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記憶屋  作者: 国見遥
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第二章   速水幸成

十二月九日。月曜日。時刻、七時三分。


鳴り響く目覚まし。耳を劈く音が不快感を与える。体がだるい。それでも起きなければいけない。遅刻してしまう。


五月蠅い目覚ましを止め、ベッドから降りる。寒い。寝ぼけ眼のままカーテンを開けると、刺すような朝日がうすく開けた瞳を襲う。思わず目を閉じる。


天気、晴れ。


今日も退屈な一日が始まる。


「寒い」


文句を言いながら制服に着替える。ウチの高校のブレザーは都内でかっこいいと有名だ。だが俺はこの制服が嫌いだった。ブレザーってネクタイ結ぶのが面倒だし。さて一階に下りるか。おっと、鞄を忘れずに。


寝癖でくしゃくしゃの頭のまま一階へ下りる。リビングには誰もいない。二人とも既に仕事に行ったようだ。


冷蔵庫から牛乳を取り出す。朝はやっぱ牛乳だ。


テーブルの上に置かれた菓子パンを頬張りながらテレビを点ける。ブラウン管にはメジャーリーグの試合結果が映っている。どうやら日本人選手が大活躍したらしい。解説者が嬉しそうに日本人選手の活躍を讃えている。


菓子パンを食べ終わり牛乳を飲み終わると、ニュースでは何処かの国の暴動を伝え始めた。さして興味もなくテレビを切ると、一つ背伸びをしてみる。背中のほうから骨が鈍く鳴る音が聞こえた。


欠伸をしながら洗面所へ行く。顔を洗い丁寧に歯を磨く。それにしても酷い寝癖だ。あっちこっちに髪がはね放題だ。まさにこれ、やりたい放題。セットするのめんどくさそうだ。それでもセットしなきゃ恥ずかしくて外に出られたもんじゃない。


まず髪を濡らす。濡らしすぎってぐらいがちょうどいい。次にタオルで適当に水分を取る。ある程度乾いたらドライヤーをかける。長めの髪は乾きづらい。それでも短髪にはしない。長髪は俺のトレードマークだから。


髪を乾かすと仕上げはワックス。マットタイプでツヤの出ないように。髪を軽く後方へ流すようにセットする。・・・よし、完成。


準備が出来るともう一度テレビを観にリビングへ。テレビではちょうど朝の占いが流れている。


「うわっ、今日十二位じゃん。っていうか一位のとき一度もないし」


テレビを消し、時計に目をやると時刻は七時四十一分。そろそろ家を出よう。いつもより少し早いけれど。


玄関に向かうと靴箱の上に置かれた鍵を手に取り、家をでる。きちんと鍵をかけると学校へと向かう。


今日も天気はいい。


学校は歩いて十分くらいのところにある。歩くのは嫌いじゃないし、自転車はあえて乗らない。


冷たい風が頬を撫でる。痛いくらいに。澄んだ空から降り注ぐ暖かい光と冷たい風が体内に入ると、それが生を実感させてくれる。冬は嫌いじゃない。かじかむ手も痛い耳も、嫌いじゃない。春の暖かい風も、夏のうだるような暑さも、秋の寂しさも嫌いじゃない。ただ、雨は嫌いだ。降り注ぐ雨は生と死を同時に感じさせる。表と裏は最も遠い存在でありながら、それでいて一番近しい存在だ。正反対の位置にあるはずのものが同時に存在するのは、耐え難いほどの苦しみだ。だから、雨は、嫌いだ。


見慣れた街並み。何度も通った道。普段通りの雰囲気。変わらぬ毎日。それらが永遠に変わらないように感じる。


十分ほど歩くと高校が見えてくる。見知らぬ女の子が自転車ですぐそばを通り過ぎる。風を切るように。急がなくてもまだホームルームは始まらないよ。


校内に足を踏み入れると同時に強い風が吹く。春の訪れはまだ早いだろ。


いつもの下駄箱からいつもの上履きを取り出し、履く。いつもの階段を上り、いつもの廊下を歩く。いつもの教室が見えてくる。いつもの教室にいつものように入る。


「おはよう」

誰に言うわけでもなく挨拶をする。長年の癖。それに答える声。


「おはよう」

「おっす神崎」


喋りたいのにそれ以上は何も言わず自分の席につく。なんか気の利いたこと言えよ俺。駄目なやつ。


「おいっす幸成」

教室に入ってくると同時に声をかけて来たのは藤原茂久。小学校、中学校と一緒で幼馴染のようなものだ。頭は悪いがサッカーはやたら上手い。


「おう」

「テスト勉強してるか?」

「当然」

「数学教えてくれ。マジやばい。絶対赤点」

「明後日までまだ時間はある。頑張れ」

「仕方ない。最後の手段だな」

真剣な表情の茂久。どうせ下らないことを考えているに決まってる。


「どうすんだよ?」

「まず、ちっちゃい紙をだな・・・」

「知ってるか?カンニングっていうんだぜ、それ」

「あら、知らなかったわ」


笑いながら茂久は真ん中の一番後ろの席に座った。神崎と何か喋っている。気になったがそのまま顔を伏せた。寝たふり。これしかない。


遠くの笑い声。近くの話し声。廊下を走る音。目を閉じると必要以上に神経が研ぎ澄まされる。自分の体が自分のものではなくなり、宙に浮くとそのまま徐々に空気に溶けていく。その感覚は心地よく、嫌いじゃない。


チャイムの音で元の世界に戻る。黒板の上に掛けられた時計に目をやると時刻は八時十分をすぎていた。周りを見渡すと教室は生徒で溢れている。すでにほとんどの生徒が登校を済ませたようだ。


「はい、席について」


担任の中杉の声が教室に響く。がたがたと教室が騒がしい。


生徒全員が着席するとホームルームが始まった。


どうでもいい話。興味もないので外に目をやる。俺の席は窓際にあり、外の景色がよく見える。街を一望できるので結構気に入っている。変わりばえの無い街もここからだと別のものに見える。建物の数以上の人々がこの街に息づいていると思うと変に感動する。ここから見える景色は、この星のごく一部なんだと思うと自分の悩みや存在がやけにちっぽけに思えて、馬鹿らしくなる。世界は大きく、俺は小さい。淀みなく流れる日々がどうでもいいものに感じられ、生そのものですら価値を無くす。


ホームルームの終わりを告げるチャイムの音で我に返る。中杉の姿はもうない。


「幸成、テスト終わったらカラオケでも行こうぜ」

茂久が話しかけてきた。


「誰と?」

「聞きたい?」

「いや、どうせいつものメンバーだろ。聞くだけ時間の無駄」

俺、藤原茂久、波多野幸助、古谷優一。いつもつるんでるメンバー。どうせこの四人だろ。聞く必要もない。


「それが違うんだな、これが」

にたにたしながら茂久が言った。


「じゃあ誰だよ」

「いつものメンバー」

「やっぱりな」

「プラスアルファ」

「はぁ?」

心当たりがない。他に一緒に遊ぶような奴いたかな。


「女の子もきまっせ旦那」


だれが旦那だ。


「誰?」

「長谷川さんと山本さんと尾上さん。それに神崎さん。どうです旦那。綺麗どころを取り揃えてみました」


長谷川と尾上ってのは誰だか知らない。たぶん違うクラスの奴だろう。以前茂久が騒いでいた女の子ではないだろうか。聞き覚えのある名前だし。


「なんで?」

「なんでって、嫌なのか?」

「別に嫌じゃないけど」


嫌なはずがなかった。神崎が来るなら足が折れても這って行くさ。


「優一が昨日神崎さんにメールしたらしいのよ。皆でカラオケ行こうって。んで、こっち四人だし三人女の子誘ってみてって言ったらしい」


ナイス優一。そういえば優一と神崎は中学が一緒なんだよな。仲良さそうだし、うらやましい。


「まぁ予定もないし別にいいよ。にしてもカラオケ久しぶりだな。最近ゲーセンばっかだったし」


嬉しさを押し殺す。にやけない様に、普段通りに振舞う。


「たまにはカラオケもいいんじゃない?」

「さっき神崎と話してたのその話かよ」

「おぅ。テスト早く終わんないかなぁ」

「ちゃんと勉強しろよ。赤点取るなよ」

「うっさい。俺には秘密兵器が」

「だからカンニングだってそれ」



授業が始まると教室には教師の声のみがこだまする。普段は割りと真面目に授業を聞いている。しかし、今日は無理だ。カラオケのことで頭がいっぱい。茂久じゃないけど早くテスト終わらないかな。



四時間目の授業が終わると俺たちは校庭に集まる。昼休みは校庭で昼飯を食べる。お決まりのパターン。


他の奴らは弁当だが俺はいつも購買のパンだ。


コロッケパンを食べていた時、ふと上を見上げると校舎の教室の窓から神埼たちが顔を出しているのが目に入った。こっちを見ているように見えて慌てて目をそらす。


「外で飯食うの寒いな」

「子どもは風の子だよキミ」

「毛生えてるから大人だ」

茂久と波多野の漫才のような会話。聞きなれたなこういう会話。


「幸成、カラオケ来るんだろ?」

優一が玉子焼きを食べながら言った。

「あぁ、そのつもりだけど。なんで女誘ったの?」

「あっちから誘ってきたんだぜ。皆でカラオケ行こうって」


話を詳しく聞いてみると、茂久のことを尾上って子が気に入っていて、上手くひっつけようということらしい。俺たちは当て馬かよ。


「尾上さんより長谷川さんのが好みなんだけど、まぁ可愛かったら誰でもいいや。女は顔。あと胸だね」

「最低だなお前は。そんなんだから付き合ってもすぐ別れるんだよ。まともな恋愛したら?」

「顔と胸で選んで何が悪い。大体お前は彼女いるからそんな余裕ぶったこと言えるんだよ。さっそと別れちまえ」


二人の会話を聞きながら俺と優一は笑っていた。



全員が食べ終わると恒例のバスケをする。波多野はバスケ部だから上手くて当然なのだが、俺も優一も運動には自信があって割りとバスケは得意だ。茂久はサッカーは上手いのだがバスケはいまいち。


じゃんけんでチームを決める。俺と優一、波多野と茂久。負けたほうがジュースを奢る。寒さで冷たく硬くなった体が、動いた量に伴い徐々に暖かくほぐされていく。真夏の暑さの中で体を動かすのよりも冬の寒さの中で体を動かすほうが気持ちがいい。


「ヘイ」


優一が手を上げる。波多野をドリブルでかわし、茂久を十分にひきつけた後フリーの優一にパスを出す。そのパスを丁寧に処理すると優一の手から放たれたボールは一度バスケットボードに当たった後、ゴールネットに吸い込まれていった。


「よっしゃ追いついた」


スコアは四対四。五点先取なのでお互いにマッチポイントだ。


「抜かれてんじゃねえよバスケ部」

「幸成上手いんだもん。お前バスケ部入れよ」

「抜かれてんじゃねえよバスケ部」

「何回も同じこと言うな」

いつでも何やってても五月蠅い奴らだ。


「ナイスパス」


幸成が肩に触れながら言った。


そこからしばらくお互い点を決められぬまま時間は過ぎていった。時計に目をやるとおそらく最後のプレイになるだろうことが分かった。


肩で息をする。息が荒い。頬が熱い。目の前の相手に意識を集中する。波多野のディフェンスがいつもより下がり気味に見えた。


「いいのか?そんなに下がってて」


ドリブルをしながら波多野に話しかける。同時にボールを両手で優しく包む。視線を波多野からゴールに向ける。意識も、ゴールへと。ひざを軽く曲げボールを高く掲げる。コートを両足でしっかりと蹴る。指先からボールが放たれる。高く高く弧を描く。波多野のブロックも届かぬ高さでボールはリングへ向かう。四人ともボールの行方に息を呑む。一度、二度、リングにボールがぶつかった後、ボールはリングを潜り抜けコートで弾んだ。


「ナイッシュー」


教室の窓から神崎の声が聞こえた。

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