第十六章『ナルシス成司の-1さじ目』(1)
プロフィールNo.7
名前:与那城成司
年齢(誕生日):18歳(10/10)
身長(体重):173.2cm(68kg)
血液型:B(RH+)
好きな飲み物:シークワーサーのような酸っぱいもの。
苦手な物:高いところ
(4/18~23更新分)
駅に到着し、二つしかない自動改札をくぐりぬけると、目の前には溶け残った雪の山と暇そうにしているタクシーの群れが目に入った。
「おいイビキ女、お前の名は?」
鼻にティッシュを詰め込んでぶすっとしながら、成司は女を睨みつけてそう言った。
「あ、阿古屋……鈴花って言うッス」
阿古屋は成司の真横でトートバッグを両手に持ちながらしゅんと縮こまる。
「あの、ホントに悪かったッスよ。自分昔っから、寝相もいびきもヒドいって親兄弟親戚友達先輩後輩全員から言われ続けていたッス」
「言われ続けてたなら、なぜ公共の場で寝るんだ。バカ野郎」
「ひんっ。眠たかったからですぅっ」
頭を抱えてしゃがむ阿古屋を尻目に、成司はぐるりと駅前の景色を見渡した。
あまりにも寂れている。顔を上げると消費者金融の看板が見え、こんなド田舎でも金を借りるヤツがいるのだなと偏見たっぷりに思った。
「あ、あのーつかぬことをお聞きしますけれども」
おずおずと、阿古屋が成司の顔を見上げる。
「なんだ、言え。仕方ないから許可してやろう」
「いつの間に発言が許可制に……。それはそうと、アナタもしかして未開大の学生さんっスか?」
「……そうだけど」
「やっぱり! 実は自分もそうなんスよ!」
あはーっと顔を横に引き延ばした様にして笑う阿古屋。正直なところ、同じ駅で降りるとわかった時点でコイツもそうなんだろうなと成司も思っていた。
「今年から入学なんすよねー。確か、明後日からオリエンテーションだった気が」
そのままトートバッグを地面の上に置いた阿古屋は、中からパンフレットを取りだした。先ほど見えたA4サイズの冊子はこれだったのかと思っていると、そのまま阿古屋は冊子をぱらぱらとめくりながら尋ねた。
「そういえば、アナタ様はお名前なんて言うんスか?」
「俺は与那城成司だ」
「よなしろ、せーじっスねぇー。ふむふむ、よなしろ……よなしろ」
何度も復唱してから、阿古屋はパンフから目を離して成司を見上げた。
「もしかして、沖縄の人っスか?」
聞かれると思った。
「いや、生まれも育ちも東京だ。両親が沖縄なんだよ」
ため息混じりに答えると、真っ白な息を漏れ出た。なるほど。道理で寒いと思ったら、まだまだこの町はそういう気温なのだな。
「沖縄に行ったことも人生で二回だけだ。ゴーヤは死ぬほど食わされてるけどな」
「あはー。あれ苦いっスよねー」
「それはそうと」
強引に世間話を打ち切って、成司は阿古屋に振り返った。
「そろそろ自分のアパートに移動してもいいか? いつまでもここにいたら寒い」
「あ、そ、そうっスね」
パンフを無造作にトートバッグの中へ押し込むと、阿古屋はバッグを肩がけして立ち上がった。
「あ、あの」
そのまま目に止まったタクシーの中へ乗り込もうとすると、阿古屋が成司の背中に向けて声をかける。
うっとうしそうに成司が振りかえると、
「今年から色々と、お世話になりまっス!」
ぺこりと頭を下げて、阿古屋はそのまま成司のいる方とは逆に向かって歩き始めた。無言でそれを見送ると、成司はタクシーの運転手に印刷してきた地図を見せた。
「すみません、このアパートまで乗っけてください」
自分も今年から入学だと説明するのを忘れていた。濃い顔のせいですっかり年上と間違われてしまったらしい。でもまぁ、問題はないだろう。どうせ明後日には顔をつき合わせることになるのだから。
タクシーの運転手は「ああ、あそこね」と独り言のように呟くと、そのままサイドブレーキを引いて車を動かし始めた。
※ ※ ※
「――お客さん、未開大の生徒?」
外の景色をぼんやり眺めていると、運転手が気さくに話しかけてきた。
「ええ。今年から入学です」
「この時期はタクシーの利用者多いからねー。さっきも女の子をタクシーに乗せて戻ってきたばっかりさ」
女の子、という響きで成司はふと思う。そういえばあの阿古屋とかいうヤツはそのまま歩き始めていたが、あいつのアパートはそんなに駅から近いのだろうか。
未来開拓大学は駅から結構な距離があったはずだと記憶している。だから必然的に学生が住むアパートもその付近に集中しているに違いないのだが、彼女の家はそうじゃないのだろうか。
そこまで考えて、成司は阿古屋のことを頭から振り払った。あいつの事なんてどうだっていい事だ。もっとお上品なタイプの女が好みな自分としては、あのようなガサツの極みみたいなヤツの心配をする必要などどこにもない。
「さっきの子は、知り合いかい?」
そう思っていたのに、運転手が無理矢理阿古屋の話を振りはじめた。全く苦々しい。
「いいえ。電車の中で会ったばかりです」
きっぱりと言い切った。だが、そんな成司の思いなど知る由もなく、
「いいねぇ若いって。わたしもね、もうずっとこの町の育ちなんだけど、あいにく当時は大学へいくお金なんてなくてねぇ」
と、運転手がハンドルを捌きながら羨ましそうな声をあげる。
「昔ね、あの大学は女子大だったんだよ」
「え、そうなんですか」
初耳であった。
「そうそう。んでも、こんな田舎でしょ? そのうえ少子化だって騒がれてる昨今だ。大学側としても人員集めるの大変だったみたいでね。それで、共学化したって話さ。もう二十年くらい前の話だがね」
「へぇー」
「ここって、北海道でもそんなに知名度高いわけでもないでしょ? こう、めぼしい名産とか観光スポットもないし」
確かに。成司も大学を受験するまでは、こんな町の名前など聞いたことがなかった。
「それで去年なんか、町おこしみたいな流れで大学側と市で連携しあった学祭なんか始めちゃってね。ご当地ヒーローのジンギリバーさんだって来たって話さ」
なんともひどいヒーローを連想させるネーミングだ、と成司は思う。
「でもそれで町の人が大学に関心を持つかっていうと、どうやらそうでもないみたいでねぇ。それで今年からはいよいよ本格的に町との連携を図っていくって話になってるみたいだよ?」
運転手は実に楽しそうに大学と町の「今」を語っているが、当の成司にはなんら興味が沸かなかった。これから過ごすことになる大学に、現時点で愛着など持てるわけもない。
いい加減、話にも飽きてしまい、そのままぼんやりと外の景色へと視界を戻すと、運転手はなおも成司に向かって喋り続けた。
「なんでも今年から変わった学長は、昔この町で市長を務めていた人になるそうだ。それまで学祭も秋に行なっていたんだけれど、やっぱりこっちの秋は内地と違って寒いから。客足も遠のくってんで、七月に変更したそうだよ。いやぁ、今年はわたしもちょいと遊びに行ってみようかな、なんて」
「あの」
成司は気になって、運転手の方を見た。
「どうしてそんなにお詳しいんですか?」
「あ、わたし?」
信号待ちでタクシーが停車すると、運転手は恥ずかしそうに笑って言った。
「実はわたしの孫がそこの大学生でねぇ。――今年から二年になるんだっけか?」
意外だった。白髪混じりだが、見た目はまだまだ五十代くらいだと思っていた。
成司がネームプレートを覗き込む。「松前」と書かれたプレートを見た瞬間、運転手はくるりと前を向き直って、再びハンドルを握った。
「まぁ、もし孫を大学で見かけたら一言声でもかけてやってよ。樹里って言うんだが、これでまぁ結構お喋りな孫でねぇ――」
どうやら、その樹里という孫もこの人譲りのお喋りらしい。
そんな事を思いながら、再び成司は積もり積もった雪の山を眺める。
※ ※ ※
「――着いたよ」
運転手にお金を渡して、成司はタクシーを降りた。
タクシーが走り去ったのを見て、成司がアパートの階段を上がろうとすると、ちょうど郵便受けの前に男が立っていた。
ぬぼーっとした生気のない目でつまらなさそうに郵便受けを閉めると、そこで成司はその男と目が合ってしまった。
「…………」
時が止まったように二人で見つめ合う。無精髭を生やしたその男は脂っぽい不潔な髪をかきあげて、
「――見ない顔だ」
と一言そう呟いた。成司に向けて言ったわけではなく口の中で出た言葉が漏れ聞こえてしまったような、そんな感じであった。
「あ、俺」
一瞬気後れしてから、成司は軽く頭を下げる。
「俺、今年から未開大ってとこに入学する与那城成司って言います。今日からこのアパートに住むことになって」
「新入……生?」
「はい」
「……ふん」
相変わらず誰に言うわけでもない妙な相づちを打つと、そのまま猫背で男が成司に背を向けた。実家からお隣さんへ渡す手土産のことを思い出した成司は、
「あ、ちょっと待ってください」
と、自らのバッグからちんすこうの箱を取り出した。
「これ、もしよろしかったら……どぞ」
「いや、いいよ」
面倒くさそうに手を振る不潔そうな男。
「と、言われましても……」
自分だって、こんなものわざわざ渡したくない。でも成司だって、嫌々ながら両親からアパート住民全員分のちんすこうを押し込められてしまったのだ。自分で消化してしまうことも、もちろん出来るのだがそれだけはなんとなく避けたかった。
いかんせん、幼少の頃から食い飽きてしまっているのだ。この菓子は。
「うーん……」
バリバリと頭をかくと、
「じゃあ……もらう」
といって、男は嫌々ながらも成司のちんすこうを受け取った。あげた甲斐がゼロである。
「ありがとう……」
「いえ。つまらないものですが」
「あの、名前……」
箱を片手で胸元に引き寄せてから、男が成司に向かって顔を上げる。
「あ、俺。与那城成司って言います。文学部の、一年になる」
「文学部……」
独り言のように呟いてから、男は再び成司に背を向ける。そうして猫背のままのろのろ歩く男に向かって、
「あの、あなたは?」
と、成司は声をかけた。
のっぺりとした表情なのだが、どことなく存在感がある。だから、なんとなくそう尋ねたくなったのである。
男の歩みがぴたりと止まる。少しだけ間を置いてから、
「……か、かしえだ」
と漏らした。
「かしえだ?」
かしえだ、と言ったのだろうか?
声が小さすぎてよく聞こえなかった。字は樫の木に枝だろうか、と連想していると、
「そ、それじゃ……」
と逃げるように去って行ってしまった。
変な人だ。成司はそう思いながら階段をあがった。
部屋のドアの前まで来ると、ドアの隙間に妙なチラシが挟まれている事に気付いた。
抜き取って眺めると、そこには「いちじく会」と書かれたわけのわからない宗教団体の説明書きが書かれている。
こんなド田舎町にある大学でも、宗教の勧誘なんてあるのか。
うんざりしながらぐしゃりとチラシを握りつぶすと、成司はあらかじめ大家から勇壮で送られてきた部屋の鍵をドアノブに差し込んだ。
玄関を上がり台所を通り抜けると、真っ先に見つけたのはアルミの大きな灰皿であった。なぜかワンルームのど真ん中に置かれたままのそれを眺めながら、成司はバッグを床に置く。さらにぐるりと周囲を見渡すと、まだ新しそうなテレビと、横長三段引き出しのダンスにポットが乗っかっている。
どれもすべて前の住民が置いていったものだと事前に大家からは聞かされてはいたが、あらためて見るとかなり嬉しい。余計な家具を買わなくて済んだと思いながら、成司はどかりと床の上に腰を下ろして、ポケットから煙草とライターを取り出した。
高校の頃に背伸びしたくて始めた煙草も、気付けばやめられなくなってしまっていた。辞めたい辞めたいと思いつつも、なかなか辞めることが出来ない自らの意志の弱さに呆れながら、成司は煙をくゆらせて窓に近付いた。
窓を開放する。綺麗に清掃されてあったにも関わらず、少しだけ部屋の中がホコリっぽかった。
ふと、先ほどの男のことを思い出す。先輩であることには間違いないのだろうが、あの人生にくたびれた面はなんなのだろう。
まるで何年も留年を繰り返しているような面構えであった。アパートを借りているということは彼もまた、自分と同じようにどこかから越してきたタイプなのだろう。
しかし、よくもこのような田舎町に五年も六年も居続けられるものだ。東京から越してきた成司としてはおよそ理解できない思考回路の持ち主だと思う。
だからこそ、少しだけ興味が沸いている自分に気付く。
そこでふと思い立ったように、成司は煙草をくわえたまま浴室の方へと向かった。そうして鏡の前に立って、自分の髪をじっと眺める。
……どれくらいそうしていただろうか。
やがて、「どこからどう見てもイケてる感じの男にふさわしい茶髪だ」と成司は一人納得するように頷いてみせた。さらに数分ほど自分の髪を満足そうに眺めた後、再び成司はワンルームの方へと戻っていく。
すっかり気分をよくした成司は、バッグの中に手鏡があるのを思い出し、今度は手鏡を使って自分の眉を眺める。うっすらと青いそり残し部分を発見し、慌ててバッグの中からピンセットを取り出すと、煙草をもみ消しながら丁寧にそのそり残しを抜き取っていく。
うん。これで完璧。
思わず笑みがこぼれ出る。
角度を変えて鏡を何度も見つめ直した後で、ようやくそれをバッグの中へ閉まったのは最初の浴室から実に一時間後のことだった。
成司は自身の彫りの深い顔が大好きであった。自分の顔ならば、たとえ何時間眺めていようと飽きることはない。
一言で言えば超絶ナルシスト。
それが与那城成司の本性である。
小中の頃は、ただのキモいやつということで周りからは『キモ』などと呼ばれ、蔑まれていた。はっきりいって安直にも程がある。所詮ガキのつけるネーミングセンスなんてそんなものだと、むしろ成司自身はその呼び名で呼ぶヤツを鼻で笑い飛ばしていた。
高校生にもなるとさすがに少しは呼び名のセンスにも発想の豊かさが見られ、自身の名前とナルシストをかけた『ナルシス』というあだ名に変わった。
より具体的に、直球になったあだ名に、成司はもはや苦笑いしか出てこなかった。
そうして小中高と、全て地元で過ごしてきた成司が未開大を受けた理由はただ一つ。
――そんな、過去のあだ名からの決別。
それだけだ。どうせ離れるなら、思いっきり離れてしまった方がいい。
そんなくだらない理由で大学を選んだのかと言う人もいるだろう。
だが、自分からすればこれは非常に重要な人生のテーマである。
小中高と地元で過ごしてきたせいか、既に自らの周囲は「成司=ナルシスト」という図式が凝り固まっている。だが、本当にその図式は正しいのか?
別に高校の頃からの友人が嫌いなわけではなかった。ただ、自分のことを知らない人達がこんな自分を見てどう思うか。それが知りたかった。
本当に自分は、周りが思うほどナルシストなのか?
そもそも自分の顔を嫌いな人間など、世の中にいるのだろうか。皆だって開けっぴろげにしていないだけで、本当は自分のように家の中で鏡とにらめっこしてるに決まっている。
中学校の頃、一度だけ成司は友達にこう噛みついたことがある。
――じゃあお前らは鏡見て、かっこつけたポーズ決めたり、変顔したりしねーのかよ!
それに対する友人の答えは、羽交い締めからの握りっ屁だった。
ひどすぎる仕打ちである。お前らはどれだけ自身のことを醜く蔑めば気が済むのだ。
マゾか。もしかしてマゾなのかお前らは。
友人の屁を嗅がされ遠のく意識の中で、成司はただひたすら唇を噛みしめながら強くそう思った。自分はこんな奴らとは違う。こんな風に自らの価値を下げたりしない。いたずらに、幼稚に自らの品位を貶めたりはしないのだ。
そんな成司の思いは、一言でまとめると「大学デビュー」になってしまうわけだが、当の本人はそんなことを露ほども思っていない。
いわば、自身の人生のテーマを証明するためにある、最後のモラトリアム期間。
それが、彼にとっての大学であった。
どうせ将来は両親の経営する沖縄居酒屋を継がなければならんのだ。大学に行きたいと言い出した時には猛反発を食らったが「自分はもっと、社会に出る前に色々と知識をつけたいんだ」といった体の良い建前を述べ連ねると、渋々ながらも納得してくれた。
かといって、別に勉強しないわけじゃない。バカは自分の美学に反する。
成司は自身のことを、ナルシストではなく美学追求者と認めている。
いつ、いかなる時も、美しい生き様を。
見てくれだけじゃなく、精神的にも美しい男子たれ。
それが、与那城成司の考える格好いい男像なのであった。
「――だからこそ、煙草やめたいんだけどな……」
悩みは尽きない。
※ ※ ※
翌日、昼頃から二階の住民全員にちんすこうを配ろうとインターホンを鳴らし歩いた。だが、誰も出てくる気配がない。
「誰もいないのかな……?」
山と抱えたちんすこうを持って部屋に戻ろうとすると、ちょうど一階の方でドアの開く音がした。
そのまま成司は階段の方へ目を落とすと、昨日と同じ樫枝という人物が、またしてもぬぼーっと郵便受けを覗き込んでいた。
「あの」
階段から成司が声をかける。樫枝は眠そうな目をこすりながら、
「ああ」
と、成司のことをみとめた。
「昨日の、どうもありがとう」
ちっともありがたくなさそうにそう言う。
「あの、良かったらもう一つどうですか?」
昨日成司がちんすこうの箱を数えたところ、どうやら実際の住民の数と箱の数にズレがあることに気付いてしまった。一つ余ってしまうのだ。
そのことを樫枝に告げると、
「……本当に良いの?」
と不安げな目線をこちらに向けてきた。
「いいですよ。ちょっと待っててください――ねっ」
成司は両手に抱きかかえたちんすこうの山を一度玄関に置いて、その中の一つを取ると再び階段の方へ戻ってきた。
樫枝は先ほどと変わらない姿勢で、ぼんやりと郵便受けを眺めている。
「昨日も思ったんですけど」
成司はかんかん音を立てながら階段を下りる。
「樫枝さんは、なにかが届くのを待ってるんですか?」
「え」
驚いて樫枝は目を丸くさせる。
どうしてその事に気付いたんだ、もしかしてエスパーなのかお前は。
……そんな目をしていた。
「いや、昨日もなんかじっと見てたから、もしかしたらそうなのかなって」
付け加えるように成司がそう説明すると、
「ああ……うん。ちょっと手紙をね」
手紙?
「それより、お茶でも入れようか」
そう言って、樫枝が自分の部屋の方向を指し示す。
成司はぽかんとしながらも、黙ってその後を付いていった。
※ ※ ※
「――汚いけど」
そう言って、眼前に広がった部屋の光景は見るも無惨なゴミ屋敷であった。ほとんど足の踏み場もない。
「適当に除けてくれて構わないから」
「そ、そう言われましても……」
適当に除けるためのスペースすらなかった。最初に自分が思った「この人には何かある的オーラ」は全部勘違いだったのかとすら思ってしまう。
ちんすこうをゴミ溜めの山の上に置いて、ふとその横にあったチラシに目が行った。
昨日、自分の部屋のドアに挟まれていた「いちじく会」のチラシだ。
「――興味ある?」
びくっとして振りかえると、いつの間にか樫枝が成司の背後でマグカップを二つ持っていた。
「あ、えーっと……」
咄嗟に言葉が思いつかなくてまごついていると、
「知り合いが入ってるんだ、そこ」
と言って、片方のマグカップを成司の前に突きつけた。
ありがとうございます、といってそれを受け取ると、樫枝は気が狂ったようにゴミ山を壁際まで押し込んでスペースを作った。
「座れば?」
「あ、は、はい」
言われた通りに腰を下ろす。そこで、ちょうど樫枝の背後にパソコンが置かれていることに気付いた。何をやっていたのだろうと、成司が軽く背筋を伸ばしてパソコン画面を覗こうとした時、
「君は、」
と、突然樫枝から声をかけられ、すぐさま姿勢を元の位置に戻した。
樫枝はこちらを見ずに、ぼそぼそと口の中で話し始める。
「ネットゲーム、って興味ある?」
全く、完全に予想の範疇を超えた質問に成司は戸惑う。
「え、ああ。まぁ少しは」
少しどころか、本当は全くと言って良いほど興味などない。
「こっちに戻ってきてから……ずっとやってるんだ。これ」
そう言って、樫枝はパソコン画面を指さした。なるほど。先ほどから見えているあの画面はゲーム画面か、と一人納得する。
「今さ……ちょうど、パーティメンバーが一人欲しくて……、もし君がパソコン持ってるなら、一緒にどうかなって」
「え、えーっと。どうですかね?」
目を泳がせながら、あさっての方向を見ると、
「あれ?」
ゴミ山の中に埋もれているものに目がいった。全貌が確認出来なくても、その特徴的な形で、すぐに成司はぴんとくる。
それは、ギターであった。
「あ、あの」
「ん?」
「あそこにあるのって……あれ、ギターですよね?」
成司が指し示すと、樫枝はお茶をすすりながら振りかえる。
「……ああ。あれ? そうだよ」
「ギター弾くんですか? 実は俺もずっと練習中で」
まだ荷物は届いていないが、一応今日の午後にはギターが届くことになっていた。Fコードをようやく押さえられるようになったばかりの成司は、これから色んな曲を弾き語ろうと計画している。
そんな成司に向かって、樫枝は一言、
「……やめた方がいいよ」
「えっ?」
一瞬、何を言ってるのかわからずに成司はぽかんとしてしまう。
「こんなの、どうせ続けていたって苦痛になるだけだし」
とりとめのないその一言にも、押し黙ってしまうほどの迫力があった。
「それよりさ、ネトゲやろうよ。ネトゲ。楽しいよ、とても」
……やっぱり気のせいだったのかもしれない。
この人には何かあると思っていたのは、間違いだったのだ。
お茶を軽くすすってから、成司はことりと床の上にマグカップを置いて言った。
「……そろそろ、荷物届くんで、一度家に戻っても良いですか?」
やってきて、まだ数分ほどしか経っていない。
にも関わらず成司はそれだけ言うと、すっと立ち上がって樫枝の家の玄関を出て行った。
別に追いかけてくることもない。
もとよりそういう積極的な性格の人間には思えなかったので、それも当然かと成司は思う。
成司は、今日からこの人をネトゲ先輩と呼ぶことに決めた。
次の日、オリエンテーションへと学校へ向かった成司は大学の校門を過ぎた辺りで、
「あーっ!」
と聞き慣れた女の声を耳にした。
「げっ」
振りかえると、やはりそこにいたのは阿古屋鈴花であった。
「なんでなんでっ!? あ、もしかして与那城くん、一年だったんスか?」
TPOもわきまえずバカデカい声で騒ぎ立てる阿古屋に、成司はこめかみを押さえながらため息を吐いた。
「もう少し静かにしてくれよ……」
あっと声を上げ、阿古屋は一度両手で口を押さえると、
「で、でもびっくりしちゃったので……へへ」
花を咲かせるようにほわんと両手を開いて阿古屋が笑う。
そのなにげない仕草に、成司はちょっとだけドキッとしながらそっぽを向いた。
「与那城くんはどこの学部っスか?」
顔の前で手を開いたまま、隣に並ぶ阿古屋の顔を見ずに成司は答える。
「俺は文学部。お前は?」
「自分は福祉っス!」
「お前が福祉……?」
「あーっなんすか! そのバカにしたような目っ!」
ぷぅっと頬を膨らませながら阿古屋は成司から目を離して歩き始める。
「家族のみんなもそう言うっス。失礼な話っスよ。いびきとか、方向音痴だとか、ぎゃあぎゃあやかましいとか、そんなの福祉にはぜんっぜん関係ないってのに」
いや、一番最後に挙がった物はものすごく関係しそうな気もするのだが。
「それよりむしろ与那城くんの方が意外っスよ」
「文学部か?」
「そう! ……なんかイメージ的には経済学部の気がしたんスけど」
確かに両親の仕事のことも考えると、なんとなく経済学部の方が自分には合ってるのかもしれないと思ったことはある。だが、
「俺はな、戦国時代が大好きなんだ」
「ほえー。これまた意外っスね」
「もっと言えば、三国志が好きなんだけどな。だから、文学部は文学部でも、俺がもっぱら興味があるのは史学の方だ。福祉科の方はよく知らんが、文学部の方は三年からゼミに入ることになってる。そこで、俺は史学の方を取る予定なのさ」
そう話してる内に校舎へとたどり着いた。
※ ※ ※
オリエンテーションは、特筆すべきこともなく淡々と進行していった。
簡単な大学内の設備の説明、それから学部ごとの教授の紹介、最後に学生センターで出来る定期券の発行やらの説明などを受けて、解散となる。
一日の全てが滞りなく終了したところで、
「至ってフッツーの流れだったな。高校の時よりも素っ気ない」
隣に座る阿古屋に向かってそう言うと、阿古屋は両足をぱたぱたさせながら、
「大学ってこんなかるーい感じなんすかねー」
と、へらへらしていた。
「どーでもいいけど、」
その成司が辺りを見回してから、阿古屋に告げる。
「ここ、男の場所だぞ」
成司の座っている席の周辺は男の固まりであった。女子の固まりは遙か遠く、成司のいる場所から左、約四メートルほどの一帯だ。こいつだけが女子の中で唯一、成司の右隣にいるのである。登校の時といい今といい、こいつのやること全てが、はっきり言って目立つことこの上ない。
「いやぁ。自分、与那城くんしか知り合いいないっスから」
成司の言葉を聞いても、阿古屋は全く気にすることなく笑っている。
「それでも普通は女子の固まりの方に座るだろ!」
「……そういうもんスか?」
「そういうもんだよっ! ほら、見てみろよ」
成司が阿古屋の頭を掴んでぐるりと回す。
女子連中が、こちらを見ながら何やらひそひそと話し合っていた。
不穏な予感しかしない。
「さっそく目ぇつけられてるじゃないか」
「どこにでもいるっスよ。あんなの。それに大学って別にクラスに別れてるわけじゃないし、講義も自分で選んで取るわけっスから、あんな連中関係ないのでは?」
「いやそれはそうだけど。でも、そもそもなんでここにいるのかが知りたいんだよ俺は」
「それは今言ったじゃないッスか」
「俺だけが知り合いだからってか?」
成司の言葉にこくこく頷く阿古屋。
どうやら本当にそれだけが理由らしい。最初に話した時も思ったが、妙にねじれたというか、変わった性格のようである。
「……どうでもいいが、邪魔だけはすんなよ」
「邪魔?」
首を傾げる阿古屋をよそに成司が立ち上がる。
「俺の、素敵なキャンパスライフをだ」
そう言って、成司は阿古屋を置いてそのまま特別教室を後にした。
※ ※ ※
「待ってくださーい!」
阿古屋の声が背中越しに届いたが、構わず歩き続ける。
「付いてくるなよ」
「なんでっスか?」
「なんでもだ」
「なら付いてくっス」
面倒くさくなって成司はそれ以上拒否することなく、阿古屋の思うままに任せることにした。
しかし阿古屋といい、あのネトゲ先輩といい、成司の大学生ライフは初っぱなから奇天烈揃いだ。ロマンスなど欠片もない。もう少し華やかな生活が待っていると思ったのに、現実というものはかくも無残なものよ。
そう思いながら成司は学生センターの前を通り過ぎて、昇降口の戸を離れた。
そうして出た途端、広がった光景に思わず息を呑む。
プラカードを持ったサークル勧誘の集団が大学の外に大挙していた。実際の数は、おそらく首都圏や都会の方の大学の比ではないのだが、一つだけやたらと熱心に声をかけている集団が半端じゃない。
その数、ざっと見て五十人以上。
「ソフトテニスでーっす。ソフトテニスやりませんかーっ!」
ミニのスカートを履いた、本当にお前らスポーツしてんのかといった風情の女の子達がきゃあきゃあ騒ぎながら新入生の男を引っ張っている。
「ソフトテニス、どうですか?」
成司の隣に寄ってくるミニの女の子。
ビラを渡された瞬間、
「入ります」
鏡の前で幾度も練習した紳士スマイルで、成司は即決で入部を決意した。
それを見た阿古屋が、慌てて駆け寄ってくる。
「ちょっ! 与那城くん即決すぎやしないッスかっ!?」
「うるさいな。俺はこういう華やかなものに憧れてるんだ」
「華やかっていうか……惹かれたのはそのミニスカートなんじゃないスか?」
「うるさいな」
ジト目で見る阿古屋に、ビラを広げながら成司が振りかえって言った。
「ここは大学だ。高校とは違う。駆け出しからこうして積極的にサークルに入っていかないと、すぐに輪に溶け込めぬまま乗り遅れてしまうもんなんだよ。大体お前も、俺がサークル何個も入ったって、いちいち咎められる謂われはないだろう?」
「そ、それはそうっスけど……」
「あなたもどうですかー?」
阿古屋を見て、ミニの女の子がビラを手渡す。
「へ? へ? 自分ッスか?」
「そうよー。あなた、この人の彼女さん?」
「かの……っ!」
ぷしゅーっと蒸気を噴き出しそうに顔を赤らめる阿古屋。
一方の成司ははなから眼中にないので知らん振り。
「ち、ちちちち違うっスよ! し、ししし知り合いっ!」
「そ。じゃあ、君も入ってよ、ソフトテニス」
半ば押しつけるような形でビラを阿古屋に手渡すと、ミニの女の子は次の獲物を探すべくその場を離れて行ってしまった。
成司は呆然とする阿古屋を見てから、
「よかったな。お前も乗り遅れなくて」
と告げてそのまま振り返る。
すると、
「――相変わらずすごい勧誘ねぇ、ソフトテニスは」
「股間に直結してるバカを狙うにはいいんじゃない? ああいうのもさ」
一目見て、先ほどの女子とは問題にならないくらいの美人が二人立っていた。
一人は成司と同じくらいかそれ以上ありそうなプロポーション、もう一人は中学生か何かかと思ってしまうほどの小柄で童顔なのだが、ほとんどノーメイクで、それだけでも素材の良さが容易に見て取れた。
童顔の方は身の丈に合わないほどのデカいプラカードを持ち、背の高い方は百枚ほど刷ったビラを持って、こちらへと向かってくる。
「あーもー。疲れたわさー。樹里ぃ、あたしこれさっさと部長に渡して、そのままかすがのとこへ行っていい?」
「え、今日春日さんも来てんの? なんで」
既にへばっている状態の童顔に向かって長身の女性が尋ねる。
「ほら、今あっちの方が完全にダメダメじゃん? 悟司完全に廃人状態だしさ。だからかすがはかすがで、新しいサークル新設することにしたんだって」
「新しいサークルって――軽音系?」
「そ。でも旧来の軽音じゃなくて、完全に名前を変えるみたいだけど。一応最初の書類出すときに部員が必要だってんで、あたしと悟司とつっきーと小倉くんみーんな強制加入よ? それも何の断りもなくさ。ひどくない?」
「……私のとこには来てないよ?」
「あんたには声掛けづらかったんでしょ。焼き肉食べに行ったときだって、あいつ樹里に話すときだけガチガチだったじゃ――ん?」
二人は目の前に立っている成司と、そのわずか後方にいる阿古屋に気付いて立ち止まった。
樹里、と先ほど呼ばれていた長身の女性が、成司を指さしながら童顔の方へ振りかえる。
「ねぇ千佐都……これ新入生かな?」
「どう見たって新入生でしょうが……ったく」
千佐都と呼ばれた童顔の女性の方が、呆れるように樹里という人物の方を睨んで言った。そのままビラを手にした樹里は、成司の方に近付くと、
「ねぇねぇ、君ってスキーに興味ある? なくても全然いいっていうか、むしろない方がこれからの活動にあまりがっかりしないと思うんだけど」
「入ります」
相変わらず成司は即答する。
どう見ても、彼女らに勧誘のやる気は感じられない。
だが成司は、完全にその二人の美貌に惹きつけられてしまった。
「ちょっ……ちょっ!」
口をぱくぱくさせながら、阿古屋がソフトテニスのビラを握りしめ成司に駆け寄る。
「あら? もう一人来たわよ。女の子」
「おお。らっきー」
千佐都の言葉で阿古屋に気付いた樹里がすかさずビラを差し出すと、流れに乗ってしまったの如く、阿古屋はまたしてもチラシを受け取ってしまった。
「私、松前樹里っていうの。こっちは“樫枝”千佐都」
――カシエダ?
成司がびっくりして顔をあげる。
「チラシと一緒にサークル入部の紙がとめてあるから、それ持って学生センターまで行けば、手続き簡単だから。ちゃっちゃっちゃーのほいほいだから」
樹里という女性が、半ば投げやりに手続きの説明をする。
だが、成司にはその事よりももう一人の女性である「樫枝千佐都」のことの方で頭がいっぱいだった。もしかして彼女は、ネトゲ先輩と何か関係があるのだろうか。
……気になる。
「あの、」
成司はチラシから目を離してその事を尋ねようとすると、二人はあっという間に成司の元を離れて校舎の中へ入って行ってしまった。
まともに話を聞いていなかった自分が言えることではないが、それにしても彼女らは勧誘に対してやる気がなさ過ぎる気がする。
「よ、与那城くん。本当にこれ二つとも入るんっスか? じ、自分実は、別に入りたいサークルがあって、こんな――」
慌てふためく阿古屋をないがしろに、
「悪い阿古屋。ちょっとあの二人、追いかける」
「追いかけるって……えーっ!」
成司は自分の分のビラを阿古屋に押しつけると、二人の後を追い再び校舎の中へ足を進めた。