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記憶屋  作者: 国見遥
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第十九章 邂逅その7

「結婚しよう」


 その言葉を最後に、そのシーンは終わった。今までどおりブラックアウトする映像。



「もう、これ以上何が起きても動じない」



 闇のような暗さを得た画面を見つめながら、幸成はそう思った。


 いともたやすく、その思いは壊されることも知らず。


 月明かりに照らされる病室。それは恐怖さえ感じさせる。また、風の音と木の葉の舞い散る音だけが聞こえる。


 窓からは闇夜に身を潜めた街を温かく見守るような、満月が輝いているのが見える。


 正確な時間は分からない。月の輝きが夜の深さを知らせてくれるが、正確な時間は、分からない。


 世界にはたくさんの生物が息づいている。それは想像もできないほどの数で、あまりにもリアリティに欠ける数だ。しかし、現実に幾多の生物が生を育んでいる。あるものは捕食され、あるものは孤独に、あるものは明朗に。世界のどこかで、今頃、抱えきれないほどの幸せに包まれている人間だって必ず存在する。自己との対比をすると、それが疎ましくてならない。雨は全ての者に降り注ぐのに、人は時として、雨に打たれるのは自分だけであると感じる弱く卑しい生き物である。雨が降れば大地は力を取り戻し、そこに立つ者に力をくれる。それが分かっていながらも、人は雨を嫌う。


 弱さを知らぬ者が強さを知るはずが無い。痛みを知らぬ者が優しさを知るはずが無い。真理とはコインのような物で、両側を見ることができて初めて、そのコインの裏表を知ることができるのである。何も書かれていないコインの裏表を分かる人間は存在しない。裏と分かる表記があるからこそ、そちら側が裏と分かり反対側が表であると初めて分かるのである。正を知るにはいつだって負を知る必要がある。他人に傷つけられたことのない人間が、他人に優しくすることができないように。


 雨が降れば、生が根付く。悲しみがあるからこそ喜びが現れる。それを知っている人間は数多くいるのに、実際にそれを心に常に携帯し行動をする人間は少ない。否、存在しない、と言ったほうが正確かもしれない。なぜならば、人は例外なく、雨を嫌うからだ。


 幸成もまた例外ではなかった。親のいない子どもはたくさんいる。愛を知らずに育つ子どもの数は計り知れない。食べる物も無く餓死する子どももいるだろう。それらの者に比べれば考え方によってはマシなのかもしれない。それでも、この世で自分は一番不幸だ。そんな風に考えてしまうのが人間であり、幸成もまた、同じであった。


 真実を知りたいからこその記憶の注文。結果として幸成を苦しめるだけのものであるが、それが彼の感情をさらに加速させる。自分は不幸だ。そんな風に考えることしか出来ない。周囲から見れば完璧な彼は、限りなく不完全だった。


「死を受け入れるって、どんな感じなんだろう」


 彼には当然分からなかった。


 風の音の間に、ある音が聞こえてくる。


 強く吹く風の音で聞こえなかった。そのすすり泣く音が。


 泣いている。風と同じように。


 良子のすすり泣く音が暗い病室を包む。


「怖いよぉ」


 枯れた声。


「死にたくないよぉ」


 枯れた心。


「ひろきぃ、たすけてよぉ」


 亡き者に求める救い。


「生きていたいよぉ」


 死を簡単に受け入れることの出来る者がいるだろうか。若さが共存する肉体をもつ者ならそれは難解だ。若さとは根拠の無い自信であるが、同時に、限りない弱さだ。生きるために死ぬことを受容するには、良子はあまりにも若すぎた。


「失いたくない。失いたくない。でも、怖いよ」


「誰か助けてよぉ」


「死にたくないよぉ」


 死を受け入れても、受け入れようとしても、若さがそれを拒絶しようとする。守るために死を選ぼうとしている良子にとって、それはかくも残酷だった。


 目の前で、母が泣いている。死という事実から無尽蔵に生み出される恐怖に、心を崩されている。数日前に見た母の姿と重なる。自分のしたことが、自分自身が憎くてならない。


「死にたくない」


 風の奏でる伴奏に乗せて、良子の儚い願いが、幸成の心を貫く。

 

 恐怖を克服したわけではなかった。それでも、守りたかった。


 だからこそ、亮に言ったのだ。死んでも、産むと。


「死にたくない」


 それを亮は聞きいれた。彼なりに苦渋の決断だったであろう。


 それでも、彼も、守るために自分を捨てようと決意した。


 だからこそ「結婚しよう」と言った。


「死にたくない」


 人はかくも弱い。


 子どもにとって親とは絶対的な存在。


 その親の弱さ。そして強さ。


「死にたくない」


 前進しようとする心は固い。


 逃避しようとする心は脆い。


「死にたくない」


 人はあまりに弱い。


 人はあまりに汚い。


「でも・・・絶対、あなたは守るから」


 しかし、子を思う親の心は、どんな鉄壁の城よりも堅牢だ。


「必ず、守るから」


 子を思う親の心は、どんな美しい空よりも、淀みが無い。


「死んでも・・・守るから」


 母の泣き声が、幸成の心を押しつぶしていった。


 嗚咽がいつまでも響いていた。

あえて、毎回二千字程度の短い内容でお送りさせていただいています。ご理解下さい。

感想、お待ちしています。よろしくです。

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