七
「あれ?強、藍ちゃんのところに行かなくていいの?」
今日も陽気な兄は鼻歌を歌うのをやめて、弟に話しかける。
東の呪術師は今日、東の国――緑森国に戻る予定だった。なぜ楽しげかと言うと愛する恋人――明を連れて帰るからであった。上司である宮の呪術司は明の退職願を簡単に許可、明はそれに対して複雑な気持ちもしたが、賢と共に新しい生活を送れると思えば、そんな悩みはすぐに消えた。
鼻歌を歌いながら身支度を整えていると、渋い顔をして弟の警備隊長は壁に寄り掛かっていた。
椅子にでも座ればいいのに、と賢は半ば呆れかえる。半分であるが血の繋がる弟は妙に生真面目であった。その生真面目さから人生を損している気がしていた。
やっと恋に芽生えたかと思えば、いまいち踏み出し切れていない。
「強、悩むだけ損だよ。好きなら一緒にいなきゃ。どうせ、こんな時に仕事する気にもならないでだろう?」
陽気な兄はにこにこと弟に笑いかける。しかし、強は渋い顔をしたまま押し黙ってる。
「典のことを気にしてるの?まあ、師匠と弟子だからねぇ。気になるといえばそうだけど」
図星をさされたのか、強の顔色が変わる。
可愛い弟だ、賢はそう思いほくそ笑んだ。
「気になるなら行動あるのみ。悩んでてもしょうがないんだから。さ、僕は明ちゃんのところに行ってこよう~。荷物しばらく置かせておいて」
ばんばんと兄は弟の肩をたたくと部屋を出て行った。
バタンという扉が閉まる音をきき、静かになった部屋で強は大きな息を吐く。
一刻前に見た、藍と典の姿を思い出す。藍の部屋に入ろうとして、窓から二人の顔が重なるのが見えた。
親友の宮の呪術司は人と深くかかわることはない。女性ともそれなりに関係したことがあるらしいが、深いものではないようだった。しかし、藍に対しては彼の態度は少し違っていた。今まで、それは単なる信頼の証だと思っていた。
でも違う。
きっと典は藍殿が好きなのだ。
強は自分の気持ちに気付いてしまった。できればこのままずっと、藍の傍にいたいと思っている。しかし、親友の気持ちを差し置いて動くつもりはなかった。
強様、来ないのかな?
藍はベッドの上で、姿を見せない警備隊長のことを想う。
『俺は君に生きていてほしい。だから……これは俺のわがままだ』
そう言われたことを、藍は覚えていた。
聞き間違い?
でもあの瞳には確かに自分に対する想いを感じ取れた。
でも、やっぱり勘違いかなあ。
あの時、出血しててふらふらしていたし。
私がそう望んだからとか?
そうかもなあ。
あんな人に思われるわけないし。
「藍~」
「藍ちゃん~」
ふいに明るい声がして、ぱたんと扉が開かれる。
会いたくなかった。
部屋の入り口で幸せムードを出している二人をみて、藍は思わず顔をひきつらせる。
「今日で僕は緑森国に戻るから、お別れの挨拶にきたんだ」
「私も一緒に行くことにしたのよ。呪術部を離れるのはさびしいだけど」
二人は藍の様子にかまわず、ベッドの傍の椅子に腰かけると話し始める。馬鹿な考えから気が紛らわせられると藍は二人の会話に耳を傾けた。
「とりあえず、すべてがうまくいってよかったわね~。後は藍の恋よねぇ。藍は典様、それとも強様?」
「もちろん、強だよね?」
なんで、そんな話に??
話をしてるうちに、自分に矛先が向けられ、藍は顔を曇らせる。
「典様はきれいだけど、冷たいからね~。きれいだからもてるし。その点、強様は賢様と同じでかっこいいけど、真面目だからね」
「そうだよね。僕と同じでかっこいいし」
恋人の言葉に、東の呪術師は『真面目だからね』という言葉に突っ込みも入れず、うんうんと頷く。
いや、いいですから。
そんなこと。
だいたいなんで、二人が?
あり得ない。
「ま、しばらく宮にいるんでしょ?ゆっくり決めたらいいわ。私は強様を勧めるけど」
「そうそう、強だからね」
二人は好き勝手にそう言うと賑やかに部屋を出て行く。
残された藍はやっと取り戻した静けさに安堵しつつ、今日は姿を見せない強に思いをはせた。




