表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

第9話 白金講堂、祝詞と誓言

朝の光が、塔の内側に差し込んでいた。

白金講堂の天井に浮かぶ星環がゆっくりと回転し、

そこから滴るような光が床の幾何模様をなぞっていく。

外のざわめきはもう届かない。

この場所では、音さえも神に許可を求めなければ響かないようだった。


列を作って講堂へ入った新入生たちは、

全員が同じ瞬間に息をのんだ。

整いすぎた世界。

真っ白な石の壁、等間隔に立つ神官、

そして七色の光を放つ七つの神壇。


「——静粛に。」

司会の神官長の声が低く響く。

天蓋の星環が停止し、世界が一瞬で無音になる。

その静寂の中を、金の靴音がゆっくりと進む。

白金の外套を纏った一人の男が壇上に立った。


学園長、ラグナ・ヴェルデイン。

その姿が現れた瞬間、講堂の空気がわずかに沈む。

圧力ではなく、重さ。

神々に最も近い場所に立つ者だけが持つ、

“世界の秩序を肩で支える”重み。


ラグナは右手を軽く掲げた。

塔の光柱が一度だけ鼓動し、

全員の胸の魔石が淡く脈を打つ。

彼が言葉を発するたびに、空気が呼吸を思い出す。


「エリュディアの子らよ。」

「汝らは今日、七柱の神の御許に入り、

その御名と共に己が運命を鍛える者となる。」

声は柔らかく、それでいて全員の脳裏に同時に響いた。


壇上の右手では、

七区の神官たちが順に神壇へ歩み寄っていく。

それぞれの壇には供物が置かれ、

金・水青・紅・碧・翠・銀・黒の光が立ち上る。


第一ルーメリア区——光の女神アグライアの壇。

神官が火を灯すと、

光輪の形をした炎が宙に浮き、ゆっくりと回転を始めた。


第二アクアリス区——水の女神アムピトリーテー。

水盤の上に浮かぶ一滴が、

まるで心臓の鼓動のように周期的に震える。


第三イグナリア区——火の神カグツチ。

燃える剣を象った炎が真紅に揺れ、

その熱が遠くの席まで伝わってきた。

レオ・カーネルが誇らしげにそれを見上げる。


第四ヴェントリア区——風神アネモイ。

風鈴のような音が四方から重なり、

ハルトが鼻を鳴らして笑った。

「いい音だろ、風は自由の証だ。」

アルトは返事をせず、

ただ隣で目を細めた。


第五ガイアデル区——地母神ガイア。

花弁が石の間から咲き、緑の香りが流れ込む。


第六アストリア区——天文神アストレイア。

天井の星環が一瞬だけ明るく輝き、

銀の光が講堂全体に降り注いだ。


そして最後に、第七ノクテリア区——冥府神ハデス。

黒曜の祭壇に灯る小さな燭台が、

闇ではなく淡い蒼光を放った。

他の区とは違う、静かな光。

それは“終わり”ではなく、“始まりの静けさ”を思わせた。

アルトは目を伏せる。

誰もその光に手を合わせようとはしない。

それでも、光は確かにそこにあった。


神官たちの動作が終わると、


塔の内壁に沿って七つの神壇が並び、

金・水青・紅・碧・翠・銀・黒の光が円を描いていた。


七区の祈りが、一つの秩序に帰る瞬間。


外界の音は完全に遮断され、

ただ祈りのざわめきだけが空気を満たしている。


献灯の儀が終わり、

学園の歴史と秩序を象徴する光が塔の心臓に届いたとき、

神官長が厳かに告げた。


「——学年代表、アヴェル・クラウン。」


講堂の静寂を裂くように、その名が響く。

列の中央から、一人の少年が歩み出た。


淡い銀灰色の髪。

静かな青の瞳。

その姿は装飾的ではないが、

一歩一歩に確固たる重みがあった。


第六アストリア区、時間神クロノスの受託者。

神意「時輪(じりん)」を宿す者。

彼が壇上に立つだけで、

天井の星環の回転がわずかに遅くなったように見えた。


アヴェルは神官長に一礼し、

壇の中央に立つ。

右手を胸に当て、低く、しかし明確に言葉を紡いだ。


「我ら、聖域に集う徒はここに誓う。

 時を浪費せず、時に奪われず、

 神より授かりし刻の()を正しく回す者たらん。

 過去は礎、未来は誓い。

 我らはその連鎖の中に立つ証人である。」


その声は穏やかでありながら、

講堂全体の時間をわずかに遅らせるほどの静けさを生んだ。


言葉が終わると同時に、

天井の星環がひときわ強く輝いた。

星々が瞬き、塔の光柱に沿って淡い銀光が流れる。

アストリア区の神壇から放たれたその光が、

他の六柱の光を順に包み込み、

七色の輪となって講堂を巡った。


誰もが息を呑む。

まるで世界がひとつの時計となり、

その針が“誓い”という瞬間を刻んだかのようだった。


ラグナ・ヴェルデイン学園長が口を開く。

「……見事だ、アヴェル・クラウン。

 その誓い、確かに受け取った。」


アヴェルは小さく頷き、

静かに壇を降りた。

拍手も歓声もない。

だが誰もが心の中で、彼の名を刻んでいた。


アルトは列の中でその光景を見ていた。

「時を奪われず、か……」

呟いた声は小さすぎて誰にも届かない。

けれど、隣にいたカレンだけが微笑んだ。

「彼の言葉は、祈りよりも秩序に近い。」

「秩序か。」

「ええ。あなたには向かないわね。」

アルトは苦笑し、視線を戻した。


ラグナが壇上に立ち直り、

その場の空気を再びまとめ上げる。


「誓いは果たされた。

 これにて、本年度入学式の最後の儀を始める。」


塔の光柱が静かに脈を打つ。

星環の回転が速度を取り戻し、

七区の光が再び交差する。


「——未来共有の儀を執り行う。」


その言葉を合図に、

白金講堂の光が柔らかく膨らんだ。

生徒も教師も、神官も同時に息を呑む。

光が、心の奥にまで届くような感覚。


アルトの胸の護符が、ひときわ熱を帯びた。

彼は知らない。

その熱が、誰の悪戯によるものなのかを。


講堂全体が、静かに同じ呼吸をした。

世界が“映し出される”直前の、一瞬の静寂。


——そして、未来が始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ