三
「空様?」
内所は先ほど聞いた言葉が信じられず、目を見開いて目の前の少年ような無邪気な笑み浮かべる空を見つめる。
「筍。心配しなくても大丈夫だよ。蓮のことは悪く扱わないから。それとも海が他の女性に産ませた子供を宮に入れて、御子として扱う?」
そんな内所に帝の年下の叔父は歌うように言葉を続けた。
『海を殺して帝になる』
内所―筍の脳裏では先ほどの台詞が繰り返される。
海と空は十五年前まで兄弟のように仲が良かった。疎遠になった今でも海――現帝が空を弟のように思っていることは周知の事実だった。
その空が海を殺そうと計画しているなど想像したこともなかった。
「どうする?協力しなくても僕は実行するけど?知ってる?僕は海の子供を預かってるんだ。君が協力してくれたら、その子はうまく処分してあげる。もし協力しないとどうなるかな。蓮は悲しむだろうね」
空がその黒い瞳をきらきらと輝かせ迫り、筍は協力することに同意するしかなかった。蓮は幼馴染の娘で実の娘のように可愛かった。帝との間に御子が誕生していない今、その草という子供を存在を知ったら蓮が絶望するのは目に見えていた。
それは帝が死ぬ事実よりも蓮を悲しませるに違いなかった。
そうして筍は空に陰ながら協力した。表立って協力することは、もし計画が失敗した時のことを考え危険だった。
そして空は帝になった。しかし、将軍が正気に戻り、海が宮に戻ったことで立場は逆転した。空は今や追われる身だった。捜査が自分の元に届かぬことに筍は安堵しながらも、草という少年の扱いについて考えあぐねていた。
「筍……」
細い声でそう呼ばれ、筍は考え事から我に返ると部屋の襖を開ける。予想通りそこには蓮がいた。
「蓮様、どうぞお入りください」
肩を震わせ、青ざめた顔の蓮の肩を抱き、筍は部屋の中に入れる。
「筍……。草という少年を正式に帝の御子として宮に迎えるつもりだと、帝は申しておりました。わたくしは……耐えられそうもありません……」
蓮は部屋に入ると泣き崩れ、掠れた声でそう言葉を紡ぐ。一人で泣いていたのだろう。その目は真っ赤に充血し、筍はその様子に胸が痛める。
そして同時に草という少年に恨みを募らせた。
「蓮様……そんなことは、この内所の名に誓って断じてさせません」
内所は蓮の抱きしめると、その涙を優しく手拭でふき取る。
「ご安心ください。蓮様」
蓮の背中をさすり、子供のようにあやしながら、筍は自分が取るべき行動を考え始めた。
「典」
扉を叩く音と同時に男前の警備隊長が呪術司室に入ってきた。
「何の用か?」
父である将軍と空の行方について話していると、呪術司が呼んでいると使いの者の呼びにきた。それで強は父との話の中断させ、典の元にやってきた。
「君の業務に余裕はあるか?」
「どういう意味だ?」
「嫌な予感がするんだ。私はしばらく結界の張り直しなどで余裕がない。だから君が代わりに藍と草に張りついてくれないか?」
「……狙われているのか?」
「まだわからない。でも嫌な予感がするんだ」
典の予感はほぼ的中する。あの時も嫌な予感がすると言って寝室に駆け付けると呪いに襲われた。
「誰かわかるか?」
「それはまだ。でも君もおかしいと思わないか?将軍が薬によって正気を失っていたとは言え、それだけ空が簡単に宮を乗っ取れるとは思えない。他に誰かが手助けしていたような気がする。それが誰かわからない今は打つ手がないけど、警戒だけは怠らないほうがいい」
「……そうだな」
親友に言われ、強は頷く。
確かに空が帝に、紺が呪術司に就任した経緯にはおかしな点が多い。将軍の力だけでは成立するような所業ではなかった。
「じゃ、よろしく頼むよ。私は帝の守りを固めるから」
「わかった」
「強」
くるりと背を向け部屋を出て行こうとする男前の警備隊長を、宮の美しき呪術師が呼び止める。
「なんだ?」
「君も素直になったほうがいいよ」
「どういう意味だ」
「わからなければいいよ。藍と草によろしく」
「ん?ああ」
親友の言葉に首を捻りながら、強は手を振ると部屋を出て行く。
「まったく、世話がやける。私の親友殿は」
バタンと扉が閉まる音がするのを聞きながら、典は溜息をついた。
「よくわかりましたな。ここが」
紺は現れた中年の女性に驚きを隠せなかった。
女性は宮の内所の筍だった。協力を求めるため、空と共に筍に会って以来、これが2度目の再会だった。空が宮を追われため、筍が自分の裏切りを隠すため、自ら接触を取ってくるとは思えなかった。
しかし、筍はこうやって隠れ家まで紺をたずねてきた。
「内所殿。どういう御用が聞かせてもらいましょうか」
「ええ、もちろんです。座敷にあがってもいいですね?」
「ああ」
紺は頷くと、座敷の襖を開け、筍を中に招いた。
『帝よ。掟を破るつもりですか?』
二刻前に尋ねてきた内所の言葉を思い出し、帝を椅子に腰かけ、天井を見上げる。
内所は草を宮に入れることを反対していた。そして正妻である蓮は何も言わなかったが、その瞳が濡れていたのを海は知っている。草の存在を蓮に伝えてから、彼女は自室に閉じこもったままだ。帝として尋ねていっても、部屋に通そうとはしなかった。
蓮に愛を感じていないわけではない。
しかし、草は別格だった。愛しい麗の子供であり、彼女が残した唯一の存在だった。
守りたい。守らなければ。
帝はその想いに駆られていた。
誰に反対されようが、海は草を宮に入れるつもりだった。
「藍殿」
「!」
部屋を出ると、ふいにそう名を呼ばれ、藍は体をびくっとさせる。
「すまない」
その様子が驚いた猫の様で可愛らしく思え、強はほくそ笑んだ。
「どうしたんですか」
藍は警備隊長がこんなところでうろうろしていていいのかと疑問に思いながらそう聞く。
「典から言われてな。藍殿と草の警備のために来た」
「警備?!私一人だけで十分ですよ。やっぱり典様は私の力を信じてないんだ」
若い女性呪術師は師の信頼を得られていないと勘違いし、顔を膨らませる。
「そんなことはない。藍殿、典は嫌な予感がすると言っていた。彼の嫌な予感が当たるのを君は知ってるだろう?」
「…はい」
「だからこそ、念のために俺をここに寄こしたんだ」
「そうなんですね」
でも呪いに襲われたら、強様じゃ防げないと思うんだけど……
物理的な攻撃でない場合、強の警備は無駄だと思いながら、藍はとりあえず頷く。
強と一緒にいるのは嫌いではなかった。むしろ居心地がいいくらいだった。陰謀渦巻く宮において彼は信じられる存在であると思えた。また姿が変わっても藍に対する態度を変えないところも藍には心地よかった。
でも、考えて見れば賢さんも明さんも態度が変わんないな。
典様も同じだ。
でも強様はなんだかそれとは違う気がする。
「藍殿?」
じっと見過ぎたせいか、男前の警備隊長は居心地悪そうな顔をしてこっちを見ている。
「どうしたのだ?」
あなたに対する気持ちをわかりかねてじっと見ていた。
そんなこと言えないよね。
「なんでもないです。強様、お腹すきませんか?草くん用に作った御粥、まだいっぱいあるんですよ。温めてきますから一緒に食べませんか?」
草は御粥を食べ終わると疲労と満腹感のためか、凜のベッドに伏せて眠ってしまった。起こすのも悪いと思い、部屋を出てきたのだ。
「いいのか?じゃあ、頼む」
「はい。私。御粥だけは自信があるんですよ」
純朴な女性呪術師はにこっと強に微笑むと、呪術部の台所に向かった。




