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記憶屋  作者: 国見遥
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第五章   家庭の事情

突然の着メロ。


驚いて目を覚ます。寝ぼけ眼のままメールを開くと


『ご飯』


それだけが本分の欄に書かれている。


母親からのメールだった。毎日こうして夕食の時間になるとメールが来る。


「めしか」


ゆっくりとベッドから降りる。携帯にもう一度目をやり時刻を確認する。


十二月九日。月曜日。時刻、二十時十八分。


窓から見えるのは真っ暗な闇だけだ。おそらく雲が空には立ち込めているのだろう、月も見えない。


天気、曇り。


階段を下りる足はやけに重く、それが今の自分の心境を顕著に表している。足が重い。顔を合わせたくない。足が、重い。


リビングに入ると無言のままテーブルにつく。テーブルにはご飯とスーパーででも買ったであろう惣菜がならんでいる。両親はすでに夕食を食べ始めていた。


「いただきます」


ぽつりと言うと、食べ始める。いつもと変わらぬ重苦しい食卓だ。


「テスト勉強はちゃんとしているの?」


母親の速水良子。旧姓、塩崎。朝から晩までスーパーでパートをしている。


「それなりに」


「それなりにって、幸成、いつもそんな中途半端な返事しかしないわね。態度も悪い。少しは親の前できちんとした態度とれないの?」


親。親とは今目の前にいる二人のことで、当然ほかの人間ではない。俺のことを気にかけてくれたことなんて、記憶する限りでは一度も無い。気にするのは勉強のことだけ。ようは頭のいい息子をもったという体裁が欲しいだけだ。父親も同様で、勉強以外のことを言われたことはあまりない。あるとすれば叱り事だけだ。これが俺の家庭。俺の家族。俺の世界。嫌気がさす。親らしいことなんて何一つしてもらったことが無い。家族での外食なんて小学校以来していないし、どこかへ遊びにいった記憶も小学校以来無い。暖かい家庭なんて知らない。心休まる場所なんて、ない。知らない。俺には、ない。


「別に普通の態度だけど」


「それが親にする態度かって言ってるのよ。あなたも何か言ってよ」


父親、速水亮。普通の会社員。社内ではそこそこの地位にはいるようだ。詳しい役職は知らない。というより興味が無い。どうでもいい。


「幸成、食わせてもらってるくせにそういう態度はないんじゃないか?親がいなかったら学校にもいけない、飯も食べられない。もっと感謝してもいいんじゃないか?態度をもっと考えなさい」


いらいらする。俺は一言でも産んでくれと言ったのか。勝手に作っておいて偉そうに。親とは皆が皆こうなのだろうか。そうだとしたら、幸せな子どもなんてこの世には存在しない。俺がいい例だ。


「考えておくよ」


喋りたくも無い。これ以上問答したって何の実りも無い。二人の会話には耳を傾けず、淡々と箸を進める。


「いい加減にしろ」


テーブルを叩く大きな音。それ以上の声。軽い怒号。親父はそのまま続けた。


「どうしてそんな態度しかできないんだ。言うことは聞かない、親には歯向かう。少しは親の有り難味を感じたらどうだ。親をなんだと思っているんだ。こっちはお前を育ててやってるんだぞ。ありがたく思え」


血走った目だ。そうとうに頭にきているらしい。


ただ、それ以上に俺は頭にきていた。


いままではただ言われっぱなしで、感情を表に出したことは無かった。なにを言っても無駄だと思っていたし、立場はどう考えても俺の方が弱い。いつも適当な態度で聞き流していた。まぁ、それが火に油だったわけだが。でも今日は今までのようにはいかない。我慢の限界だ。耐えられない。


勢いよく立ち上がると、俺は怒りを言葉に乗せてぶちまけた。それは酷く原始的で滑稽で醜くて、ただ子どもが駄々をこねている様に見られても仕方のないものかもしれない。


「俺が一言でも産んでくれって言ったか?育ててくれって言ったか?あ?一切言ってない、一言も言ってない。誰が頼んだ?勝手に作って勝手に産んだくせに偉そうなこと言ってんじゃねぇよ。親らしいことなにかしてくれたかよ。どっか連れて行ってくれたか?勉強以外で俺のこと考えてくれたことあんのかよ。どんだけ仕事が大切か知らないけどよ、お前らは俺のこと見ていてくれたことあんのかよ。ねえじゃねぇか。あるんなら言ってみろよ。いつ俺のこと考えてくれていたか、気にかけていたか。言ってみろよ。幸せなんてこの家で感じたことねぇんだよ。それで親って言えんのかよ。子どもを不幸にしか出来なくて親って言えんのかよ。あんたらの子どもに生まれてきたのが俺にとっての一番の不幸だ。お前らなんか親だと思ったことなんて一度もねぇんだよ。生まれてくるんじゃなかった。俺は・・・」


飛んできた母の平手。それが俺の言葉を遮った。


「・・・」


目からは涙の粒がいくつもこぼれている。溢れ出る感情は言葉にならず、唯、涙となって落ちていく。一つ一つ。俺は、母の涙を初めて見た。胸が苦しい。何故か分からない。締め付けられる胸が動揺を誘う。困惑。その言葉が今の俺によく似合う。


母は口元を手で押さえたまま一言も発しようとしない。その姿はひどく弱弱しく見えた。なにも言えない。なにもわからない。しかし、唯一つ、分かったことがある。俺は自分で思っていた以上に、子どもだということだ。


その場にいるのが耐えられなくて、俺は夕食を食べ終わらずに自室へと向かった。


後ろのほうで俺を呼ぶ声がした。


振り向かずに自室へ向かう。部屋に着くと支度をして一階に下り、家を飛び出した。


行くあてなんかない。別に家出をするつもりもない。ただ、家にはいられない。俺は夜の街をただ歩くしかなかった。


「言い過ぎたかな」


後悔。いまさらしても何の意味も無い。後悔、先に立たずとはよく言ったもので、まさにその通りだ。後悔を先にすることが出来たら、人は日々笑顔でいられるだろう。それが出来ないからこそ俺は今こうして仏頂面でいるわけだが。


仲の良さそうな家族がやたらと目に付く。いつもより家族連れが多いように感じる。おそらくは普段と家族連れの数は変わらないだろう。しかし、やたらと目に付いて、その一つ一つに苛立つ自分がいる。


俺は、憧れているんだ。幸せな家庭と言うものに。おそらく自分よりも望んでいる人間はいないと思えるほどに。もっとたくさんのことを聞いて欲しいし、気にかけて欲しい。もっと考えて欲しい。たまには外食なんかにも行きたいし、三人で遊びにも行きたい。愛に餓えた、ただの子ども。それが俺なんだ。自分からはなんの主張もせずに愛を求める、愚かな餓鬼。苦しみと悩みで咽は乾き、心は枯れ果てる。乾いた咽は呻き声をあげる。枯れた心は自分に嘘をつく。自分を守るために。その状況を打開しようともがくが、それは他人から見れば何もしていないのと同義で、結局はただ自分の首を絞めるだけ。まるでそれはマスターベーションで、結局は悲劇の男を演じて自己陶酔しているだけのような錯覚を感じさせる。こんなにも弱いんだ。情けない。


暇をつぶすためにコンビニに入る。今日発売の週刊誌を読む。コンビニのガラス越しに手をつないだ親子が目に入った。一瞬胸が痞えたが、それを無理やりに閉じ込め漫画の世界に身をおく。


いつもなら思わず笑ってしまう漫画も今日は心を動かすには力が足りなかった。ただの線にすら見える。世界はどこまでも俺を、苦しめる。



一時間近く立ち読みをしたところで、本を読み終え移動することにした。場所は四人でいつも行くゲームセンター。駅前にあり、うちの高校生の溜まり場となっている。


駅前は二十ニ時前にも関わらず人は絶えていない。こんな時間までなにをしているのだろうという疑問が生じる。傍から見れば俺も同じか。


時間を潰す。やりなれたゲーム。全五面のうち三面の途中でゲームオーバー。そういえばこのシューティングゲーム、茂久がやたらと上手かったっけ。ランキングのトップにはF・Sと表示されている。茂久のイニシャルだ。ほとんどパーフェクトじゃねぇか。あいつ、気持ち悪いな。


こっちをやたらと見ている女の子がいて、その視線に何となく気まずくなってゲームセンターを後にした。


しばらくゲームをしたので結構時間は潰せた。時刻は二十三時三分。そろそろ家に帰ろう。家につくころには二人とも寝ている時間だ。今日はさすがに顔はあわせられない。


駅前はさすがに人通りが少ない。こんな時間だ、人も少なくて当然か。母の涙を思い出しながら家に帰る。あんな気持ちは、初めてだった。あまりあんな気持ちはしたくはない。それでも今回のことがすんなり終わるはずはなくて、まだまだ一悶着ある予感が胸を覆っていた。仕方ないか、さすがに。


家につくと案の定電気はすべて消え、二人はすでに寝ているようだ。静かに家の鍵を開け家の中に。そのまま自室へと向かう。今日はもう風呂にも入らずに寝よう。次に顔をあわせるのは明日の夕食のときだ。そのときまでに心の準備はしておこう。また荒れることは目に見えているのだから。


「・・・」


服も着替えぬままベッドに横たわる。今日一日は最低だ。本当に。


突然、聞きなれた音が聞こえてきた。メールの着信音。


「こんな時間に誰だよ」


メールを返すのもめんどくさく、誰からのメールかも確認せぬまま寝ることにした。一晩寝たらこの胸の痞えも少しは軽くなるだろう。そんな淡い期待を抱いて瞳を閉じる。目が覚めたら全く別の世界にいたらいいのに。そんな妄想をしながら、神経を開放していく。広がる神経。拡散した神経はやがて体を包んでいく。それは最終的には睡眠へと繋がっていくのだ。


パラパラと音が聞こえる。



天気は、俺の心にも似た、雨だ。

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