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記憶屋  作者: 国見遥
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第十八章 邂逅その6

 幸成は、零れ落ちる涙を拭った。拭っても拭っても溢れる涙。自分が弱い人間に思えて、それがたまらなく嫌だった。


 噛み締めた唇は、幸成の思いそのものであった。


 もうこれ以上、記憶を見たくなんてなかった。もうどうでもよかった。もう、記憶を見るのをやめようと思った。その思いを、過去の両親の声が断ち切る。


「手術、体力が回復次第するらしいな」


「うん」


 亮は笑顔だ。ただ、それは、誰が見ても滑稽と感じるほどの造り笑顔だった。亮も精神的につらいのは言うまでも無い。それでも、精一杯の笑顔と元気を良子の前では見せなければならなかった。それが彼にできる唯一つのことだった。


「昨日さ、部屋にゴキブリ出てさ、夜中に一人で大騒ぎしちゃったよ。なんでゴキブリって怖いんだろうな?不快害虫って言葉通り、特に何にもしないけど、いるだけで不快だよなぁ。マジ気持ち悪いよな」


「そうね」


「ベッドの下に入りやがって、てんやわんや。ゴキブリの上で寝るのも嫌だし、かといってベッドの下のゴキブリを退治する術はないし。もう最悪でさ、三十分もゴキブリと格闘したんだぜ」


「そうなんだ」


「結局ベッドどかしてさ、丸めた本で潰したんだけど、その本がさ、慌ててたせいでゼミの教科書だったんだ。最悪だろ?んで教科書捨てちまった。新しいの買わなきゃなぁ」


「そう」


 身振り手振りの無駄に大きな亮。まるでピエロだ。


「でも新しい教科書買うっていっても、もう十一月だしもったいないよな。どうせ来年になったら別の教科書買わなきゃいけないんだし、買わないでおこうかなぁ」


 大げさに腕組をしている。頭までひねって。その滑稽さは、やはりピエロを連想させる。


「買っておいたら?どうせ必要なんだし」


 落ち着いた印象を受ける声。二人の声のトーンは正反対だ。


「でもさ、もったいないじゃん。オレもそんなに金持ちでもないしさ。やっぱり買わないでおこうかな」


「なら、買わないでおいたら?」


 さながら喜劇だ。


「そうだな。買わない。決めた。うん、買わない」


 何度も首を縦に振る。その様が餌をついばむ鳩のようだと幸成は思った。


「なぁ、来年誰のゼミとる?また一緒のゼミにしようぜ。良子がいないとオレ単位取れないだろうし。なっ?頼むよ」


 良子は、答えない。


「なんだよ、オレと一緒じゃ嫌なのかよ」


 口を尖がらせている。いちいちオーバーリアクションだ。


 しばらく黙っていた良子が口を開く。その言葉に、映像の中の亮、そしてそれを見ている幸成、二人の表情が強張る。


「大学やめる。私、子ども、産む」


 弱弱しい声。だが、決意の満ちた声。


「なに言ってんだよ。だって・・・」


「決めたの。産む。裕樹の子ども、産みたい」


「でも、そんなことしたらお前は・・・」


 続きの言葉を飲み込む。それを口にしてしまうと、それが現実になってしまいそうで、言えなかった。


「死んでもいい。産みたいの」


「誰が育てるんだよ」


「お父さんとお母さんに頼む」


「そんなの、聞いたことないよ」


 首を横に振りながら、良子から視線を逸らす。


「産みたい。裕樹の子ども。分かってくれるよね?亮なら、分かってくれるよね?」


「分かるわけないだろ」


 今にも泣き出しそうな声だった。亮の混乱が窺える。


「どうしても産みたい。分かってよ、亮」


「分かるわけないだろ」


 声を張り上げる。病院中に聞こえるのではないかと思えるくらいの怒号。良子の一言に完全に激昂していた。


「死ぬんだぞ?早く手術しないと死んじゃうんだぞ?何考えてるんだよ。裕樹を失って、お前まで失えって言うのかよ。ふざけんな。ふざけんなよ」


 思いをぶつける。それは道理で正論で当然で、あまりにも当たり前のものだった。それでも良子の決意を変える程ではなかった。


「どの道、子どもは産めなくなる。死んだらもちろん生きてても、もう子どもは産めない。この子が最初で最後の子ども。どうしても産みたい。私が生きた証が欲しい。裕樹が生きた証が欲しいの。そのためなら、この命いらない。死んでもいい。この子が、どうしても産みたいの。産みたいのよ」


 泣きじゃくりながら、良子も思いをぶつけた。それは叫びで、それは誇示で、それは決意で、それは覚悟で、それは悲しみだった。唯、絶望から逃げ出すための答えではなく、絶望の淵を駆け上るための選択だった。


「死ぬってとても怖いこと。でも、大切なものを守るために死ぬことは、大切なものを捨てて生きることよりもずっと幸福なことだと思う。私は唯死ぬんじゃない。守るために死ぬの。裕樹と裕樹の思いを、私の思い、そして私自身を守るために」


 死は誰にも平等である。この不平等しか存在しない世界で唯一、誰にもに平等に訪れるもの。それが死。いつか訪れるものならば、自らの生を満足な物にしたいと思うのは普通のことだ。それが例え、そのために命を捨てることになったとしても、間違いではない。生を充実したものにするための死。矛盾はいつだって正解に一番近い。


「そんなの理解できないよ」


「もう決めたの。ごめんね、亮」


 それきり、亮は黙ってしまった。良子もまた喋ろうとはしなかった。


 長い沈黙だった。そのとき、この映像が流れて初めて、裕樹、良子、亮以外の発する音が聞こえてきた。それは風の音。そしてそれに吹かれ地面に吸い込まれていく木の葉の音だった。木の葉は季節に紅潮され、真っ赤に染まったその身を地面へとどんどん投げていく。雨のようだった。高台にある病院の窓からは、舞い散る木の葉なめの街が見える。それは何処か神秘てきなものだった。


 誰も喋ろうとしない、沈黙の中で、風と木の葉の音だけが響く。それを幸成は心地いいとさえ思った。


 長い沈黙の後、口を開いたのは亮だった。


「オレ、大学辞める」


 突拍子もない一言。


「はぁ?何言ってんの?」


「大学辞める。辞めて働く」


「だから何言ってんの?」


 焦ったような声の良子に反して、亮の声は地に足が生えたように感じられた。


「お前が覚悟したならオレだって覚悟する。お前が裕樹を守ろうとするなら、オレだって裕樹を守る。お前がお前自身を守ろうとするなら、オレだってお前を守る」


 強い、言葉だった。


「お前と裕樹が付き合ったからさ、言えなかったんだけど、オレ、お前が好きだ。何より大切なんだ。もちろん裕樹のことだって凄く大切なんだ。オレがお前らの思いを守るよ。オレが二人の子どもを守る。裕樹の守れなかった約束を、オレが代わりに守る」


 強い、強い言葉だった。


「何言ってるのよ。私、死んじゃうんだよ?わかってる?」


「分かってる」


「分かってないよ、亮は」


「分かってるよ」


「分かってな・・・」


「分かってる」


 良子の声を遮る。その声は風と木の葉の音を掻き消した。

 

 若さとは根拠のない自信である。人は歳をとれば安定を求めようとする。それは間違ったことではない。むしろ正しいとさえ言える。それでも、それを無視してしまうほどのエネルギーを持っているのが若さだ。亮の思いもその若さからのものだった。儚いものは美しい。若さもまた、儚く、限りなく美しい。


「好きなんだ、裕樹のこと。愛してるんだ、良子のこと。守りたいんだ、お前らの思いを。だから・・・」


 大きく息を吸い込む。それは体の中に入ると血と混ざり合い、体中を駆け巡る。やがて、それは力となり、揺ぎない意思と、無欠の言葉となる。


「結婚しよう」


 木の葉たちのダンスは、既に終わっていた。

疲れた。疲れました。中々思い通りのものが書けない苛立ち。そして自分の能力の無さ。なんて駄目な作者なのだろう。そんなことを思う今日この頃です。

感想、お待ちしています。力を下さい。お願いいたします。

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