごとくきらめく金銀銅貨も見え隠れする

透明な泉の水面に口寄せて かの女はささやいた


――泉の精霊 願いを叶えてくれる精霊よ

  あなたの望みどおりに我が家に伝わる腕輪を差し上げます

  どうぞあの人が 書記の息子が

  他のひとのものにならないようにしてくださいませ

  そしてあたしのもとに来させて

  あたしを腕に抱き 愛を交わさせて


・・・・・腕輪は ゆっくりと 水に沈んだ


莫連女は息を詰めて見守るが

白き月の光すら 微かな音を立てて降り注ぐかのような静けさ

泉にはなにひとつ変わりはない

女は熱夢から覚めたかのごとく

馬鹿馬鹿しいといわんばかりに頭をふり

水底に沈んだ腕輪に手を伸ばす

だが そこには何もなかった

無くしたとて惜しくないものゆえ

探すこともせず 家路についた

明日には占い女を酷い目に遭わせてやると 心に誓いつつ


泉に腕輪が沈んだ頃

タルス・イス・シラの家々の

庭園の水盤 厨房の水壷 水のたたえられた

ありとあらゆるものから 水があふれた

その冷たさは骨の髄まで凍らすかのよう

ひそやかに しのびやかに

水は確固たる意思を持って

廊下を伝い 扉の隙間をくぐって

人々の貴賎を問うことなく あまねくつぶさに寝台を襲った


死水がただ肌にひとたび触れたのみで 命火は消えた

都に住まう大方の民は 

一体何が己が生命を消し去ったかも知らぬうちに 冥府へと下った


くだんの女はどうであったか

莫連女は何も知らず

愛人の一人から与えられた館に戻る

ごくありふれた宵ならば

珍しい独り寝となるところが

寝台を覆う紗をあけると

そこには女が熱望した かのきみが横たわる

書記の息子は ぎこちなく身を起こし

女を迎えるように 腕を広げた

歓喜の声を上げて 女は男の胸へ飛び込む

そのまなざしのうつろさ

その肌の青白さにすら 気づくことなく


一瞬の間ののち

新たな恋人の異様な冷たさに 莫連女は悲鳴を上げた

死せる若者は接吻する

死者が女の身体の上に覆いかぶさる頃

莫連女はすさまじい恐怖を 自慢の美貌に刻んだままこときれた

いかな人間も表現できぬ醜さであった


―――タルス・イス・シラは そもそも原始の水妖がまう地であった

古の王がまことの銀で作られた剣と魔道の技にて封じ

その上に栄えた都


奇しくも莫連女の腕輪を形作る真の銀は

かの妖魔を封じた剣の一部であったもの

腕輪の宝石は水妖のまなこ

水妖が恐れる真の銀を腕輪に仕立てて石を

珍奇な宝として 外つ国の王へ贈ったものであった

タルス・イス・シラに二度と戻らぬよう 祈りをこめて

それはむなしく 叶えられなんだが


片目をえぐられ 力を失った水妖はというと

かろうじて泉となって 人知れず命を永らえてきた

長きに渡り積み重なりしその怒りは

いかなるものか人の身には計り知れぬ

容赦なく 己の物であった土地を取り返すのも無理ないこと

タルス・イス・シラのなんたる運命


莫連女は願いを告げるに

書記の息子の生き死には言わなかった

水妖がそれを気にかけるわけもなく

占い女に身をやつした妖女もまた 

それを言えとは教えなかった

水妖から人間への ささやかな意趣返し

妖女から人間への 瑣末さまつな意趣返しであった


水に没しゆく都のどこかで 

妖女の勝ち誇った哄笑が上がったが

すでに聞くものは ない

朝来たりて 旅の商人が驚きとともに

一夜にして出来た湖の底に都を見いだした

以来 呪われた地として近づくものは皆無

今では どこにあるかもさだかではない


fin

過去に別名義で同人誌投稿したもので、初作品でもありました。

いまから思えばつたないものですが、自分の初心への戒めも込めて

こちらへの初投稿作品にしております。

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