第十四章 邂逅その2
知らないことのほうが、時に幸せなこともある。そんな言葉を聞いたことがあります。本当にそうなのでしょうか。私は、例えそれが自分にとってマイナスの結果をもたらす事実であっても、知りたいと思います。それが自分を不幸にしたとしても、知らないということはこの上も無いほどに残酷だと思うからです。
「オレのなにが悪いわけ?」
「全部」
「全部は言いすぎだろ」
「性格じゃない?」
「一理ある」
「お前らなぁ」
三人ともなんとも楽しそうに会話をする。幸成にとって、こんなにも楽しそうな顔の両親など見たことも無かった。それがやけに、胸を締め付けた。
「もう亮とは勝負しない。勝てる奴としかやらないぞオレは。ってことで勝負だ、良子。さぁ、かかって来い」
「先週良子にボロ負けしたこと忘れたのかよ」
「先週は、もう良子とは勝てないからやらないって言ってたよね」
どうやら良子にも勝てないようだ。馬鹿にされたのが余程こたえたのか、裕樹は肩を落としている。それを慰めるように、良子のものと思われる手が裕樹の肩に伸びた。裕樹の肩にそっと置かれた左手の薬指にはシルバーの上品なリングが煌いている。リングの中央には横に一本黒いラインが入っている。
幸成はその指輪に思わず見入った。その指輪は今も良子の左手の薬指で光っている指輪そのものであった。
「このときからつけてたペアリングなんだ、あれ。何十年前のペアリングだよ。いつまでも学生時代に買った指輪なんかつけてんなよ」
煌く指輪が妙に気になって、視線はそれにだけ向いていた。
「来年、いや卒業までには絶対にお前らに勝つからな」
「無理すんなよ。元サッカー部が元テニス部にテニスで勝てるかよ」
「だから卒業までに、だよ。お前らしばらくラケット握るの禁止な」
「禁止って、どのくらいよ?」
「二年間」
「ふざけんな」
茂久たちとのやりとりを思い出させる。つまり、くだらないということだ。
「いつの世も学生ってのはこんな感じか」
幸成が感慨にふけっていると、また画面が変わった。
一室。七畳ほどの部屋。状況から考えて学生マンションだろうか。雑多な雰囲気が家主のずぼらさを窺わせる。正方形に近い形の部屋の真ん中に置かれたコタツ。そこには亮が座っている。良子の声が聞こえることから、相変わらず良子目線で映像が続いているのがわかる。
「コーヒーってなんでこんなに苦いんだろうな。そもそもこんな苦いもの飲もうって思った奴って頭おかしいんじゃない?」
湯気の立つコーヒーをすすりながら亮が言った。
「ヤギか何かがコーヒー豆を食べてやたら元気になっていたのを見て、飲み始めたって話を聞いたことがあるけど。亮、苦いもの嫌いだもんね。砂糖とミルク大量に入れてるし」
「ビールも苦手だ。なんで大人ってのは苦いものばっかり好むんだろうな」
「亮が子どもなんだよ」
そう言いながら良子もコーヒーをすすった。
「んで、裕樹はいつ帰ってくるんだよ。バイト終わってるはずだろ」
「そろそろのはずなんだけどなぁ」
会話から察するにこの部屋はどうやら裕樹の部屋のようだ。家主のいない部屋にいることから三人の親密さが分かる。
二人がコーヒーを飲み終えるころ、ドアが開き裕樹が帰宅してきた。
「たっだいまぁ」
疲れた顔で登場。いそいそとコタツに座る。
「遅いよ。いつまで待たせるんだ」
三人の雑談がまた始まった。それを見ながら、そこに映し出された映像に違和感を覚える幸成。どこに違和感があるのかと聞かれても答えられない。ただ、違和感があった。
「・・・」
しばらく続く雑談。それを見ながらも幸成は考え続けた。違和感の正体を。
「んで、今日はなんだよ。話があるんだろ?」
亮はそう言うと、ほとんど残ってはいないだろうコーヒーを飲み干した。
「うん。話っていうのはだな・・・」
裕樹は視線を天井に向けた。そして、
「オレ、大学やめることになった」
「・・・はぁ?」
亮にとって突然すぎる内容だったのだろう。亮は唖然としている。
「大学辞めて、働くことにした」
「なんで急に」
しばらくの沈黙の後、
「子どもができたんだ」
ぽつりと言った。
「子どもって・・・マジで?」
「マジだよ」
裕樹の顔は真剣だった。そして、
「だから大学辞めて、働く」
そう言った裕樹の左手の薬指には、リングの中央に横に一本黒いラインが入ったシルバーリングが光っていた。