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シュガー・シュガー・シュガー(!)  作者: 助供珠樹
大学三年:5~6月まで(エピソード7)
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ティー・ブレイクXIV『羽田の悟司と未開大のヌシ』

 ――どうしよう。


「月子――ボクは、キミが好きなんだ」

「…………え」


 ――聞く……つもりじゃなかったのに。


 鴨志田のアパートの玄関を出たすぐのところでうずくまりながら、井上は息を潜めてそう思った。二人が戻ってくるのが遅いからと、弘緒が自分に様子を見に行って欲しいと行ったから。


 だから、こうなってしまったのだ。

 自分は悪くない。決して盗み聞きをしたくて今もこうして隠れているわけではないのだ。今もただなんとなく、反射的に自分という人間を完全にステルスした方が良いと思ったからだ。それが正しい判断だと思ったのだ。だって仕方がないじゃないか。もっと賢いことが出来るならとっくにそうしている。


 井上は、何度も何度もそうやって自らに言い訳をしてみせる。

 月子はともかく、小倉という男には今日初めて出会ったばかりだった。だからむしろこの言い訳からくる申し訳なさは小倉に対してではなく、厳密には月子個人だけに対しての気持ちと呼んだのが正しい。


 だって、仕方がないじゃないか。

 あれだけ堂々と告白してみせた彼の姿は――自分が普段から読んでいる少女漫画などでは絶対に出てこなさそうな、純度百パーセントの完璧オタク風の外見だったのだから。


 そのような見てくれの彼が、まさかあの可愛らしい月子にあんなに堂々と告白をするだなんて、そんなの出会ったばかりの時には想像だにしていなかったのだ。。正直こんなことを思ってはいけないが……そうわかっていながらも、あえて言わせてもらえれば彼の行動は「無謀」の一言に尽きる。


 ……というより、彼はそもそも何者なのだ?


 彼の素性はおろか、紹介すらもされていなかった井上は思わず首を捻って考え込む。

 そもそも自分はモノをあまりはっきりと主張しない人間だ。だからこれまでのように、今日もただ弘緒に流されるままこの場の中に溶け込んで、ろくに彼の紹介もされないままに飲みの席へと参加していたわけだけれども。


 一体全体、何者なのでしょうか? 彼は。

 そもそも、月子さんとはどのような関係なのでせうか?


 そんなことを思っていると、


「――いつから」


 月子がぽつりと小倉に口を開く。


「いつから……だったの」


 そうだ。それはずばり自分も聞きたかった内容だ。

 二人が知り合ったのは一体いつからなのか。


 井上は、先ほどまで月子に対して申し訳ないと思っていた気持ちをつるりと塗り替えて、好奇心で胸が一杯になりながら彼の言葉をじっくりと耳を傾けて待ってみた。


 そうして出てきた言葉は、


「多分……ずっと昔からさ。まだボクらがどちらも小さかった時から」

「そ……っ!」


 そんなに昔からの知り合いなんですかーっっ!?

 声を押し殺しながらも、たまらずそう口に出してしまうほどの衝撃。すると、彼らは族に言われる『幼なじみ』ということになる。


 こりゃーまた、なんてドラマチックなっ!!


 昔から今までずっと一緒に過ごしてきた仲だとわかった井上は、途端まるで二人がドラマか何かに出てくるワンシーンのように思えてきた。なにこれ、すごい。こんな場面を自分のような者なんかが立ち聞きしていいのでしょうか。いや、絶対に良くないはず。


 そう思った井上は、こっそりと気付かれないように玄関へ戻ろうとしたその時、


「……よっ」


「――っっっっ!」


 吃驚して声を上げそうになった井上の口を、すかさず塞いだ人物は静かにこう告げた。


「しっ。気付かれちまうべ。いいか。手ぇ離すけど、声は出すなよ?」


 そう言われて井上はこくこくと首を上下に振ると、そっと押さえられた手がゆっくりと口元から離れた。


「か……“鴨志田”さん。どうして」

「どうしても何も、オレも千佐都から行ってこいって言われたんだ。でもまさかこんなことになってるなんておもわなかったなぁー」


 言いながら、鴨志田はひょいっと顔を出して二人の様子を伺う。


「こんなことになってるとはね……。なんだか、オレが思ってたよりもずっと複雑に絡まり合ってるワケだこりゃ」


 何を言っているのかわからないが、迂闊に声を上げることも出来ないので黙っていると、二人のいる方から小倉の声がした。


「返事はなくていい。あと……やっぱり今日は一人で帰りたい気分なんだ」


 一人分のアスファルトを蹴って歩く音が聞こえた。井上も鴨志田の隣から二人がいた方を覗き込むと、そこにはもう月子一人だけが取り残されている。


「……そろそろオレらも退散すっか、井上。今日のこのことは、中にいる奴らには内緒だからな。誰にも言うんじゃねーぞ?」


 鴨志田のそんな小声に井上は無言でこくこく頷いた。

 確かに人の恋路を勝手に盗み見た挙げ句、それを言いふらすのは良くない行為である。常識的な思考で行くならば、このことを黙っておくべきなのは井上自身もわかっていた


 そうして井上が先導しながら玄関をそっと音の鳴らないように開けると、ふと鴨志田の方を振りかえって付いてきていることを確認しようとした。


 その時だった。


 井上は鴨志田の表情を見て、思わず背筋をぞっとさせる。


 ……笑っているのである。


 いや確かにこのような状況だし、なんとなく笑ってしまうことも、もしかするとそれほど変なことではないのかもしれない。他人の告白シーンなんて、そうそうお目にかかれるものじゃないのだから。

 だけど彼の笑い方は、そのようなものとは明らかに違う“異質さ”を伴っていた。


 例えるなら――悪魔的とでも形容出来るような、何かとんでもない悪事を考えているかのような、そんな表情でにたりと笑っていたのだった。


 この人は……この人は、きっと悪い人だ。


 井上は恐ろしくなって顔を背けると、そのまま音を立てずに玄関で靴を脱ぎ捨て、素早く弘緒の元へと向かっていく。


 離れなきゃ。やっぱり怖いよこの人。


 前に彼自身が自分で不良だったと告白していたではないか。だから今の顔は、きっと何か企んでる顔だ。自分にはそういう人間の思考が理解出来ないから、それがなんなのかはわからないけど、少なくとも良いことを考えている顔では絶対にない!


 良い人なんかじゃあ……絶対にないっっ!!


 頭も良くないけどこれまで奇跡的に危ないモノにも縁がなかった人間だと、そんな幸せな人生だったと自分でもはっきりとそう自負している井上は、たった今鴨志田がふとして見せた、その異様さに言い様のない恐怖を感じずにはいられなかった。それは、井上自身が初めて本能的に感じ取った異質さ、そして違和感であった。


「――あ。お帰り井上。どうだった?」


 弘緒はちょうど小倉が吐いた辺りを水拭きで拭き取った後だった。まだそのような手ぬぐいを持っている状態にも関わらず、井上はそんな弘緒の腕にしがみつく。


「ちょっ……。どうしたの。井上」

「……っっ!」


 首を振りながら、口をぱくつかせる井上に、弘緒が不審がる。


「なに? はっきり言ってくれないと。てゆーか、ちょっと離して」

「……~っ!」


 先ほど感じた恐怖感をうまく言葉に出来ないまま、もどかしさで思わず足をばたばたさせてみせるも、弘緒は呆れた顔で溜息をつくのみ。


「あのね。遊んでる場合じゃないの。この手ぬぐいすごく臭うから片付けたいの」


 こちらだって別に遊んでいるわけではない。

 弘緒の腕に抱きつきながら、井上はそこではっとなった。


 そういえば弘緒自身も、今では普通に鴨志田と接してはいるが元はといえば最初に彼のことに疑惑の目を向けていた第一人者ではないか。

 もしかしたらちゃんと話してみれば、弘緒は今の自分の気持ちをわかってくれるかも。


「あ、あ……あの――」


 そう思って井上が顔を上げたと同時に、背中越しから鴨志田の声が飛んできた。


「おーう。やっぱ小倉は帰っちまったぞ。そろそろ月子ちゃん戻ってくるべ」


 どきりとして、思わずぱっと弘緒を掴んでいた手が解ける。


「あ。そうなんだ」


 そんな井上の手から解放された弘緒はキッチンに手ぬぐいを投げ入れて手を洗い出すと、それと交互にやってきた鴨志田が、



「何もすんなって言ったろが……っ」



 そう強めの口調で井上にぼそりと囁き、そして自らが座っていた席にどかりと腰を下ろすと、


「――んじゃ、再開すっか」


 そんな先ほどとは打って変わったように屈託のない笑顔でそう告げた。


「ほーい! 飲みマース!」


 べろんべろんに酔っ払った千佐都が勢い良くグラスを天に突き上げる。

 そのように相当にご機嫌な彼女を見ながらも井上は、


「は、はい……」


 誰にも聞こえないトーンでそう呟いて、腰が抜けたようにぺたりとその場に座り込んでしまった。


 肩の震えが収まらなかった。

 きっと、顔も青ざめていたと思う。


 ***


 小倉が月子に告白した夜よりも、十日ほど前まで遡る。


「サトシ・カシエダ、イントーキョー……」


 なんてね。

 羽田に着いたばかりの悟司は、ぼーっとそんなことを考えながらふらふらとターミナルの外へ出てみる。

 久しぶりの東京だった。最後に来たのは東京駅で、確か寝台列車の北斗星に千佐都と一緒に乗ったときだろうか。


「空が綺麗だな」


 羽田ターミナルの立体駐車場の横から覗いている快晴の空を見て、悟司は大きな伸びをしてみせた。正直なところ東京に着いたという実感よりも、ようやく飛行機から地面に足が着いたという感覚の方がずっとでかかった。

 悟司にとっての東京という街への感情というものは、今やそんなものでしかなかった。


 ふと、受験の時のことを思い出す。

 当時はあれだけ東京の大学に行きたいと思っていたはずなのに。そう思うと、なんだか今の自分の心境がなんとなく滑稽に思えてきてならなかった。最初は実家から離れたい一心で、出来ることならば、その行き先は日本一の大都会である東京が良いと思っていた。


 それに東京には――


 そこまで考えて、悟司は自嘲気味に笑いながら首を振った。

 もう考えないようにしよう。あの時のことはもう全部終わったことだ。

 高校の頃から引きずり続けていたものは、あの一件ですっかり取り払われてしまったのだから。


「おっ」


 そんな事を思っていると、鵜飼からの電話が来た。迎えに来ると行っていたから、そろそろ到着するという電話か何かだろうと思って、悟司はズボンのポケットから携帯を取りだした。


「もしもし」

『ああ悟司くん。もう着いた?』

「はい。たった今着いたところです」

『なるほど。てことは、この電話はナイスタイミングってところなのかな。実は悪いんだけど別件で仕事入っちゃって、そっちには行けないっぽいんだよね』

「えっ」


 いきなりのハプニングに、悟司は目を丸くさせた。

 前にシュガーの四人で来たときも思ったことだったが、東京の路線はすごい複雑なのだ。

 名古屋地下鉄にもそこそこ路線はあるが、その数は東京の比ではない。おまけに今は北海道の田舎町で暮らしているため、およそ二年以上も公共機関というものにまともに触れていないのだ。

 絶対、乗り換えという感覚が麻痺してしまっているに違いない。よもや出来ないということなどは絶対にないが、かといって時間通りに着くという自信も正直なところ全くない。


『あ、もしかして電車で行かなきゃならなくなったって心配してる?』

「し、してませんよっ! 大丈夫です!』


 図星ではあったが、気丈にそう言ってのけると鵜飼は笑いながら言った。


『その点は大丈夫。ちゃんと迎えを寄こしてあるから』

「え。そうなんですか?」

『まあね。ついでに悟司くんも、よおく知ってる人物だよ』


 知っている人物?

 悟司は首を捻る。弘緒は現在北海道に住んでいるし、他に東京に心当たりのある知り合いなんていないと思うのだが。


 そんなことを思っていると、目の前に一台の車が止まった。

 黒塗りで塗られた窓の、赤いスポーツカーである。なんだ? と思っていると、


『赤くて目立つ車持ってるはずだから、多分すぐわかると思うけど』


 そう鵜飼が言って、悟司はぎょっとしながらその車を二度見した。まさかこれなのか。

 しかし自分にはこのような趣味の車に乗りそうな人物を知らないぞ。


「あ、あの。今それらしき車が目の前に止まってるんですけど……」


 悟司はおそるおそる、そう鵜飼に告げる。


『ふむ。特徴は?』

「く、黒塗りの窓ですね。つか、まさかヤクザとかじゃないですよね?」

『ヤクザはそんな車乗らんでしょ……でも、まぁ性格的には当たらずとも遠からずって感じだけどさ』


 なんとも微妙な鵜飼の弁。


「俺にはそんな知り合い、いないっすけど……」


『いやいや。いるはずだって。まーなんていうか、オレっちがプロになってから声をかけた人物なんだけどもさ』


 ということは、音楽をやっている人?


 ますますわからない。そうして棒立ちで考えている悟司に業を煮やしたのか、突然その車が「プッ!」と短いクラクションを響かせた。

 周囲にいた人間も何事かと言う様子でこちらを振り返る。


 まさか、早く乗れと催促されたのだろうか。


『今のクラクション。ってことは、相変わらず悟司くんに対しては今もそんな感じなのねぇ……はぁ』

「鵜飼さん、いい加減教えてくださいよ! じゃないとこんな車怖くて乗れないですよっ!?」


 溜息をこぼす鵜飼に食ってかかるように悟司が叫んだ時だった。


 助手席の窓がゆっくりと開かれて、


「――おしゃべりはいいから早く乗りなさいって。ここそんなに長く止まれないのよ?」


 その声に、悟司は手に持っていた携帯がずり落ちそうになった。


「う、嘘でしょ……まさか」

『――ま。とりあえずそんな感じなワケ。てことで、彼女にエスコートしてもらってね。んじゃ、また後で~♪』


 鵜飼の通話が切れて悟司はポケットの中に携帯を押し込むと、ゆっくりとその車の助手席の窓へ近付いて、その顔を覗き込んだ。


 やはり、間違いない。


「――美早紀……さん、じゃないですか」


「どうも……お久しぶりね」


 長い髪をかきながら、サングラスをかけた岩倉美早紀が無表情でこちらに顔を向けた。




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