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【短編集】気ままに新たな自分を探して

百六回裏切られた

作者: 春風 優華

 ねえ、どうして君はあの子を信じてあげないの?

 幼い頃、見知らぬ少女に言われた。僕は答える。

 あの子は嘘ばかりつくんだ。

 でも、次は本当かもよ? 信じてあげなきゃ何も始まらないって!

 結局嘘だった。それもひどい嘘だった。けど幼い僕は、嘘だということにしばらく気がつかなくて。随分成長した今でも思い出したくない思い出ランキング一位を占めている。

 けれどなぜだろう、時折思い出してしまんだ。あの時の少女の言葉を。もう人なんて信じない、そう心に決めたはずなのに。少女の言葉を信じたばかりに、あの時の僕は酷い目にあったたずなのに。あの時初めてはっきりと、裏切られたって感情を知ったはずなのに。

 そうして僕は、また少女の言葉を不意に信じてしまったばかりにまた裏切られるんだ。これで百五回目か。

「ねえそこの君。どうして彼女のことを信じてあげないの?」

「どうしてって、今裏切られたばかりなのに信じる方がどうかしてるさ。僕は学んだんだ、人を信じてもろくなことはないって」

「でも、次は本当かもよ?」

「もうその言葉には騙されない……って、え!??」

 いつの間にか僕の背後には僕と同じくらいの歳の女性がいた。全く見覚えのない顔、しかしその言葉と喋り方には確かに覚えがあった。それも、忘れたくても忘れられないほど強烈な。

「えへへ、覚えてくれてたのかな? 私はずっと覚えてたよ。あの時公園で遊んでた男の子でしょ? 私ね、真実(まみ)っていうの。君の隣のクラスなんだ」

「まみ、さん? えっと、そうだあの言葉! き、君のせいで僕は今こんな目に……!」

「こんな目? それて、さっきの彼女にフられたことかな」

「み、見てたのか!」

「いやわざとじゃなくて、たまたまだよ。たまたま今日君に話しかけようと思って追いかけてたら見ちゃったんだよ」

「それはもうわざとの領域にはいると思うけど……。それより、何もかも君のせいなんだぞ! 君があの日僕に変なこというから、僕の人生散々だ」

「あ、気にしてくれてたんだね、あの言葉! 嬉しいなぁ。今までいろんな人に言ってきたけど、みんな忘れちゃうんだよね。あとはバカにしてきたり? 全く酷い話だ」

「それはこっちのセリフだよ!」

 僕は飄々としているその子に近づいて責め立てた。

「君があの日あんな事僕に言わなければ僕は今日までこんなに悩んだり苦しんだり辛い思いをしないでこれたんだ。人なんて嘘ばっかりの生き物なんだ、それなのに信用しちゃうなんて、バカの極みだよ! なのに、なのに僕は」

「信じちゃうんでしょ」

 図星だ。何も言えなくなる。

「だいたい、そんな事私に言われたって困っちゃうよ。だって君は私の言葉を信じたってことでしょ? それは私が矯正したんじゃなくて君自身が下した判断だよ。それを私にどうしろっていうのさ」

 さらに追い打ち。確かにその通りだ。全ては僕の責任だ。それを目の前の女性……まみさんだっけ、に押し付けるのは間違ってる。けど違うんだ、そうじゃないんだよ。僕が言いたいのはだな。

「私があの日、君にあんなことを言わなければ、君は人を信じようなんて思わずに、今まで平和に暮らしてこれたのに。ってところかな、君が言いたいことは」

「その通りです、すみません」

 僕は完全に最初の勢いを失っていた。寧ろ平然と僕の考えを読み取るこの女性が恐ろしく思えてきた。

「良かった、君のような人がいてくれて。私のしてきたことは無駄じゃなかったってことだね」

「君にとっては良いことかもしれないけど、僕にとっては散々だよ」

「あ、そうだ。君って言われるの嫌いじゃないけどせっかく自己紹介したんだから名前で読んでよね。あと、君の名前も知りたいな」

「えっと、渋谷(しぶや)まことです」

「へー、良い名前! 気に入っちゃった。まこと君、これからよろしくね。私は真実って書いてまみだから、そこのところもよろしく! あと、どうやらまこと君は帰宅部みたいだし、しばらくつきまとわせてもらうけど気にしないでね」

「あぁ、そう……て気になるよ! 何なんだ一体」

「お、勢いが戻った」

「からかわないでください。まみさん? あなたは一体なんなんだ。僕にどうさせたい」

「ふふ、それはね」

 まみさんはくるっと回ってポーズをとると、満面の笑みで言ってのけた。

「私は<狼少年の可能性>にかけてみたい、ただそれだけだよ」

 全くもって、意味がわからない。ただ、何かとてつもなく面倒なことに巻き込まれつつあることだけは理解していた。



「それで、狼少年の可能性っていうのは一体なんなんだよ」

 結局あの後まみさんは一人で納得して楽しそうに去って行ってしまったので、後日仕方なく隣のクラスまで出向いた僕。全く、関わりたくないと思っていたはずなのになんでわざわざ僕から会いに行っているんだろう。自分の行動の訳がわからない。

「あ、やっぱ気になる? 気になるよね、話したげる。まこと君は狼少年の話は知ってる?」

「あぁ、あの嘘ばっかついてたら、最後には本当のことを言ったのに信じてもらえなかったっていうやつだろ? でもそれと可能性って一体」

「だから、そのまんまだよ」

「え?」

「そのまんま、狼少年が本当のことを言う可能性に私はかけてるんだよ。言うなれば、周りの人みんな狼少年で、お話の中の狼少年もそうであったように、いつか本当のことを言うんじゃないかと信じてるんだ。狼がきたってね」

 阿呆らしい。そんな果てしない可能性、サイコロで連続百回六の目を出すよりも途方もないじゃないか。何回裏切られたら済む話だよ。

「二千百六十と一回、私は嘘をつかれた。けど、そのうち千十回はいい嘘だったと私は思ってる。そして裏切られた回数は零。だって、私は嘘イコール裏切りだなんて思ってないもの。まこと君はどう? まこと君は、今までに何回裏切られた?」

 ドキッとした。何か見透かされてるような感じがして身体中むず痒くなる。

「な、なにが言いたい」

「別に? ただ質問してるだけだよ。まこと君ってさ、何だか私と同じ匂いがするんだよね。だから、もしかしたら覚えてるんじゃないかと思って。何回裏切られたか、どうしてそう思ったのか。今日ここに来たのだって、私の言葉が気になったからでしょ。普通ならみんなどうでも良いことは忘れていく。なのにまこと君は忘れられなかった。忘れたくても記憶にこびりついて離れなかった」

「うるさい」

「違う?」

「……もう帰る。そしてもう二度と、僕をつきまとわないでくれよ。君と話してると僕が僕じゃなくなるみたいだ。いきなり来て悪かったな。じゃあ」

「分かった、じゃあね」

 朝礼が終わり、授業が始まって、休み時間が訪れ、お昼休みが来て、午後の授業、そして放課後。一日中まみの顔が頭から離れなかった。真実とかいてまみだよと無邪気に自己紹介する彼女、不敵に微笑み質問を浴びせてくる彼女、そして、次は本当かもよと囁きかけた女の子。白黒映画のように色彩の抜けたまみの顔がスライド写真のように次々と表れては消え、表れては消えを繰り返した。

「うぅ、頭が痛い」

「大丈夫かー、顔色悪いし。なんかあった? あ、彼女にフられちゃったとか」

 教室の隅、机に肘をついて頭を抱えていたら幼馴染の(コウ)が心配してんのかおちょくりに来ただけなのか向かいの席に座って話しかけて来た。

「別に、頭痛がするだけさ。気にしないでくれ」

「あ、もしかして図星? そういえばいつかの朝お前の彼女、じゃなくて元彼女と知らねー男が並んで歩いてるの見たし、体育館倉庫前で話してんの見たことあったんだよな。なーんか怪しいと思ってたけど、やっぱそうゆうことだったのか」

「うっせーよ。ほっとけ」

「それは無理ってもんよ。生まれた時からの付き合いだろ? 励ましてやるのが俺の責任ってやつだ」

「お前良い加減その俺ってやつやめたら。高校生になっても女子の一人称が俺って、恥ずかしくないのか? そういうの、中二病って言うんだろ」

「うっせーな、せっかく幼馴染様が心配してきてやってんのに説教かよ。いいんだよ、俺は俺で。案外受けてんだぞ? 男より男らしい女って感じで」

「お前の場合おっさんの間違いだろ」

「言ったな万年僕ちゃんやろー! もー知らねーから。勝手にしろ」

 いつまでたっても成長しない煩いやつだ。ま、そんなところが女子には人気なんだろうけど。男子でもああ言うのが好きなやつは好きなんだっけ。僕には関係ない話だ。だいたい、僕の何がいけないって言うんだ。俺なんかよりよっぽど真面目で清純そうだろ。荒々しいのは好きじゃない。でもま、あいつと話したおかげでスッキリしたな。もう帰ろう。帰って宿題やってゲームしよう。帰宅部にはお似合いの部活内容だな。

 僕は荷物を手早くまとめると足早に学校を去った。



 それから数日、まみと関わることはなかった。それ以前に、すれ違うことすらない。隣のクラスなら嫌でも目にする機会はあるだろうに。けれど、そんなこと僕にはどうでも良いことだ。僕は今まで通り誰にも振り回されず教室の隅でひっそりと過ごして放課後になれば早々に学校からいなくなるんだ。たまに図書館に寄っては本を借りて、親に頼まれればお使いにも行って、なるべく感情を物事に寄せずたんたんとやり過ごして行くんだ。そうすればいつか、まみのことも、あの言葉も忘れてくさ。そうさ、それでいい。僕の人生に刺激なんていらないよ。

 そう思って、やっと落ち着いていたのに、何で君は。

「君はまた訪れるんだ」

「あの、ごめんなさい! 私からフっておきながらこんなの酷いって分かってる。けど、でもやっぱりまこと君のこと忘れられなかった。やっぱり好きだって気持ち、忘れられなかった。私、まこと君のこと、大好きなんです! もう一度だけ、チャンスをください」

「けどさ、僕の友達が君と知らない男が一緒にいるの見たっていうんだけど」

「確かに、私はまこと君をフった後何回か男の先輩と登校をした。呼び出して話もした。けど、それはまこと君のことを相談していたの。後悔してるって、やり直したいって、そしたら先輩がその思いぶつけて来いって背中押してくれた。私がまこと君のこと好きって気持ちに変わりなんてないの! だから……」

 どうして信じてあげないの? 次は本当かもよ?

 あぁまた思い出してしまった。忘れられると思ったのに、いつもこういう大事な時に限って囁きかけてきては、僕の思考を邪魔するんだ。答えなんて決まっている。信じられないその一言だけで全てが何事もなく終わるのに、どうして僕はそれが言えない。そんなにも弱い人間なのか、僕は。

 だめだ、これじゃダメなんだ。君がそんなこと言いにこなければ、僕をフったままでいれば、こんなことにはならないで済んだのに。女子って残酷だな。これならおっさんみたいでも煌の方が何倍もましかもしれない。

 あぁそんな上目遣いで僕を見てくれるな、頼むから泣かないでくれ。決断が、鈍ってゆく。

「少し、考えさせて欲しい」

 はぁ、やってしまった。目の前の元彼女は嬉しそうに微笑むと良い返事期待していますと言い僕の目の前から消えた。

 女子とは不思議な生き物だ。いや、人間全てがそうなのかもしれない。まだ返事をしていないのに、どうしてあんなにも笑えるんだろう。僕は絶対断らないとでも思っているのだろうか。いやしかし、今までそうだったのだから、きっと今回もそうなのだろう。人間はなんでも経験論でポジティブに考えられてしまうものだから情けない。いつだって答えは「はい」か「いいえ」の二択なのに、確率でいえば二分の一なのに。あぁ、やってしまった。こんな時、まみならどう答えるんだろう。

「いるんだろまみ! またどうせこそこそ伺っては楽しんでんだろ! 出て来いよ」

 背後で物音がした。見ると体育館倉庫の中からゴミ箱を持ったまみが現れるではないか。

「勘違いしないで欲しい。私は決して約束は破らないと決めているの。今回はたまたま、たまたま教室掃除でゴミ捨て当番で通りがかったらまこと君と彼女さんがいただけなの。それに私は決して楽しんだりしないよ」

 何やら申し訳なさそうに視線を下げてはもじもじしているまみがなんだか少しだけ可愛く思えて、僕は自然と笑っていた。

「ははっ、悪かったよ。でさ、一つ聞きたいんだけど」

「あくまで可能性は二つ。もしくは三つ。可能性は増えることはあっても減ることはないからね」

「うん、そうだよな。それが聞けて安心した。やっぱお前は変人だった」

「な、なんで!!」

「その辺のくだらない嘘ばかりの人間とは違うってことだよ」

「なるほど、もう少し言葉を選んでくれてもいいんじゃないのかな。でも、それはつまり、まこと君はやっと私のことを理解してくれる気になったって受け止めて良いのかな?」

「ま、そんなところだ」

「良かった」

 不思議なもので、人間というのはその人が普段あまり見せない表情をすると、見てる相手はドキッとしてしまうらしく、あまり関わったことはないが強気なまみしか知らない僕は、心底嬉しそうな顔で微笑むまみに少なからずときめいてしまった。それはまた、僕も残念なことに人間であることを確認してしまうのだった。

 そして、僕は決めていた。

「僕もまみさんの言うように、<狼少年の可能性>ってやつにかけてみようと思うよ。まみさんならきっと信じるんだろう、彼女のこと。信じた上で判断するんだろ。なら僕は、信じた上で‘はい’と言いたい。僕もその辺と同じ人間にはなりたくないからね。どうせなら、変人になってやる」

 そして僕とまみは友達になった。



 と言っても、何が変わるわけでもない。いつものように一日を学校で過ごし、気が向くとまみに会いに行く。放課後は彼女と一緒に帰る。たまにファミレスや雑貨屋さんにも寄るが、高校生の小遣いじゃ一週間に二回が限度だ。

 狼少年の可能性にかけて、果たして買ったのか負けたのかはまだよくわからない。ただ、彼女は僕の隣で嬉しそうにしているし、僕もそれなりに楽しかった。だからたまにはかけてみるのも悪くないと思っていた。

「あっ、見てみてまこと君。あのクマのストラップ、ペアルックになってるんだって。そんなに高くないし、二人で出し合って買おうよ!」

「いいよ、キーホルダーくらい僕が払う。いくら?」

 彼女は女らしい女だけど、実に経済的だった。あまり物はねだらないし、無駄遣いもしない。どうやら親が厳しいらしく、そこはぼくも似たようなものなのでやりやすかった。だから今日みたいに直球であれが欲しいと言うのは珍しい。だからつい、僕も買ってあげようなんて思っちゃうんだ。

「ありがとう、まこと君!」

「どういたしまして」

 頭にリボンをつけたクマのキーホルダーを彼女は早速携帯につけていた。首に蝶ネクタイをしたクマを僕は受け取り、キーホルダーと言う名前なのだからせっかくだし家の鍵に取り付ける。愛想のないシルバーに光るの鍵が、少しだけおしゃれに見えた。



 選択肢は人生につきものだ。というかストーカー並みに煩くまとわりつく。僕は全ての選択肢を狼少年の可能性にかけたわけじゃない。どうでも良いことは第三の選択肢で適当に受け流し、先生や親から言われたことには従う振りをした。明らかに嘘だと思うことには無視したり、騙されたように見せかけてやり過ごした。自分に直接関係ある選択だけは慎重に考えた。もちろん「いいえ」を選んだこともある。

 まみさんはそれも一つの可能性さと言って僕を責めることはなかった。まみなら全ての選択肢にはいと答えるだろう、僕がそう尋ねると、別にそういうわけでもないらしい。まみは言う。

 私は相手を信じてる。けど、たとえ信じていても聞けないお願いだってあるでしょ。人を殺せと言われてはい分かりましたと答える人はいない。大きな選択に迫られた時、私はきっと何か事情があるのだろうと思って、まず相手の話を聞くわ。その上で考える。まこと君も言っていたじゃない。信じた上で判断するんだろうって。つまり、そう言うことよ。

 そうだった、僕はここのところ狼少年の可能性の意味を取り違えていた。信じた上で「いいえ」と言う判断も可能なんだ。狼少年の可能性は二分の一のことではない、もっと果てしないものだ。嘘じゃないと思ったから「はい」、嘘だと思ったから「いいえ」というのは間違っていた。まみにとっては全てを信じることがまず第一歩、選択は二の次なんだ。

 そう再確認すると、僕は少し人を信じてみようと思えるようになった。今までは直感で嘘と真を決めていた僕だが、それからは嘘だと感じても信じてみようかという新たな道を作ることができた。信じてみて判断するのは中々難しいことで、こんなことを常にしているまみは実はすごい人物なのではと思うこともしばしばあった。もちろん、僕はまみのようになる気はないので、嘘だと決めて信じようとしないこともままある。ただ昔のように人なんて嘘ばかり、信じるのなんて阿呆らしいとは思わなくなった。信じるということは少し冒険のようで、楽しくもあったのだ。そして、まみと同じように結果嘘だったと分かっても、裏切られたと感じることはなくなった。もう、まみのあの言葉に縛られることはなくなっていたんだ。僕は自分の意思で、誰のせいにもせず決めているんだ。



 こんなことをまみに聞いたことがある。

「まみさんは、人を騙したり裏切ったことはある?」

 まみは失笑した。そしてしばらく笑い続けた。そんなまみを見て僕は少し安心したように感じた。やがて笑いが収まったのか息を整えながら話し出す。

「いきなり何をいうかと思ったらら、そんなこと? まこと君はどう思うのよ、私が人に嘘を着くと思うの? それとも実は、今までの全部演技でしたって? 私にはそんな器用な芸当できないわよ。出来るのは人を信じることだけ。そして私自信も人から信じてもらうためには……方法は一つでしょ?」

 良かった。やはりまみはそういう人間だった。だからこそ僕も、まみの言うことは素直に聞けるのだろう。

「予想どうりの変人だな」

「あ、また変人って言ったー! その言い方やめようよ。褒められてるのか貶されてるのか」

「僕は褒めてるつもりなのになぁ。じゃあ変わった人? って同じか」

 まみは呆れたように首を振ると大真面目な顔をして人差し指を立て、ゆっくりと歩き出した。

「そこは真人間にしましょう。意味わかるかな、まじめで正しい生き方をしている人のことだよ」

 言い終わるや否や僕にピシッと人差し指を向けた。先生か何かになり切っているのだろうか。しかし僕は冗談半分で返事を返す。

「それならいっそ真実(マミ)人間でいいじゃん」

「なにそれ、まるで私は人間に見えないみたい」

「意味は人を信じ、嘘を言わない人のこと。うん、しっくりくる」

「一人で納得しないでよー」

 そんなくだらないやり取りも、今はなんだか楽しかった。少し前の僕なら馬鹿なら奴らだと鼻で笑っていただろう。そんな皮肉な僕を変えたのは紛れもなくまみだった。

「じゃ、そろそろ教室戻るわ」

「おう! まったねー」

 無邪気で天津満帆、けどどこか大人びでいて、時には子どもみたいに落ち込む。まみは本当に、幼い時の些細な感動も忘れていないような純粋な奴だった。



 その日、僕はいつものように教室で彼女がくるのを待っていた。いつか僕が迎えにいくよと言った時、彼女は恥ずかしがって私が行くと押し切られた。教室に彼氏がくるとのがそんなに恥ずかしいのか、と少し疑問に思ったが、たいして気にしなかった。だから今日も僕は一人教室で待つのだ。

 何人か人が出入りした。しかし彼女は来ない。何かあったのかと不安になり腰を浮かそうとした時、誰かが慌ただしく教室に入ってきた。

「まこと、ちょっと話があんだけど」

「何だ煌か、相変わらず騒がしいな。廊下はランニングコースじゃねーぞ」

「そんな呑気にしてて良いのかよ。お前、確か彼女と復縁したんだったよな。けど、さっきそこで見ちゃったんだよ」

「見たって、何を」

「だから、前に言ってた知らねー男と、その、キスしてんのを」

 僕には煌が何を言っているのか分からなかった。いや、正確には理解した上で分かりたくないと思った。嘘だと思いたかった。これは悪い冗談だ、煌が僕のことをからかうためにたいそうな演技までして、けど、前の知らない男と歩いてたってのは本当の話だった。じゃあ今度は? 今度はどうなんだ。また、ただの恋愛相談なのか? いや、きっと嘘だ。僕は煌に謀られているんだ。そんな考えは無意識に口から滑り出て、ぶつぶつと呟いていたようだ。

「嘘じゃねーよ。俺は確かに見たんだ」

 煌が僕から視線を外す。不意にいつか本で読んだことのある文章を思い出した。嘘をついている人、または相手にたいして何かやましい気持ちを抱えている人間は、相手の目を見て話さず、視線を相手の胸より下に向けて話すことが多い。

 そして僕は、煌を疑った。

「どこで?」

「どこって……」

 一瞬の戸惑いの後、慌てて煌は続ける。

「体育館倉庫だよ。さっきたまたま通りがかったら扉が空いてるから、電気はついていなかったけど、なんとなく気になって覗いたんだ。そしたら……」

 光の無い倉庫を隙間から覗いた、つまり中はよく見えていなかったということか。なんだ、それだけの話か。

「見間違いじゃないのか」

「そんなはずあるか!」

 煌は急に声を荒らげた。僕は驚いて、思わず椅子を引いていた。

「確かにあれは、キスをしてた! 大体あんな薄暗いところに男女が二人でいるなんて……お前は怪しいと思わないのか」

 また視線を背ける煌。

 僕は余裕綽々といったように立ち上がり、何をそんなに必死になっているのか汗だくの煌を鼻で笑ってやった。

「僕はお前と違って、彼女を信じる方にかけたんだ。これで失敗しようがお前には関係無い。それに元々、後に引く気はなかったからな。ご丁寧に報告ありがとうございました。じゃ、また明日」

 早足で教室を出て廊下をうろうろしていると彼女が小走りで駆けてきた。

「ごめんね、掃除当番でゴミ捨て任されちゃって」

「いいよいいよ。さ、帰ろうか」

 ほらやっぱり、煌の考えすぎじゃないか。

 その時、ふとまみの姿が頭をよぎる。僕は煌を疑った。しかし、まみならどちらを信じたのだろうか……明日聞いてみよう。

 僕は彼女のゆっくりとした歩調に合わせ、ゆっくりと歩き出した。



 翌日、早速僕は隣のクラスに赴きまみの姿を探した。しかし、まみはいないようだった。いつもなら壁際一番前の席で何人かの女子と会話しているのだが。

「まみなら所用でちょっと出かけてるよ」

 そう教えてくれたのはいつもまみと一緒にいる女子だった。

「あと、君に伝言。もし来たら伝えてって言われてたの。えっと、お昼休みもいないから何か話があったら授業の合間の休みに来てだってさ」

「ふーん。珍しいな、まみさんが教室にいないなんて」

「女の戦いに行ってるんだよ。あのまみがやる気なんだから、本当に珍しい」

「それってどういう」

「ちょっと、そこまでにしなよ。まみに言うなって散々念押されたでしょ」

 後ろにいた別の女子が慌てて止めに入ってきたため、僕の質問は掻き消されてしまった。僕もそこまで知りたいわけでは無いし、大人しく引き下がる。

「ごめんね、えーとまこと君、だっけ。君が来たことはまみに伝えとくから」

「あ、あぁ。次の休み時間にでもまた来るよ。まみさんによろしく」

「うん、じゃあそういうことで」

 女子たちは、最初に話しかけて来た一人を抑え込むと、僕に軽くてを振った後教室に吸い込まれていった。抑えられていたあの女子はまだ何か言いたげだったが、それを聞いてしまうと僕もまみに何か言われそうなので遠慮しておこう。

 そうして僕は、改めてまみの教室に出向いた。今度はすぐに見つかる。

「おう、まっていたよまこと君。何か話したいことがあるんだって?」

 まみは教室から出てきて、廊下の壁にもたれかかる。これがいつものまみの、話を聞く、または話す体制だった。

「そんなたいそうな話じゃないよ。ただ、まみさんならどうするかなって気になったことがあったから」

 僕は昨日放課後にあった出来事を手短に簡略化して話した。僕が煌の名前を出した時、一瞬まみが真顔になったのを僕は見逃さなかったが、しかしなんてことないだろうと僕は気にしなかった。きっと何か、思うことがあっただけだろう、と。

「っていうわけなんだけど、どう思う?」

「不問だね、答えは決まっているでしょう」

「え……と、分かりません」

「ヒント、まず選択肢の幅を広げること。そうすれば自ずと新しい道が開けるでしょ」

「つまり、信じるか疑うか以外の可能性を探すってこと?」

「いいえ、それは違う。言ったでしょ、私は決して人を疑わない。じゃあ大ヒントね。これは数学の問題よ。一人の人物にたいしてまず信じる疑うの二つ選択肢がある。また別の一人にたいしても同じ二つの選択肢がある。ならこの二人を組み合わせたら何通りの選択肢があるでしょうか」

 何だか余計に分かりにくくなったような気がする。けど、まみの言わんとするところは不思議と伝わってきた。なぜわざわざ問題形式にしたのか謎なんだけど、もしかして僕を試したのか?

「なるほどな、やっと分かったよ。たいそう分かりづらいヒントだったけどな」

「そう? 最高のヒントだと思ったけど」

「最高にまみさんらしいよ。それで、どちらも信じるというのは良いんだけど、この場合少なくともどちらかは間違っていることにならないか?」

「ま、そうだよね。だから私は、話を聞くの。人間なんだもん勘違いしたり早とちりしたりするのは当たり前でしょ。だから、話を聞いて相手をより深く知ることで何があったか想像する。そうすれば、二人とも疑わなくて良い。それでもしどちらかが嘘をついていた、またはどちらも間違っていたとしても、私はそうだったんだの一言で終わることができるわ。もしどちらかを疑って、それが真実だったらお互い辛いし、狼少年の可能性を逃したことになっちゃうからね」

 実にまみらしい答えだ。簡単に言ってのけるけど、それってかなり難しいことじゃないか。僕には到底真似できない芸当だ。だから少しだけ、まみのことは尊敬している。まみのようになりたいわけじゃないけど、まみは本当にすごい人間なんだと思うよ。

 なんてことを目の前の本人に言えば、一体どんな反応をするんだろうか。調子に乗る? 素直に喜ぶ? 訝しがる? 三番目だけはあり得ないことくらい付き合いの短い僕にだって分かる。ただ、気になるところではあるけど、そんな照れ臭いこと僕に言えるはずなかった。

「さすが、まみさんらしいや」

 僕にはこんなことしか言えない。気の利いた一言なんて思いつかない。だからいつものように、からかうような口調で笑って言うんだ。まみはそんな僕の反応がいまいちなのか、不満そうに唇を尖らせる。けれどいつだって、すぐに笑ってまぁなと胸を張るんだ。

 でも、今日は違っていた。笑っているのに、いつもの快活さが無いような、自分に自信が持てない少女のようにどこか頼りない、普段のまみからは想像がつかない雰囲気を感じた。そして初めて、まみの異変に僕は気づいたのだ。

「まみさん……あの」

「ん? どうしたのそんな強張った顔して。私、何か変なこと言ったかな」

「あ、いや……僕の勘違いだよ、きっと。何でも無い、忘れて」

 僕は曖昧に笑うと挨拶もほどほどに自教室へ引き返した。まみはきょとんとした顔で僕を見送ってくれた。

 きっと、まみ自身も気づいている。自分がおかしいことを、日頃の自分でいれてないことを。あのまみのことだ、たぶん原因も分かっているのだろう。

 まみはおどけているように見えて非常に考え深く、賢く、聡明だ。だからこそ責任感も強いし、いわゆるリーダータイプであることは、ほとんど毎日会っていれば自然と分かる。特にまみは嘘を言わないから、他の人よりもどんな人物なのか分かりやすい。

 そんなまみが僕に隠して何かしている。それが僕に関係あるかは分からないが、きっとまみという人格には深く関わってくることなのだろう。だから動揺して、自信がなくなっているんだ。ただ、それに僕が気づいたところで、僕がしてあげられることなどないだろう。だから僕に隠したんだし、僕だってまみのことすべてを知っているわけではない。僕はただ、普段通りまみに接するだけだ。

 そんな考えがひと段落したところで、僕の携帯が鞄の底で光っていることに気づく。メールが来ているようだ。僕の通う学校は授業中に使わなければ持って来ていいという何ともゆるいルールなので、お言葉に甘えて休み時間にはよく使っている。ただ音やバイブが鳴ると授業の妨げになって先生の機嫌が悪くなるので、大抵の生徒はマナーモードかつバイブオフにしている。僕もそんなところはみんなと一緒だ。電源を消すわけではないからメールや電話が来ていれば画面が光って教えてくれる。そんなわけで、僕は光る携帯を取り出してボタンを押し確認する。

 幾つかの迷惑メールの中に、しっかりとアドレス帳登録されたメールが見つかった。彼女からだ。

 今日は予定があるから一緒に帰れない、といったようなことが可愛らしい顔文字と絵文字の中に長ったらしく記載されていた。手短に了解、また明日とだけ打って返信。僕は携帯を再び鞄の中へしまった。

 放課後、念のためにと携帯を出したら今度はまた別の人物からメールが来ていた。彼女のメールとは正反対と言っていいほど質素で、必要最低限のことのみ記されたメール。一瞬男友達からかと見間違えるほど簡潔なそのメールの送り主はまみだった。そういえばアドレス交換をしていたのを忘れていた。一応交換はしたものの、学校に行けばいつでも会えるので一度も使ったことはなかったんじゃないだろうか。

 意外な人物からのメール内容は、急遽話したいことがあるから学校近くの公園で会おうというものだった。急遽と言うからには急いで行くべきなんだろうが、でもそれならなぜ学校で話さない。

 僕は疑問に思いつつも急いで公園へ向かった。その公園というのは、実は彼女にフラれた場所でもあり、まみと初めて出会った場所でもあるのだが、学校では言いにくい何かがあったのだろうか。やはり、今日のまみの異変に関係することなのだろうか。

 だけど、急いで向かったその公園に、まみの姿はなかった。

「なんだよ……」

 僕は息を整えながら近くのベンチに腰をおろした。

 まみは公園にいない。なら、どこへ行った? 僕を騙したのか? いやそんなこと、あったとしても何の為に。それとも学校で先生に呼び止められて足止めを食らっているのか、念のためメールしとくか。

 僕が携帯を取り出してメールを打とうとすると、公園の前を数人の女子生徒が通過するのが見えた。そのうちの一人が僕に気づいて、何故か駆け寄ってくる。

「まこと君、また会ったね。どうしたのこんなところで、待ちぼうけかな?」

 この声と顔には見覚えがあった。

「君は、まみさんの友達」

「そうそう。で、まこと君は何して……ああそうか、まみに呼び出されたのか」

「な、どうして知って」

「こら! また勝手に喋って」

 慌てて駆け寄ってきた他の女子が割って入った。このやり取りは昼に見たばかりだ。漫才かなにかか?

「いいじゃん別に。まみだって怒らないよ」

「そういう問題じゃなくて、まみが言うなって」

「でもさ、正直まみにできることなんてたかがしれてるよ。あの子、良い人すぎるから。でも、まみがあそこまで本気になるとは思わなかったよ。初めてじゃないの? まみが怒るなんて」

「そうだけど、私達が約束破っちゃまみ悲しむよ」

「いいの、これは私が勝手にやったことなんだから、あんたたちはちゃんと止めたでしょ」

 何やら言い合っていた女子達だが、やがて落ち着いたのかまた最初に来た女子が僕に向かって話し出す。

「まみはここには来ないよ」

「え、じゃあやっぱりまみさんは僕を」

「私はね、世の中には良い嘘と悪い嘘があると思うの。嘘も方便とも言うしね。まみが聞いたら否定するだろうけど、とにかく、今まみは学校にいる。あの子はどうしてもやらなくちゃいけない仕事があるんだろうね。全く、お人好しなんだから。良かったね、まこと君。まみに気に入ってもらえて」

「ねえそれ以上は」

 後ろの女子が袖を引っ張って首を振る。

「分かったわかった、もう何も言わないよ」

「待って、どう言うことなんだ、君は僕にどうして欲しい!」

「さぁね、それはまこと君が決めなよ。私はまみとの約束を破ってまでヒントをあげたんだから。こっからは自分で考えな。じゃあね、まみのお気に入り君」

 女子達は足早に公園を出ると学校とは反対側に消えていった。僕だけを残して。

「何なんだよ、一体」

 浮かした腰をまた落ち着けて、僕は考えた。

 まみは今学校にいる。そしてそれは、先生に呼び止められたとかそう言う類ではないことは、さっきの女子が言っていたことから考えるとあり得ないだろう。むしろ、僕に関係のある何かか。しかし、僕とまみで共通するものなんてないはずだ。だったら、僕に関する何かと言うことか。そういえばさっき、まみのことをお人好しとか言ってたな。でも、僕はまみに何も頼んでいないし、だとしたら僕をわざわざ公園に呼び出した訳がわからない。僕に知られたくないことなのか、それって一体……。

 その時不意に、今日会った時の、まみの不可解な様子を思い出した。思えば全ておかしかった。けど、何よりおかしいのは言動じゃない。まみが知るはずもない僕の幼馴染、煌の名前を出した時だ。

 あの時まみは、確かに反応した。なぜ煌を知っていたのか、ただ単に別件で知り合っていただけかもしれない。けど、あの様子だと煌に対してあまり良いイメージを持っている風ではなかった。あいつはガサツだからまみみたいに純粋な奴はとっつき難いのかもしれない。それに煌は冗談がすぎるからな、まみは苦手かもな。

 でももっと、違う理由な気がする。まみならきっと、どんな人とも仲良くなろうとする。それがどれだけ難しいことだろうと、相性があっていなかろうと、信じるということを胸に突き進んでいくはずだ。だったら、なぜあの時一瞬でも真顔になったんだ。まるで何か思うことがあったような、寧ろ何か隠していてそれがばれてしまうんじゃないかと不安になったような……今まさに煌のことを気にしていたかのような。

 僕は落ち着いて整理する為に、今日のまみに関することを単語にして思い返してみた。

「まみ、学校、異変、相談」

 違う、断片的すぎる。もっと深いところに何かが。

「相談事、内容、煌、彼女、信じる、疑う、何を……体育館倉庫?」

 理屈なんてない、根拠なんてない、ただ初めからあそこはおかしかった。全てとは言わない、けど、そう言えば初めて彼女に告白されたもの体育館倉庫前だった。煌も彼女を見たと言う時必ず体育館倉庫を話題に出していた。きっとあそこには何かある。

 もう、行くしかないじゃないか。駄目元でも何でも、この不快感をほおっておくわけにはいかない。何より約束を破ったまみに一言言ってやりたいんだ。

 僕は柄にもなく全力で走り出した。



 学校に戻ると真っ先に体育館倉庫へ向かう。しかしそこは校門とは全く反対で、しかも体育館を迂回しないといけないため、学校についてからが遠かった。

 様々な運動部が励んでいる姿を横目に、僕は息を整えながら早足で歩く。

 やっとの思いで体育館の裏手に着くと、深呼吸をした。僕は何故か得体の知れない不安を感じつつ、体育館倉庫に近づき、そして耳を済ませる。

 と、途端に中で大爆笑が起こる。僕は驚いて一歩後ずさった。まだ中では笑が収まらないようで、ひいひいと喉を鳴らしてる者もいる。

 僕は再び慎重に近づくと、相変わらずしっかり閉じられていないドアの隙間から、中を覗こうとした。しかし、ドアの前に無残に落とされたあるものを見つけて、僕は動けなくなってしまった。中ではやっと笑が収まったのか、誰かが話し出す。

「バカだな、あんた。噂には聞いてたけど本当にバカだ。まんまと騙されてやんの。ついでに言うならあんたに毒されちゃったあいつもバカだな。まぁだからこそ、見てて面白かったよ。あんたにはむしろ感謝してんだ。あのおバカな堅物坊やを更に面白いキャストにしてくれてさ。あんたは良い脇役だったよ。これからも、活躍期待してるぜ」

 相手が深く傷つくように嫌らしく放たれたその言葉は、僕の胸にも深く突き刺さった。

「そうさ、俺らはまだ楽しみたいんだ、あいつでな。だからまだ種明かしはすんじゃねーぞ」

 別のやつが続けて喋る。またとげとげしいセリフ、しかも嫌な含みまである。もし話したら、分かってるよなとでも言いたげだ。

 僕は唇をかみしめながら、倉庫の前に落ちているあるものをやっとの思いで拾い上げた。なんの温かみもない、冷たい冷たいものだった。

 悔しい、憎い、許さない、一体誰がこんなことを……そんな負の感情でいっぱいになる僕に、温かみのある声が聞こえた。倉庫の中からその声だけははっきりと認識できる。

「君たちの言い分はよくわかった。もう聞く必要もない。だからそのよく喋る口を閉じていて構わないよ。私は友人を待たせているんだ」

 ああこれは……まみの声だ。僕は

 ほっとして、さっきまでの暗い考えも静かに凪いだ。

 この際誰と話しているかなんて関係ない。ただこの中にまみはいて、酷いことを言う奴らと立ち向かっているんだ。それも多分、僕絡みのこと。

 なら、今僕がすることは一つだろ。

 僕は扉に手をかけ、そして思い切り開け放した。

 暗い体育館倉庫内に光が入る。そのせいか、奥にいた人物たちは目を細めた。僕は冷静に、状況を判断する。

「なんでまこと君が、ここにいるんだ」

 扉に背を向けるようにして立っていたまみが振り向いて驚きの声をあげる。

「嘘はつかないって豪語した誰かさんが約束を守らないから探しにきただけだよ。一喝しないと気が済まなくて。それより、まみさんこそ約束そっちのけで何してるんだい?」

 僕はいたずらっぽく笑えただろうか。まみは申し訳ないと頭を下げた。どうしてもやらなければならないことがあったのだと。

「いいよいいよ。その話はさ、奥で怖い顔してる人たちに聞くから」

 僕は改めて奥を見直すと、一人一人順番にしっかりと観察した。驚きと焦りが半分半分ってところかな。随分と意外な人物が並んでいるが、まみに裏切られたと思うよりは全く傷つかない。僕も当分おかしな精神をしてるよ。

「まあ説明されなくてもこの状況を見れば何と無くわかるけど、一応説明してもらえるかな。幼馴染のよしみでさ、なぁ煌」

「生意気なんだよ、まことのくせに」

 僕が入ってきてから始終貧乏ゆすりをしていた煌は、舌打ちして近くにあった跳び箱に八つ当たりする。到底女子とも思えないその行動に僕は怒りよりも哀れみを覚えた。

「正直ショックだったさ、まさか煌がこんなひどい奴だったとは。それに、全部が全部嘘だったなんてなぁ。どうです、面白かったですか? 僕が騙されている様子は。二人にも聞いてるんですよ、僕の彼女と見知らぬ先輩」

 ぐっと息を飲み込み、先輩と思われる男子生徒は僕をみら見つけた。その影に隠れるように、彼女が一歩身を引く。

 僕はとっくに理解していた。最初から違和感だらけだったじゃないか。

 全て偽りだった。彼女が僕をフったのも、復縁を申し込んだのも、煌の忠告も。騙して踊らされる僕をながめて笑ものにする、残酷な遊びでしかなかったのだ。

 そこにたまたま、まみがやってきた。こんな遊び、死んでも思いつかないようなアホみたいに純粋な少女が。

「ごめん、私何も知らなくて……」

 ずっと黙っていたまみが口を開いた。先程は随分と威勢のいいことを言っていたが、僕に事実が知れてしまい、自分のしてきたことを悔やんでいるんだろう。

「そんなの、まみさんらしくないんじゃない? 子どもみたいに真っ直ぐなのがまみさんだろ。心配しなくても、僕は何も後悔していないし、むしろまみさんに出会えて良かったと思ってるよ。実際、遊ばれていたことすら気がつかなかったかもしれない」

「良い加減にしろよ!」

 いきなりどぎつい大音声が倉庫内に響き渡った。

「なんだよその余裕な態度、気に入らねー。本当は怒ってるんだろ、恨んでるんだろ、悔しいんだろ? だったら殴りかかって来いよ、勝ち誇ったみたいなその顔が何よりムカつ」

「だったら一発お見舞いしてあげるよー」

 その出来事は一瞬だった。

 煌がいきなり怒鳴って僕を挑発してきたところまでは分かった。でもその後誰かが楽しげな声と共に倉庫内に入ってきて、それで、殴った。グーで思い切り、そして煌が吹き飛ばされた。

「ちょ、なんで君までここにきたんだよ」

 呆れたような声はもちろん僕ではなくまみのものだ。僕はただ呆然としていた。

「いやだってさー、ムカつくじゃん? まみのお気に入り君が怒らなくても、私どうしても許せなくて。あ、ちなみにお気に入り君追ってここ来たからだいたい話は分かってるよ」

 このしゃべり方は、確か僕にヒントをくれたまみの友達。

「まあ私が怒ってるのはお気に入り君のことよりも、まみのこと馬鹿にして貶したことなんだけどね。殴っていいって言われたから思わず昔の血が騒いで」

 昔の血ってなんだ、この一見普通そうに見える女子は一体昔に何があったんだ。

「それで、私先輩とかそーゆーの気にしないんですけど、そこの男子も食らっとく?」

「あ、いや、遠慮します」

「じゃあ今後一切私らに近づかないでね。あとそこのずっと隠れてる女子、あんたも同罪ってこと忘れんなよ?」

「はい!」

 二人仲良くハモって返事をすると、さっさと逃げ出した。僕の彼女だった子は僕の横を通り過ぎる瞬間小さな声でごめんなさいと言ったのを、僕は聞き逃さなかった。多分これで、僕は彼女を恨まずにすむ。

 逃げ遅れた煌はと言うと、殴られた頬を押さえて起き上がり、何やらまみの友達と睨み合っている。

「まみー、私用事あるからさ、先帰っていいよ。まこと君とも話したいことあるだろうし」

 その用事ってなんだ。僕はこの後まみの友達が何をするつもりなのか気になったが、まみが行こうと促したので、この場を後にした。



 まみと二人で訪れたのは、例によってあの公園だった。

「ごめんね、友達がなんかぐちゃぐちゃにしてしまって」

「いいよ、僕はもうあの人たちに何の用もなかったし」

 こうして落ち着いてみるとお互い気まずくて押し黙ってしまう。嫌な沈黙をなくそうと必死に言葉を探した。が、先に口を開いたのはまみの方だった。

「あの子……あ、わたしの友達のことね。あの子、もともと不良でさ、昔は殴る蹴るの喧嘩とか日常茶飯事だったの」

 それはまぁ、あの綺麗な右ストレートを見た後なら分からなくもない。そりゃ、あの一瞬は驚いたが、その後の様子を見ていれば何と無く想像がつくものだ。

 何より他人になんのためらいもなくグーパンチができる奴なんてそうそういないさ。

「あ、でも今は凄く良い子なんだよ。まぁたまにやりすぎたりはするんだけど、でも友達思いで」

「大丈夫、分かってるよ。だいたい僕はあのくらいの出来事で動じるほど柔い神経してない、と思うから」

 言い切れないのはまぁ、それなりの理由がある。

「まみさんが変えたの? その、不良だった友達を」

「いや、私はそんな他人を変えられるほど影響力のある人間じゃないから」

 謙遜してなのか本気なのか、まみは笑っているが、果たしてそうだろうか。少なくとも僕はかなりまみの影響を受けている。

「あの子にしたって、私はただ話しかけただけだよ。根気よく話し続けたら自分から自然と変わっていった。ただそれだけなの」

 それが凄いんだけどな、と僕は思うも口には出さない。どうせ流されて本気にはされないだろう。

 僕は話の切れ目で無意識にポケットへ手を突っ込んだ。手に何か触れて、違和感を感じた僕はそれをポケットから取り出し手の平の上で確認した。

「それは……」

 横からまみが身を乗り出して、手の上のクマのキーホルダーを眺めた。だいぶ泥で汚れているが、それは確かにいつの日か彼女に買った片割れで、先程体育館倉庫前で拾ったものだった。

「本当にごめんなさい」

 もういいと言っているのにまみは律儀に頭を下げる。

「私がまこと君に余計なことを言わなければこんなことにはならなかったのに」

「良いって、まみさんに悪気があったわけではないのは分かってるし、それに悪いのはあの人たちでまみさんじゃない。というか、まみさんが気づかなかったら、遊び道具にされてることにも気づかず一生を過ごすとこだったよ。だからむしろ感謝してるんだ」

 しかしまみは顔をあげない。

「なぁまみさん、君の信念は何だっけ。いつか僕に熱く語ってくれた事、僕は忘れてないよ。あの時は意味わかんねーって思ったさ、はっきり言って。でも、あれが僕の考えに強い影響を与えてくれたのは間違いない。今君はその全てを"余計なこと"の一言で片付けてしまったんだ。それは君の思いを君自信が否定している事にならないかい? そんなの、まみさんらしくないよ」

 あの日、まみは人を信じる事を教えてくれた。それがどんなに難しい事で、でも決して諦めないまみの強さは本物だった。

 僕はその強さを忘れない。まみのようになれるとは到底思わないが、それでも今は近づきたいと思う。バカみたいな理想に、僕も乗っかってみたくなったのだ。

「僕は余計だなんて言われてショックだよ。やっと分かってきたと思ったのに。だからさ、お願いだから自分で自分を否定きないでくれ」

 そこまで言って、やっとまみは顔をあげてくれた。

「僕が遊ばれてたとかそんなことはもうどうでも良いんよ。こうして解決したしね。そんなことより、僕はまみさんに謝って欲しいことがるんだ」

 まみはきょとんとして首をかしげた。他に何かあっただろうかという顔だ。

「もっと大事なことがあるだろ。おかげさまで、僕は百六回裏切られた」

「え、あ、私なにか、まこと君を騙すようなことを」

「したじゃないか。僕に関わることなのに内緒で行動したり、僕に知られないように学校から追い出したり、何より、約束を破った。僕この公園で待ってたんだけどな、君のこと」

 そこでまみはやっとなんのことか気づいたらしく、あからさまにしまったという顔をした。

「まみさんに裏切られるとは思わなかったよ。あれだけ言葉を大切にしていたのに、すごくショックだ。結局僕が迎えに行く羽目になったよ」

 僕は精一杯態とらしく悲しい顔を作った。まみはそれを間に受けてかなり慌てている。

「あ、あの、謝って住むことじゃないって分かってるけど、ごめんなさい。まこと君を騙すとかそんなつもりはなかったの。けど、まこと君が事実を知ったら悲しむかと思って、私も全部わかっていたわけではないし、もしかしたら勘違いだったかもとか。終わったら公園に向かう予定だったよ、本当に、だから」

「嘘でーす。悲しくなんてありませーん。ショックだったのはあながち間違いではないかもしれないけど、事情は理解したしもう気にしてないよ」

 ちょっとした仕返しだよ。そう付け加えて僕は笑った。まみも呆気に取られながらもつられて変な笑いを浮かべている。

「まぁこれで、裏切られたなんて思うのも最後だろうし、こんな冗談もたまにはいいだろ?」

「おかげで私はとんだピエロね、全く」

「僕は普段見れないまみさんがたくさん見れて面白かったけど」

「私はすごく不愉快」

 と言いつつ内心安心してるんだろうな、とか何と無く分かるのはもうまみのことを理解しているからだろうか。

「そういえば、なんで私があそこにいることが分かったの?」

「え、それは何と無くだよ。走り回ったんだから、ははは。大変だったんだからなー」

 うお、自分でもびっくりなほど棒読み。けどまみは取りあえずは信じてくれたみたいで、何も言ってこない。まみの性格に感謝だな。

「けどなんだか腑に落ちない」

 まみは腕を組んで何やら考えている。そりゃ、いろいろ苦しいところがありますからね。いくらまみでも違和感を感じるレベルだろ。

 けど、まみの友達のことは、僕からは言わないつもりだ。あの友達は約束を破ってまでして僕にヒントをくれた訳だし、これは僕から言うべきことではない。あの友達自身が白状したならその時は僕もおとなしく打ち明けよう。

「なに、一人楽しそうだね」

 まみがこちらに怪訝な表情を向けてくる。

「え、そうかな。そんなことないよ」

「あ、そうだ。今日はまこと君に悪いことしちゃったし、アイスおごらせてよ」

「いいよいいよ、それはもうお互い様で」

「いいや、私の気が済まない」

「だったら僕にもおごらせて」

「なぜ」

「僕だってまみさんを騙したから!」

 わぁわぁ言い合いながら、結局互いにおごり合うことになった。自分に買ったのと結果は変わらないが、それでもまみさんの気が済むなら構わない。



 いろいろあったがいい一日だった気がする。

 明日のことは明日考えるとして、僕はとりあえず今日を楽しむことにするよ。





「じゃあまた明日な、まみ」

「約束、忘れないでよ。じゃあねまこと君」

「そっちこそ、遅れたらアイスおごりなー」

ここまで読んでいただきありがとうございます。

なんでしょうねこの話は。書き始めた当初の私が一体何を思っていたのかさっぱりわかりません。出来るのものなら同時の私にどんなエンディングを望んでいたのか問いただして一回よく考えるように伝えます。おかげさまで私はすごい話を完成させてしまったと。


少し真面目な話をするならば、そうですね。信じるとか信じないとかって難しいんですよ。すごく信用してた子に裏切られた時って、その信用分ショックを受けますから。信じれば信じるほど反動が大きいというか。

かといってショックを受けないためには、どこかで相手を疑って裏切られても「やっぱりな、そうだと思ってたよ」と自分を守る言い訳ができるようにするしかない。後はすべてを諦めてしまうか。

寂しい答えしか浮かばない現実。何が最善化なんて人それぞれ違いますけど、どちらかというと私は寂しい人間の部類です。だから真実(まみ)のような人間は輝いても見えるし逆にアホみたいにも思えるんです。広い心で色々なことを許してあげたり、心から相手のことを信じたり、それってその相手の人はとても気持ちいと思うんですよ。

私はみなさんに真実になって欲しいなんて思いません。ただ、このお話のまじめな面としては、少し信じるってなんだろうなって考えて欲しいだけです。また嘘をつかれても、その時の感情に任せて熱くなるのではなく、ほんのちょっとの余裕でしっかり状況を判断して、その上で怒るも許すも出来たらいいんじゃないかなって、思ったりするわけです。嘘が嘘って分かるときの方がレアなんですけどね。そこが現実の難しいところだ、全く。


今回はあとがきが何やらごたついてますが、たまにはこんなのもありかなということで。

それではまた。


2014年 4月24日 春風 優華

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