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記憶屋  作者: 国見遥
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第十七章 邂逅その5

「だれかぁ」


 叫び声がいつまでもこだましている。それは鬼気迫るような声で、いつまでもいつまでも反響し続けた。


 画面が暗くなった後も声は響き続けた。その後、医者や看護士と思われる数人の足音と声が聞こえてきた。騒然とした雰囲気が音となって感じられた。



 暗くなった画面が明るくなると、そこはベッドの上。どうやら良子は入院しているようだ。


「・・・」


 狭い個室には誰もいない。


 そこへ亮と医師がゆっくりと病室へと入ってきた。


「調子はどうですか?塩崎さん」


 優しく、なだめるような声。


「えぇ、なんともないです」


「そうですか」


 亮は黙ったままベッドの横に置かれた椅子に腰をかける。一つ一つの動作に気を配っているように見える。それは優しさからか、動揺を隠す為からかは定かではない。


「葬儀、どうだった?」


 穏やかな声の裏に不安や悲しみが佇んでいる。そんな印象を受ける声だった。


「お前の分も見送ってきたよ」


「そっか。ありがとう」


 空気が張り詰めている。


「今は自分の体のことだけ考えろ。他の事考えてたら体に障るしさ」


 亮は穏やかに言った。


「大丈夫。今は痛みとかもないし。少し体がだるいくらいかな」


「寝てばっかりだったら体もだるくなるさ」


 にこやかに答えた。


 窓から見える景色は街を一望でき、見晴らしはすこぶるいい。それが療養に役立つかは定かではないが。


「周りくどいのは好きじゃない」


 良子の声は凛としている。


「知ってるよ、そういう性格だってのはさ」


「だったら、全部話して欲しい」


「何を?」


「病気のこと。お願いします、先生」


 表情が曇る。言わなければならないこと。それがどんなに残酷なことでも告げなければならないことがあった。それが例え大切な人を不幸に陥れることだとしても、伝えなければならなかった。それを、亮は心の中に持っていた。


「別に大したことじゃないよ。すぐに治るさ」


 亮はできるだけ平静を保とうとしているのがよく分かる。あまり演技力はないようだ。何かを隠しているのがばればれだ。


「お願い、ちゃんと教えて。知りたいの。先生、お願いします」


 友人以上の感情を抱いている相手に、過酷な言葉を投げかけることが容易にできる人間が世の中にいるだろうか。容易なことではない。それなりの覚悟が要求される。自分にも、そして相手にも。その覚悟が彼にはできていなかった。自らの言葉で彼女を不幸にすることを、彼にはできるわけが無かった。それでも、しなければならない。裕樹のいない今、彼女を守るのは自分にあると感じていた。だからこそ、この役目は自分がしなければならない。


 沈黙の後、彼の中の覚悟が固まった。


「・・・子宮肉腫・・・だってさ」


「子宮・・・肉腫?」


 聞きなれない言葉だったのだろう。良子は反復するように言った。


「かなり稀な病気らしい。普通は年配の人が発病する病気なんだ。けど良子はまだ若いから進行も早いらしい。詳しくは先生から聞いてくれ」


 幸成も聞いたことはなかった。ガンかなにかだろうか。そんな程度の想像しか幸成にはできなかった。


「いいですか?塩崎さん。子宮肉腫というのは婦人科のがんの中でもまれな病気で、子宮体部がんの2〜5%です。子宮肉腫は、子宮頸部より体部に多く発生し、その大部分は筋肉から発生します。病期は四つに分かれていて、あなたの場合は第三期です。肉腫は子宮の外に拡がっていますが、まだ骨盤内にとどまっている状態です。そして、子宮肉腫は大きく分けると四種類あるのですが、あなたの場合は平滑筋肉腫と呼ばれるものです。あなたのように若い方がこの病気になるのは非常に稀なケースですが、若い分、進行も早くて、できるだけ早期に手術が必要です。」


 医師が淡々と喋る横で亮は俯いたままだ。内容は既に聞いているようで、心ここにあらずという感じだ。


「手術って、どんなものなんですか?」


 当然の問いだ。この状況下ならだれもが気になるだろう。だが、その答えはあまりにも絶望的なものだった。


「子宮全摘術、両側付属器切除術、リンパ郭清を行い、可能な限り肉腫を切除するという手術内容です。両側付属器とは両方の卵巣と卵管のことです。リンパ郭清とはリンパ管とリンパ節を一塊として摘出する手術のことです」


 子宮を取り除く。女性にとってこれほどまでに辛いことがあるだろうか。まだ二十台前半の良子にとってはあまりにも酷な告知だった。それは絶望でしかなかった。ただ、それよりも気になることがあった。


「お腹の子どもは、どうなるんですか?」


 気になって当然だった。


 その気がかりを無情にも切り捨てる言葉が返ってくる。


「早期に手術をしなければ危険な状況です。今、妊娠二ヶ月半程度ですが、出産まで手術を待つというのは危険すぎます。正直、お子さんについては諦めるしかありません」


 夫になる予定の男が死に、お腹に宿した子は諦めなければならない。そして、自分の命も危うい。人生のうちにこれ以上の底があるなら教えて欲しい。そんな状況だった。


 知らされなかった事実。幸成の混乱はピークに達していた。


「オレは、誰の子どもなんだよ。母さんの子どもですらないのかよ。オレは一体、誰なんだよ」


 幸成の頬を涙が伝う。


「実の子じゃないんだから愛されていないのも当然か。なんだ。簡単なことだったんだ。そりゃ愛されていないよ。そりゃオレに興味なんかないよ。」


 あまりの出来事に思わず笑う幸成。


「ははは。こんな結末かよ。オレが望んだのはこんな結末じゃないんだよ。愛されているかそうじゃないか。それだけでよかったんだ。こんな事実知りたくなんかなかった。知らないほうがよかった。はははっ。ふざけんなよ、ちくしょう」


 愛されたい。ただそれだけを強く望んできた男にとって、どうしようもないほどの結末。幸成の頬を伝う涙はとめどなく流れ続け、ひざの上に落ちていく。


「ふざけんなよ」


 それだけ言うと視線を落とした。


「そうですか。わかりました」


 良子も同様に、視線を、落とした。


 窓から見える空は、良子の感情とは無関係に、透き通るほどに晴れ渡っていた。

子宮肉腫という病気に関する知識は、正直あまりありません。聞いたことがある程度なのでもしかしたら内容に間違いもあるかもしれません。一応私なりに調べたりしたのですが足らない部分もあるかと思います。ご了承ください。感想等、お待ちしています。

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