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シュガー・シュガー・シュガー(!)  作者: 助供珠樹
大学一年:4~7月まで(エピソード1)
4/90

第三章『まだまだカロリーひかえめ』

(2012年 8/21~8/30連載分)

「僕はバンド畑の人間だ。でもバンド以外の音楽活動には前から興味があった。というのも、最近じゃネットに無数のオリジナル曲が溢れているし、現に近頃のアマチュア事情をみれば、そういうところからのプロデビューなど今更珍しくないからな。ちょっと音楽をかじっている連中であれば、これらの曲はネットを開けば自然と耳に入ってくる」


 入ってくれ、と言いながら春日が玄関の扉を開けた。悟司は小さく礼をすると、春日の後に続いて中へと入った。


 入った瞬間、強烈な既視感が悟司を襲った。


「え、演奏動画の時の、部屋ですね……」

「……その話はもういい」


 不機嫌さを全開にして、春日はベッドをあごで指した。座れということらしい。そろそろとベッドに近付いて、悟司はゆっくりと腰を下ろした。


 春日の部屋は複数の楽器と、その機材で覆い尽くされていた。ギターにベースが二台(内スティングレイを含む)にリズムマシン。音の波形をいじる数々のエフェクター類やアンプ。キーボードにマイクまでそろっていた。


 春日はゆったりした革張りのチェアーに座ると、そのままデスクの方まで移動してパソコンの電源を入れた。


「キーボードとマイクはオーディオインターフェースに接続してある。オーディオインターフェイスはわかるな?」


 突然の問いかけに、悟司は戸惑いながらも首を横にふると、春日は仕方なしといった様子で説明を始めた。


「オーディオインターフェースというのはパソコンと楽器を繋ぐ機械のことだ。これがあればパソコンに自らの楽器の音を取り込むことが出来る。今はキーボードとマイクがついてるが、ベースとギターもちゃんと接続可能だ」

「そ、そうすると、ど、どうなるのでしょうか?」

「そこらへんのことは全く何も知らないわけか……化石のような人種だな」


 春日はいったん説明を切ると、パソコンが立ち上がるのをじっと待った。しばらくしてパソコンが完全に立ち上がったのを確認すると、デスクトップ上にあるアイコンをダブルクリックした。


「それほど難しいわけじゃない。だから肩の力を抜いて話を聞け」


 言われて、悟司は自分がかちこちに固まってることに気付いた。ふっと力を抜いて息を吐くと、再びパソコンの画面に注視する。


「今ダブルクリックしたアイコンはDAWというソフトだ」

「でぃ、DAW……ですか?」


「ああ。デジタル・オーディオ・ワークステーションの頭文字をとってDAW。一見難しく聞こえるが、要はこのソフトを持っていればパソコン上がそのままスタジオになる」


 しばらく読み込みが続いた後で、DAWのソフトが立ち上がった。画面にはそれぞれパートごとに区切られた枠があり、それがそれぞれ右方向に向かってずーっと伸びている。


「縦軸に区切られている部分が楽器のパートだ。横軸は時間になる。縦軸部分には自分の好きな音を好きなだけ入れられる。あとはさっき言ったオーディオインターフェースに繋いだ楽器で録音を開始していく。これだけだ」


 言いながら、春日は実際にマウスで赤い丸のボタンをクリックすると、左から右へ一本の縦線が動き始めた。


「ちなみにDAWはMIDIが使用できる。MIDIとはパソコン上で鳴らせるいろんな種類の楽器である、という曖昧な認識で構わん。それらはこの――」


 春日はキーボードの音を適当に鳴らしてみる。すると、モニターの両サイドに置いてあるスピーカーからバイオリンの音が聞こえた。それと同時に縦線のすぐ左部分に音の信号らしき図がモニター上に表示される。


「このMIDIキーボードから直接鳴らせるし、キーボード以外でもマウスで直接楽譜を打ち込み、鳴らすことも出来る。ちなみに今はバイオリンの音だったが――」


 言いながらマウスでかちかちと何かをいじった後、再びキーボードの鍵盤を押すと、今度はドラムの音に変化した。


「このように無数に変わる。こういった楽器を個々に使って演奏し、録音し、全ての音をミックスし、MP3のような音楽ファイルにする。これがDAWというソフトだ」

「……す、すごい」


 悟司も話には聞いていたが、ここまでのものとは思っていなかった。ましてや春日が持っている機材やソフトはどれもこれも一級品とも呼べる代物で、プロのアーティストと比較しても、なんら遜色のない環境を形成していたのである。作曲をかじっている人間である悟司が、それを見て興奮しないわけがなかった。


「さて、ここで初音ミクなのだが――」


 そういって春日が出してきたのは、緑髪の可愛らしいツインテールの女の子がパッケージに写っていた。


「まぁ知らないわけないよな。最近じゃテレビでの露出も増えた」


 悟司は頷く。確か、音声合成技術を使って、まるで実際の女の子が歌っているような声を出すことができるソフトである。


「これらはボーカロイドと言って、他にもいろんな会社から出ている」


 そういって春日は無数のパッケージを取り出して悟司に見せた。


「女性だけじゃなく、男性の声もある。こういったボーカロイドを使って実際に曲を作り、それを歌わせてネットにアップロードする。そういったムーブメントは日増しに高まってきているのが現状だ」


 悟司は一つ一つを手にとって、パッケージを眺めた。


「僕はバンドが好きだが、それ以前に音楽全般が好きだ。ロック、ジャズ、R&B、ブルース、ポップス、テクノ、トランス、HIPHOP、ラテン、クラシックといろいろね。だからかなり前からこういった機材をこつこつ揃えてはいたんだ。そうして一通り揃え、実際に録音とミックスして音楽ファイルにする方法までは理解した――しかし、ここで問題なのがいわゆる僕自身の曲そのものを仕上げる能力ってやつだ」


 そんな春日の声も届かないように、悟司はボーカロイドソフトやその他の機材に目を奪われていた。


 もし自分が今、これだけの機材を持っていたらどうだっただろう?

 自分は弾き語りだけに留まらず、もっと創作に意欲を見せていたのではないだろうか? 


 以前に比べて悟司は、作曲という作業をすることが減ってしまっていた。

 それでもギターだけは、いつも義務のように弾いてはいた。だが、作曲をするという行為に対する情熱のようなものは、気付けばこの街に来て以来すっかり失われてしまっていた。それはおそらく軽音サークルの件も原因の一つかもしれない。


 淡い期待から少しばかりの失望を経験して、それでもなお誰に公表するでもない曲を作り続ける。そんなモチベーションを持続することが、いつしか難しくなっていたのだ。



 ――あたしが、あんたのファンになってあげる。

 


 そんなことを言ってくれた千佐都も、今では他の女子との付き合いに奔走している。別にそのことが悲しいというわけではなかったが、あのとき彼女が言ったあの言葉に自分は一つも応えることなく過ごしてきた。


 そのことに、全くの悔しさがなかったとはいえないのではないだろうか?


 そしてその結果生まれた寂しいという気持ちが、今の自分のこのもやもやとした鬱屈感なのではないだろうか?

 千佐都だって、いつまでも悟司に構っていてくれるわけじゃない。彼女は彼女で自分の付き合いや生活があるわけだし、悟司自身が自分で行動を起こさない限り、あれだけ言ってた千佐都だって、やがて悟司の音楽など飽きてしまってそっぽを向いてしまうだろう。


 ……いや、むしろとうにそっぽ向いてしまっているのかもしれない。人の気持ちほど、不確かなものなどない。自分ですらそうなのに、他人がそうでないと誰が言い切れる?

 考えてみれば、千佐都は入学前から一ヶ月近くもの間、ずっと悟司を引っ張り続けてきた。でもどれだけ千佐都が悟司のことを引っ張って、率先して提案をしても、悟司はそのどれもを選択することがなかった。それだけしたのにこれでは、そっぽを向かれてしまって当然だ。それだけ腰が重かったのだから。

 そこに関しては、今更後悔などしない。全て自分の撒いた種だから。



 ……でもこのままじゃ終われない気がする。



 そんな結論にたどり着いて、そこでようやく気付く。

 どれだけ手を取ってもらおうが、動き出すのはやはり自分自身の意思でしかないのだ。

 だけどそうせざるを得なくなったその最たる原因は、やはり千佐都という存在のおかげなのだと。彼女がいたから今、こんな気持ちになれている。


 本当に――今更すぎた。


「どうした? 樫枝」


 はっとして顔を上げると、春日は怪訝そうに悟司を見ていた。


「何をぼーっとしている」

「す、すみません」

「しっかりしてくれ。……で、どうだ? 僕と一曲、作ってみないか?」


 悟司は軽く右手で、自分の頬をはたく。

 そうだ。しっかりしないと。

 今、真剣に考えなきゃいけないのは、春日先輩のこの誘いの件――

 悟司はそこまで考えると、


「か、春日先輩。俺――」


 ごくりと喉を鳴らしながら興奮押さえきれぬ様子で、ゆっくりと口を開いた。


「お、俺。人の曲のアイデアから、きょ、曲を作ったことはない。ないけど――そ、その話は、とても面白そうです。やって、みたいです」


 悟司の言葉を、真剣なまなざしで聞いていた春日はしばらくじっと動かなかった。が、やがてふっと全身を弛緩させるようにチェアーの背もたれに身体を預けると、


「そうか。やってくれるか」


 と、かすかな笑みを見せてそう言った。

 それからすぐにパソコン画面を眺めると、春日はチェアーをパソコンの方へと回してゆっくりとマウスを動かし始めた。

 その様子を見て、悟司は春日の方も緊張していたんだと気付いた。

 ……もしかして春日の方も、断られるかもしれないと思っていたのだろうか。

 しかし、そう思ってくれていたということは、それだけ向こうも自分に期待してくれているのだろう。そう思うと、悟司も俄然やる気がわいてきた。

 そのとき、春日がマウスの手を止めて、悟司の方へとチェアーを向けた。


「今、以前作ったそのワンフレーズを音楽ファイルにした。君の家にパソコンはあるか?」


 悟司が頷くと、春日はUSBメモリを悟司に手渡した。


「見たところ、普段から携帯プレーヤーを持ち歩いたりしないようだからこれを渡しておく。内容は冒頭のイントロからAメロになる予定の部分までだ。このAメロにはコード弾きのギターに加え、ドラムとベースと、『ららら』としか歌っていないミクの歌声を入れてある。たったこれだけだがどうにかこの続きを考えてきてくれないか?」

「よ、要望とかは。と、特にはないんですか?」


「……ない。というのも、これが僕の限界なんだ。ひとまずはこの先の展開が、それなりの形になればいい。そうして浮かんだフレーズを一度僕と話し合って決めていこう。それはコードを弾きながら思い浮かんだものなのか、それともただ鼻歌のように口ずさんで出来た物なのかどうか。それもそのときに教えて欲しい」


 悟司は、春日からUSBメモリを受け取る。それを鞄の中に詰めようとしたところで、春日は思い出したように言った。


「それと……この件はあのうるさい女には内緒だ」


 その言葉に、悟司は深く追求はしなかった。

 どうなるかは火を見るより明らかだから、である。



  ※ ※ ※



 さっそくUSBメモリを手に、ニングルハイツ一○一号室へと戻ると、


「おかえりー」


 魔物がいた。


「め、珍しいね。最近じゃこんな時間に帰ってくることなんてなかったのに」


 悟司はパソコンで動画サイトを見ながらお菓子を食べている千佐都に、そんな声をかけながら遠慮がちに部屋の隅へと座り込んだ。

 流れている曲はどこかで聴いたことがあった気がするのだが、あいにく思い出せなかった。


「まーね。今日は誰とも会う予定なくてさ――って、ごめんね。今日も勝手に使わせてもらってまーす」


 パソコンのことだろう。今さら何を言うわけでもなく悟司は頷く。


 ――そんなことよりもなぜこの時間に帰宅している?


 近頃の千佐都はこの時間、他の女子の家に遊びに行っていることが多かったので、いきなり自分の部屋にいるなど悟司は想像していなかった。


「……悟司、なんでそんな端っこに座ってんの?」

「えっ!」


 どきりとしながら悟司は千佐都から目を逸らす。


「な、なんでもないよ。ホントに。……マジで。絶対」

「怪しすぎるんですが」

「怪しくないし」

「……ふーん」


 めちゃめちゃ怪しまれているっ!

 背中に冷や汗を流しながら、どうにか千佐都を追っ払えないか画策していると、


「じゃああたしはこれで」


 といって、千佐都が立ち上がった。

 そのままいそいそと、奥の部屋へ繋がる扉のノブを掴むと、


「勝手にパソコン使っててごめんね。冷蔵庫にシュークリーム入ってるから食べてちょ。んじゃ」


 そう言って、千佐都はさっさと自分の部屋の方へと戻っていった。ほっと胸をなで下ろし

た悟司はそのままパソコンの前にまで行って、春日に渡されたUSBメモリを取り出す。


「……あれ?」


 ちょうどUSBメモリを差し込もうとしたそのとき、悟司はそれまで千佐都が見ていたはずの動画サイトのページが、ブラウザのホームボタンで検索サイトへと戻されていることに気付いた。普段の千佐都なら、ネットを使ったあとはいつも自分が見ていたページを開きっぱなしにしたままで放置していくはずのに。


 今日に限ってそんな珍しいことをするなんて。


 いやそもそも千佐都がこの部屋でネットをしている姿を見たのも、一緒に春日の演奏動画を見て以降は数えるほどしかない。

 この部屋でネットをしていること、それ自体が今では既に珍しい現象なのだ。


 心にひっかかる妙な違和感。

 悟司は気になってホームのページからそのまま動画サイトへと飛ぶと、サイト内の視聴履歴の方を覗いてみた。

 しかし、そちらの履歴は完全に削除されていた。


「一体どうしたっていうんだ。千佐都のやつ」


 疑惑が確信へと変わっていく。千佐都は何かを隠している。

 だが、一体何を?


 ふと、悟司は思いついたようにブラウザの方の履歴の方を調べた。動画サイト内の視聴履歴が消されてても、ブラウザの方ならば消されていないはずだ。そう思って履歴を見ると、さきほど聴いていた曲がなんなのかようやく悟司は理解した。


「……hideの『Lemoned I scream』だったのか」


 なかなか良い曲を聴いてるじゃないかと思いながらよく見てみると、タイトルには初音ミクカバー曲と書かれている。クリックしてみると、映像と共に初音ミクの姿が映し出され、可愛らしく踊る姿に合わせて歌が始まった。


 初音ミクを使って動画サイトに自作曲をアップロードしてる人がいることを、悟司も当然知ってはいたが、カバー曲までも発表されているとは知らなかった。

 それに音楽もさることながら、映像自体も全編CGで作られており、とてもアマチュアが作ったとは思えないほどの出来であった。


 このいわゆるボーカロイドに関する界隈事情を、それまでほぼ全く知らなかった悟司はその動画の出来に思わず大きなため息が漏れた。もしかして春日はこういった世界に自らの曲を発表しようと考えているのだろうか?

 そんなことを思いながら動画をしばらく眺めていると、ふと今見ている初音ミク動画の履歴のさらに下の方にあるページタイトルが目に入った。


「……初心者DTM講座?」


 それ以外にもブラウザの履歴には、ほぼ全てタイトルの一番最初に「初心者」と書かれたサイトがこれでもかとばかりに表示されていた。初心者作曲講座、作詞講座、コード、スケール、ピアノ講座まで。


「あいつ、今度はなに考えてんだ?」


 そうしてすべての履歴を削除してブラウザの窓を閉じた時、悟司はさらなる違和感に気付いた。デスクトップ上のアイコンには、見慣れないものがいくつも表示されているのだ。

 どれも聞いたことのないソフトのようだが、一体どうして――

 全く謎だらけのアイコンの中、一つだけ目を惹くタイトルのファイルがあった。

 その名も「uiro」


「ウイロ?」


 拡張子は全く見たことのないものであったが、おそらく他のアイコンから起動させることの出来る独自のものだろう。そう思った悟司は、わけのわからないままにその一つ一つのソフトを起動させて、「uiro」と呼ばれるそのファイルを開いてみようとした。

 そうして手当たり次第ソフトを試していくと、ある一つのソフトだけがその「uiro」と呼ばれるファイルを開くことができた。

 そのソフトは、春日のパソコンで見たような縦と横に区切られたブロック区画があり、下の方にはピアノロールが表示されていた。春日のものよりもいくらか簡素な出来であったが、間違いない。

 これはフリーで公開されているDAWソフトだ。

 最初開いた時点ではたったそれだけのまっさらな画面だったが「uiro」と呼ばれるファイルを開いた途端、まっさらな画面に点々とドットが表示される。

 まさかと思い、悟司は画面の上部にあった右向きの三角ボタンを押してみた。


 すると――


「千佐都のヤツ…………っ」


 再生されたのは、悟司の作曲ノートにある曲の歌メロディの一節だった。

 フリーで作られた、あまり良い音ではないピアノ音が、たどたどしくも力強くその音色を奏でていた。


「そんなに好きなのかよ。この曲が……」


 タイトルは『ういろう』。千佐都が一番最初に聴いた悟司の曲である。歌詞がうんこだけど、メロディだけはすばらしいと何度も褒めちぎってくれたあの曲――

 それが今、別の人間の形で一つの音楽となっていた。

 マウス操作で作ったものらしく、リズム感も音程もずれまくりだったが、それは間違いなく『ういろう』のサビ部分のフレーズに違いなかった。


 ――ねぇねぇ、あたしでも出来たよDTM! 悟司ならきっともっとうまく出来るって。


 そんな言葉が、今にも隣の部屋から飛んできそうであった。


「……くそったれ」


 そんな言葉をこぼして悟司は頭を抱える。

 皮肉にも春日からのお誘いがあった日に、千佐都のこんな企てに気付くなんて。


「まるで……神様か何かが俺にDTMをやれって……そう言ってるみたいじゃないか」


 口にしてバカバカしく思えるが、まるで本当にDTMをやることを運命づけられているように思えてならない。だがそんな運命のお導き的なことより、ずっとずっと重要な事実が悟司を大きく奮い立たせたのは言うまでもない、


 千佐都だ。千佐都の存在だ。

 千佐都は、今でもずっと悟司のことを引っ張り続けてくれていたのだ。

 勝手に手を離されたとばかり思っていたが、今でもしっかり握ってくれている。


 ずっと離さずに、しっかりと。


 その事実が、あれだけ内向的で自信がなかった悟司の気持ちを大きく揺り動かした。今までずっと重すぎた腰がゆっくりと、それでいて大胆に持ち上がっていく。


 これ以上座り続けている理由なんてどこにもない。


「……やってやろうじゃないか」


 春日は特にDTMについての知識を悟司に教えようとしていたわけではなかったが、こんな展開になってくるならば話は別だ。

 春日が知らぬ間にこっちでも色々勉強してみよう。

 そう決めた悟司は早速、ギターを手に取るとUSBメモリに入っていた春日のワンフレーズを聴き始めた。



  ※ ※ ※



「悟司ー。悟司いるー? お腹減ったー」


 六月に入ったばかりの北海道は気温的に大分穏やかになったが、それでも夜はまだ寒く長袖のTシャツが手放せなかった。北海道には梅雨がないと悟司は昔おばさんから聞いたことがあったが、連日の雨続きを見るにどうも嘘っぽく思えてならない。


 あれから春日と悟司は互いに何度もやり取りを交わしながら、少しずつ曲を作りはじめていた。日が経つにつれ、春日は次第に悟司に対して様々な要求を求めるようになり、気付けば悟司は春日の曲の構成の、実に八割を担当するようになっていた。


 それでいいのだろうかと思ったのだが、本人がいいというので悟司は渋々ながらそれ以上の口は挟まなかった。それに、悟司は悟司でDTMの知識を身につけようという目的がある。そっちの方の意識も日増しに高くなっていた悟司にとって、その先のメロディを提出しては毎度の様にDTMで伴奏をのせてくれる春日の音楽データは色々と参考になった。


「悟司ー。あたしカレー食べたい。昨日の残りあるでしょー。ねぇ悟司ー」

「ああ、うるっさい!」


 悟司はギターを置くと、さっき自分が温めたばかりのカレーを台所からよそって扉の前に立った。


「開けるよ」


 そう言って悟司が千佐都の部屋に続く扉を開けると、千佐都は満面の笑みで悟司からカレーを受け取った。


「ありがと。ねぇ、まだ許可なく悟司の部屋に入っちゃダメなの?」

「ダメなの」


 二週間ほど前から、悟司は千佐都に対して自室の入室禁止令を言い渡していた。理由は春日から固く口止めされているからであるが、悟司のギター音は当然、千佐都の部屋にも届いているはずである。なので、おそらく千佐都も悟司が何か新しいことを始めたことには気付いているらしく、あまり余計な口を挟むことなく、素直に悟司の言うことに従っていた。


「今日も風呂は外から回って入ってね。俺はまだしばらくやることがあるから」

「わかってるけど……ねぇ、いつになったらあたしに教えてくれるの?」


 千佐都はカレーをスプーンですくいあげながら、悟司の方を見てそう尋ねる。


「わかんないな」


 こればかりは春日に直接聞かないとどうしようもない。まぁ当の春日は「あのうるさい女には絶対に口外するな」の一点張りで、まるで聞く耳を持たないわけだが。


「わかんないって。ひどいじゃん! ――ねぇ悟司、DTM始めたんでしょ?」


 さすがにそれはバレてるか、と悟司は思った。

 悟司は千佐都に自室の入室禁止令以外に、パソコンの持ち出し禁止令も出していた。その二つに加え、連日鳴り響いているギターの音を聞いていれば、さすがに隣部屋同士の人間にはバカでも感づくだろう。


「てことはあたしの『ういろう』も聴いたんでしょ? ねぇねぇどうだった? あたしすっごい頑張ってさ、毎日ちょっとずつだったけどあれだけでも二週間かかったんだから」

「うん……。素直に嬉しかったよ」

「でしょ? あたしに出来るなら悟司にも出来るって思ってさ。いやーホントは悟司に見つかるまでにもっとちゃんとしたのを作るつもりだったんだけどねー」


 照れ隠しのようにえへへと頭をかいて笑う千佐都に、悟司は前から思っていたことを聞いてみることにした。


「ねぇ、千佐都はどうしてそこまで――」


 そこまで俺のためにしてくれるんだ、とは恥ずかしくてとても最後まで口に出来なかった。千佐都はカレーの中に入っていた大きめのジャガイモを解体しながら、きょとんとした目で悟司を見る。


「あたしは悟司のファンなんだって」

「だから、それが俺には不思議なんだって」

「ふしぎ? なにがふしぎぞな?」

「なにがって――普通はそこまでしてくれないっていうか……」

「あたしは多少強引なとこあるけど基本的には自分を普通の一般人だと思ってますよ」

「でもさぁ」

「ストップ。とりあえずあたしの話を最後まで聞け」


 そう制されて悟司は口を挟むのを辞める。


「……んでね。そんな一般人のあたしがある日、あんたの曲を聴いて感動しました。でもってその感動はなるべくならもっと多くの人に共感してもらいたいと思ったのです。ここまではオーケー?」

「オーケー」

「で、同時にあたしはあんたの曲を弾き語りだけじゃなくもっとちゃんと形になったものとして聴いてみたいって思ったの。まー言ってみればあたし個人の勝手な欲ね。んで、あたしはその二つの欲を満たす為にこの先も悟司を引っ張り続けるのだ。オーケー?」

「それはノーだ」

「なぜだ」


「千佐都は俺のことを過大評価しすぎだ」


 悟司の言葉に千佐都は押し黙る。黙々とスプーンを口に運ぶ姿を見ながら、悟司は続けた。


「俺は千佐都が思っているほど、自分が良い曲が書ける人間だと思っていない。プロレベルはおろか、アマチュアレベルですら劣ってる。そんな自分を、そんな自分の曲を好きだなんて――」

「……好きだなんて言ってくれる人がいるわけがないって?」


 千佐都は静かに皿を置くと、いきなり悟司に向かってまっすぐ人差し指を突きつけた。


「残念、あたしがそうでしたーっ!」

「……なっ!」


 言葉を飲み込む悟司に、千佐都は再びスプーンを手に取る。


「あのね。今、悟司は自分を過大評価しすぎと言いましたがそれは間違いです。あたしは別にあんたを過大評価なんてしてない。あたしが一度でもあんたはプロになれる! なんて言った? 非凡な才能があるなんて言ったことあったっけ?」


 そういえばそんなことは一言も言ってない気がする。


「勘違いしないでよね。あたしは悟司が何もしないでくすぶってるのがもったいないと思っただけであんたに才能があるだなんてこれっぽっちも思ってないから」

「それはそれでひどい言いぐさだな……」

「でも、あたしはあんたの作るメロディが好き。ツボなの。すごく良いと思う。だからあたしは悟司を応援する。自分に出来る範囲でね。そう決めたの」

「……ありがとう。なんか純粋に嬉しい」

「勘違いしないでよねぱーとつー。でもべ、別にあんたのことなんてぜんぜん好きじゃないんだからねー」


 テンプレのようなツンデレ台詞を、棒読みで言い切ると、


「あたしと話してちょっとはシャキッとした? 行き詰まってたんでしょ?」


 千佐都は笑顔でそう言った。

 その読みはまさしくその通りであった。ほんの少しの息抜きも兼ねて会話しただけなのに、思った以上に頭がすっきりしていた。

 悟司は千佐都に軽く頭を下げた。


「ありがと。ホントにすっきりした」

「うんうん。もっと感謝しなさい。それにもっと自信持って良いと思う」

「え?」


 扉を閉めようとした悟司の手が止まる。


「悟司はさっきアマチュアレベルにも劣ってるって言ったけど、そんなのやってみないとわかんないよ、ってこと」

「……うん」

「がんば。あたしはカレーを食す。オーケー?」

「……オーケー。皿は風呂入るときにでも流しに出しておいて」

「オーケー」


 千佐都が満面の笑みで小さなわっかを指で作った。悟司はそれを確認すると、扉をゆっくりと閉めた。



  ※ ※ ※



 それからさらに数日後、雨が降りしきる喫煙所に悟司が向かうとそこには春日が手ぶらのまま立っていた。春日は悟司に気付くと軽く傘を持ち上げる。


「……出来たのか?」


 春日がそう尋ねると、悟司は自分の鞄をぽんと叩いた。


「言われたとおり最後のパートの部分に、三パターンのコード進行の中から一番使えそうなものを選んで一番しっくりきそうなメロディを考えてきました。これが一番春日先輩の思う曲のイメージにぴったりなんじゃないかなって思うんですが」

「……驚いたな」

「え?」

「いや、以前の君はもっと挙動が――」


 悟司が首をかしげると、春日はふっと笑って、


「……いや、なんでもない。じゃあさっそく僕の家に向かおう。そこで直接ギターを弾いてもらって音源を作って――」

「あ、先輩。その話なんですけど」


 悟司は鞄の中身を開けると、そこには約束で持ってくる予定ではなかったUSBメモリを取り出した。


「ノートじゃないのか? 以前、君は曲作りにノートを持ってきていたはずだろう?」

「ええ、そのつもりだったんですけどやめました」

「やめた?」


 不思議そうに悟司の顔を眺める春日に、悟司ははっきりと言った。


「この中にMIDIで打ち込めるパート部分は全て突っ込んできました。残ってるのは直接弾いて録る予定だったギターとベースパートだけですが、ベースの方も一応仮音源ってことで作ってあります。勝手なことしたのは謝りますが、もし気に入らなければ全然新しく作り直してもらって構わないんで――」



  ※ ※ ※



 春日は渡されたUSBメモリの中にあるMIDI譜面データを、自身のDAWソフトに落としながらしばらく黙って視聴していた。そのあいだに悟司は、春日の家のギターをチューニングしながら喫煙所の自販機で買ったジュースを飲んでいた。


 しばらくして春日がヘッドホンを置いて唸った。


「これは予想外だったな……」

「あの、もしかしてあんまり良くなかったですか?」


 ギターから目を離して悟司が尋ねると、春日はとんでもないとばかりに首を大きく横に振った。


「予想外だっていうのは君のセンスだよ。一体いつからDTMについて知識を学んだ? 僕はそこまで君に求めてなかったはずだぞ。それにこれだけのものを仕上げるということはDAWを持っていたということか? フリーのDAWでも落としたのか?」

「あー。まぁイチから話すと長くなるんですが――」


 苦笑いをしながら悟司がジュースを手に取ろうとしたところで、突然春日の部屋のインターホンが鳴り響いた。


「……こんな時に一体なんだ? 宅急便などは頼んでないはずだが」


 興奮押さえきれぬといった感じで春日はチェアーから立ち上がると、そのままめんどくさそうに玄関へと向かっていった。


 一方の悟司は、ギターのチューニングが終わるとそのまま一度開放弦でジャーンと音を鳴らしてみた。

 普段家で使っているギターから別のギターに持ち替えたことで、多少の違和感は残った。

 だが悪くはない。

 そのまま悟司は春日の曲用に考えていたギターパートのリフを弾いてみる。

 既にギターのパートはほぼ出来上がっており、春日が気に入ってくれればそのまま録音のへと移ることが出来る。ベースはMIDIで作った仮のものから、春日自身にアレンジしてもらえば問題ないだろう。

 オケの方はほぼ完璧に仕上がったとみて良い。

 すると、残りは歌詞だけなのだが――


 そんなことを悟司が考えていると、突然玄関の方から春日の悲鳴が上がった。

 びっくりして悟司はギターを置くと、


「……先輩?」


 と、声をかけてそのまま玄関の方まで向かった。


 電気を完全に消した暗い玄関の床の上で、尻餅をついた春日がそこにいた。


「今の奇声って先輩ですか?」


 悟司が尋ねるも返事がない。ゆっくり春日の背中から回り込むようにして表情を伺うと、まるで幽霊でもみたかのような顔をしながら、春日は口をぱくぱくさせていた。


「どうしたんです、先輩。何があったんですか」


 春日は放心状態だった。いつもあれだけ冷静な春日がこのような状態になるとは、よほどただ事じゃない事態が起こったのだろう。

 うわごとのように春日がぼそぼそと呟く。


「これは……もっと予想外だ……なんで……なんでヤツが……」

「先輩、どうしたんですか。誰か来たんですか?」


 悟司がそう聞くと、春日はゆっくりと震える腕で玄関を指さした。悟司はおそるおそる覗き穴から様子をうかがうと、そこには信じられない人物が立っていた。


「かすがー。ネタは割れてるんだぞー。おとなしく悟司をだせー」


 覗き穴から見えるその姿も、ドアの向こうから聞こえる声も間違いない。

 樫枝千佐都であった。



  ※ ※ ※



「……どうして僕の家がわかった?」


 渋々部屋の中へ招き入れることになった千佐都を、じっと睨みつけるようにして春日は詰問を始めた。


「尾けてた」


 少しも悪びれた様子も見せず千佐都が言う。


「やっぱりか……」


 悟司は頭を抱えて唸った。


「そんなことよりすごいんだねーかすがって。この部屋、楽器だらけじゃん」


 目を爛々と輝かせながら、千佐都が自らの真横に置いてあったベースに手を触れようとすると、春日はその手をぴしゃりと打った。


「いった! ……ちょっとなにすんのさ」

「誰が勝手に触れて良いといった? この部屋のものは全て僕の私物だ。みだりに触れるな近寄るな」

「近寄るなって。んなこと言われても全部目と鼻の先なんですけど」


 千佐都のツッコミも無視して春日は悟司の方を向いた。


「おい、樫枝。この女にはこのことを秘密だとあれほど口を酸っぱくして言ったよな?」

「ひ、秘密にしてましたよ」

「じゃあなんでこの女は僕たちの様子を嗅ぎつけ、尾行などしてきたんだ? 君たちは日常的に普段からずっと一緒なのか? それもよりにもよって本格的なオケ録りが出来そうな今日に限ってだな――」

「あ、やっぱそうなんだ」


 春日の言葉を聞いて千佐都がぱちんと手を打つ。


「いやーようやく悟司の部屋に解禁令が出たからさ。まさかそうなんじゃないかって思ってたんだよね。わぁとうとう完成したんだ! で、どうなの? 聴かせてよ悟司の曲」

「解禁令だと……? どういうことだ樫枝。ちゃんと説明を――」

「あ、かすが。悟司を呼ぶときに、その『樫枝』って言い方辞めてくれないかな? あたしも樫枝だから混乱しちゃうっての」

「君は黙っててくれないか!」

「きゃうんっ! かすが先輩ったらこっわーい」


 真剣に嫌そうな春日と、それをからかうようにしてあしらう千佐都。両者の反応は面白いほど正反対であった。


 とにかくこうなった以上は仕方ない。悟司は春日に、あらためて千佐都との関係をイチから順に話すことにした。

 ――数分後。大きな嘆息を漏らしながら春日はチェアーを揺らした。


「そういうことか、全く。……樫枝、君はどうしてそのことを今まで黙っていた? 僕が彼女のことを心底嫌悪しているのは知っているだろう?」

「いや、ぶっちゃけそこまで嫌ってるとは知りませんでした」

「あたしもだ。軽くショックかな」


 軽くなんだ……。


「大嫌いだ。憎んでさえいるね」


 そこまでなんだ……。


「ちょっとちょっと。いくらなんでもさすがにそれは言い過ぎっしょ。大体あたし、かすがになんか悪いことした?」


 千佐都がふくれっ面で春日に食ってかかる。そんな千佐都に対し、春日はふんと鼻息を鳴らしながらふんぞり返った。


「ああ、したね。僕の演奏動画をバカにした」

「……したっけ?」


 そう言ってこちらを振り向く千佐都に、悟司は呆れながら答えた。


「キモいって言ってたろ? 確か」

「ほーらほーらみろ! 樫枝だってそう言ってる! ざまぁ! 謝罪しろ!」


 千佐都を指さして、春日が思いっきりバカにしたような顔でぎゃあぎゃあと騒ぐ。二人でいる時には、一切見せなかったガキっぽさである。

 そのあまりの豹変っぷりに完全絶句状態でいた悟司の横で、千佐都がきいきい声を上げながら反論した。


「な、なんであたしが謝罪しないといけないのさっ! キモいもんをキモいって言って何がわるいってのよっ。キモいの。わかる? あの演奏動画はキ・モ・いっ! そして今のかすがも相当にキモい!」

「こ、この期に及んで『キモい』の五段コンボだと……」


 唇をわなわなさせながら春日が震える。


「とにかくさ、あたしは悟司の頑張りがみたくてやってきたの。別にかすがに会いたくて来たわけじゃないから。てことで……ね? 悟司。さっそく聴かせてよ!」


 ぱっと顔を明るくさせて悟司を振りかえる千佐都に、春日が両手を広げながら間に割り入って告げた。

 

「ダメだ。お前に聴かせる曲はない」

「かすがには言ってない」

「ここは僕の部屋だ。これ以上勝手を言うなら不法侵入で警察を呼ぶぞ」

「あんたが入れたくせに!」

「入れなきゃ外で大声出すって言ったのは君だろ!」


 このままでは埒があかない。


「あのー春日先輩?」


 悟司はおずおずと手を上げる。


「とにかく今日は俺が悪かったです。千佐都が隣部屋にいることを今まで説明しなかったんで。本当にすみません」

「樫枝が謝ることじゃない」

「そうよ。悟司は関係ないじゃない」

「いや、謝るし関係あります」


 二人の顔を交互に見てから悟司は言った。


「とにかくやりましょう。俺、早く完成品を作りたいんで」


 そんな悟司の提案に渋々了承した二人は、互いにふんっと顔を突き放すとようやく作業を始める体が整った。


「とりあえず、ギターからだな。樫枝」


 悟司は春日からヘッドホンを受け取って、パソコンデスクの前のチェアーに座った。


「エフェクターはここにあるものを好きに使って良い。音のボリュームやトーンの変更はここをいじるんだ」


 春日による簡単なレクチャーを受けて、早速ライン録りが始まった。

 何度かの修正や、細かい変更をほどこしながらわずか数分程度の楽曲にちょっとずつギターの音を重ねていく。

 やってみるとこれが微妙にタイミングがずれる。悟司は一度ヘッドホンを置いてそのことを春日に伝えると、


「レイテンシがあるからな。パソコンのスペックは基準を満たしているはずだが、それでも若干違和感は残るだろう」

「レイテンシ?」

「デバイスからデータを転送する際に発生する遅延のことだ」


 わかったようなわからないような。

 悟司は理解を諦めて、再度録音に精を出す。


 途中、外の雨が止んだのを見計らって春日は外へと出ていった。少しの時間を経て戻ってきた春日の手には三人分のコンビニ弁当とパック入りのお茶が入ったビニール袋が握られており、それらを各々に手渡した後で春日が「休憩にしよう」と提案した。


「まだまだ長丁場になりそうだからな。……この女の分まで買ってくるのは解せないが」


 出て行く前に千佐都の分も頼んだのは悟司だった。


「なによう。お金くらいちゃんと払うわよ」


 中華弁当を箸でつつきながら膨れる千佐都に、春日は何度目かわからないため息をつく。


「当然だ。樫枝には僕の曲の完成を手伝ってもらってる義理があるが、君にはない」

「そうやってすぐ君君ってさー、あたしには千佐都っていう名前があるんだからちゃんと名前で呼んでよ」

「き、君は君で構わないだろう」


 なぜか顔を赤くして春日は千佐都から目を離す。その様子を餃子を咥えたままきょとんとした目で見つめていた千佐都は、とたん意地悪そうな笑みを浮かべる。


「ははーん、あんた。もしかしてまともに女子と喋ったことないタイプ?」

「うっ!」


 身体をわずかにびくっとさせる春日。その反応だけで既に図星である。


「なるほどなるほどー。今までそうやってツンケンしてる理由にはそういう事情があったのねー。そういや最初に話した時もずっと悟司の方ばかり見ながら喋ってたかも」

「そ、そんなことはない。僕はそれなりに女子とは喋る」

「それなりってどれなり?」


 媚び媚びの萌えボイスで千佐都がわざとらしくそう言うと、


「や、やめないか! ど、どうでもいいだろそんなこと」


 そんな二人の様子をぼんやりと見ていた悟司が、ふと先ほど疑問に思った作詞の件のことを思い出した。


「……そういえば先輩が曲に詞をつけるんですか?」


 その言葉を聞いた春日の身体が硬直する。

 一瞬まずいことを聞いてしまったのかと思った。「もし詞がないならないでインスト曲として考えるから」と言おうとしたが、そういえば彼は以前、自分に対してミクの説明をしていたはずだと思い出す。


「詞……詞か。そうだな。詞だ。はは。あはは」

「あ、先輩。別に俺、なんとなく気になっただけで別に――」

「い、いや。ある。作る。一応この曲はボーカロイドを使ってネットにアップする予定なんだ。だから作る。いやむしろ詞は、作ってある」

「え、もう作ってるんですか?」

「えっ!」


 悟司が驚いて聞き返すと、春日はまたしても身体を硬直させた。完成した最後の歌メロ部分はさきほど春日に聴かせたばかりなのにもう作詞を?


「あ、ここに歌詞ってタイトルのテキストファイルをはっけーん」


 いつの間にか弁当を誰よりも早く平らげていた千佐都が、パソコンチェアーに座ってマウスをいじっていた。相変わらず人のパソコンを勝手に触るヤツだなと呆れていると、


「ま、待て。そ、それはダメだ!」


 弁当を抱えたまま春日は、必死の形相で千佐都へ訴える。


「そ、それは僕の歌詞じゃないんだ。ネットで感銘を受けた……ポエム。そうだポエムなんだ、それは」

「いや、テキストタイトルにしっかり歌詞って書いてあるっしょ」


 千佐都のツッコミは実に的確であった。


「仮にポエムでも、勝手にネットにあがってるのをテキストに移すのっていいの?」


 それはあくまで個人で楽しむ分には問題なさそうな気もするが、おそらくこの話は前提からして嘘っぱちだと思うので、これ以上の言及の意味はない。


「さっそく開いてみよーっと。ぽちっとな」

「や、やめろおおおおおおおおおおお!」


 春日の呼びかけもむなしくテキストファイルが起動する。

 そこには一応歌詞らしき文章が羅列していた。悟司も春日に軽く一礼してから千佐都の横に立ってそれを眺めてみる。


「こ、これは――」





さだめのRogue』          word & music 狂―kyo―

 血塗られて定まる 崩壊への序章アポカリプス・サウンド

 刻は残酷にも屍達を今宵も踊らせて

 腐臭を撒き散らす(oh!! JESUS……)


 悲嘆に暮れる戦士ウォーリア

 黄泉へと誘う(Fuck! Fuck! Fuck! destiny……)

 歪んで見えるこの世界

 何が真実ジャスティスか?


 ※(おそらくサビ)

 Good morning Mr.Rogue

 夜明け(さだめ)が近づく

 Good night Mr.PRESIDENT

 安らかに眠れ(Gods bress for you……)






 ――以下略。


「うわぁ……」


 そこまで読むと、悟司と千佐都は同時にテキストファイルから目を離した。

 そっと春日の様子をうかがうと、春日は四つん這いの体勢で崩れ落ちたまま震えていた。


「え、えーっと」


 悟司が何かフォローの一言でも言おうと思ったが、全く言葉が出てこない。

 とても春日の見た目からは想像の出来ない内容だったからなのだが。

 とにかく無理矢理にでも褒めようと思って出てきた言葉が、


「と、とってもパンクですね」


 それ以外に何も言えなかった。

 そして案の定、その言葉を聞いた春日は、うめき声を上げながらびくりと身体を激しく痙攣させると、両手の力がふっと抜けたように床に倒れ込んだ。


「うわ。反応が誰かさんにそっくり」


 そんな千佐都の言葉に、悟司は思わず胸を押さえる。おそらく春日もあのときの自分と全く同じ心境なのだろう。ああ、見ているだけで胃が痛くなる。


「ねぇ悟司。どうしてあんた達はそんな残念な連中なの?」


 残念とか言われちゃった!

 しかしそれは嘘でも冗談でもなく、千佐都は悟司に真剣な目で訴える。


「男ってみんなこんな感じなの? もうちょっとわかりやすい世界観描けない?」

「き、奇を衒いすぎてるんだ。きっと先輩も俺も、他とは違った詞を描きたいというかなんというか……」


 だってそうだろう。巷には、やれ会いたいだの待ってるだのといった恋愛ソングにあふれかえっている。それ以外のものにもある程度のパイがある以上、他にはない曲を目指そうとするのは創作活動において基本中の基本、というか当然の衝動であるはずなのだ。

 そのような旨を、かいつまんで悟司が千佐都に説明すると、


「それで意味不明になってちゃ意味ないじゃない!」


 はい。まさにおっしゃるとおりで。


「あのね、王道パターンがなんで受け入れられるかっていうと、それだけ最大公約数で他人が共感を生むからなの。王道がなぜウケるのかをまず二人はちゃんと考えること」


 ええ。ええ。まさにその通りでございます。

 悟司は千佐都の説教を聞かされながら、申し訳なさそうにお茶のパックをすすった。


「誰もやったことないことってのは、みんな考えてそれでもあえてやらなかったことなの。おそらく悟司の歌詞も春日の歌詞もごく一部の限られた需要ってのはあると思うけど。でもその需要ってのは多分悟司たちが考えているような層じゃないと思う」


 つまるとこネタ扱い。千佐都はそう言いたいわけだ。


「そんなに僕たちの歌詞にダメ出しをするならば……君が書いてみればいいだろ」


 春日は弱々しく身体を起こす。精神的ダメージを受けすぎたのか、表情が大分やつれて見えた。


「そんなに講釈を垂れるほど良い歌詞を知っているならば、君が書け」

「え?」


 そんな春日の反応など、まるで予想してなかったとばかりに千佐都が慌てだした。


「で、でもあたし歌詞なんてひとっつも書いたことないし。確かにあたしは色々言ったけどさ、それはあくまで消費者側としての意見であって」

「ええい、やかましい。書けと言ったら書くんだ。なぜ必死に曲を書いている僕たちだけが非難されなきゃならんのだ」

「そ、そんなこと言われてもあたしは――」

「うるさい。第一僕の家までやってきて今まで言いたい放題、好き勝手抜かしておいてそのまま退散など、そんな虫の良い話があるわけないだろう」

「さ、悟司ぃ。悟司もなんか言ってやってよ」


 千佐都は助けを求めるようにさっと悟司の背中へ回り込んだ。


「あ、あたしは所詮悟司のファンなだけで。ファンはあくまで相手を応援することに――」

「千佐都」


 悟司は少し考えてから、首だけを千佐都に向けて言った。


「やってみなよ」

「ふぁっ!?」


 千佐都が素っ頓狂な声を上げる。


「別にファンが詞を書いたっていいじゃないか」

「さ、さと。悟司。あんた何言って――」

「決まりだな」


 春日はその場を立ち上がると、パソコンデスクの上のヘッドホンを千佐都に渡した。


「正直、君と共に曲を作るというのはこの上ないほど癪なのだが、作詞をすると決まった以上ハンパな情報提供は許されない。メンバーの一員として楽曲を試聴してもらうことは必須であり義務だ。さぁこれをつけろ」

「う、嘘でしょ? ……かすが?」

「嘘でありたいとこだがそうじゃない。樫枝もああ言っている。それに、僕としても言われっぱなしじゃ気が済まないからな」


 春日はその長身から、背の低い千佐都へと見下すような視線を送る。


「完成した君の詞を見て、心からバカに出来る日が来るのを楽しみに待っているよ」


 唇をいやらしくつり上げながら、心底から嬉しそうな声色で春日は千佐都にそう告げた。


「うぅ……」


 思わずたじろぐ千佐都。そんな千佐都の肩に悟司が手を置く。


「大丈夫だって」

「で、でもあたし自信ないよ?」

「少なくとも、千佐都は俺や先輩よりも他人の詞の善し悪しを正しく計る眼がある。だからそんなに構えなくても大丈夫」

「…………」


 しばし黙り込んで、春日から差し出されたヘッドホンを眺めたまま長考する千佐都。

 やがて、静かにそのヘッドホンを受け取ると、


「悟司がそこまで言うなら……やってみてもいいかも」


 静かにそう言ったのだった。



  ※ ※ ※



 そうしてその日再びギター録りを行なった後、音の最終調整を終えて残りはベースの録りとボーカロイドの起動、それに全体的なミキシングを残すのみとなった。


「ベース録りは僕一人でも出来る。ということで今日はここで解散だ」

「解散、かー。なんか本当にチームみたいなノリになってきたね」

「チームみたいなノリ、ではなくこれはチームだ。ボーカロイドを使って音楽を制作するクリエイター集団。それが僕たちなんだ」

「そっか。……まぁ、そうかもね」


 いまいちピンとこない様子の千佐都は曖昧な同意をする。

「まぁ君はいつ抜けてもらっても構わんぞ?」

「うっさいばーか」


 そんなはしゃぐ二人を見ながら、悟司は曲のことについて改めて考え始めた。

 とりあえず完成の方向は見えた。しかし、まだ音源に関して言えば不十分な点が多い。使用している機材については全く問題ないのだが、全体的に音同士の絡み合う気持ちよさが足りない気がするのだ。それに、音数も圧倒的に少ない気がする。

 元々春日はバンドサウンドに傾倒しすぎているので、ギター、ベース、ドラムだけで音が出来ていればそれで満足なのかもしれない。だが、バンド未経験者でかつそれほどバンドサウンドにこだわっていない悟司にとってこの曲は、どうにも物足りなさを感じずにはいられないのだった。


 もう少しじっくりと練って他にも使えそうな楽器を順番に試して探すべきだと悟司は思ったが、自分の曲がここまで形になったことに興奮を抑えきれないのか、春日は一刻も早く音源をあげることばかりに気を揉んでいた。

 まぁ実際にミキシングをしないことには、どうなるかわからないものだ。


 ひとまずは喜んでも大丈夫だろう。そう思って悟司が顔を上げると、千佐都の顔が間近にあって目を剥いた。


「うわっ!」


 びっくりして思わずのけぞる。


「きいてんの? 悟司。ユニット名だって」

「ゆ、ユニット名?」

「ああ、そうだ樫枝」


 春日は握り拳を振り回しながら力説を始める。


「僕はな、今まで洋楽邦楽さまざまなバンドを聞き漁ってきた。思えば、最初軽音サークルに入ったとき、僕は自分のルーツについて考えたことがあったんだ……」

「うわ。なんかいきなり語り始めた」


 そんな千佐都の声を無視して春日は続ける。


「僕の実家は帯広にある牧場でね。そんな牧場で働いている僕の父は、これまた似つかわしくないことに重度のロックンロールマニアなんだ。バンドをやり始めた高校生二年生の僕はある日、自分の音楽の知識の幅を広げようとそんな父のコレクションであるCDを一つ借りて視聴したのさ。アルバムのタイトルは『good morning』。日本を代表するロックンローラー、エレファントカシマシの九枚目となるアルバムさ」

「ああ、あれは良いアルバムですよね」


 悟司が同調すると、春日は嬉しそうに「だろう?」と頷く。


「そのアルバムの一曲目、『ガストロンジャー』という曲に僕はまさに脳髄をかき乱されるほどの衝撃を受けた。以来、僕はそれまでの自身の音楽性をがらりと変えた。『ガストロンジャー』は僕の原点とも言うべき曲なのだよ!」

「さいですか……」


 あまり興味のなさそうな千佐都は、自分の髪の毛をつまらなそうにいじりながら春日の演説を聴いていた。彼女がつまらないのはエレファントカシマシのことに関してではなく、十中八九、春日のその酔いしれた力説の方だろう。


「そこでだ! 僕はこのユニット名を『ガストロンジャーズ』と命名することにする!」

「えーなにそれ。全然可愛くない」


 千佐都の反対意見を、春日はすっぱりと封殺する。


「可愛くなくて結構。僕の目指す音楽はああいう男臭いロック魂を前面に押し出したものなのだ。大体このユニットは僕の曲から始まったものなのだから、僕の意見は絶対だぞ」

「えぇー」


 不満たらたらな表情でぶすくれる千佐都に構うことなく、春日は悟司の方を向いた。


「どうだ、樫枝。君ならわかってくれるだろう?」


 悟司自身は別にユニット名などあってもなくても構わないので、ただ無言で頷くのみ。


「えー悟司、本気でそうおもってんの?」

「別に問題ないんじゃないかな。春日先輩の言うことも間違ってないし。そもそもこれは先輩の提案から始まった企画だよ?」

「そりゃそうだけどさ……」


 未だ納得しきれずにいる千佐都の横で、ふと思い出したように春日は言った。


「そういえば作詞はこの女に任せるとして、イラストはどうしようか?」

「「イラスト?」」


 悟司と千佐都が同時に声を上げた。


「ああ。ネットに曲をアップする方法は色々あるが、ボーカロイドを使って曲をあげるならばやはり動画投稿サイトの方が都合が良い。そうなると動画用にイラストを提供してくれる人物が必要になるのだが――」

「そういうのって普通、ネットで探すもんなんじゃないんですか?」


 当然のように答える悟司に、春日は難しい顔をする。


「まぁ、そうだな。確かにそれはそうなのだが」

「なによ。なんか不満なわけ? 言っときますけどあたしはろくに絵なんて描けませんよ」

「そんなことはわかっている。ただ、せっかくのチームなんだ。どうせなら何もかもイチから全部周りの人間で固めた方が都合が良いと思っていただけだ」

「んなこと言ったって、そんな簡単に絵が上手い人なんて見つかるわけが――」


 そう千佐都が全てを言い切る前に、悟司ががたっと立ち上がった。


「え。え。何?」


 動揺する千佐都。春日もいきなり立ち上がった悟司を見て、お茶を飲む手が止まる。


「いる……」

「いるって何が?」


 最初の出会いは教室で消しゴムを拾ったことだった。二度目の出会いは公園で――


「俺、実は一人、絵の上手い子を知ってるんだ」

「え? 誰? そんなのあたし初めて聞いたけど」


 それはそうだ。なにせ悟司自身もろくに会話などしたことのない人物なのである。

 まん丸の大きな瞳。豊満なバスト。赤い眼鏡もかけていた。


 千佐都よりも少し長めな、ややくせのあるセミロング。どこかおどおどしてまるで小動物のような彼女のその姿に悟司は思わず一目惚れしてしまったのだ。

 あの子と会話することなど、きっと未来永劫、叶わぬものだと思っていた。それがまさかこんなとこできっかけが生まれるなんて――


「決まりだ。明日、そいつを勧誘するぞ」


 悟司が簡単にあの子のことを説明すると、春日はそう言ってぱちんと手を打った。


「え、だってかすがはまだその子の絵を見たことないでしょ?」


 千佐都が慌てて口を挟む。


「だが樫枝が上手いというなら上手いのだろう?」

「写実絵の上手下手とイラストの上手下手ってまたちょっと意味合いが違ってくる気がするけど……」

「そんなことはどうでもいい」

「えー」


 千佐都の抑揚のないその言葉を無視して、春日が立ち上がった。


「これはいわゆる音楽ユニットと呼ばれるものの中でも非常に変わったスタイルだと僕は思うね。作曲者の僕と編曲者の樫枝、それに作詞者の君に加え、今までの音楽ユニットにはなかったイラストという要職が加わるんだ。ボーカロイドを使って音楽を表現していくという昨今のネットの流行に乗った、まさに新しい現代音楽の一つの回答のような集団ではないか。僕はそこに言いようのない無限の可能性を感じるね」

「そ。そんなすごいものかなぁ」


 言いたい事は山ほどあるのに、そのあまりにも熱い春日の語りのせいで完全に気圧されムードの千佐都。そして春日は、そんな千佐都の事などまるで気にも留めず、さらに大げさな身振り手振りを交えて力説する。


「とにかく、明日勧誘をしてみよう。話はそれからだ。『ガストロンジャーズ』という日本音楽史に残る歴史的なユニットの完成はすぐそばまで来ている!」


 ダメだこりゃといわんばかりに千佐都は悟司を見るが、悟司の方も好意を持った相手へのきっかけ作りが出来たことで空を見つめながら半ば放心状態だった。

 二人を交互に見て、千佐都はため息をついた。


「男ってバカだなぁ……」



  ※ ※ ※




 そうして翌日。大学内の食堂に悟司、千佐都、春日が集まった。

「ねぇ悟司。あの子がそうなの?」


 千佐都が目で問いかける。悟司がそっとその方向へと目をやると、そこには大勢の学生達で囲まれながらも一人、自家製のお弁当を広げる彼女の姿があった。

 今の彼女は眼鏡をかけていなかった。どうやら日常的にかけているわけではないらしい。


「間違いない。あの子だね」

「確かに何度か国学の講義で見かけたことあるね」


 千佐都が学食のAランチをぱくぱく口の中へ運びながら、そんな感想をこぼす。


「さて、樫枝よ。さっそくだが話しかけてもらえないか?」

「……今、なんて言いました?」


 いまいち春日の言っている言葉の意味がわからずに悟司は聞き返す。


「君が声をかけろと言っている」

「なんで俺が!? 先輩が声をかけるんじゃないんですか?」

「バカを言うな。こっちは初対面だぞ?」

「そんなの俺だって似たようなもんですよ!」


 そんな押し問答をした後、二人は同時に千佐都の方を見た。


「……なによ」


 お前らの言いたいことは全てわかってるし、当然その発言は頑として否定してやるつもりだが一応聞いてやろうではないか――千佐都はそんな顔をしていた。


「君が言ってくれないか?」

「いや」

「頼む千佐都」

「いや」

「「頼むからっっ!」」

「いーーーーやっっ! なんなの! いきなりぽっと出で心当たりを口にした悟司も、昨日あれだけ熱ふかしてた春日も、いざ土壇場になったら二人とも揃って、それ!?」

「俺がうまく話せない人間なのは千佐都も知ってるだろう?」


 悟司が懇願するようにそう言うと、千佐都は自らのフォークをAランチのコロッケに向かってぐさりと突き立てた。


「なら、悟司は最初からあの子のことを話題にしなきゃ良かったの。あたし関係ないもん」


 つんと顔を背ける千佐都に、こそこそと春日が自らの小鉢を動かす。


「わかった。なら僕のランチについていたこの杏仁豆腐をあげよう」

「……あんたは物であたしを釣ろうとすな」


 じろりと睨む千佐都の迫力に、春日は差し出した小鉢をおとなしく引っ込めた。


「春日がチームにこだわる理由も、悟司があの子を推す理由も、全部あたしにはどうでもいいことだもん。あたしはただ悟司が作る曲を聴いていたいだけで、作詞だってホントはしたくない。でもあたしはあんた達の詞をさんざ批判してきた経緯がある。確かに批判するだけして自分は見せないってのはフェアじゃないし、あたし自身もなんか気持ち悪い気分が残ったから、だから今回だけは最後まで付き合おうと思ったの。でもそれはあくまで一回だけのことで今後ずっとは無理」


 普段の春日ならここで「なら今すぐ辞めても構わんぞ」くらいは言うのだが、さすがにこの劣勢の状況の中、そんなことを口走ろうものならいよいよ完全にへそを曲げて千佐都はこの場からいなくなってしまうだろう。それに感づいているのか春日はただ悔しそうに唸るばかりで何も言い返そうとはしなかった。


 しかしちょうど目的の彼女の方も、一人でお弁当を食べている絶好の機会なのだ。いつまでもこの膠着状態のままチャンスを逃しては、次はいつ誰かと一緒にいるかわからない。

 ……一か八か、仕方ない。

 そう思った悟司はゆっくりと椅子を引いて立ち上がった。


「わかった。俺が行ってくる」

「ええっ!?」


 びっくりしたように千佐都が目を見開いた。


「お、おお。おお。やってくれるか! 樫枝!」


 闇の中に一筋の光明が灯ったかのように春日の顔が明るくなる。

 そう、今まではずっと自分に自信が持てなくて、それでずっと他人と接触するのが苦手だった。コミュ障の治し方をずっと探してて、でもそれでも見つからなくて。


 でも今は違う。そう思う。

 千佐都が自分の殻を破ってくれ、春日が自分のやりたかったことに一つの指針を示してくれた。彼らのおかげで自分は変われたのだ。


 ありがとうマイメン、マイブラザー。俺はやるよ。

 そんなことを心の中で呟きながら不敵に笑うと、悟司はお弁当のふたを閉じようとしている彼女の前に向かってずんずんと歩みを進める。

 そうしてたどり着く彼女の席。

 自分の席に人影が差したことに気付いた彼女が、ゆっくりと悟司の方を向いた。


 今だっ――




「……あ、ああ。ああのあのああの。お、おおおおお俺、俺とつ、つつ、付き合って、くだっくく。くだっさいませせせませんんかぁぁぁ?」




 死にたかった。



「…………」


 お弁当をしまおうとしたまま固まる彼女の前で、悟司も身体を折ったまま固まっていた。

 さらに最悪なことに、そんな悟司の突然の告白に食堂にいた大勢の連中の話し声も、ぴたりと止んでしまっていた。


「な、なに言ってんのよあのバカっ」


 静まりかえる食堂内で、千佐都のそんな声が聞こえた気がした。

 どうしよう。どうしよう。自分は今、非常にとんでもない爆弾発言をしてしまったのではないだろうか?


『あの、俺たちの音楽制作に付き合ってくれませんか?』


 そう言ったはずだ。焦りに任せていささか拙いものであったかもしれないが、問題はなかったはずだ。そう思いこもうとしてはいたが、とても顔をあげる勇気が出なかった。


 ……当然だ。そんな風にはとても聞こえなかった。さすがの自分もそこまでバカではない。自分は大変なミスを犯した。あらかじめ頭の中で考えていた台詞は、口を開こうとしたタイミングで自らの欲望さえも取り込んでしまった。

 文字通り「最悪な言霊」となって彼女へと発射されてしまった。


「…………あ」


 彼女の吐息混じりの声が、悟司の耳にもはっきりと届いた。

 まさかあんな言葉でも自分の主張はきちんと相手に伝わったのだろうか、とコンマ一ミリもない可能性に賭けて悟司はゆっくりと顔をあげた――


 ――が、当然そんなうまい話などあるわけがない。

 彼女は青ざめた表情で唇を震わせながら、汚物でも見るような目でこちらを見ていた。


「あ、あの…………すみませんっっ!」


 そう言って自らの弁当箱をバッグの中へ投げつけるようにしまい込むと、食堂の出口まで猛ダッシュでかけていった。その間、わずか四秒。


 自分の中の自信というものが、ガラガラと崩れていくのを悟司は感じた。

 ついでに周りの痛いほど感じる視線が、さらに自らのコミュ障レベルを高めていく。

 レベル六十くらいは突破したんじゃないか?

 ドラクエⅢなら余裕でラスボス撃破のレベルだ。


「悟司っ」


 いつの間にか春日と千佐都がやってきて、悟司の手を掴むとそのまま引っ張るようにして食堂を離れた。


「…………本当に…………死にたい」


 悟司にとって今日ほどそう思った日はなかった。



  ※ ※ ※



「悟司に任せたのがまずかった」


 すっかり爪の先まで絶望にうちひしがれている悟司。そんな悟司を喫煙所まで避難させた千佐都が、頭を抱えながらベンチにもたれかかった。

 春日もその隣にジュースを持って腰掛ける。

 空は昨日から引き続き、どんよりと灰色の雲に包まれていた。

 今にも泣き出しそうな天気とはまさにこのことであろう。


「そもそもろくに人と喋れない人間が、あんな可愛らしい女の子に向かっていったってまともな結果にならないってわかってたはずなのに……」

「だが、最近の樫枝は確かにコミュレベルが高かった」

「あたし達にだけよ。つい先週、大家さんの息子さんから電話があったときもあんな感じだったし」

「なぜ『僕たち』だけなんだ?」


 話しながら春日は何度も空を見上げていた。すぐにでも降り出しそうな気配に警戒しているようで、千佐都も時々ちらちらと空を見上げていた。


「そんなのあたしが知るわけないでしょ。慣れたんじゃない? 単純に考えてさ」


 そんな二人のやり取りも悟司には全て、一枚の薄いコンクリート壁を隔てた場所から漏れ聞こえてくる会話のように遠く聞こえた。

 自分はとんでもないことをやらかしてしまった。そんな自責の念。

 それが悟司の心をぐるぐると渦巻き、自己嫌悪でいっぱいになっていく。


「とにかく。これじゃ、あの子を誘うなんて計画は不可能だって」

「いや、次は僕が行こう」

「正気? あんな醜態さらしておいて今更――」

「幸いなことに彼女は僕らがグループで音楽を作っていることを知らない。樫枝は自身のコミュ障っぷりから勝手に告白めいた発言をして盛大に自爆しただけだ。当の目的に関しての勧誘はまだ実行可能なレベルだと推測できる」

「そんなこと言ったってあの様子じゃきっとあの子、悟司がメンバーに入ってるのを知った時点で逃げちゃうよ?」

「ではメンバー同士のミーティングの場合のみ、樫枝には覆面を被ってもらうことにしよう。ちょうど家には去年の縁日で買ったダース○イダーのお面があってだな」

「なるほど、会話は全てシュコーシュコーと息吐くだけに留めておいて……って、あのね。今はそういうくだらないジョークを――」


 千佐都が呆れて口を開いたそのとき、春日は何かに気付いて自分の口に人差し指をたてた。そして千佐都と悟司を自販機横の陰に誘うと、


「あの子だ」


 と言って、くいっとあごでサークル棟を指し示した。春日の指した方向に千佐都が視点を移すと、ちょうどサークル棟から出てくる彼女の姿が映る。


「あの子、食堂から逃げ出してあんなとこにいたんだ」

「見たままで言わせてもらえば、ヤツは何かサークルに入ってるみたいだ」


 昼休みが終わり、次の講義を知らせるチャイムが鳴った。


「あ、あたし講義だ。悟司も次の講義一緒なんだよね」

「ふむ。では僕が彼女のサークルが一体なんなのか調べてこよう」

「よろしく。ほら、悟司。行くよ!」


 千佐都に引きずられながら、悟司はタバコに火をつけてこの先のことを考える春日の姿を見送った。

 嗚呼。本当に死んでしまいたい。

 そう思いながら。



  ※ ※ ※



 講義が終わると、千佐都が悟司の前までやってきた。


「いつまでも落ち込んでてもしょうがないでしょ」


 そう声をかけられても、悟司は机に頭をこすりつけたまま微動だにしない。


「別にあたしはあの子のことなんてどうでもいいんだけどさ。でもなんか悟司がいつまでもそんなんじゃ、なんかやだ」

「…………」

「ねぇ、悟司はあの子のことが好みなの?」


 その言葉にぴくりと思わず肩が動く。


「ふーん。通りで」

「べ、別にそんなわけじゃない……けど」


 悟司は机にあごを載せたまま顔をあげる。


「別にいいじゃない。隠すことなんてないし」

 あっけらかんとした口調で千佐都が言った。

「なるほどね。それで出来れば勧誘してあの子とお近づきになれたら、とか思ってたわけね。まぁまぁ、実にやらしい男ですこと」

「お、お前なぁ」

「いいわよ。乗ってあげる」

「へっ?」


 いきなりの千佐都の発言に、悟司は面食らってしまった。


「かすがの言いなりになってあの子に声かけるのは嫌だけど、そういう悟司の事情があるなら乗ってあげるって、そう言ってんの」

「そんな、でも」

「あーいいっていいって。他人の恋路は邪魔すんなっていうしさ。そういうことにはあたし、結構協力的なタチなんだ」

「そうじゃなくって! 千佐都はどうしてそこまで――」

 

 ――どうしてそこまで俺のやることに肯定的なんだ?


 そう尋ねたかったが、なんとなく口に出せなかった。


「言ったでしょ? あたしはファンなの。悟司の」

「またそれか。でもいくらなんでも――」

「いいの。あたしが勝手にそうしたいだけなんだから。それにさ、あの子が仲間になってくれなくて、それで悟司が落ち込んじゃって良い曲が出来なくなったりしたら、それはあたしにとっての大問題にもなりかねないじゃない? だから協力する。したいの」


 一体何を考えているんだ、この女。

 ファンという言葉でうまくはぐらかして、ごまかして。

 正直、千佐都の自分に対する献身っぷりは、いまや完全に度を超してしまっている。いくらそれがファンだからと言っても、納得できるわけがなかった。


 そんな悟司の心情に気付くことなく千佐都は教室の入り口に立つと、


「さ、早く行こう、かすがが待ってるよ」


 そう言って先に飛び出して行ってしまった。

 もやもやしたものを内に抱え込んだまま、悟司は鞄を引っつかむと千佐都の後を追うように教室を後にした。



  ※ ※ ※



 喫煙所に戻ると、春日は悟司を見て咥えていたタバコを離した。


「ショックからは立ち直ったか?」

「なんとか自立歩行くらいは可能になりました」


 悟司の冗談とも言えないその発言に、春日は思わず苦笑いをする。

「それで彼女はなんのサークルに?」


 千佐都が尋ねると、春日は煙を吐きながらタバコをもみ消した。


「漫研だ」

「へー……って漫研?」

「そもそもサークル棟から出てくるのを見てなんとなくアタリはつけてた。ウチの大学に美術サークルはない。ならば、まともに絵を描くサークルなんてあそこくらいのものだ。ついでに名前も学部も調べてきた。知り合いにちょうど漫研の連中がいるものでな」


 春日は「ま、そいつらは絵が下手だがな」と付け加えるとベンチに座って二人に一枚のイラストを見せた。

 そのイラストを見て、悟司は目を剥いて驚いた。


 なんとマンガ調の女の子と女の子が、互いの身体を絡ませながら密着している。そうして抱擁し合う二人の口は――互いにそっと重なり合っていた。


「そ、それは――」


 それはなんとも眼福――じゃなく、なんとも刺激のあるイラストだと悟司は思った。そのようなイラストを恥ずかしげもなく見せつけた春日に、さすがの千佐都も両目を隠しながら抗議をする。


「ばっ、バカ! なんなのその妙ちくりんな絵は!」

「彼女の絵だ。黙って借用してきた」

「え……ええぇ」


 互いに天使のような羽根を生やし、口づけを交わしている二人の少女。構図の段階から既にとろけるような甘い雰囲気を漂わせるその絵は、どう見ても互いが互いに並々ならぬ感情を抱いていることをはっきりと示唆していた。


 まるで天使二人が、互いの性という大きな障壁を認識しながらも、その押さえきれぬ衝動につい身を任せ、その結果二人は禁断の道へと踏み外してしまった――とまぁ、そんな解釈めいた説明はどうでもいいとして。


「彼女の名前は鷲里月子。福祉学部だ。幼いころから絵を描き始め、このような同人活動をし始めたのは高校の頃だそうだ」

「同人活動?」


 千佐都の言葉に春日は頷く。


「見てわかるだろう。過去に彼女が所属していた同人サークル、『むーん☆ちゃいるど』ではこのような百合描写があるものを積極的に頒布していたようだ。といっても彼女がこういう直接的な描写をする絵を描き出したのはここ最近、大学に入ってからとのことらしいがな」

「そ、その情報はどこで?」

「同じく漫研だ。彼女はその筋ではそれなりに有名らしい」


 春日はそこまでいうと彼女――鷲里月子のイラストを畳んで言った。


「率直に言おう。趣味嗜好の面では激しく同意しかねるが、彼女の絵は上手い」


 確かに、と悟司は思う。事実彼女の絵はきちんとした人間の身体をデッサンしてきた人間が描いたように実に生々しい。いくらデフォルメされたマンガのキャラではあっても、細かい部分の筋肉の流れや骨の場所などを正確にスケッチして頭の中に叩きこんだものであることは素人の悟司にも充分に理解できるほどだった。加えて鉛筆のそれで描かれた線のタッチは非常に繊細であり、それが女性の手で描かれた絵であることをことさらに強調づけていた。柔らかく、優しく、それでいて非常に温かな絵だ。


「驚くべきはこれがただの落書き気分で描いたものだということだ。見てみろ。端の部分に破られた跡がある。おそらくスケッチブックか何かで描いた物だ。きちんと描くならばこんな雑に扱ったりはしない」


 春日が紙の縁を指さして示すと、確かに無数のリング状に開けられた穴がちぎられている。そこで悟司ははっとした。


 羽根の姿の女の子に、スケッチブック。

 あのゴールデンウイークの日、彼女が公園で描いていた物はこれだったのだ。その事に気付いて思わず声をあげそうになる。


「それで? あの子を勧誘するの? こんな絵を見せられておいて、まだ?」


 半ば呆れがちな千佐都の問いに春日は当然だとばかりに胸を張った。


「決まっている。そもそもこんなに絵の上手い人間がこんな大学に入学していること自体、僕には驚きなんだ。鷲里は話によると、アナログ一本でこれまで描き続けてきたらしい」

「アナログ?」

「ペンタブなどを使いパソコン上で描くのではなく、実際の筆で絵を描くことだ」


 なるほど、と漏らす千佐都に春日は続ける。


「そんなわけで彼女の知名度は非常に限定的なものだ。札幌で開かれる百合系同人即売会などで、直接描写のない百合系冊子をわずか二年間頒布していただけ。だがやはりその画力の高さから人気はあったようだ。同じ百合系の同人の間では軽く伝説めいた噂も――」

「何度もゴメン。さっきからあんたの言ってる百合ってまさか、さ」


 いよいよ頭が痛くなってきたのか、こめかみを揉み続けながら話を遮った千佐都に春日は淡々と言葉を吐いた。


「――女性同士の同性愛のことだが?」

「やっぱりかあ!」

「んんっ! 話が逸れたな。とにかく鷲里はすごい人物だ。だが、その鷲里なのだが、ここで勧誘に当たって一つ大きな問題がある」


 わざとらしく咳をして春日は立ち上がると、きゃあきゃあ騒いで赤らめた両方の頬を押さえる千佐都を無視して自販機に小銭を投入した。


「問題?」


 悟司が首をかしげるのと、がたんと自販機にジュースが落ちるのは同時だった。ジュースを拾い上げた春日は、そのままゆっくりと悟司を振り返って人差し指を突き出した。


「鷲里月子はお前と非常によく似ている」


 言葉の意味がわからない。


「あの、どういうことですか?」


 悟司が訝しんで聞き返すと、春日はジュースのプルタブを引っ張って言った。


「彼女はお前と同じコミュ障気質なところがあるそうだ」

「……は?」


 悟司は思わず耳を疑った。


 六月の曇り空は、まだまだ元の青空へと戻りそうになかった。








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