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先生と盗まれた呪物

 大岡は愛犬のナコトと共に恩師の家を訪ねていた。大岡の自宅から歩いて三十分程の場所にヤエ先生は住んでいる。大学の卒業以来、久々に会う先生の姿を想像して、大岡はワクワクしていた。


 一軒家の前に立ち、インターホンを押してからほどなく、玄関の扉が開いた。顔を出したのは、大岡がよく知る大学時代の恩師、桜野ヤエだ。短い茶髪の彼女は四十代も近いはずだが、大岡と同年代に見えるほどの若い見た目をしている。


 ヤエは微笑んで「入って」と言った。大岡は言われた通りに先生の家へ入る。恩師に優しく迎えられたことが大岡には、とても嬉しく感じられた。


 玄関で靴を脱ぎ、廊下を通って、リビングへとやって来た。先生の家ではところどころに呪物が飾られていて、大学の研究室を思わせる。ヤエの研究室には、ダンジョン産ではないオリジナルの呪物が飾られていた。その研究室へ入る度に大岡はワクワクしていたものだ。


 ナコトも嬉しそうに尻尾を振っている。けれど辺りを走り回ったりはしないから賢い子だと大岡は思う。ナコトがお利口にしていることが大岡には誇らしくもあった。


 大岡はリビングでテーブル席に着き、ナコトをヒザに乗せた。ほどなくしてヤエがお茶をいれてくれた。そのことも、大岡は嬉しく感じる。


 ヤエも席に着き、軽い世間話から始めていく。そのうち話題は呪物についてのものになり「そろそろ本題に入りましょうか」と話したのはヤエだった。いよいよ、と大岡は、今日ここへ呼ばれた理由を意識する。昨日、送られてきたメールの内容は、大岡にとって驚くべきものだった。


「……先生の家から呪物が盗まれたという話ですよね?」

「ええ、そうよ。大岡君はここへ来るのは大学を卒業するとき以来だったわね?」

「はい、そうです」

「あの時から、ここに、いくつかの呪物が増えることがあったわ。君も、知っていることだけど、この家は呪物によって幾重にもセキュリティが重なっているのよ。私の研究室のように」

「そこは以前と変わらないというわけですね」

「そう。そんな場所から呪物が盗まれた。それも特級に区分される呪物がよ。これはまずいことになったわね」


 ヤエは「本当にまずいことになったわね」と言いながらも、どこかこの状況を楽しんでいるようだった。以前から変わらないヤエの様子に、大岡は複雑な心境だった。恩師の変わらない姿に安心しつつも、彼女の悪いところが出ている……とも、思ってしまうのだ。


 大岡の前に座るこの女性はとにかくハプニングを好む。多くの場合、彼女は難なく、その問題を解決してきたが、時にはその問題が研究室の生徒にまで飛び火してきたこともある。つまり、大岡がヤエのハプニングに巻き込まれたのは始めてのことではない。


「……どんな呪物が盗まれたんです?」

「シュレディンガーの箱は覚えているかしら?」


 シュレディンガーの箱という言葉を大岡は覚えている。ヤエが猫の呪いとも呼ぶそれ。以前に聞いたのはいつだったか。大岡は懐かしく思う。


「思考実験が呪いの形に変質したものでしたっけ。私の得意な分野ではないですね」

「そうかしら? 君はあらゆる呪物のエキスパートでしょう? そういう風に私が育てたもの」

「それはどうも」


 ヤエがそう言ってくれるのは嬉しいが、大岡を育てた自身の凄さを誇張しているようにも聞こえる。それは別に構わないけど、大岡は照れと呆れの混ざったような気持ちで相づちを打った。


「……私が先生に協力できることはありますか?」

「そうね。君の元へ来る鑑定依頼には注意をしていてほしいわね」

「私のところにシュレディンガーの箱らしきものの鑑定依頼が来た時は先生にお知らせします」

「……それと、君も呪物の窃盗には気を付けるように。何かと物騒な世の中だから」

「ですね。私の方でも気を付けます」


 とはいえ、ヤエ先生の自宅から呪物を盗み出すような手練れが相手では、大岡も、お手上げかもしれない。ヤエの家や研究室のように、大岡の家でも、呪物による防御がある。この家のセキュリティが破られたとなれば、大岡は不安になる。


「先生の家に入ったような泥棒が相手だと私じゃ対策できないかもしれません。正直……驚いてるんですよ。ここに盗みに入って目的を達成するような人物だなんて」


 大岡の言葉にヤエは頷いた。彼女も、自身の家から物を盗み出すような人物が居たことには驚いているのだろう。それが大岡には分かる。


「ここへ盗みに入って無事に脱出した相手だものね。少なくとも、特級鑑定士に並ぶだけの知識は持ち合わせているでしょうよ……例えば、大岡君のように……」

「……私を疑ってます?」


 ほんの少し無言の間があった。大岡はドキドキしながら、相手の様子をうかがう。じっと、大岡を見つめていたヤエだったが、やがて声を出して笑い出した。


「あっははは! 心配しないで。大岡君のことは信用しているのよ。それに大岡君は人からの信頼を失うことを一番恐れている。そんな人物が恩師である私の信頼を裏切るようなことはしないわ」


 少し嫌な言い方には聞こえたが、一応相手から信頼されていることは分かる。大岡は無言の笑顔でヤエに応えた。


「……まあ、君も気を付けなさいよ。この問題は、おそらく警察の手におえるような問題ではないのだから」

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