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記憶屋  作者: 国見遥
9/23

第八章   神埼美紀 その2

十二月十四日。土曜日。時刻、十三時二十九分。


天気、雨。


雪に変わったらいいのに。そしたら、今よりももっと楽しいのに。



昨日、優一からメールが来た。恵美や加奈、愛も誘って彼の家でテスト勉強をしようって。


私は当然喜んだ。行くに決まっている。速水くんに会えるし、おまけに彼の部屋にまで入れるのだ。矢が降っても必ず行きますよ。


彼の家に向かう。以前、別のクラスの子の家に遊びに行ったとき、彼の家の場所を教えてもらったことがある。だから家の場所も知っている。子どもが遠足にでも行くかのように足取りは軽い。心が高鳴る。口元が自然とにやける。雨であるにも関わらず、下ろした新品のブーツが私がどれだけ今日、この日を嬉しく感じているかを物語っている。


「それにしても、全員遅刻するなんて時間にルーズすぎる」


駅に十三時十五分に待ち合わせとの約束も、全員が遅刻というふざけた結果。先に行っておいてと言われても、緊張する。しかし、チャンスと考えよう。二人だけで話しが出来るのだ、幸運以外のなにものでもない。


「雪に変わらないかなぁ」


駅から彼の家に向かう。この道を、この景色を彼も何度も見ていると思うと少し照れる。彼の見てきた景色を自分も見ているのだという思いが、胸を高鳴らせる。これが恋なのだと、恋はこのようなものなのだと自分に言い聞かせ、その状況に酔う。私は今、恋をしている。彼を思っている。


駅から離れ、小道に入る。見慣れない街並みは新鮮で、刺激的で、心が躍る。心一つで単なる道ですら、こんなにも心を動かす。鬱陶しい雨ですら大切なものに見える。すれ違う人々が皆幸せそうに見える。心一つで、世界はこんなにも変わる。


「確かこの辺だったはず」


辺りを見回し、彼の家を探す。青色の屋根、速水の表札。ここだ。閑静な雰囲気がどことなく彼を感じさせる。彼が育った家。彼の原点。


「緊張するなぁ」


そう言いながら傘をたたみ、髪を整える。ほんの少しでも綺麗に見えるように。一指し指でインターホンを押そうとするが、一瞬迷う。押したら、彼が出てくる。その結果が体をこわばせる。


「よし」


深呼吸をする。ゆっくりとインターホンを押す。少しの間、何の反応もない。目線を下にやると、真っ白なタイルが少し濡れていた。


鍵が開く音、そのすぐあとにドアがゆっくりと開いた。そこには、きょとんとした彼。なんだか目を丸くしている。


「へぁ?」


理解不能、といった顔で彼が言った。それに私は、


「こんにちわ」


と一言。


「なんで?」


驚いた顔も、好き。


髪は学校のときよりも少し乱れていて、寝癖が少し。真っ黒のタートルネックを濃いめのデニムが彼に合っている。彼の私服を初めて見た。喜ぶ自分を無理やり押し込み、いつもの神埼美紀を演じる。


「なんでって言われても、優一が速水くんのちで皆で一緒に勉強しようって。ちょっと早く来過ぎた?」


なるべく自然に。いつもの自分を演じる。


「早いとかじゃなくて、聞いてない」


「なにを?」


「そんな話、優一に聞いてない」


どうやら優一は彼に話を通していないらしい。彼の困り顔も納得がいく。


「優一から話きてないの?昨日あいつちゃんと話しておくって言ってたのに。相変わらず適当なんだから。恵美と加奈と愛も誘ったんだよ。もちろん波多野くんも藤原くんもね」


「ところで、その優一は?」


「少し遅れるって、今さっきメールきた。寝てたんだって」


優一はこういうときに限って遅刻する。まぁ、おかげで彼と二人っきりになれたわけだから、今回は感謝しておこう。優一のルーズさに。


「とりあえず、上がる?」


「うん。お邪魔します」


傘を傘立てに置き、玄関に座ってブーツを脱ぐ。


「買ったばかりのブーツ履いてきちゃった」


雨なのに馬鹿みたい。それでも、どうしても履きたかった。彼に見てもらいたかった。ブーツも、それを履く私も。


ブーツを脱ぐのを見届けると、彼は何も言わずに二階への階段を上っていった。リビングへと通じるドアは閉まっていて中のようすは窺えない。彼について階段をあがる。三つある部屋のうちの一番奥、ドアが開けっ放しの部屋が彼の部屋のようだ。


初めて入る彼の部屋は驚くほど私の胸を高鳴らせる。いや、彼の部屋と彼、そして彼と二人っきりという状況がそうさせる。


辺りを見回すとどこか寂しげで殺風景で、何故か想像したものと非常に似ていた。彼の雰囲気と部屋も合っている。


「どうした?」


「いや、ここが速水くんの部屋かぁって思って」


「珍しいものなんてないよ」


間違いでも夢でもなく、私は今、彼の部屋にいる。彼と二人で。


「ねぇ」


「ん?」


聞きたいことがあった。あの日、何故一人で看板を直したのか。何故、それを秘密にしているのか。今しかない、そう思った。


「勉強の前にさぁ、少しだけ話しない?ほら、速水くんとちゃんと話したことってあんまりないしさ。聞きたいこともあるし」


「別にいいよ」


彼の顔が少し困り顔に見える。


「じゃぁ、はい」


高く手をあげる。会話のフリでもあるのだが、なによりも心の準備という意味が大きい。


「はい、神崎さん」


上に向けた手のひらを差し出しながら彼が言った。


「前から聞きたかったんだけど、文化祭のとき看板直したの速水くんだよね。なんで隠してるの?」


ずっと気になっていた。何故だろう。きっといい答えが返ってくる気がしていた。それは恋心がそうさせているのかもしれない。


恋心というものは非常にやっかいな代物で、醜いものも美しく見せてしまう。それは危険なことで、目の前の事物を正しく評価させない。私は、この世で最も残酷なものは、愛だと思う。愛は簡単に人を幸福の絶頂に持ち上げ、いとも簡単に奈落の底へと突き落とす。ときに他者の命を殺めることもあり、自分の命すら捨てさせることもある。愛ほど美しいものはなく、そして愛ほど、醜いものもない。美しさと醜さを兼ね備える愛は、残酷だ。だが、人はそれを理解していながらそれに身を委ね、身を放り投げる。醜さすら美しいと思わせてしまうのだから仕方ないのかもしれない。


「俺じゃないよ」


目線を外しながら、見え見えの嘘をつく彼。


「見たんだよ、生徒会室で看板直してる速水くん」


あのときの彼はとても真剣な顔だった。目に焼きついている。昨日のことのように、鮮明に思い出すことが出来る。


「せっかく皆で頑張って作ったのに、それが壊されてて、すごい腹が立って、あの日遅くまで残って直したんだけど、なんだろう、なんて言うのかな、手柄を俺だけのものにしたくなかったって言うか、俺が一人で直したって言わなかったら主役は皆のままなわけじゃん。俺が直したって言ったら主役は俺一人になって・・・上手く言えないや、ごめん」


彼は俯きながら、時折私に視線を移し言った。思っていた通りの答え。嬉しい。彼が私の考えていた通りの人で。


「そっか。やっぱり優しいね。思ってた通り。私たちってさ、知り合ってもう半年以上経つのに、何回も挨拶もしたのに、全然お互いのこと知らないよね。好きな歌手も知らないし、好きな映画も、趣味も特技も知らない。同じ空間にずっといたのに、何にも知らないよね」


「話したことほとんどないし仕方ないんじゃない?」


「じゃぁ、これからは少しずつでいいから教えてね、速水くんのこと」


私は、彼のことを知らない。何一つ。彼も、私のことを知らない。知っていますか、速水くん。あなたの笑顔一つで私の世界は晴れ渡ることを。知っていますか、速水くん。あなたという存在がどれだけ私に影響を与えているか。あのときのあなたの姿が目に焼きついていて、いつまでも離れなくて、私はそれを心地いいとすら思っている。あなたに会えない一日はどれだけ寂しい一日だろう。それでも、それも毎朝同じ時間に登校してくるあなたの声と笑顔で全てが、嘘のように消え失せる。知らないでしょう、速水くん。私は誰より、あなたを好きなのだということを。



それから、私たちは色々な話をした。彼は優一達のことを話すとき、本当に嬉しそうな顔をする。かれにとってどれだけ大事な存在なのかは、その表情から容易に読み取れた。彼にとって私という存在も同じようなものでありたいと願う私は、少しだけ、彼らに嫉妬してしまう。それは雨を望む草花のようで、儚く、今にも消え去りそうな願いだ。


「ねぇ、速水くん」


もう一つ聞きたいことがあった。


「ん?」


窓の外で降り続ける雨にあった視線を私に戻しながらの返事。


「好きな人とかいる?」


声が震えているのが自分でもわかる。もし、答えが望むものでなかったなら、私は明日からどういう風に生きていけばいいのだろう。そんな思いが頭を巡る。


「別に」


ほんの少し。あるかないかの間。そのあとの彼の答え。嘘か真実かの判断は私にはしようがない。それでも今の私にはそれを真実としか受け止めようがなく、嬉しさで周囲が明るくんったようにすら感じた。


静まり返る空間。耳鳴りのような音が聞こえる。


「そうなんだ。そっかそっか」


それだけ言うと、私は意を決する。今から彼に愛を吐き出す。心臓に閉じ込められた思いを吐き出す。その準備をするのは容易ではなく、胸が異様なまでに脈打つのを感じる。破裂しそうな心臓は今にも口から飛び出しそうだ。


「あなたが好き」


そう言おうとした刹那、決意はいとも容易く壊される。


「ただいま幸成」


私の無理やりに振り絞った雨粒ほどの勇気は、波多野くんの一言に簡単に掻き消されてしまった。なんて間の悪い。返して、私の小さな勇気。


先ほどまでの静けさは瞬く間に無くなり、今は五月蠅いほどだ。


「あら、お邪魔だった?」


恵美が笑いながら言った。


「なによなによ、二人で向き合って座っちゃて。何話してたのよ」


愛は既に完全に野次馬と化している。


「どうだった?二人っきりは。わざと遅れてきたのナイスアシストでしょ?あんたのために皆で時間遅らせたんだから、少しは感謝してよね」


小声で加奈が耳打ちしてきた。いや、確かにナイスアシストだったけど、来るのもう少し遅くしてもらえたら幸いだったのだけれど。


「っていうか、お前ら部屋と人数のバランス考えろよ。狭すぎだろ。こんなんじゃ勉強なんてできねぇよ」


みんなに彼が言った。確かに少し狭い。これだけの人数が勉強しようと思ったら結構なスペースがいる。なにより座るテーブルがない。これでは勉強なんて不可能なのではないだろうか。


「誰が勉強するって言ったよ?」


藤原くんはきょとんとしている。


「今日は勉強休みだよ。パーティーだよ、今日はパーティー」


「はぁ?なんのパーティーだよ」


「優一から聞いてないのか?優一、幸成に話してないの?」


優一はニコニコして、


「してない」


と一言。あの、優一、私も聞いてないのだけれど。


「私も勉強会って優一から聞いたんだけど」


言いながら優一に視線をやると、


「神崎は真面目だから、テスト中に遊ぼうなんて言っても来ないだろ?だから少し嘘ついちゃいました」


嘘ついちゃいました、じゃないよ。確かに普通なら絶対に遊びになんて行かない。でも今回は別。なにせ彼の部屋に入れるのだから、堅物の私でも勉強ほっぽりだして行くに決まっている。読みが甘いね、優一。


加奈は藤原くんのほうをちらちら見ている。余程嬉しいのだろう、明るい加奈がいつも以上の明るさだ。かくいう私もなのだが。


波多野くんが大量のスナック菓子をコンビニ袋から取り出している。いくらなんでも買いすぎではないだろうか。スナック菓子の袋を開ける音は少し耳障りで、遠くに聞こえる雨音とどこか似ている。



今日はなんて楽しい一日なのだろう。


皆とこうして賑やかに過ごせて、おまけに彼までいる。告白できなかったのは残念だが、機会はいつでもある。


今日はなんて、素晴らしい一日なのだろう。



横目で見た彼の笑顔がいつもより、にこやかに見えた。

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