プロローグ/ないこと、あったこと
ある世界の、ある時代で。
邪悪なものが。悪しき神々が。時には強欲な人々が。
魔物を従え、光を閉ざし、世界から秩序を、平和を奪ってゆく。
地は焼かれ、天は暗雲に覆われ。
嘆く人々。神託を待つ賢者たち。祈る少女。
それらに応え、証しをもって現れるのが―
―勇者。
預言に従い、救世を成し遂げる彼らは、
聖なる血を引き、神の加護をうけ、強大な力をもつ武具や道具を使いこなす。
偉大な仲間や協力者。わが身を犠牲にしてでも悪を倒さんとする強い決意も持っている。
心優しく、誰とでも分け隔てなく接し、慈愛の心を絶やさない。
偉大な戦士であり、人間の鑑たる聖人君子であり、神に祝福されし子であり。
成人すらしてない若人だったり、イケメンだったり美少女だったりするらしい。
…しないけどな。
具体的なビジョンもないのに村ひとつ滅ぼしたり世界征服目指してみたり、
世界に絶望した挙句、他人のメーワクなんぞお構いなしに世界を滅ぼそうとする大魔王なんて、
今日日いるわけがない。
魔物だって見たことない、
ツチノコすら遭遇したことないよ。霊感もゼロだ。
人類数千年の歴史を経ても、そーいうのがいた形跡もなければ、
“気”やら“魔法”やらが明確な体系化されたこともない。
世界は重大な危機にさらされてないし(問題は山積みだろうけど)、
世界はただ、遠い終わりに向けてゆっくりと歩を進めているだけだ。
ちっぽけな高校生ひとりの人生も、ごく平凡で、穏やかなものだ。
…じゃあ、自分は何と戦うんだろうな?
朝、珍しく母上が二階まで起こしに来て「16歳の誕生日だから」とのたまったり、
朝飯を食べてる最中に「重要な話があるから、今日は早く帰ってきなさい」なんて言ったり。
登校中、パンを咥えた見覚えのない女子生徒に二度もぶつかり(律儀にも食パンである)
気のない謝罪をやり取りしているうちにずいぶん時間をかけてしまい。
出席確認中の教室に駆け込むと、昨日中に怪我&入院したクラスメートが三人、急な転校が一人。
あと、今日付けの編入生が、クラス内外含め七人。
ひそひそと話しあう生徒、急な事態に若干落ち着きのない若い教師。
その横に並ぶ四人の編入生のうち、二人の顔に“やっぱり”見覚えがあった。
それぞれが自己紹介した。男子生徒が声を上げたり、お調子者がちょっとツッコんだ質問をして
たしなめられたり、女子のグループがこそこそと、思い思いの評価を下したり。
「仲良くしてやってくれ」などと無難にまとめ、教師が割り当ての席を確認する。
教室のほぼ隅っこ、左下からひとつ右。偶然にも左右の級友がいなくなった席で、
生徒は諦観を心の奥に押しこめ、悲愴な覚悟を持ってつぶやいた。
…希望は捨てないぞ。