十
「強様?!」
扉をたたく音がして、扉を開けるとそこに強がいて、藍はぎょっとした。
今日は草に会いたいという帝の願いを受け、典と共に強と帝に呪いをかけた。それは成功し、誰にも疑われることなく、帝と典は草のもとへ旅立った。残された帝の身代わりの強は、宮内で仕事をこなしているはずだった。
したがって強の姿であるわけはないのだが、目の前の男は確かに男前の警備隊長だった。
「中に入れてくれないか」
「え、はい!」
藍は少し焦った様子を見せる強を慌てて部屋の中に入れた。
「ありがとう」
水の入った湯呑を受け取り、強は進められた椅子に座る。
「どうしたんですか?」
「面倒だから、抜けてきた」
「!」
ありえない。
生真面目な強の台詞とは思えず、藍はじっと黒髪を後ろに束ね、褐色の肌の凛々しい男を見つめる。強は藍の視線を感じ、こほんと咳払いをするとその茶色の瞳を向けた。
「藍殿に会いたかったんだ」
「?!」
いや、嬉しいですけど。
強様らしくない。
警備隊長らしくない台詞に、藍は目の前の男が強でないような錯覚に陥る。
「藍殿、俺の気持ちは変わらない。藍殿はどうなんだ?」
「え?!」
茶色の瞳が藍の気持ちを探ろうとしているのがわかった。そしてその手が藍に伸びる。
「藍殿……」
「兄さん!」
ばんっと勢いよく扉が開き、髪を振り乱した帝が入ってきた。
「え、帝……、強様?!」
藍は部屋の入り口で、肩で息をしている帝と目の前の強を見比べる。
帝……、あっちが強様。だったらこの人は!
「兄さん、悪ふざけはやめろって言ってるだろう!」
帝は大股で部屋に入ると強に詰め寄る。
「怒るなって!だって、今日は典もいないし、絶好の機会だろう?」
強の姿でふふんとその兄、東の呪術師は笑う。
「余計なお世話だ」
帝の姿の強はそのか弱い腕にどんな力があるのかと疑うほどの力を見せる。拳が賢の頬に当たり、その体が壁まで吹き飛ばされる。
「いたっ!兄を殴るとはなんて弟なんだ!」
殴られた賢はその真っ赤に腫れた頬をさすりながら立ちあがった。
「きゃ!賢様!」
慌てて駆け付けた明が、驚いて賢に走り寄る。
「兄さん、たまに戻ってくると思えばろくなことしない。さあ、元の姿にもどって出て行ってくれ!」
そう強が怒鳴りつけて、驚く藍の目の前で兄弟喧嘩は終了した。そして賢は明によって呪いを解かれるとしぶしぶと部屋を出て行った。
「藍殿、すまないな」
静かになった部屋で強はそう口にする。
「いやいや、道理で強様らしくないと思いました」
「らしくないとは?」
「いや、あの……」
照れもせず甘い台詞を言うなんて強様じゃあり得ないもんね。
そういえば、あれから強様から好きとか言われたことないけど…
やっぱり、気のせいだったのかな。
ここ数年、藍は精力的に動き、毎日忙しく過ごしていた。思えば、こうやって二人でゆっくり話をすることもずいぶんしてない気がした。
「藍殿、俺の気持ちは変わらない。でも、君は典のことが好きなんだろう?」
強は少し顔を赤らめながら、そう口にする。
「……えええ?いや、好きと言われば好きですけど……」
師匠である典にどきっとすることはあっても、それは単純に彼が美しく、近づくと緊張するためのような気がしていた。
恋とかそういうのじゃない気がする。
どっちかというと、強様と一緒にいるときの方が胸がドキドキする気がする。
藍が考え込んだのを見て、強が弱弱しく笑う。
「君の気持ちはわかってる。だから、気にするな」
強は藍から背を向けると部屋を出て行こうとする。
「強様、待ってください!」
藍は慌てて強の腕を掴む。帝の腕であるそれは驚くほど華奢であった。
「あの、私は典様のこと好きです。でもそれは多分、尊敬とかそういう意味で、あの恋ではないと思うんです。強様に対して思う気持ちとは違います!」
藍はそこで言葉をとめた。
自分を見つめる、帝の、強の黒い瞳が満天の星空のように輝いていた。
「藍殿!」
強は藍を抱きしめるとその名を呼ぶ。
「好きだ。君が」
そして唇を重ねようとして、はっと気づく。
「……呪いは解けないのか?」
「えっと、典様がかけたので、私には無理です。下手に解こうとすると、違う姿になるかもしれません」
強に抱きしめられ、真っ赤になった顔で藍はそう答える。
「……そうか。じゃ、この次に」
純情な二人は真っ赤になったまま、押し黙る。
「帝様~」
扉の外からそう声が聞こえ、強が先に藍から離れる。
「仕事だ。今日は帝だから」
「そうですね。あ、髪が乱れてます」
藍は強の乱れた髪を整え、その着物を正す。
「じゃ、また後で。藍殿」
「はい」
何事もなかったように強が笑い、部屋を出て行く。藍はなんだか名残惜しさを感じながらその背中を見送った。
「帝様、どこにいらしたのですか。今から会議ですよ!」
新しく内所に就任した男が、強の姿を確認し、安堵の表情を見せる。
典の奴、わざとやったな。
強は内所の後ろをついて、庭を歩きながらそんなことを思う。
典はやっぱり藍殿を好きなのだ。
だから、わざと俺に自分自身で呪いをかけた。
藍殿に解けないように。
強は眉をひそめると空を見上げる。頭上には雲ひとつない青い空が広がっていた。
黒国は今日も典を始め、藍たちの呪術者のおかげで平和が保たれている。
典の奴め。
呪われたものは、愛する人と口づけを交わす機会を失い、平和な空の下、捻くれた親友に悪態をついた。




