4-6 火焔の魔女VS.複数持ち
エノアはじっと赤い瞳で出夢を見た。そして出夢は視線を前に、決して悟られないようエノアの右手を見ていた。
観察して気付く。エノアの右手は、微妙にだが親指と中指を合わせるように擦りあっている。
出夢はそれが無意識的な仕草だと感じた。
――あれはきっと術式簡略のクセだ。
魔術師は魔術を行使する際にあたって、必要なことが基本的に四つある。
まずは大気中に流れる魔気。
二つ目は、自身の魔力。
三つ目は、魔術として構築させる為に、一と二を結びつける際に通す体内の魔気血管。
四つ目は、魔法陣、又はそれを手軽に簡略させる為の式区詠唱。(これには例外があり、熟練した術師には、己のクセを利用し、それを四つ目の起爆剤代わりにして魔術を行使する者がいる)
出夢には、エノアがその四つ目の類だと見抜いていた。
その理由は幾つかあるが、分かりやすく言える事は、まずクセを利用する術師が欲しているのは常に先手だ。
魔術戦において、先手が全てだと言っても決して大げさではない。それは向かい合って戦う前からとも言えるし、勿論向かい合ってからも充分に大切な戦略の一つである。
だが、先手を取ったからといって勝敗が安易に決まる訳ではないのも真実である。
しかしその先手を最も有効に出来るタイプの術師はいる。
それは属性魔術を主に添えて戦略を組む魔術師だ。
そもそもそういうタイプの術師は、殆どがずば抜けた魔力の『質』を持っていたり、桁違いの魔気血管『解放数』という才を誇っている。
ようするに火力重視なのだ。
出夢の周りにもそういう奴が一人いる事を思い出していた。
だがこの状況でそれをさせない対策が、何一つ浮かばなかった。
――待てよ、あるか……大気中全ての……いや、この状況だぞ、冷静になれ。
やがて出夢は、降参を示すようにゆっくりと両手をあげた。
「なんだ。これでもあたしは、今ここでお前を殺さないだけで随分と寛容になったつもりだが、何故そんな真似をしている。あたしが言ったのは直ちにここを去れということだけだ」
「ああ。分かってる……だが、最後に一つだけ聞きたいことがある」
小さく舌打ちするエノアは、苛立ちをギリギリ寸前の所で抑える。
だがその指は先よりも分かりやすく、練り消しでも捏ねるようにしている。いつ発火してもおかしくない時限爆弾のようだ。
「…………なんだ」
低く呟くように問うエノア。
「あんたの目的は?」
法螺吹きもいいところだ、出夢はそう思った。
恵子から火焔の魔女が日本に来ているというだけで、大方の理由に察しがつく。だが今は十秒だろうが二十秒でもいい。少しでも時間を稼ぐ。
それがこの女の前では、命を延命させるきっかけになり得るのだから。
「それを聞いてどうする?」
「俺の目的と、あんたの目的が被らなければここで争わずに済む」
「フッ……フ、フフ……フハハハハハ。お前、お前……」
エノアは快活に笑う。
そして笑顔から一転、真顔になって。
「大馬鹿野郎だ!」
パチンッ! と高らかな音を鳴らすようにエノアの指が弾けた。
瞬間――火の弾が出夢に襲い掛かる。
「うそ、だろ⁉」
出夢は間一髪で横に転がるようにして避ける。コートの裾に火弾を掠めてしまい、塵と化していた。
逸れた火弾は、地面を今も焼いている。
だがこれで主導権は完全にエノアに握られた。
出夢は転がりざまに、慌てて胸ポケットから薄蒼色の和紙を取り出し、即座に臓力を流し込んだ。
先ほどまで使用していた長方形の護符とは、少し違う。
その和紙――式符は、人型のような丸い頭に、手と思われる簡易的な輪郭で左右に腕が伸び、足と連想させるには、些か疎かに見える三角の形をとっている。
式符には、書道の先生が使うようなオレンジ色にも見える朱色で、星型記号や文章が綴られている。
そしてその文章には、流麗な筆致でこう書かれていた。
『十二天将ハ穢レ祓ウ 五行思想ニテ太極アリ 両儀ヲモッテ四象ヲ生ジ 八卦ヲ束ネ 万物ハ流転スル【吉将】急急如律令』と。
休むことなく火弾が飛んでくるのを、必死に転がって避けていく出夢。
「フッ、すばしっこさだけは一人前だな」
エノアはまるでハエでも殺す時のような、余裕の表情を浮かべ火弾を放つ。
「――火は木を焼き祓い、灰は土へ還る」
出夢は転がりながらも必死に集中を切らせまい、と祝詞を小言のように呟き始める。
続けて四発目の火弾。
避ける。
「――やがて土は金を産み、金は腐敗し水へ還る」
更に五発目の火弾を避けた。
「――再び水は木を芽吹かせ、塵へと還るだろう」
エノアはそこで出夢の持つ式符の文字が、発光していることに気付いた。
「――っ⁉」
出夢が祝詞を言い終えた途端、ただの薄っぺらだった人型の式符が、ぷちゃと水が弾けるような音を立てた。
「――式神術――ッツ!」
水は互いに弾け合い、式符の中心、つまり胴体部分に水流の渦を巻きはじめる。
やがて水流は、式神を包み込むように姿形を広げていく。
等身大にまで水を纏い、人に近い姿に形成されたそれは、女性のしなやかな身体、一本一本が流動するように足元まで伸びた髪を再現している。
その水形は水精・ウンディーネか。又は錬金術師が創り出した人造体とでもいうのか。どちらも否。
「――水神=天后!」
出夢が呼んだその名こそ、かの安倍晴明が使役した六つの『吉将』と六つの『凶将』からなる《《十二天将》》。
晴明が使役した式神の中でも十二天将は、最強の力を持っていたと言われている。そのうちが一人、『吉将』航海の女神こと天后。
「どうりで気付かなかった訳か。お前……複数持ちか」
「俺としてはこうも陰陽術ばかりに頼るのは不毛ではあるがな……」
ニィと獰猛な牙を見せたエノアは、右掌を前に突き出す。
ボワッと五本の指に火が灯った。火は即座に左右正面と解き放たれる。
それぞれ弧を描く過程で火は、火炎に膨れ上がり天后を襲う。
「やれ!」
出夢の指示を受けた天后は、ただジッと飛んでくる火炎を睨んでいる。
やがて左右正面から収束するように火炎が直撃する寸前、微動だにしなかった天后の髪が俊敏に動いた。
水で精製された髪は、瞬く間に火炎を巻き付け、そのまま吞み込んでしまった。
「ほう……少しは楽しめるのか?」
再びパチンィと指を弾くエノア。空中に三十の火弾が生成され、解き放たれた。
今度こそ出夢すらも巻き込んで、いや施設ごと燃やし尽くしてしまいかねない火の雨が襲い掛かる。
「天后! 広範囲だ!」
天后は手を縦に振った。すると天后を起点に後方にいる出夢を包むように水の傘が火の雨を防ぐ。仕方のないことだが周囲の遊具や策は黒焦げていた。
全弾を防ぎきるまで結構な時間が掛かった。
それがエノアにとって十分すぎる時間を与えていた。
「―――使用属性=雷―――固定
―――形態変化=放出―――完了」
エノアの掌に紫電が迸っている。
「ま、昔なら有り得ない行為だが……今となっては些細なことだ」
そう言って紫電が解き放たれ、水を帯びた天后及び出夢に激しい雷が迸った。
「アヴァァアアアアアアアアアア」
出夢は地面をのたうち回る。
そこで臓力が乱れた影響で、天后の姿が保てなくなり式符へと戻ってしまった。
「火焔の魔女だから火しか使わないってか……大当たりだよ。五年前なら、な」
「ハァ……ハ……」
それでも出夢は歯を食いしばり、のろのろと立ち上がろうとする。
「ほう……まだ立ち上がれるのか。ま、楽に死ねよ陰陽」
パチンッといつもの術式簡略を行使したエノアは、数十発の火弾を撃ち抜いた。
「そう……だな」
出夢に火弾が直撃する。
寸前、突風が出夢の真下から吹き上げ火弾を天に弾き飛ばした。
「大当たりだよ。六年前なら、な。だが今の俺は……」
出夢の地面に描かれる七芒星の図。簡易的な魔術式。
「特殊犯罪部門の魔術師だ!」
エノアは苛立ちを隠すことなく掌に火を携える。
「殺してやるよ」
出夢の全身に薄緑色の線光が走る。そのまま出夢は地面を蹴った。
身体強化を施した出夢は、そのままエノアに向かわず逃げるように小さな滑り台が在る方へ駆け抜けて行く。
「フッ、今更逃がすと思うか?」
エノアは。掌に携えた火を火焔サイズに変えて放出する。火焔はうねりながら出夢の後を追う。
出夢は走りながら、六枚の護符を胸ポケットから抜き取り、滑り台に貼り付け、方角を変えてまた走り出す。
追従してくる火焔を屈んだり、跳躍して避けるが何度も迂回し襲ってくる。
――二枚目、あと四枚。
何とか危なげにも施設の窓に数メートル間隔で二枚の護符を貼り付けた。
――四枚目、クソッ、あの炎面倒くさすぎだろ。
出夢はもう一度胸ポケットをまさぐり新しく取り出した一枚の護符に臓力を即座に流し込む。
瞬間、辺りの視界は、白い霧に包まれていった。
エノアは火炎の追従を大気に霧散させ、全身に『身体強化』の魔術を施し、すぐさま動き出す。
出夢は門扉前に五枚目の護符を貼り付け、ラスト一枚を張る施設の出入口へと向かう。
――ラスト一枚! いける!
出夢の間隔では、もう数十秒の間エノアは確実に視界を封じられていた筈だった。
「―――使用属性=風―――固定―――形態変化=拡散―――完了」
エノアの声が、高速で簡易詠唱を紡いでいく。
術者を起点に生み出された風が全方位へと吹き抜けていき、視界は一気に晴れた。
「なっ⁉」
出夢は霧が予想よりも早く晴れた事もよりも、猛犬の如く獰猛な双眸を大きく見開いて、赤髪を揺らす女が、自身の目の前に居た事に驚きを隠せなかった。
「死ね」
瞬間、出夢の腹に、エノアのアッパーカットされた火拳がめり込み、そのまま出入口の反対側の柵まで吹っ飛ばされた。
「ゴッ、ホッ」
柵に背を強く打ち付け、吐血を漏らす。黒煙がお腹辺りの焦げた服から焚きあがっている。
出夢の意識が朧げになっていく。
――ッ……あと……もう少し……だってぇのに……。
ゆっくりとヒールを鳴らす音が近づいてくる。
エノアの右掌に揺らめく炎は、ゆらゆらと陽炎のよう揺らめく。
――ここまで、なのか。
「ジ・エンドだ。陰陽」
エノアが右腕を後方に引いて、勢い良く前に突き出した。
飛龍の如き炎が、倒れる出夢へと一直線に伸びていく。
――ごめん皆……何も出来なかった……ごめん……。
そこで死を覚悟した出夢はそっと眼を閉じた。
炎が出夢に直撃するまで一メートル。
その時だった――
白い冷気が――水面下を這うように超高速で走り抜けた。
炎が――
時が――
カチンィィンと甲高い音を鳴らして―――――凍結した。
ニィィ、とエノアは白い牙を垣間見せた。
出夢は重たい瞼をゆっくりと開いた。
「………なん、で。ここに……」
そこには、粉雪を不規則に乱舞させながらコツ、コツ、コツと足音を鳴らし歩いてくる一人の魔女の姿が――。




