甘いものが好きな人に、悪い人はいないと思う
るんるんるん~。
今日は良い日だな。
だって「数量限定 契約農家の小豆を使った幻のどら焼き」が手に入ったんだもの。
これが休日ならまず無理だっただろうけど、今日は平日。勤務日が自由な仕事で良かった~。
お天気良いし、公園で食べようかな。
あーもう手元のどら焼きから良い匂いがするよ。我慢できないなー。ここでちょっと一口かじっちゃおうかな。
とんっ
手元の温もりに目を細めていたところに、軽い衝撃を感じた。
顔を上げると、目の前で私と同い年くらいの青年がこちらを見ていた。
どら焼きに夢中すぎてこんなに近くに人が居ることに気付かなかったとか、恥ずかしすぎる!
人の気配には敏感なはずなのに。
「あ、ごめんなさい」
「…………」
「?」
反応がないな。でもこっち見てるから、気付いてないわけじゃないよね。
あ、視線が下に向いた。
「あー!!!」
青年につられて下を見ると、そこには愛しのどら焼きちゃんが無残な姿をさらしていた。
さっきぶつかったときに落としたのか!
「わ、私の幸せが!!信じられない、このために早起きして並んだのに!どどどどどうしよう。今から行ってももう売り切れてるだろうし。じゃじゃじゃじゃじゃあ、諦める?だめだめだめだめ、諦めるなんてできないよ!!!」
ショックすぎて自分でも何を言ってるか分からなくなってきた。
すっ
青年が手に持っていた袋を無言で差し出してきた。
よく見ると、さっきまで私の手元にあったものと同じロゴが入っている。
「……え、もしかして、どら焼き?…………くれる、の?」
こくり
「…………ほ、ほんとに?でも、あなたも食べたかったから買ったんでしょ?」
「…………」
無言でぐいぐい袋を押し付けてくる青年。
受け取れということか。
「じゃあ……良かったら、一緒に食べませんか?」
袋の中にはどら焼きが2つ。美味しいものは、誰かと共有するともっと美味しくなる。
私の提案に、青年はわずかに目を見開き。
しばらく沈黙した後。
こくり
平日ののどかな公園。
青年と共に噴水近くのベンチに腰を下ろし、どら焼きをぱくり。
「おいしー!」
思わず歓声を上げる。
「皮はふっくらふわっとしてるのに、でも外側はサクッとした歯触り。そしてなんといってもこのアンコ!さすがこだわりの小豆を使ってるだけあるわ。ほのかな甘さが全然嫌味じゃない!」
これは朝から並ぶだけの価値があるな~。
「本当にどうもありがとう。この幸せはあなたのおかげ!」
隣で静かにどら焼きを食べている彼へと顔を向ける。
こくり
頷きを返された。
彼は名前をシリングと言うらしい。
底知れない黒の瞳を持ち、表情が乏しいことでその印象がより強くなっている。
そしてどうも口数が極端に少ないようだ。これまでに彼が発した言葉は、自身の名乗りと、私が名乗ったときに「……フォリント?」と私の名前を繰り返したくらいじゃないか。
「私、甘味は何でも好きだけど、どら焼きがいちばん好き」
「あなたは何が好き?タルト?パフェ?あんみつ?」
「あ、シュークリームが好きなの?わかるわかる。かじるとクリームの香りが口いっぱいに広がるのがたまらないよね~」
こんな感じでほぼ私がしゃべるだけで会話が続く。
でもわずかな雰囲気の変化と頷きで彼は意思疎通をするので、私としてはそれほど不便もなかった。
なにより見ず知らずの私に貴重などら焼きを分けてくれたのだから、それだけで私の天秤は「いい人」へ完全に傾いている。
「新しい店」
「ん?ああ、最近できたあのシュークリーム専門店?へー、まだ行ったことないけど期待できるの?じゃあ良かったら今度一緒に行こうよ」
「…………」
表情は変わらないけど、なんだか周りに花が飛んでる気がする。
ほんとに好きなんだな~。
明日は仕事があると言ったら、シリングもちょうど用事があるらしい。
2日後にまたこの公園で会うことを約束して別れた。楽しみだな。
翌日の深夜。
葉が繁った木の上から、威厳を感じる佇まいの大きな屋敷を見下ろし、そっと様子をうかがう。
本日これからお仕事なので、そのための装束に身を包んでいる私は、自然と闇に溶け込んでいる。
私の仕事は、プロの盗賊だ。
アマチュアと違って自分のために盗むのではなく、依頼を受けて盗みをする。
独り立ちして数年経つけど、いくつかお得意様もできて、そこそこうまくやっていると思う。
師匠が「目立たず盗む」を信条にしている人だったので、私もそれを踏襲している。
基本的に戦闘はしない。相手方が気付いたときには既に全ては終わっている、というのが理想。
だから下調べは万全を期すし、見つからないように気配を消すのも得意。人の気配を察知することには師匠から太鼓判を押されている。
本日の獲物は、この屋敷の主が所有している刀だ。
100年程前の鬼才刀匠が鍛え上げた逸品らしく、愛好家にとっては垂涎モノらしい。
今回の依頼人はご新規さんなので、これを機にごひいきにしてもらえるよう頑張らないと。
気を入れ直して、屋根裏から忍び込む。
天井裏からそっと様子をうかがう。
「?」
どうもおかしい。
人の気配がない。
今の時間であれば、警備員が数人いるはずなのに。
辺りの気配を探っても何も引っかからなかったので、警戒しつつ天井裏から静かに降り立つ。
「…………」
やっぱりおかしい。
静かすぎる。
まあ、とりあえず、刀があるはずの奥の部屋へ向かってみるか。
「!」
廊下の角を曲がると、そこにはまさに死屍累々といった光景が広がっていた。
折り重なるように倒れている屈強な男たち。着ている服から判断するに、この屋敷の警備員だ。
倒れているのは一人や二人ではない。この屋敷の威厳にふさわしく、相応の人数が警戒に当たっていたはずだ。それを全てとは、そうとうの達人か。
……この仕事の仕方には、ひとつ心当たりがある。
つい先日、凄腕の同業者の噂を聞いた。
話によると、その彼が請け負う仕事は全て完遂されているとか。
さらに最も注目を集めているのは、その方法。彼が仕事をした場所には、一人として動くものは残らない。彼の進行を阻んだものは、その愛刀によりことごとく蹴散らされるらしい。その愛刀は、珍しい赤い刀身だとか。
これは、まずいかもしれない。
倒れている警備員の流れを見ると、達人は奥の部屋へ向かっている。
奥の部屋にあるのは、今回の獲物である刀匠の刀。
もしも私と獲物が同じだった場合、易々と譲ってくれるとは思えない。問答無用で戦闘になる可能性もある。
「奥に行きたくないなあ……」
思わず口に出す。
でも仕事だし。
もしかしてもしかしたら、違う獲物かもしれないし!
警戒レベルマックスで気配を完全に絶ち、廊下を進む。
目的の部屋のドアが開いている。
注意深く探らないと分からないくらい微かながら、人の気配がする。おそらく一人だ。
相手に気付かれないよう細心の注意を払って、部屋の中の様子をうかがう。
まず目に入ったのは、その人物が持つ刀身の、赤。
予想が確信に変わった。
間違いない、噂の同業者だ。
そうしてその姿に注意を向けた瞬間、目を疑う。
深い深い黒の瞳。表情の乏しい顔。
「…………シリング」
シリングはこちらを振り向くと同時に、剣を構えて飛びかかってきた。
「っ!!」
間一髪のところで避け、慌てて間合いをとる。
今の攻撃には一切の躊躇が無く、正確に急所を狙ってきていた。
「…………」
じっとこちらを見つめる、感情の読めない黒の双眸。
すさまじい殺気に、全身が総毛立つ。
「~~~~~っ!!!」
回れ右をして脱兎のごとく逃げ出す。
やばいやばいやばいやばい。あれはやばい。
あの殺気は常人が出せるものじゃない。あれと対峙するのは自殺行為だ。
そもそも私は戦闘タイプじゃない。師匠に体術の手ほどきも受けたが、それはあくまでも逃げるための身のこなしであり、最優先は身の安全だ。私に戦闘狂の気はない。
屋敷から脱出して通りに並ぶ家屋の屋根へ飛び上がり、ひたすら走る。
二重三重に回り道をして、何度も追っ手の気配を探り、ようやく安心して宿へ戻るころにはすでに日が昇り始めていた。
朝日がまぶしい。
もそもそと起き出すと、日はずいぶん高く昇っていた。
あー、昨日は災難だったな……。
あんなやばいものに遭遇するなんて。
けっきょく依頼はキャンセルするしかなかったし。新規顧客逃しちゃった。
何か甘いものを食べて癒されよう……。
とんっ
半ば意識を飛ばして歩いていたら、軽い衝撃。
あれ、これつい最近もやらなかった?
「フォリント」
目の前にあるのは、昨夜も見た黒。
この私がまた気付かなかったなんて、やっぱり気配が読みにくいのね。だって凄腕の盗賊だもんね!あはは!
「…………」
「…………」
じりっと一歩後ずさると、向こうも一歩詰めてくる。
え、私このままやられちゃうの?
半泣きになりながら睨み返すと、予想外の言葉が聞こえた。
「シュークリーム」
「え?」
あ、そういえばここ、約束した公園だ。
「…………まさか、食べに行こうって?」
こくり
ま じ で !?
「なんであんたと甘いもの食べに行かなくちゃならないのよ!」
「?」
そんな、なんでダメなの?みたいな目をして首を傾げたって、騙されないんだから!
「昨日、問答無用で私に攻撃してきたでしょうが!!」
「仕事。終わった」
あれは仕事だったからで、それはもう終わったから関係無いって?
あー、オンとオフはきっちり分けるタイプなんだ?……って、納得できるか!!本気で生命の危機を感じたわ!
その後、延々と問答を繰り返し(と言ってもほとんど私がしゃべってた)、昨日からの疲労もあっていい加減面倒くさくなった私は、けっきょくシリングと一緒にシュークリームを食べに行った。
…………すごく美味しかった。
シリングは甘いものを食べると花が飛んでいるように見える。きっととても嬉しいのだろう。無表情だけど。
彼のそんな様子はなんだか可愛いとさえ思えて、うっかり癒されたりする。恐るべし、甘いもの。
私がどら焼きのアンコについて熱く語ったら、じゃあ今度はあんみつを食べに行こうと言われた(口に出してはいないけど、目と雰囲気がそう言っていた)。
まあ、甘いものを食べてるときは少なくとも攻撃されることはないから、いいか。
懐かれて、絆されました。