第10話 白金講堂、未来共有の儀
白金講堂。
高く張り巡らされたアーチの天井には、光の星環がゆっくりと回っていた。
入学式の儀は終盤に差しかかっている。
祝詞の朗唱、七区代表による誓言、そして各神壇への献灯——
その全てが終わり、残るは最後の一つ。
学園の伝統にして最大の神秘、未来共有の儀。
壇上に立つのは、白金の外套を纏った男——ラグナ・ヴェルデイン。
柔らかな声に似合わず、その瞳には星の残光が宿っていた。
右眼に輝く淡青の光、それが彼の神意「未来視」の徴。
「これより――未来を共有する。」
その言葉を合図に、講堂全体が淡く光を帯びた。
塔の中央の光柱が脈動し、
七区から来た新入生たちの胸の魔石が共鳴する。
白、青、紅、碧、翠、銀、黒。
それぞれの光が混ざり、柔らかい光幕が空中に広がっていく。
光は静かに渦を巻き、
やがて大きな水面のような膜を形成した。
その表面が波打つと、
講堂の全員が同じ瞬間に、映像を“見た”。
そこにあったのは、未来。
まだ誰も知らない自分たちの姿。
演習場で汗を流す者、塔の書庫で祈りを捧げる者、
互いに笑い合う顔。
数年後の可能性が、光の粒となって世界に溶けていく。
観衆の間に、安堵と感嘆が広がった。
これこそが、神と共に歩む者に与えられた祝福——の、はずだった。
だが。
光幕の中の映像が、
ふと柔らかく“沈んだ”。
まるで、未来という名の水面が、
知らぬうちに深く沈降していくように。
映像が滲み、色が褪せ、音が遠ざかる。
次に見えたのは、未来の姿ではなかった。
――それは、昨夜の夢。
眠りに落ちる前に見た、あの記憶の断片。
子どものころの光景。
手を握る母の手。
小さな灯の揺れ。
ひとりひとりの過去が、講堂の空間を満たしていく。
「……これ、未来っていうか……」
誰かが声を上げた。
別の生徒が泣き笑いのような声を漏らす。
「これ、俺の夢だ……昨日の夜、見た……!」
講堂全体がざわめいた。
教師たちが顔を見合わせ、
神官たちが一斉に印を切る。
ラグナは立ったまま、
右手で光幕を制御しようとしたが——何も変わらない。
全員が“過去”を見ている。
未来ではなく、自分自身の夢の映像を。
ラグナの額に汗が滲んだ。
「……そんな、はずは……」
未来視の神意が、過去を映すことなどあり得ない。
これは理論ではなく、神意体系そのものの絶対法則だ。
だが、確かにそれは起こっている。
現象ではなく、秩序の誤りとして。
光幕が一度だけ大きく脈動した。
映像がふっと切れ、
講堂が真白な光に満たされた。
静寂。
全員の呼吸が止まり、次の瞬間、
自分の身体が現実へ戻ったことに気づく。
「……失礼。」
ラグナ・ヴェルデインは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「これはこれは、神意の出力に乱れが生じたようだ。
未来を見せるはずが、過去を映してしまった。」
場に、安堵にも似た笑いがこぼれた。
誰も彼を責めない。
“偉大な未来視者のわずかな過失”——そう思えば済むことだ。
教師も神官も頷き、儀式の幕引きを受け入れた。
ただ一人、
壇上の後方に控えるセラフィム・オルディアだけが、
微笑まずに立っていた。
銀の髪がわずかに光を返す。
金の瞳は、誰の視線も届かぬところを見ていた。
(未来視が過去を映す……?)
(誤差ではない。意図。誰かが“裏側”へ手を伸ばした。)
ラグナが会釈して壇を降りる。
そのすれ違いざま、
セラフィムはほんの一言だけ低く呟いた。
「■■……?」
その名は、
風に触れることもなく、誰に聞かれることも無く、
ただ塔の心臓部へと吸い込まれていった。
そして、光柱が一度だけかすかに明滅する。
まるで、何かが“笑った”かのように。




