第7章:最後の法廷--生命の定義
シーン1:パンドラの箱が開いた朝
アイギス島での制圧作戦から3日後。
世界は、藤井哲也が放った「告発プログラム」によって蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
『――速報です。メディテック・ライン社による大規模な人身売買疑惑、および政府高官の関与を示す決定的証拠が公開されました』
『アイギス島から救出された3,000人の「生体脳」の映像は、国際社会に深刻な衝撃を与えています……』
街頭ビジョンには、連日連夜、このニュースが流れていた。
隠蔽工作は不可能だった。藤井が仕掛けたプログラムは、世界中の主要なサーバーに同時に証拠を拡散させる「自己増殖型」であり、一度放たれた真実は誰にも止められなかったのだ。
資源管理局保安隊のセーフハウス。
美咲、拓海、結衣の三人は、テレビのニュースを食い入るように見つめていた。
拓海はまだ車椅子姿だが、その顔色は戻りつつある。彼の脳への深刻なダメージは、奇跡的に回避されていた。
「……じっちゃん、やったんだな」
拓海が呟く。
「ええ。でも、本当の戦いはこれからよ」
美咲がコーヒーを淹れながら言った。
「おじいちゃんは、この事件の『主犯』として出頭した。……司法取引の結果、証人として法廷に立つ代わりに、私たちの罪(不法侵入や器物損壊)は不問にされた」
画面の中、裁判所の前に集まる無数のマスコミ。
そのフラッシュの嵐の中を、藤井哲也は杖をついて堂々と歩いていく。手錠はかけられていない。その姿は、被告人というよりは、これから最後の授業を行う老教授のようだった。
「……行ってらっしゃい、おじいちゃん」
結衣が画面に触れる。
シーン2:システム対ヒューマニズム
特別法廷。
傍聴席は満員で、その中には貝塚局長の姿もあった。結城香織はいない――彼女は物理的な場所に縛られることを嫌うため、おそらくネット経由で傍聴しているだろう。
検察側の席に立つのは、政府が用意した若きエリート検事だ。彼は冷徹な表情で、藤井を見下ろしていた。
「証人、藤井哲也。あなたは今回の行動を『人権の保護』と主張していますが、客観的に見れば、国家の重要インフラを破壊し、社会システムを混乱させたテロリストに過ぎない」
検事が鋭く切り出す。
「あなたが救出したとされる3,000の脳。彼らは医学的にも法的にも『死亡』が認定され、リサイクル資源として処理されるはずだった。……死んだ部品に、人権など存在しないのです」
法廷がざわめく。
検事の言葉は冷酷だが、現行法の解釈としては正しいからだ。
藤井は証言台で、ゆっくりと眼鏡の位置を直した。
「検事さん。あなたは『部品』と言ったね。……では聞くが、あなたのその優秀な頭脳は、誰の所有物かね?」
「……私個人のものです」
「違うな」
藤井は断言した。
「あなたの脳が、もし事故で機能不全に陥った時、国家が『修理コストが見合わない』と判断すれば、あなたは廃棄される。……今の法律では、あなたの脳は国家からの『貸与品』に過ぎないのだよ」
「論点をずらさないでいただきたい!」
「ずらしてなどいない。これこそが本質だ」
藤井は裁判官席に向き直った。
「今回の事件で問われているのは、鹿島個人の犯罪ではない。……『生命』の定義を、効率性という定規だけで測ろうとした、この社会システムの欠陥そのものだ」
藤井は懐から、一本の万年筆を取り出した。
「これは古い万年筆だ。インクは漏れるし、ペン先もすぐに減る。デジタル入力に比べれば、圧倒的に非効率だ。
だが、私はこれを愛用している。なぜなら、この傷の一つ一つに、私が歩んできた歴史(記憶)が刻まれているからだ」
藤井は法廷全体を見渡すように声を張り上げた。
「人間も同じだ。
老いて、ボケて、身体が動かなくなっても……その皺の中に、掠れた声の中に、その人が生きてきた証が残っている。
それを『効率が悪い』という理由だけでスクラップにする権利は、誰にもない!
たとえ認知症で記憶が混濁していようと、彼らの尊厳は叫んでいるのだ。『まだ生きたい』と!」
傍聴席の最前列にいた田所源蔵――車椅子に乗った彼が、藤井の言葉に反応して、震える手で拍手をした。
パチ、パチ、パチ……。
力のない、しかし確かな音。
それが呼び水となり、傍聴席から少しずつ拍手が広がり、やがて法廷全体を包むスタンディングオベーションとなった。
検事は言葉を失い、立ち尽くすしかなかった。
論理で武装した法律が、人間という「感情の生き物」の前に敗北した瞬間だった。
シーン3:判決、そして
数日後。判決が下された。
藤井哲也に対し、執行猶予付きの有罪判決。
しかし同時に、裁判所は政府に対し、「安楽死プロセスの全面的な見直し」と「生命倫理法の改正」を勧告した。
事実上の、藤井側の全面勝利だった。
裁判所の外。
秋晴れの空の下、藤井が出てくると、そこにはカラーメイツの孫たちが待っていた。
「じっちゃん!」
拓海が松葉杖をつきながら駆け寄る。
「お疲れ様!」と美咲が抱きつく。
結衣は涙ぐみながら、「おかえりなさい」とハンカチを渡した。
「……ふぅ。法廷というのは、戦場よりも疲れる場所だよ」
藤井は苦笑いしながら、空を見上げた。
その空の彼方、ビルの屋上に、結城香織の姿があった。
彼女は藤井たちの姿を一瞥すると、インカムで誰かに通信を入れた。
『……ええ。終わったわ、局長。
世の中のシステムが少しだけ「非効率」になった。……でも、悪くない変化ね』
香織はフッと笑い、いずこともなく消えた。
彼女なりの、最高の賛辞を残して。




