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記憶屋  作者: 国見遥
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第十三章 邂逅

 テレビからは砂嵐のようなザーザーという音が聞こえてくる。映像も砂嵐。とどのつまり、何も映ってはいない。


 幸成はただ、その砂嵐を見つめている。その瞳からは何の感情も窺えない。


「なんだよ、これ」



 砂嵐が一分ほど流れただろうか。幸成はつまらなそうにこぼすと、リモコンを手に取った。どうやらビデオを消そうとしているようだ。指が停止ボタンに触れる直前、ブラウン管からある映像が流れはじめた。


「おっ、始まった」


 長い廊下。廊下を歩く廊下だけが辺りに漂う。


 退屈そうな幸成。彼の退屈とは全く関係なく映像は続く。


「ようっ」


 突然、映像に映りこむ男。長髪で、いかにも軽そうな男はブラウン管の向こうの幸成をにたにたしながら見つめている。


「びっくりさせないでよ」


 もう一つの声は女性のようだ。そこから女と男の他愛の無い会話が始まった。


 幸成にはその女性の声に聞き覚えがあった。聞きなれた声。だが答えはでない。どうしても、この声が誰の声なのか分からなかった。


 しかし、答えはあっけなく分かることになる。男の一言が教えてくれたのだ。


「良子、なんか今日元気ないじゃん。どうした?」


 その一言が幸成の中のもやもやを吹き飛ばす。


「母さん?なんで母さんがこんなもの撮ってるんだ?」


 その疑問は当然で、映像からは幸成の母親である良子が映像を撮っていることが分かる。明らかに良子目線の映像であるからだ。何故自分の母親が撮った映像が『記憶屋』から送られてきたのか。幸成にその理由が分かるわけもなく、ただブラウン管を見つめるしかなかった。


「え?別に普通だけど?裕樹は相変わらずだね」


 幸成の母、良子が裕樹と呼んだ男には、幸成は面識がないようで、彼に対しては大した反応をしていない。


「いつでもなんでも全力投球。そして元気。それがオレだよ」


「知ってる」


 笑いながら良子が言った。


 誰もいない廊下には、二人の声だけがこだましている。


 しばらく二人の会話が続いた。大した話ではなかったのだが、幸成は黙ってそれを聞いていた。



 また、映像が変わる。緑の綺麗なテニスコート。周囲を見渡すように映像が動く。映像にはたくさんの人が映っていて、そこかしこで会話をしているようだ。会話をしているようだ、と述べたのは、そこに映る人々の会話が聞こえないからだ。明らかに会話をしているように見えるのだが、会話は聞こえてこない。その静寂を破るように、また、あの男が現れた。


「どっちに賭ける?」


 微笑しながら裕樹が言った。


「どうせ裕樹がまた負けるよ。一回も勝ったことないじゃん。勝負するだけ無駄だよ、やめといたら?」


 良子の声は何処か楽しそうだ。


「馬鹿野郎、今日こそは勝つよ。このまま負けっぱなしじゃかっこ悪いしな。オレに賭けろよ、小遣い稼がせてやるぞ」


 裕樹は右手に持ったテニスラケットをくるくると回している。その間も相変わらず、周囲の人間はざわついているように見えるのだが、声は聞こえてこない。その違和感はとても奇妙なものだった。二人の周囲にいるざわつく十数人の大学生と思われる集団。にもかかわらず彼らの会話の一端すら聞こえない。裕樹と良子、この二人の会話音以外はスピーカーから流れてこない。奇妙。幸成もその違和感に気づいているようで怪訝そうな顔をしている。


「勝負しろや。今日こそオレが勝つ」


 裕樹が声を張り上げた。その相手は、草原のような緑のコートの真ん中で、座って靴紐を結びなおしている帽子を目深にかぶった男。その男は裕樹を肩越しにちらりと見ると、また靴紐に視線を戻した。


「ほら、さっさと準備しろよ。勝負だ勝負」


 裕樹はその男の腕を掴み無理やり引き起こしながら言った。それにその男は、


「またやんのかよ」


 気だるそうに答えた。


 映像を凝視していた幸成だったが、とある事実にこのときまだ気がついてはいなかった。それは男が帽子を深くかぶっていたからでも雰囲気が今よりも少し違うからでもなく、幸成の頭の中にそれに気づこうとする準備が足りなかっただけだった。

 

 帽子の男はやる気がなさそうにラケットを手にすると、一言二言裕樹に向かって何かを言うと、幸成から見て奥側のコートに向かった。


「いくぞ」


 裕樹のサーブ。高くトスされたボールが重力に引かれ落下しようとした刹那、ボールはラケットのガットによって弾ける様に飛び、相手コートに突き刺さった。


 それを丁寧にフォアハンドで帽子の男がリターンする。厳しい位置に返されたボールを懸命に追う裕樹。激しい打ち合い。ただ、テニスに関して詳しく知らない幸成であったが、二人の表情が、どちらが優位でどちらが余裕があるかを知らせていた。


 歯を食いしばるように懸命にボールに食らいつく裕樹。それとは正反対に口元にうっすらと笑みを浮かべる帽子の男。


 裕樹のコートに深々とボールが返ってくる。前にでる余裕すらない。リターンで精一杯で下がり気味にテニスをする裕樹。それをあざ笑うかのような帽子の男のドロップショット。ボールはネット上をゆっくりと通過すると裕樹の届かない位置にポトリと落ちた。


「くそったれ。正々堂々と勝負しろや。せかいことしやがって」


 喚く裕樹。それに対して至ってクールな反応の帽子の男。


「自分の弱さを正当化しようとするなよ裕樹。くやしかったらオレに勝ってみろ」


 それからも裕樹の劣勢で試合は進んでいった。テニスをやったことのない幸成にとっては退屈でしかなく、何の感情も湧かなかった。好きでもないテニス。おまけに試合をしているのは知り合いでも、ましてプロ選手でもないのだから当然と言えば当然なのかもしれない。幸成が携帯をいじりだしたのも仕方の無いことだった。


 携帯に目をやる幸成の視線をブラウン管に戻させたのは、マッチポイントを向かえ、裕樹を応援している良子の声だった。


「頑張れ、裕樹」


 マッチポイントのラリーを制したのはやはり帽子の男。実力差が大きくあるようなので当然といえば当然の結果だ。


「また負けたぁ。いつになったら勝てるんだよオレ」


 うなだれる裕樹。肩に手を置いて「まだまだだな」と帽子の男。


「ちょっとは手加減してあげなよ、亮」


 良子の言った『亮』という言葉。その言葉に目を見開いて画面を睨む幸成。


「亮?」


 帽子を脱ぐと、男の顔が初めて確認できた。かなり若いが、まぎれもなく、速水亮。幸成の実の父親だった。


「父さん?若いなぁ。・・・てことは、何年も前の映像なのか、これ」


 何故こんな映像が存在するのか。そして何故こんな映像を『記憶屋』が所持していたのか。その疑問に対する答えが幸成に解決できるわけは無かった。


 雑談を続ける三人。試合を終えて体が冷えたのか、亮はジャージを羽織った。そのジャージにはローマ字で『SAKURAGAOKA UNIVERSITY』とある。その文字が幸成の瞳に映った。


「桜ヶ丘大学?じゃあ、サークルかなにかか?父さんと母さんが大学に行ってたなんて聞いたことないんだけどなぁ。っていうか、高卒って言ってたのに」


 幸成の知る限り、二人が大学に通っていたという事実は無い。おまけに桜ヶ丘大学といえば私立でも有名な大学で、そんなところに通っていたなら何かしら話を耳にするはずだった。にもかかわらず、幸成は知らなかった。その上、高卒だとまで聞かされていたのだ。幸成の困惑した表情も納得である。


「次までに練習しまくっとけよ。このままじゃ、一度もオレに勝てないままだぞ。まぁ、どんなに練習しても無駄だけどな」


 亮は得意げに裕樹に言った。それに、


「もう諦めようかな」


 と弱気の裕樹。それを慰める良子。


 ドラマでも見ているかのような感覚。誰かが言っていた『人生はドラマよりドラマティックだ』という言葉をその時、幸成は思い出していた。


「なんなんだよ、これ」


 何もかもが不可思議、理解不能。素人が撮ったとは思えないほどにブレのない映像。三人以外の声が収録されていない状況。聞かされていたものとはことなる両親の姿。自分が生まれる以前に撮られたであろうはずの映像、にも関わらず異常なまでの鮮明さ。そのどれもが、幸成の『理解』を簡単に飛び越えていた。 


 幸成にとって、謎ばかりの内容。彼にとって不可解な映像がこれからも続くのを、このとき、幸成が知るはずも無かった。そして、『記憶屋』に注文した、『自分の見たい記憶』の真実が、思いもよらぬ形でこのビデオテープの続きに収められていることも、知るはずが無かった。

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