プロローグ
――まさか私が、異世界の飲食店を経営して魔王が常連客になるなんて、誰が想像する?
最初は潰れかけのボロ食堂よ。
屋根は斜め、看板は読めない、床はきしむ。
スタッフはポンコツ揃いで、客は昼でもコウモリより少ない。
飲食ギルドからは嫌がらせの満漢全席。
それが今じゃ、街一番の名店。
開店一分で満席、行列は角を三つ曲がる。
冒険者も貴族も並んで待つし、極めつけは魔王よ、魔王!
黒マントでドリンクバーに直行して、真顔でメロンソーダをがぶ飲み。
ある日こんな事を言ったの。
「お前のハンバーグが食えねぇなら、世界なんて滅んじまえ!」
……笑うでしょ? でも本人は本気の顔なの。
あの瞬間、ホール中のスプーンが一斉に床にカランコロン。
私? 「世界の命運は焼き加減次第か」ってため息ついたわ。
ね、意味わからないでしょ。だから最初から話すね。私がここに来る前――四十七歳、副店長、現実世界の話から。
日本のとあるファミレスにて――
「いらっしゃいませぇ! ――って、アンタ笑顔が死んでるわよ! 口角、口角! はい、今すぐ上げて!」
フロアに私の声が跳ね返る。油の匂い、鉄板の音、食器のぶつかる澄んだ金属音。夜のファミレスは戦場で、私はいつだって指揮官。
佐々倉美咲、四十七歳。三年前にパートで入って、気づけばシフトリーダー、そして副店長。出世欲があったわけじゃない。
ただ、現場がモタつくのが嫌いなの。
お客さんを待たせるのは罪。罪は即刻是正、それが私の美学。
「副店長! ドリンクバー補充、終わりました!」
「OKナイス。次は氷! 氷切らしたら戦線崩壊! ――走って!」
十代二十代のバイトたちが、慌ただしく駆ける。
私はフレンドリーだよ? 誰にでもタメ口で話すし、冗談も言う。
でもオペレーションを乱す動きには即ツッコミ、即論破、即改善。甘さはデザートにだけ添えればいいの。
「ちょっと! そのオーダー票、逆! ハンバーグ大盛りは5番テーブルじゃなくて3番ね! はい、三秒で謝って、五秒で修正考えて、十秒後には走る!」
「す、すみません!」
「謝る声は良かった。次は直す声を聞かせて。――ホール、2番テーブルに水の追加、いま!」
忙しいほど冷静に、冷静なほど早口になる。
調理の手元で油が跳ね、フロアでは子どもがコップを倒す。
私は笑顔で駆け寄って、ナプキンを滑らせるみたいに一枚で吸い上げる。
「大丈夫大丈夫。お水もう一杯持ってくるね。転ぶよりテーブルが飲んでくれて助かった、ってね」
お母さんがホッと笑う。いい笑顔。こういうのを見たいから、私は今日も声を張る。
ふと、脳裏にあの人の声が蘇る。
『泣いてる暇があったら、皿一枚でも拭け!』
鬼ほど厳しく、理屈で刺してくる上司。
時々乱暴な言葉で殴りつけて、でも最後には必ず筋を通す人。
『失敗は原因の集合体だ。感情で片付けるな。ひとつずつ潰して次に間に合わせろ』
――はいはい、分かってますよ。あなたの教え、ちゃんと私の源になってるから。
「副店長、ラストオーダー入ります!」
「了解。終盤の山、集中していくわよ。――キッチン、ステーキ2、焼き加減ミディアムとレア、タイム差で!」
言いながら、私はグラスを磨く。
ガラス越しに映る自分の顔は、まあまあ元気そう。四十七歳、今日もちゃんと戦えてる。
閉店作業を終えて店を出ると、夜風が喉に気持ちいい。
「今日の私、よく頑張った。明日の私も頑張れ。はい、自己満足終わり」
冗談を吐き捨てて、横断歩道に足を出した、その瞬間――白い閃光が世界をひっくり返した。
「ちょっと待って! 演出派手すぎ! 車来るでしょバカ!」
反射的に怒鳴った私の声は、どこにも届かなかった。光に飲まれて、音が全部、泡みたいに消えたから。
――真っ白な空間。
地平のない白。足音も影も、現実感も、ない。
「……は? なにこれ。夢? ブラック勤務幻覚? 私、ついに逝った?」
そこへ、光の衣をまとった女性がふわっと現れた。宝石みたいな瞳、風のない場所で揺れる長い髪。
いかにも“女神”って見た目。
「あなたの力を必要とする世界があります」
「いやいやいや、待って。私もう四十七歳のオバチャンだよ? そういうのは若い子に――」
「大丈夫。20歳まで若返らせます」
「ほんと?じゃあお願いします、って言うわけないでしょ!?若返り利息何%!? てか勝手に巻き戻さないで?」
彼女は私の突っ込みを無視して、でも穏やかに、こちらをのぞき込んだ。
「あなたには“人を育て導く力”がある。迷宮都市レストニア。中世の街並みに、迷宮産の魔石でインフラが整った大都市。そこで、飲食の文化が腐っています。あなたの現場力が必要なのです」
「現場力は褒め言葉ね。……でも、なんで私?」
「三年でパートから副店長。客は笑顔、スタッフは育ち、店は黒字。あなたの働きは、どの世界でも価値がある」
「!...女神、まさかの人事評価済み。怖いわぁ...」
その時、頭の中にいきなり声が響いた。
《スキル【ファミレスオペレーション】獲得!》
《厨房効率+20%/接客教育効果アップ/在庫ロス削減》
「うわっ!? なにこれ、脳内アナウンス!? RPG!? 私、勇者ジョブ選んだ記憶ないんだけど!」
「あなたが理解しやすい形に翻訳しています」
「優しいのか雑なのかハッキリして?」
さらに、もう一つの声が胸の奥で鳴った。
――『できるかできねぇかじゃねぇ、やるんだよ!』
上司の声。理詰めで追い詰め、最後は乱暴な言葉で背中を蹴ってくる。アメとムチを使い分ける、私の人生の礎。
『原因を見つけろ。直せ。次に間に合わせろ。それだけだ』
……そうだ。私、あの人に叩き込まれたじゃない。泣いてる暇があったら皿を拭け、って。
深呼吸。女神を見上げる。
「分かった。――行くわ。異世界だろうと厨房だろうとやることは一緒よね。オペレーションを回して、客を笑顔にする。それが私の戦い方」
女神が、ふわりと微笑んだ。
「ようこそ、迷宮都市レストニアへ」
光が弾け、世界が色を取り戻す。
冷たい空気。石畳。尖塔。人混み。魔石の街灯が夜を昼みたいに照らし、路地の果てに大きな塔――迷宮の入口が見える。
屋台の香辛料が鼻腔をくすぐり、異国の呼び声が重なって、心臓がちょっと速くなる。
でも、もっと速くなる理由は目の前にあった。
看板の外れかけた、傾いた木造の建物。
入口の扉は片方だけで、床板は隙間風の楽器みたいに“ぎぃ”と鳴る。
はい、今日からあなたが私の戦場、ってことね?
《チュートリアル開始:店舗オペレーションを起動してください》
「……また出た、脳内ナビ。バイト初日よりカオスだわ」
中をのぞく。埃の匂い。錆びたフライパン。
だけど――魔石炉だけは立派に鎮座してる。
炎魔石?とやらの心臓が、かすかに赤く脈打っていた。
「厨房の火力は合格ね。あとは、掃除、導線、教育、笑顔。うん、はい、やること山盛り。好きなやつ」
思わず笑う。指先がうずく。これは、私の大好物だ。カオスを整える快感。乱れた戦場を回していく、あの高揚。
と、その時。胸の奥で、鈍く甘い“音”が鳴った。
《目標設定:本日のオペレーション評価 “S” 以上》
《補足:オペレーションが100%噛み合った瞬間、経験値が付与されます》
「へぇ。成功体験を数値でくれるってわけね。分かりやすいし、やる気出るじゃん」
『数字は飾りじゃない。原因と結果の足跡だ。追え。掴め。次に繋げろ』
――上司、相変わらずうるさい。でも、そのうるささが好き。だから私、今日もあんたの言葉で走るよ。
扉を押し開ける。ぎぃ。
私は小さく咳払いをして、場末の空気に宣言する。
「よーし、まずは掃除。次に導線引き直して、食器を生かせる配置にして、メニューは三品から。
笑顔は強制、タメ口は私の仕様。――レストニア、覚悟しなさい。ワタシの本気、見せてあげる」
こうして――私の異世界ファミレス物語が始まった。
ここから先、飲食ギルドの老害も、貴族の見栄っ張りも、横柄な冒険者も、みんなまとめて更生コースよ。
魔王? あの人は……常連。しかもメロンソーダで機嫌が直る、かわいい常連さん。
でもそれを本当に信じるのは、あなたが次のページをめくったあとでいい。
だって、まずはこの店を回さなきゃ。
《ミッション:初日オペレーション “S” を達成せよ》
「任せなさい。――いらっしゃいませ、レストニア。副店長改め新人二十歳(中身四十七歳)の、正論とツッコミのフルコース、始めるわよ!」
――つづく!
〜あとがき〜
――はい、ここから先はお約束の「あとがきコーナー」でございます。
物語本編ではビシッとツッコんでましたが、裏側ではわりとゆるゆるです。
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◆女神と主人公の雑談
女神「どう? 初日から派手にツッコんでたけど」
美咲「いやいや、派手にさせたのアンタでしょ女神。あんなスキルアナウンス、完全にRPGゲー脳じゃない」
女神「分かりやすさ重視、って言ったでしょ?」
美咲「優しいのか雑なのかハッキリして? あと勝手に二十歳に若返らせた件、まだ利息の内訳聞いてないんだけど」
女神「利息は……あなたが人を導き続けること。そうすれば利息どころか、利子がついて返ってきますよ」
美咲「また上手いこと言って誤魔化すなぁ! ほんっと人事部の面接官みたいな口ぶりよね」
女神「だって私は異世界転職担当ですもの」
美咲「え、異世界リクルート!? 転職エージェント的ポジション!? ……それ聞いたら一気にありがたみ薄れたわ」
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◆作者より
読者の皆さま、ここまでお付き合いありがとうございます。
この作品は「異世界で勇者! 剣! 魔法!」……ではなく、
「異世界でファミレス! 正論!ツッコミ!論破! オペレーション!」 という、ちょっとズレた方向で突っ走ります。
主人公は四十七歳、現場叩き上げ、ファミレス副店長。
中身は人生経験まみれ、でも見た目は二十歳の若返りボディ。
要するに「タメ口フレンドリー+ビシッと論破」で、異世界の飲食業界をひっくり返していきます。
そしてこのあと登場するのが――相棒ポジションの冒険者の青年。
バイトに入ってドジを踏んで、迷宮で剣を振るって、美咲とツッコミ合いながら成長していく予定です。
店と迷宮、両方で「オペレーション」が炸裂するところを楽しみにしてください。
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◆最後に主人公からひとこと
美咲「ま、読者さんに一言言うなら――“笑顔で飯食ってもらえたら、それが私の勝利”よ。だから、次も来てね? もちろん、ブックマークと感想というサイドメニュー付きでね!」
女神「ちゃっかりしてるわね、この子...」
次回、第1話『カオスを整えるのってほんと快感!』へ続く!