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1. 勇者誕生

「勇者の、予言…!」


 永世中立都市アカネディアを中心として、ドーナツ型のようにぐるっと取り巻く大陸において──神話の時代より歴史を紡いできた最古の王国───ガテルミシア王国。


 ガテルミシア王国の、黄金王都ミシアシティ──から見て北東、常に雪の降り積る北部へと移動し続けると、ぽっかりと、雪の降らない草原へと出る。


 そこは『春の草原』。

 何年も何十年も不毛の地で種に水をやり続けた青年を、春の精霊が哀れんでこの地を草原へと変えた、という御伽噺はガテルミシア王国の民なら誰でも知っている。──青年の愛した花しか咲かないという点では、不毛の地には変わりは無かったが。



 春の精霊と結ばれたというその青年の子孫は、ひっそりと、『春の草原』にぽつりとあるシッツォ村にて暮らしている。



 目立つような何かはない。家畜と草原に生える食用の植物によって生きている。『春の草原』に出るある程度の魔物を倒せるならば、近くの街まで徒歩でも行ける。

 春の精霊に愛された子孫として、命を繋いでいくこと以外にとりたてて特別なことは無い。


 のんびりとした時間の流れる村だ。


 鶏の声で目を覚まし、草原に生えている草を適当に摘み、困ることがあれば助け合い、子供たちは遊びまわる。冒険者として村の外に出ていった数名からのお土産で、特に物に困ることもない。


 小麦は育たないので税は無い。何も得られないので忘れ去られたと行ってもいい。




(そんな北の果ての不毛の地だから、王国を騒がせる魔王による襲撃も、ここへの影響は皆無だった)


 ただひたすらゆったりと、繰り返しの日々──しかし、今日だけは違った。



 王都からの使者が、シッツォ村に訪れたからである。



「ねえ、何が起こってるの?」


 ざわめきで溢れかえっている村の広場。広場と言っても、子供の遊び場となっているだけで何も無い。

 話しかけられた声に、後ろの方で背伸びをして広場の中心を見ていた金髪の少年は振り返った。


 雲を映し出す海のような灰青色の瞳。

 オレンジが微かに覗く茶髪にはぴょこんと寝癖がついていた。


「もう昼だけど今まで寝てたの?」


 返答は分かりきっているとでも言うような声のトーンで、少年は問う。少女はいつも通り、徹夜したよと返した。


「それで、何があったの?」


 興味津々という表情に、少年は笑いをこぼしながら寝癖の酷い少女の髪に手を伸ばした。撫でるとくすぐったいと笑う。意志を持つかのように跳ねたままの寝癖に諦めて手を離した。


 少女は村に起こった非日常に気づき、急いできたのだろう。

 少年は、辺境の村にいるには少し勿体ないほど整った顔で、目を輝かせて、少女に告げる。


「この村に勇者がいるらしいんだよ…!その人を探しに来たんだって!」


 少女はぱちぱちと瞬きをした。広場の中心ではあ〜!違ったか〜!という声が聞こえてくる。

 アド兄貴も違うのか、と驚きと──そして、滲んでしまった期待が少年の声に乗る。


「今広場の真ん中に、使者の人が持ってきた丸い透明な玉があるんだよ!勇者がそれに触れると光るらしくて、今はかわるばんこに条件を満たしている人達が触っていってる」


「条件って?」


「予言によれば、『20歳未満の勇敢な男児』らしいんだ。19歳の人達から年齢順に触っていて、今はアド兄貴だから……」


「ゼドはもうちょっと後なんだね」


『ゼド』と呼ばれた少年はもはや期待を隠しきれない眼差しで、広場の中央を眺めている。



(僕でもなれるかなあ…)


 そう続けようと口を開いたゼドは、少女がうーん、と放った言葉に遮られた。


「20歳未満の勇敢な男児で、今がアドお兄なら…残りで候補に上がるのは、ジャックお兄とかアダムとか?それと──」


「そ、そうだよね。普通…あの2人のどっちかだよね………」


(……僕には無理だよね)


 少女の言葉を最後まで聞かず、会話を断ち切ってゼドは顔を伏せた。


 え?、と広場の中央を見ようとしていた視線をゼドに移した、少女の顔を見ることが出来ない。


 自他ともに認める“優しいが弱虫で臆病”なゼド。勇敢さ──周りと比べればちっぽけなものだろう。いや、そもそも、勇敢さなど自分にはないのかもしれない。

 ゼドはどのような人物かと聞かれて、一言目に誰もが優しいと言うだろう。しかしゼドという人間を語るのに、勇敢という言葉は使われない。

 期待を滲ませつつも、心のどこかではすっかり諦めていたのかもしれない。ただ名前を連ねて言い始めただけの幼なじみの言葉を遮ってしまうぐらいには、それは酷く悔しいことだった。

 勇者に憧れずにはいられない。自分の村に、ここに勇者はいるのだと言われて、どうして心躍らずにいられるだろうか。そしてそれが、自分ではないかと願ってしまうことも。


 勇敢という言葉に、心を砕かれていようとも。


 どうしても願ってしまうのだ。この変わらない日常を送り続ける村から連れ出してくれる、運命。ずっとずっと嫌だった自分を変えられるその日を待っていた。待っているだけだった。それではだめだったのか。


「僕は…勇者には、選ばれそうにないなあ」


 隣にいる少女に聞こえないように、ぽつりと呟いて、広場の中央の方を眺める。兄たちは、今、残念だなあと慰められているジャックで最後だ。

 ──誰も選ばれなかった。自分よりも遥かに勇敢な兄たち。兄たちを差し置いて自分になるわけが無い、いやしかし、そうはいってももしかして、と心の中では期待をしつつ──本当は、分かっていた。落胆するだけだと。


 もうそろそろ僕の番だから、多分選ばれないと思うけど行ってくるね、と声をかけて歩き出しはじめる。

 ──が、すぐにゼドの服の袖を掴んで少女が引き止めた。


「──それと、ゼド」


 ゼドが終わらせた会話において、続けるはずだった言葉を少女は真っ直ぐにゼドへと向けた。

 ゼドは紫色の瞳を大きく見開いて、少女のことを見た。


「ゼドは、優しい面が強くて誰も気づいてないだけ。ちゃんと勇敢だよ。──私は、勇者になるのはゼドだと思ってる」


 ゼドは動揺して、真っ直ぐな灰青色から目を逸らした。思わず1歩、後ろへと下がってしまう。


「……僕には、無理だよ」


 少女は、ゼドの1歩よりも大きくゼドに近づいた。


「勇者に相応しいのはゼドだと思う。私のこと、いつも守ってくれるのはゼドでしょ?誰にもゼドに勇敢さが無いなんて言わせない。……それと、はっきり言うと、私は、ゼドが勇者になって欲しい」


 少女は、力強く言い切って、ゼドを信じきった瞳で見ている。1ヶ月しか誕生日の変わらない少女とはずっと日々を共にしてきた。だからこそ分かる。分かってしまう。


 少女は、ゼドが勇者になることを微塵も疑っていないのだと!


 いつのまにか、いや、そんな長い時間ではなかったはずだが、少女はぱっと袖から手を離して、ゼド呼ばれているよと言った。相変わらず仲がいいなと冷やかされる声も耳に入らない。


 ゼドは自分に自信がない。武力も体力も知力も、ゼドは誇りになるようなものを持っていない。天才というのは凡人の予想を遥かに超えていくものだというのに、勇者なんてその最たる者であるというのに、ゼドは平凡だ。


 ゆったりとした生活を送って、自分に自信を持つこともなく、いつかは少女と結婚して、そうして、何も成さずに死んでいく──それが怖かった。

 ゼドには怖いものが色々ある。1番下級のスライムですら怖い。痛い思いなんてしたくない。苦しみたくない。罪悪感を、抱えていたくない。


 ──願っていた。

 漠然と、このままではいたくないと思っていた。今ではもうその願いは形を成してしまった。


 勇者になりたい。

 ゼド・ヒューイットは勇者になりたいのだ。どうしようもないほどに、焦がれている。


「ゼド?呼ばれてるよ」


 少女の目をようやく見ることが出来た。黙ったままのゼドを不思議そうに見ながらも、ゼドは勇者だと信じている瞳に、自分の顔が映る。

 覚悟の灯火が燃えている。


 幼なじみに信頼されて、勇者になってほしい、勇者に相応しいと言葉を掛けられて。それだけで十分だった。

 自分を信じている者の言葉に背中を押され、今から勇者たりえるのか確かめに行くのだ。


 まるで、物語の主人公のようじゃないか!──そう思った自分に、思わずふっと笑う。


「ありがとう」


 ゼドは目を広場へと向ける。

 その瞳には眩いほどの光が宿っていた。


 ♢


 金髪の少年、ゼド・ヒューイット。

 ゼドはどんな人間なのか。何が出来るのか。──優しい人間だ。しかし彼に何が出来るのだろう。


 彼が勇者になれると、確信を持っていたのは一人だけだった。ゼドの幼なじみの少女以外は信じていなかった、いや、そもそも選択肢にすらあがっていなかった。


 ──あがっていなかった、というのに。


 少しだけぎこちないが、いつもと変わらない歩き方。ただ広場の中央に呼ばれたから向かっているだけ。今までと同じ結果になって、残念だったな、じゃあ勇者はあいつになるかな──などと、言うだろうと思っていたのに。


 その場にいた全員が、ぞわりと鳥肌が立って動けなくなる。


 体の底から湧き出す震え。恐れなのか高揚感なのか分からない。確信に近い考えが、その場にいた全員の頭に浮かんだ。


 ゼドこそが勇者である、と!




 いっそうるさいほどの静寂が辺りに響き渡る。

 誰もが固唾を飲んで見守っていた。小さな息遣いの音ですら大きく感じられるほどで、その中でただ、ゼドの足音だけが響く。


 少年が手を水晶へと伸ばすのを、誰もが食い入るように見つめていた。見逃さないように。


 勇者誕生を、見逃さないように。



 ───優しく神々しい、光で満ちる。



 あっというまに清らかな光が広場を覆い尽くす。きらきらと舞い落ちる光の粉は、この世のものではないように思われるほどであった。誰もがそれに手を伸ばす。ゆるりと溶けていく光に、涙が止まらなくなる者も多かった。

 祝福されているかのように、金髪は光を反射させ眩い天使の輪を作る。



「僕が────ゼド・ヒューイットが、勇者だ!!」


 少年の叫びの後、大歓声が周りを埋めつくした。


 ♢


「勇者ゼド様。わたしは、勇者パーティのヒーラー、聖女フローラです。これからよろしくお願いしますね」


「よ、よろしく…!」


「俺は、ルイ。タンクだ。よろしく」


「よろしくね…!」


「私は魔法使い、アルファ。足引っ張ったら許さないからね!」


「は、はい…!」


 村人たちが盛大に勇者誕生をお祝いしようと祭りの準備を進めているのを背景に、ゼドは勇者一行となる3人と引き合わされた。

 聞くと、3人とも予言によって選ばれた者たちらしい。ゼド──勇者の存在に関する予言だけ、神から伝えられるのが少し遅かったが、これでようやくパーティメンバーが全員揃ったと喜んでいた。


「ゼド様、わたしたちは勇者一行としてこれから魔王を討ちに旅へと出ます。わたしたちは一蓮托生、信じて頼ってくださいね」


「はい!」


 艶やかな桃色の長髪をたなびかせ、聖母のような笑みを浮かべて、フローラと名乗った聖女はゼドの手をぎゅっと握る。その手はマメだらけで、フローラは自分の背よりも大きい大剣を背負っていた。

 聖女って剣も使えるんだなあとゼドは思った。


「タンクとして、必ずや………みんなを守り祖国を救おう。頼れ」


「うん、ありがとう…!」


 盾を担いだ、この3人の中では1番年上だという青年ルイと握手した。近くに来るととても鍛えられているのが分かる。ひょろっとした自分の体を考え、ゼドは大きくなったらルイのようになりたいなと思った。道中で頑張るうちに、そうなれるだろうか。


「私は魔法使いだから後方支援と遠距離攻撃が得意よ。ゼド、あんたは勇者に選ばれたばっかりでろくに戦えないでしょうから……まあ?使い物になるまでは助けてあげるわ」


「うん…!ありがとう」


 つんとすました顔をする魔法使いのアルファ。彼女のみ貴族らしいが、本人は畏まらなくていいと言った。言い方は厳しいが、それを苦しく思うことは無い。

 足でまといでいるわけにはいかない。彼女の言葉はこのままではダメだ、頑張らなくてはと思わせてくれた。



 会話が弾んできたところで、祭りの準備が出来たと声をかけられ、ゼドたちは中央へと引っ張り出される。

 何か一言頼むぜ!と兄たちに背中を叩かれる。


 みんなが自分の言葉を待っている。

 不思議と緊張感はなかった。これから何度も見ることになるであろう、人々の視線が全て自分に向いている光景──それの、1番最初。

 ゼドは大きく息を吸った。


「僕は!!必ず、魔王を倒して、戻ってきます!!!必ず、必ずです!!!」


 だから、信じて待っていてください───!!!


 そう言い終わった瞬間、大歓声が、村全体を覆う。

 酒が飛び交い、踊り、豪華な食事が振る舞われ、夜通し勇者誕生を祝う祭りが行われた。


 この後何百年も続く、世界を救った勇者誕生の祭り。それはシッツォ村で始まった。

 ──まだ、誰も知らない、未来の話だ。


 ♢


「ゼド、行ってらっしゃい」

「ゼド、お前なら出来る。信じているぞ」

 両親は泣きながら、勇者となった息子を送り出した。行かないでほしい、勇者になんてならないでほしい──その言葉は、真っ直ぐと覚悟の宿った瞳の前で言われることはなかった。

 ゼドは世界を救って必ず戻ってくるから、と深々と頭を下げた。


「お前は弱虫で泣き虫だけど、人のために勇気が出せるやつだ。頑張れよ!」

「あの時は俺が勇者になるかもと思ってたけどな。今となっては勇者はゼド以外ありえねぇな。何もかも救ってこい、ゼド!」

「お前なら魔王なんかイチコロさ!今のうちにサイン書いとけよな!……なあ、勇者の兄として…オレも考えるべきだと思うか?」

 憧れを抱いている兄たちに激励される。最終的に兄たちがそれぞれ自分のサインを考え始めたのを見て、ゼドは笑いながら別れを告げた。

 男の別れに涙なんかいらねえからな、と兄たちはつっけんどんに言っていたが、家を後にして数歩、後ろから泣き声が聞こえてきた。──ゼドは聞かなかったふりをして、前を向く。


「頑張れ!」「負けるなよ」「ゼドならできる」「この村から勇者誕生なんて誇らしいわ」「頑張るんじゃよ」「ゼド!」「勝ってこい」「生きて帰ってね」「死ぬなよ」「頑張って!」

 村の人々に、もみくちゃにされながら応援される。小さな村だ。全員と顔見知りで、思い出がぶわっと蘇る。

 ──今はまだこの村にまで魔王の脅威は届いていない。でも1年後、2年後、どうなっているかは分からない。

 この村の人達には、大きな悩みもなく、誰も殺されることなく、ゆったりと幸せでいてほしい。ゼドは決意を胸にみんなとの別れを告げた。





「ゼド、もう出発するんだね」


 茶髪が風になびきながら振り向く。柔らかく微笑まれて、頑張らなくてはと力が入っていた肩が自然と治まった。

 もしやすると両親や兄たちよりも、ずっと長く過ごしたかもしれない少女。──今が最後かもしれないと思うと、その姿を目に焼き付けていたかった。


「うん。…ありがとう、あの時、僕のことを信じてくれて」


 自然と、ぎゅっと手を握っていた。不安な時に、怒られた時に、楽しい時に、飛び上がるほど嬉しい時に──今よりもっと幼い時はよくそうしていた。──ゼドは、そうしてようやく自分に恐れがあることに気がついた。

 少女はにっこりと笑う。


「ゼドは絶対魔王を倒すよ。絶対。……ゼドの優しさは強い力だから」


 家族や慣れ親しんだ人達との別れでは泣かなかった。泣くところだったけれど、泣かなかった。自分はもう勇者なのだから──強くなりたいと願ったからだ。

 それなのに、少女の瞳を見た瞬間涙が止まらなくなる。どうしたのと笑う少女の目からも涙が落ちていた。


「ゼドは何度もわたしを助けてくれたね。今までありがとう。信じてるよ。どうか死なないで」


「っ、うん…!」


 泣き虫は変わらないねと少女も泣きながら言う。


「僕は必ず、魔王を倒してくるよ…!」




 幼なじみの少女は、ゼドにとっていちばん大切で、いちばん守りたくて、どうかどうか幸せに笑っていてほしいと願う人だ。

 僕がいなくなってもちゃんと毎日3食食べて、美味しいものだけじゃなくちゃんと野菜も食べるんだぞ、あまり夜更かしはしちゃだめだ、ちゃんと早寝早起きをこころがけて───思わず溢れた言葉に、少女は全くもうと頬を膨らませる。

 その表情を見て、ゼドは笑い出す。頬を膨らませていた少女も、つられて笑った。




「ゼド様、行きましょう」


「……よろしくたのむ」


「絶対勝って帰るのよ!」


 住み慣れた村を離れて、数歩歩いたところでゼドの目から涙が溢れ出す。止めることは出来なかった。笑顔で、かっこよく、去ろうと思っていたのに───いや、と思い直した。

 今生の別れかもしれないのだ。ゼドは思わず振り返り、手を振っている村の人々へと大きく手を振り返した。

 別れに格好良さなどいらない。ただ、必ずや帰ってくると、みんなの顔を目に焼き付けることが出来れば、それでいい。



「僕、頑張ってくる───!!!」


 世界を救ってくるから。必ず戻ってくるから。──強く言い切りたかったのに、最後の最後に飛び出した言葉は、それらと比べてしまえば弱くて。

 でもそれがゼドの一番の気持ちだった。頑張る。ゼドは諦めが悪い。誰もが投げ出した問題だって、最後まで粘り強く付き合ってきた。


 それがゼドだ。


 頑張って──強くなって、皆を守ることができるようになって、そしていつか魔王を倒す。


 それが勇者ゼドの歩む道だ。




 ♢


「………っ」


 涙を手で拭う。灰青色の目は何かをぼんやりと考えている。



 ───この物語は、勇者の旅立ちから始まる。


 まだぼろぼろと涙を落としているのは少女だけだ。さもありなんと周りは気遣うように放っておいてくれている。


 ふらりと少女は家へと戻り、そのまま自室のベッドに座った。窓からは明るい光が差し込んでいる。母は扉の外から心配そうに声をかけるが、気にしてはいられない。目を閉じる。


(……これから、どうしよう)


 脳裏に浮かぶのは、旅立っていった幼なじみである勇者ゼドの姿。

 いつかはゼドと結婚して、そのままこの村に骨を埋めることになるだろう。それでいい。それでいいと思っていた。


 けれど、ゼドは勇者になった。

 自分のために残ってくれなんて言えなかった。否、思いもしなかったが正しいか。


「私は……」



 ───この物語は、勇者の旅立ちから始まる。けれど、主人公は勇者では無い。



 少女は目を開く。灰青色は、今ではぎらぎらと光を纏って輝いている。


 願ってしまった。そうであればどれだけ素敵だろうかと。形を成してしまった。もう願わずにはいられない。望むしかない。叶えようと足掻くしかない。



「私の名前はシャーロット・アトラー。──私は必ず、この名を残してやる」



 ───主人公は勇者の幼なじみ。今はまだ、小さな村で一人涙を堪える少女。シャーロット・アトラーであった。

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