ティー・ブレイクⅩ『欲求不満のパインアップルブレイン』
とあるホテルの一室。
春日はツイン式のベッドの上に腰をかけていた。
「かすが……」
そんな今までに聞いたこともないような彼女の声に、春日ははっと顔をあげる。徐々に高鳴りだす心臓の鼓動は、ともするともうとっくに相手に伝わってしまっているんじゃないかという気さえしてくる。もちろん現実的に考えれば二人の間は微妙に離れているため、そんなことはあるはずがないのだが。
と考えている間に、いつの間にか彼女は一緒になって隣に腰をかけていた。
ただでさえ緊張していた身体がさらに硬直してしまう。気付けば手には信じられない量の汗をかいていた。
彼女はこちらに向かって少しだけ顔を背けており、その表情がいまいち読み取れない。
「ふたり……きりだね」
ぽつりと彼女がそう呟く。一度でも沈黙が続けば、心臓の鼓動が相手にバレてしまうと思った春日は、
「ああ、そう……だな」
と、そんな無難な一言でとにかく場を繋いでみようと試みた――のだが、残念ながらちっとも繋げていないことに気付かされ、げんなりした気分になる。
「かすが、さ」
言葉と言葉の間に彼女の擦れた吐息が漏れる。それが耳に届くと、普段からは到底考えられないほどに色っぽく映ってしまい、ごくりと飲み込んだ生唾の音も忘れ、ただただ彼女に見惚れてしまう。
「かすがは……あたしのこと――どう、思う?」
「どうって……」
背けていた顔がゆっくりとこちらに振りかえる。桃色に染まった頬に、潤んだ瞳をする彼女の顔を、相も変わらず春日はじっと見つめていた。
暖色系でまとめられた室内照明が、二人を次のステージへと誘っているように錯覚させる。
そんな彼女の後ろには夜景が広がっている。
ここは地上八階、他に部屋にいる人間は誰もいない。
――そう、ここは自分と彼女だけの世界。
男と女が二人きり。それだけだ。
これ以上、今までの関係のままでいられるのも限界であった。
恥ずかしがっている場合じゃない。
もう、互いの気持ちはわかりきっている。
「……千佐都」
春日はようやくはっきりと彼女の名前を告げると、そっと彼女の肩に手を回す。
「僕は、千佐都が好きだ」
千佐都の身体を自らの胸元へと引き寄せる。
生唾を飲み込んだ時点で今更だった。
心臓の鼓動のことなどもうどうでもいい。
千佐都の身体は、春日が想像していたのよりもずっと柔らかく、華奢であった。
――自分はこの春から、実家の牧場の仕事をするようになる。
少しずつではあるが、今では随分とその覚悟も決まってきたみたいだった。
意識して腹をくくり始めたわけではなかった。去年の自分を思い返してみても、あの頃と今とでは、あまり考え方に差がないような気分にさえ思う。
しかし、確実に今の自分は去年の頃と比べてその事実を受け入れているはずだった。
その考え方に至るまでの経緯がどうにも曖昧で、「なぜだろう?」という自問自答がずっと頭の中を浮かんでいた。
他人からすれば、きっと今の自分は、「音楽の道を“諦めた”のだな」ということなのだろう。でもその、『諦めた』という言葉通りの悲壮感は、少なくとも自身の中ではあまりない。
音楽をやっていきたいという気持ちは、そのまま今も昔もちっとも変わっていないのだ。
思うに。
きっと自分は、実家を継いでも音楽をやり続けるだろう。
仕事としての音楽の道が、閉ざされてしまった“だけ”なのだ。
結局、今も昔も変わらず音楽が大好きだ。
聴くのも、作るのも、演奏するのも。
そして。
自分は、「シュガー・シュガー・シュガー(!)」という素晴らしい仲間達に巡り会えた。
その中でも、大切に思える女性とも――
身体だけの話で言えば千佐都は他の女子と違い、あまり肉付きの良い方ではない。胸も背もなく、小さな頭に比べ無駄に大きな目が二つくっついている。
とにかく態度がでかい。その上、うるさく面倒くさいし、口げんかも絶えないし、おまけによく人の車を足代わりにする。
でも自分は、そんな千佐都のことが好きだ。
最初に出会った時の印象は、正直に言って少しも良くなかったが、今ではそんなことすら笑い話になってしまうほどに彼女のことが愛おしい。
卒業しても、出来ることならば一緒にいたい。
「千佐都……」
髪を撫でる。少しだけ明るい彼女の髪の色が、照明に照らされてきらきらと輝いて見える。その髪にそっと春日は頬を寄せた。
「あたし――も」
顔をくっつけているせいか、そんな彼女の擦れた声が春日の頭に直接響く。
「あたしも……大好き。かすがのことが」
その言葉の全てが脳内にゆっくりと染み渡ると、春日はそのまま千佐都の身体を引いて一緒にベッドの上に倒れ込んだ。
そこでぽかんと口を開ける。
「…………へ?」
先ほどまで着ていたはずの千佐都の衣類は全てはぎ取られ、彼女の裸体が春日の目の前で露わになっていた。
いつの間に、と思う暇もない。
「かすが」
千佐都の両腕が春日の首に絡みつく。息が出来ず、春日は千佐都の“豊満”な胸の膨らみに顔をうずめる形となった。
「ちょ……むぐぅ……」
ちょっと待て。豊満な胸だと?
それに、とんでもない馬鹿力である。
こいつこんなに怪力キャラだったっけ?
と春日が思っていると、
「ずっと……こうしたかったんでしょ?」
声だけは優しいが、千佐都の力はどんどん強まっていく。嬉しい悲鳴とはまさにこのことだが、これだけ締め付けられているとろくに悲鳴もあげることも出来ない。おまけに豊満な肉の膨らみに押し潰されて、息がどんどん苦しくなる。
「た、……けて」
じたばたと身体を動かして、必死で千佐都の腕から逃れようとする春日。
柔らかいのはいい。夢見心地とはまさにこのこと。
しかし苦しい。ぶっちゃけ死ぬ。
そうして……息が……出来なくなる。
「ずっと……ずっと大好き……かすが」
「もがっ……もがぁっ!」
次第に意識が遠のいてきているにも関わらず春日は、能天気にこの今際の際を表す単語をぼんやりと頭の中に思い描いていた。
そうか。
これが――世に言う腹上死というやつなのか、と。
※ ※ ※
「――はっ!?」
ベッドから飛び起きて、すぐに自分が涙していることに気付いた。こころなしか息づかいも荒く、動悸がひどい。
「夢かよ……」
頭を抱えて振りかえると、枕元にはパインアップルの形のティッシュ箱入れが転がっていた。息苦しかったのはこれが原因か。
「くそっ!」
パインをぽーんと投げ捨てて、春日はベッドの上から立ち上がった。ティッシュ箱が入ってない状態のパインは、壁に当たるとそのまま床の上を二、三度跳ねてベースの置いてある側へと転がっていった。
春日は呼吸を整えてから椅子に腰掛けると、不機嫌な顔で目の前にあったタバコに火を点けた。
そして、一度ゆっくりと煙を吸い込んで吐き出してから、
「欲求不満なのか僕は……」
と机に肘を置いて再び頭を抱えこんだのであった。
(2014/2/13 書き直し)




