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第4話 紅の街、カレンの瞳(後編)

アーケードの影は、街の熱を少しだけ和らげていた。

だが、空気の底にある火の鼓動までは消えない。

鉄の匂いと香辛料の刺激が混じり、喉の奥が熱くなる。

人のざわめきの隙間から、鍛冶場の槌音が律動のように響いていた。


「ここなら少し落ち着けるわね。」

カレンが日除けの下の椅子に腰を下ろした。

店先では氷を削る音がして、白い粒が光を反射している。

火の都で売られる氷菓子は、まるで奇跡のようだ。

アルトは向かいに座り、湯気のように漂う熱気を吸い込んだ。


「ノクテリアの朝は灰色だったのに、

こっちは太陽が近すぎるな。」


「火の神カグツチが見てるからよ。

この街の人たちにとって、太陽は信仰の象徴なの。」


カレンは指先で氷の器を軽くなぞる。

その指の動きに合わせて、氷の表面に淡い光が走った。

青く、白く、微かに揺れる光。

それは、彼女の神意——境界の女神ヘカテの「魔導(まどう)」。


「それ、魔導か。」

アルトが問うと、彼女は頷いた。

「ええ。属性を越えて魔を織る力。

でも、使えば使うほど、自分がどっち側の人間か分からなくなるの。」


「どっち側?」


「光か闇か。善か悪か。魔導は“境界”そのものだから、

何かを選べば、必ず何かを手放すのよ。」


アルトはしばらく黙っていた。

「……面倒な神意だな。」

「あなたも似たようなものを持ってるんじゃない?」

「俺が?」

「そう。測定の時、探知不能だったって聞いたわ。

でも、それは“何もない”んじゃない。

むしろ、普通じゃない何かを抱えてる証拠よ。」


アルトは苦笑する。

「適当言うなよ。

神が嫌いだから、機械が壊れただけだ。」


「そう思いたいなら、そう思ってていいわ。

でも……」


カレンは少しだけ目を伏せた。

「あなたの中、どこかが“裏返ってる”ように感じるの。」


アルトは息を止めた。

彼女の言葉は穏やかだったが、

まるで心の奥の、誰も触れていない場所を指先でなぞられたようだった。

熱い街の中で、その瞬間だけ空気が冷えた気がした。


「……そんな風に言われるのは初めてだな。」

「それなら、光栄ね。」

カレンが笑った。

その笑顔は炎よりも柔らかく、しかしどこか儚い。

境界に立つ者の笑みだった。


「なあ、カレン。お前は神を信じるのか?」


「信じるというより——感じる、かしら。」

彼女は空を見上げた。

白金の陽光が、布屋根の隙間から差し込んでいる。

「神は、人が“何かを信じようとする動き”そのものだと思うの。

火が燃えるのと同じ。誰かが見ていなくても、消えないわ。」


「……俺は、燃えたくないな。」

「それでも、きっとどこかで燃えてるのよ。」


アルトは視線を落とし、机に肘をついた。

熱気のせいか、胸の奥が少しざらついている。

彼女の声が、そのざらつきを溶かすように響いた。


「ねえ、アルト。

あなた、本当は怖いんでしょう?」


「何が。」


「“選ばれないこと”。」


その言葉に、心臓が跳ねた。

図星だった。

彼女の瞳には、ノクテリアの夜が映っている。

暗いのに、光を宿していた。


「……俺はただ、神様の顔を見たことがないだけだ。」


「なら、見に行けばいいじゃない。

殴るためでも、確かめるためでも。

あなたが選ぶなら、それが神意になる。」


アルトは思わず笑った。

「お前、そういうことを簡単に言うよな。」

「簡単じゃないわ。でも、そう言わなきゃあなたが前を向かないもの。」


カレンは立ち上がった。

街の鐘が鳴る。

白い光が、二人の足元を包む。

学園行きの馬車が、もうすぐ出る時刻だ。


「……お前も行くのか?」


「もちろん。同じ新入生だもの。」


アルトの瞳がわずかに見開かれた。

「お前も、聖域学園に?」

「ええ。兄のイヴァンが三年生。

家の命令で一緒に来てるけど、私は私の理由で入るわ。」


「理由?」


「——あなたを、見届けるため。」


一瞬、空気が止まった。

カレンの言葉は軽くなかった。

けれど、熱の中でも確かに届く声だった。

アルトは視線を逸らし、立ち上がる。


「……勝手に見てろ。」

「ええ、勝手に見るわ。」


ふたりは並んで歩き出した。

街の火がその後ろ姿を照らす。

通りの人々がカグツチの印を切り、彼らを一瞬だけ目で追った。

熱と光の中で、ふたりの影がゆっくりと伸びていく。


「アルト。」

「なんだ。」

「あなたが測定で拒まれたのは、神じゃなくて“世界”の方かもしれない。」

「どういう意味だ。」

「あなたの中の何かが、世界の形と合っていないの。

でも、だからこそ……あなたは“新しい形”を作れる。」


アルトは言葉を失った。

それは、誰にも言われたことのない種類の励ましだった。

信仰でも慰めでもない、ただの“理解”。


カレンが歩みを止める。

「きっと学園で、またすぐ会うわ。

その時は——同じ空の下で。」


アルトは軽く頷いた。

「……お前は本当に、変わらないな。」

「あなたもよ。」


彼女が微笑んだ瞬間、

風が吹き抜け、捧火の炎が逆方向に揺れた。

熱が一瞬だけ引き、街の空気がひやりと冷える。

周囲の人々が息をのむ。

けれど、その奇妙な現象はすぐに消えた。


「今の、何?」

カレンが小さくつぶやいた。

アルトは肩をすくめる。

「さあな。

この街の火も、たまには寝返りを打つんだろ。」


二人の笑い声が重なり、

再び陽光が降り注ぐ。

街の喧騒が戻り、

鉄の匂いと人の声が混ざり合う。


アルトは胸の護符を握り、空を見上げた。

青い空の奥で、白金の塔が遠くに見える。

あれが聖域学園——そして、これから彼が向かう場所だ。


歩き出す背中を、

カレンはただ静かに見送った。

その瞳の奥には、

“境界”の神に仕える者だけが知る、確かな光があった。

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